第4章Ⅱ:甘いあまーい誘惑?!
「…………。」
夕刻に屋敷に戻ってきたジーフェスは、目の前の惨状?にただただ絶句していた…。
「……。」
側にいたサーシャやポー、エレーヌにハック、そしておまけでタフタまでが苦笑いしながら主人でもあるジーフェスの反応を見ていた。
「……で、これは何だ?」
彼が指差す先には…、
…それはそれは大量に作られたクッキーの山、山、やま…、がそびえたっていた。
「クッキーですけど。」
「いや、クッキーなのは見て解る。だけど夕食はどうした?パンは?サラダは?肉はっ?!」
「いや、サーシャ様とクッキー作りに夢中になっていたらついこんな時間まで…。」
「私は別に夕食がクッキーと牛乳でも構わないけど〜♪」
呑気に答えるハックとエレーヌにジーフェスはぎろり、と睨み付けた。
「とにかく何か夕食になりそうなものを食べさせてくれ!腹が減って死にそうだっ!!」
「はいっ!」
ジーフェスの一喝にハックやポー達が返事をして、慌てて台所へと向かっていった。
「全く…。」
辺り一面にバターの薫りが充満する中、ジーフェスは疲れきったように椅子に腰掛けてはあ、と溜め息をついた。
「あの、ハックさん達を責めないで下さい。私がつい楽しくて、ずっと作っていたのにつきあって下さったからなのですから…。本当にすみません。」
「いや、責めてる訳では無かったのですが…。」
「もし宜しければ、場繋ぎにこのクッキーでも食べて下さい。」
だが、その誘いにジーフェスは少し表情を歪めた。
「サーシャ様駄目ですよー。旦那様は甘いものはからきし苦手なのですから〜。取り敢えず茹で豆とビールですけど、飲まれますかあー?」
「ん、貰おう。」
台所からエレーヌがおつまみとアルコールを持ってきながらそう忠告してきた。
「…え?」
するとジーフェスは苦笑いしながら答えた。
「すみません、俺は甘いものは食べ過ぎると吐いてしまうんですよ。」
「そう、なのですか。」
早速おつまみを食べてアルコールを飲む彼の姿を見ながら、サーシャはちょっと寂しい気持ちになった。
“折角喜んで貰えるかと思ってたけど、苦手なら仕方ないわよね…。”
*
何とかありあわせのもので夕食を終わらせ、ジーフェスは独り湯あみを終えて、水を飲もうとダイニングに向かっていた。
「……。」
既に人気の無いダイニングのテーブルの上には、大半は御披露目会の為に棚に納されたが、それでも大皿一杯に残ったクッキーが置かれていた。
“確か、サーシャ殿が作ったのだったな…。”
『サーシャ様は本当に楽しそうにクッキーを作っていましたよ。恐らく旦那様にも食べて貰いたかったのでしょう。』
食事の後で、さりげなく呟いたポーの一言を思い出して、ジーフェスはふとクッキーのひとつを手にした。
「……。」
『もし宜しければクッキーどうですか?』
ふと脳裏にサーシャの優しい微笑みが浮かんできた。
「……。」
暫くそのままの状態だったが、やがて思い切ったように手にしていたクッキーを口に入れた。
「…ん…っ!」
クッキー特有のバターの風味と甘い味がジーフェスの口に広がり、その感覚に思わず噎せそうになるのを必死で耐えて慌てて噛み砕いて一気に飲み込んだ。
そして慌てて水場に行き、コップに水を汲むと一気に飲み干した。
“何やっているんだ俺は…。”
はあはあと肩で荒い息遣いをしながらジーフェスは、自分自身が余りに情けなくて、思わず嘲笑してしまった。
*
そんなこんなで御披露目会の前日…、
朝からポーやエレーヌは屋敷の掃除に、ハックは料理の仕込みに、タフタはテーブルや椅子の設置にそれぞれ忙しい様子であたふた動き回っていた。
「旦那様、お茶葉がもう残り少ないのですけど、今日取りに行かれますか?」
棚を見ていたハックが、ふとジーフェスに尋ねてきた。
「今日はタフタも皆忙しいだろう?明日の御披露目会が終わってから直ぐに取りに行くよ。」
午前中休みを取っていた彼も、タフタと一緒にテーブルや椅子を運んで、力仕事を中心に準備の手伝いをしていた。
そして端のほうではサーシャが来客に配るクッキーを包んでメッセージカードを添える作業をしていた。
「ふう…。」
何とか全部の包みを作ってカードを添え終えたサーシャはふと、外で作業をしていたジーフェスの姿を見た。
「……。」
その後ろ姿を見ていると、何とも不思議な気持ちが彼女の胸に沸き上がってくるのだった。
“私、一体…。”
と、外で作業していたジーフェスと目が合ってしまい、彼は突然つかつかとサーシャのほうに近付いてきた。
「何かありましたかサーシャ殿?」
開いた窓越しに不思議そうな表情を浮かべて、だが疑いなくそう尋ねてきた。
「あ、あの、その…、」
「?」
「あ、こ、これ…、これが出来上がったから、何処に置いてたら良いか解らなくて…。」
しどろもどろになって、それでもやっと先程まで作っていた沢山のクッキーの袋詰めを指して聞いてきた。
「ああ、それですか。おーい!エレーヌ!」
「はーい!」
「来客用のプレゼントのクッキーは何処に置いたら良いんだ?」
「あー、それならそこに置いたままで大丈夫ですよー。」
「わかった。」
そう一言返事をして、ジーフェスはにこっとサーシャに微笑んだ。
「あ、ありがとうございます…。」
少し頬が熱くなるのを感じ、サーシャは小さくお礼を言った。
「旦那様ー!これを運ぶの手伝って下さいなー!」
「わかったー。」
タフタの呼び掛けに答えてジーフェスは再び庭のほうへと向かっていった。
「……。」
そして入れ替わるようにエレーヌがサーシャの傍まで近寄ってきた。
「サーシャ様、どうかしたんですかぁ?」
「…え?」
「熱でもあるんですかぁ?サーシャ様顔がまっかっ赤ですよー。」
「…!?」
エレーヌに指摘され、サーシャは思い切り恥ずかしくなって思わず顔を反らして俯いてしまった。
「気分がすぐれないのでしたら休んでくださいねー。明日の御披露目会は新郎新婦さんは大変ですからー。」
「は、はい…。」
“やだ、どうしたんだろう私…。”
*
庭先で少し遅めの昼食を取っていたサーシャははあ、と溜め息をついた。
「大丈夫ですかぁサーシャ様。本当に無理しないで休んでくださいねー。」
一緒に昼食をとっていたエレーヌが心配そうに呟く。
ジーフェスは一足先に昼食を終えて自衛団の仕事へと行ってしまっていた。
「あ、ごめんなさい、大丈夫です。皆さんが忙しいのに、私だけ休んでいる訳にはいきませんわ…。」
「でも大体の準備は終わりましたし、サーシャ様にとっては明日の本番が大事なので、昼食を終えられましたらここは私どもに任せて部屋でお休み下さいませ。」
ポーの一言に周りの皆もうんうんと頷いた。
「わかりました。ではお言葉に甘えて少し休ませていただきますね。」
その言葉に皆も納得したように頷いた。
…自分の部屋に戻ったサーシャははあ、と溜め息をついてベッドの端に腰掛けた。
“何なのかしら、…こんな気持ち…。”
あったかくて、くすぐったくて、甘くて、それでいて少し悲しい…。
“男性の方に対して、こんな気持ちを持つのは普通なのかしら…?
でもアルテリア兄様に対しては、こんな気持ちなんか無かったわ…。”
とくん、とサーシャの胸が微かに高鳴る。
“アルテリア兄様の傍にいると、とてもあったかくて安心した気持ちだったけど、
…でも、ジーフェス様といる時は…。”
*
一方、早めに屋敷でお昼を済ませたジーフェスは庁舎で書類の整理をしていた。
「御披露目会の準備中にすみません団長、どうしても急ぎの書類があったものでして…。」
「サンドル殿が謝ることではありませんよ。それに準備もほとんど終わりましたし。」
そう言って書類を書き終えるとサンドルに渡した。
「終わりましたら戻って構いませんよ。今日は不気味な位何も無いですし。」
「ありがとうございます。」
「……。」
団員は皆見廻りに出ていて、二人きりの小さな庁舎の中はしんと静まりかえった。
「…てっきり、」
ふと沈黙を破るようにサンドルが呟いた。
「…?」
「…てっきり、団長はライザ殿と結婚されるものかと思ってましたよ。」
サンドルのその一言に、ジーフェスはぴく、となり、表情を硬くした。
「……。」
「聞けば、団長とサーシャ様とは国同士による政略結婚だとか。
よもや団長は、ライザ殿と生木を裂かれるような想いをされているのでは…。」
するとジーフェスは、はは、と軽く笑った。
「俺とライザとはそんな仲じゃ無いですよ。
第一、彼女には既に…。」
「第1班戻りました!」
そこまで言いかけた二人の前に、見廻りに出ていた団員達が戻ってきた。
「お疲れ。」
「お疲れ様、異常は無かったか?」
「はい、これといって問題はありませんでした。」
「そうか、ご苦労様。暫く休んでくれ。」
うはーい、という団員達の返事を聞きながら、ふとジーフェスは考えた。
“ライザ、ねぇ…。
そういえば最近会ってなかったけど、何も聞かないところから見て元気でやっているんだろうな。”
「……。」
話が中途半端で終わってしまい、何となく不安な、だがほっとした複雑な気持ちの二人であった。