第4章Ⅲ:疑念だらけの御披露目会(前)
御披露目会当日、
その日は朝から爽やかに晴れ渡る上天気な日であった。
そんな中、夜明け前からハックとエレーヌは料理の仕込みにてんてこ舞いに台所内を駆け回っていた。
「ほいエレーヌっ!ミートパイが焼けたぞっ!」
「は、はいっ!」
「あと冷蔵庫から次に焼くパイを出しといてくれ!」
そしとタフタは庭先で朝一番に来た花屋の主人と一緒に配達された花の飾り付けをしていた。
「こんなもんですかねー?」
「ああ、その花はこちらにした方が綺麗に見えますよ。」
そしてポーは、サーシャの部屋で彼女の髪を整え、化粧を施して身支度をしていた。
「本日の主役はサーシャ様ですからね。思い切り綺麗に仕上げますね。」
「はい。」
*
一方のジーフェスのほうは、独り自衛団の制服という、簡単かつご都合の良いフォーマルに着替えて屋敷の玄関先でサーシャを待っていた。
「……。」
彼は何だか落ち着かない様子でうろうろしていた。
女性の準備は長いとは言うけど…、
「お待たせしました旦那様。」
ポーのその声に振り向いて見ると…、
彼女に連れられて現れたサーシャの姿は、…淡いピンク色の少し短めのワンピースに肩に白のレース仕立ての上掛けをかけ、髪には白の生花を飾り、頬をほんのりと淡いピンクのチークに彩られ、唇もまた同色の口紅で彩られいた。
「……。」
まるで神話に出てくる春の女神シュプリンに仕える精霊のような、愛らしいサーシャのその姿に暫くジーフェスは見とれてしまっていた。
「どうですか坊っちゃま?」
「……。」
余りに見とれてしまっていたのか、ポーの言葉にも彼は全く反応しない。
「あの、ジーフェス様?」
サーシャの柔らかな声に、やっと我に帰って彼女に声をかけた。
「あ、ああ、…うん、とっても可愛いです、ね…。」
ジーフェスは少し頬を熱く感じ、しどろもどろに答えた。
“おいおい、何で俺が照れる必要があるのだ…?”
「ありがとうございます。」
可愛いと言われて、素直に嬉しくなってサーシャはにっこり微笑んで礼を告げた。
「あー!サーシャ様、すっごく可愛いーっ!!さすがポーさんっ!」
出来上がった料理を庭へと運ぶ途中だったエレーヌが、サーシャの姿を見て思わず叫んだ。
「ありがとうございます。」
「なのに旦那様はいつもの仕事着ですかぁ〜?せめて王家から拝受したあの衣装のほうがましなのに〜。」
「今回の御披露目会は街の皆に自分達の結婚の報告をするものだ。王家とは何の関係も無い事柄にあの衣装は出せないぞ!」
「ふーん、まあ、あの衣装じゃあ、旦那様のほうが衣装負けするから今のほうが良いかぁー。」
エレーヌの痛烈な一言にぴく、と頬をひきつらせたジーフェス。
「これ!、エレーヌっ!」
「料理持っていきまーす。」
ポーの叱責に、えへへ、と舌を出して逃げるようにその場を離れていった。
「全く…、では坊っちゃま、後は頼みましたよ。」
そう言って、ポーはサーシャの手をジーフェスに引き渡した。
彼女の小さなその手を握ると、柔らかくて温かくて、ほんの少しだけど、心が揺れる…。
「行きましょうかサーシャ殿。」
「はい。」
*
二人が玄関から出ると、裏庭に続く道筋に綺麗な花々が飾られていた。
「あ、旦那様にサーシャ様…。」
二人の姿を見つけたタフタと花屋の主人が傍まで寄ってきた。
「いやー、サーシャ様、可愛いですなー。まさに花の精霊のようですよ。」
「まあ、ありがとうございます。」
「初めまして、わたくしは花屋のベンと申します。この度は御結婚おめでとうございます。」
花屋の主人は帽子を取って頭を下げて祝辞を述べた。
「ありがとう。朝早くから作業ご苦労様。」
「いえいえ、あ、こちらは花嫁様にどうぞ。」
と言って、ベンは手にしていた小さな花のブーケをサーシャに手渡した。
「花嫁様に幸せが訪れますように。」
「ありがとうございます。」
嬉しそうに微笑んで、サーシャはそのブーケを受け取った。
「ではわたくしは仕事に戻ります。あと少しで終わりますので。」
ぺこりと頭を下げて、ベンとタフタは再び裏庭に向かっていった。
「可愛いお花…、これ、ラティアの花ですね。」
「ラティア?」
花に疎いジーフェスは訳がわからないように首を傾げた。
「はい。ラティアの花は『純潔』を意味していて、昔から良く花嫁のブーケに使われているのですよ。」
「ふーん、俺は花のことはよく解らないけど、そうならばこれは正にサーシャ殿の為の花というわけだ。」
その言葉を聞いて、サーシャはぽっと頬を赤くした。
「あの…。」
「おはようございますー!」
突然二人のもとに、男性の声がしたかと思うと、二人の男性がジーフェス達の傍まで寄ってきた。
「おはようございます団長さん。」
「違うだろう!今日はおめでとうございます、だろうが!」
「あ、そうだった…、御結婚おめでとうございます。」
作業着姿の中年の男性二人は漫才のようなやりとりをして二人に祝辞を述べ、お互い手にしていた花を渡した。
「ありがとう。」
「ありがとうございます。」
にこやかに笑いながら花を受けとる二人。
「サーシャ殿、こちらは街で大工をしているカルドとマルドの兄弟。
こっちは俺の嫁さんのサーシャ殿だ。
…しかし、こんな朝早くから来るとは何かあったのか?」
「朝早くからすんません団長、
いやねぇ、今からちょいと遠くまで仕事に行かなきゃならなくなってしまって…、いつ戻れるか解らないから、取り敢えず出掛ける前に御二人に御挨拶でもしとこうかと思いまして。」
「しかし可愛い花嫁さんですなー。まるで花の妖精さんみたいだ。」
にこにこ笑いながらもうひとりの男がサーシャに言った。
「まあ、…ありがとうございます。」
「ではあっしたちはここで失礼します。御二人に幸せが来ますように。」
ぺこりと頭を下げた二人に、ジーフェスは何か思い出したように呟いた。
「二人ともちょっと待っていてくれ。」
そして裏庭の入口に置いてあった、例のサーシャ手作りのクッキーとカードの袋を2つ持ってきた。
「これは俺達からの幸せのお裾分けだ。皆に幸せを。」
「「ありがとうございます。では失礼しやす。」」
遠慮無くクッキーを受けとると一礼して、二人はその場を去っていった。
「幸せのお裾分け、素敵ですね…。」
「そうですね。これこそが御披露目会の一番の醍醐味なのだろうな。」
二人は顔を見合わせてくす、と笑った。
「さて、今から続々と客が来ると思いますから、お互い頑張りましょうか。」
「はい。」
*
ジーフェスの言う通り、朝のうちは訪問者、…街の人達のことだが…、もぽつぽつといった程度だったが、昼前になると途切れなく来るようになってきた。
大半の訪問者はささやかな贈り物を二人に渡し、紹介と祝辞を述べた後に贈り物のクッキーを受け取ると直ぐに帰っていったが、
親しい友人とか親交のある街の人達とか仕事関係の人達は、奥の庭に準備してあるご馳走の振る舞いに舌鼓を打っていた。
「いやー、団長も良いですなー、こんな可愛いお嫁さんを貰って。」
そう言うのは、街の商人のひとり、マーゴットだった。
彼は主に酒類の取り引きを中心に行う、商人の中では上位に入る裕福な人物である。
しかしその裕福ぶりを自慢することも傲慢に振る舞うことも無く、利益を従業員に還元するその姿と、大胆で豪快な取り引きを行うといったさばさばとした性格から、街の人達からはかなり好かれている老人であった。
「儂にもこんな可愛い嫁さんが欲しいよなあ〜。」
そう言うと、マーゴットはサーシャの肩に腕をかけた。
「…え?!」
…難を言えば、ちょいと女にだらしが無いことであったが…。
「マーゴットさん、あそこで奥さんがこっちを睨み付けてますよ。」
ジーフェスがそう忠告すると、マーゴットはやばっ、というように肩をすぼめてそそくさとサーシャから離れた。
「いかんいかん、あやつを怒らせると生命がいくつあっても足らんわ…。」
じゃ、と軽く手を振って、彼は奥さんとおぼしき老女のもとに向かっていった。
「大丈夫でしょうか。」
「マーゴットさんは女の方に弱いけど、恐妻家だからね、まあ、それはそれで上手くいっているらしいけど…。」
くすくす笑いながらジーフェスはそう言った。
「団長さぁんっ!」
いきなりジーフェスの肩をぽんっ!と叩く大柄の男の姿があった。
「お前か、モール…。」
モールと呼ばれた男はアルコールの入った瓶を片手にすっかり酔っぱらっている様子だった。
「おめっとーごぜーますだんちょー!」
酒臭い息を吐きかけながら、モールはジーフェスの肩に腕をかけた。
「いーっすねー団長さんはぁー。こぉんなかあいいお嫁さんもらえてぇー、
ちくしょぉー!おれもいつかは嫁さんもらうぞぉー!!」
完全にできてるモールに絡まれてしまい、ジーフェスは苦笑いしてしまった。
「はいはい、お前ならきっと良い嫁さんが貰えるぞ。」
よろよろとよろける大男の身体を支えながら、ふとサーシャのほうを見た。
「すみません、ちょっと彼を休める所に連れていきます。それまでこの場を任せて宜しいですか?」
「あ、は、はい。」
「直ぐに戻って来ますよ。」
そう言ってジーフェスはにっこり笑って、男の身体を支えながら一緒に屋敷のほうに向かっていった。
「……。」
“本当にジーフェス様はいろんな方々から慕われているのですね。”
後ろ姿を見ていたサーシャはふと思った。
…もし王家の宮殿の中でしか育っていなかったら、恐らく出逢うことも無かった、街の平民の人達。
その方達とも、分け隔て無く接して、それでいて王族として偉ぶる事も無いその姿。
“そんな、ジーフェス様を、私は…、”
「こんにちはー。」
突然、サーシャの後ろから女性の声がした。
「!?」
そこには、赤ちゃんをおんぶして、両手に五歳くらいの小さな子供を連れた、少し小肥りの女性が立っていた。
「あ、こんにちは。」
「すみません、団長さんは何処に…、ていうか、もしかして貴女が団長さんのお嫁さん?」
その女性はまじまじとサーシャを見て呟いた。
「あ、はい、そうですが…。」
「あいやー!すっごく可愛い娘さんですねー!えーと…、」
「サーシャと申します。よろしくお願いいたします。」
「ああ、サーシャ様ですか!この度は御結婚おめでとうございます!私はパルと言って、街でパン屋を営んでおります。こっちは私の子供のエマとポールです。ほら!お前達もご挨拶しなさい!」
そう言ってパルは横にいた男の子と女の子の背中を押した。
「けっこんおめでとうおねえちゃん。お花どうぞ。」
女の子のエマのほうは、素直に祝いの言葉を言って、手にしていた花をサーシャに渡した。
「ありがとう。」
にこやかに花を受け取ると、今度は男の子、ポールのほうを見てみた。
「ねえ、おねえちゃんがだんちょうさんのおよめさんなの?」
不思議そうに首を傾げながらポールはサーシャに尋ねてきた。
「ええ、そうよ。」
それを聞いた男の子はえー、と叫んで、次の瞬間とんでもないことを言った。
「えー、だんちょうのおよめさんって、らいざせんせーじゃあなかったのー?」
「!?」
……え…?!
「こ、これっ!なに言っているのお前っ!」
「えー、だっておかあちゃんもいってたじゃない。だんちょうさんのおよめさんはらいざせんせいだって。」
“…誰?その人…。”
表情を強張らせるサーシャを見て慌てるパルを無視してポールは話し続ける。
「あ、あらら…、こ、子供の戯言だから、気にしないで下さいね…。で、では…。」
余りに気まずくなってしまい、パルは子供達を連れてそそくさと逃げるようにその場を立ち去っていった。
「……。」
独りになったサーシャは、先程の言葉が頭から離れられず、その内容に酷く動揺していた。
『だんちょうさんのおよめさんはらいざせんせいだって…。』
“…ライザって、一体誰…?”