第1章Ⅰ:アクリウム国の書状
…フェルティ国、
そこは、海洋貿易を中心とした商人達の集う小さな国。
もともとは某国に属していたのであったが、200年前に独立、その際の中心人物であった当時某国の第四王子マンティックを王として栄えてきた。
現在の国王、ルードベルは六代目にあたるが、現在は重い病に侵され床に伏し、実質政権を握っているのは彼の息子のひとり、第一王子のカドゥースであった。
*
「全く…、こんな朝早くから何事だ。」
王宮の長い廊下を歩きながらひとりの男、アルザスは不機嫌に呟く。
「お休み中に申し訳ありませんアルザス様。カドゥース殿下からの火急の用とのことで…。」
傍にいた使いの男が、申し訳なさそうに呟く。
「ああ、すまぬ、言葉が過ぎた。そなたのせいではない、気にするな。」
「はっ。」
やがて二人は奥の部屋、大きな両扉の前までやってきた。
「カドゥース殿下、アルザス様をお連れしました。」
扉をノックしながら、使いの男がそう告げる。
「入れ。」
程無く、中から低い男の声が聞こえた。
豪華なレリーフの彫られた、その重々しい両扉を開けると、中には綺麗に磨かれた長いテーブルと向かい合うように並べられた沢山の豪華な椅子、そして傍らには豪華な絵画や装飾が飾られている部屋、…フェルティ国会大会議室、の奥の椅子に、ひとりの若い男が座っていた。
「朝早くから呼び立ててすまなかったな。」
その男、カドゥースはアルザスの姿を見てそう言った。
「いえ、陛下のご命令とあればいつでも。」
そう言って、アルザスは恭しく頭を下げた。
その言葉に、傍にいた使いの男はぎょっとしたが、言われた当の本人のカドゥースは平然としている。
「気の早い話だ。寝惚けの戯れ言として受け取るぞ。」
ふふん、とまんざらでも無いように嬉しそうな笑みを浮かべてアルザスを見返した。
そして、傍にいた使いの男に向かってつい、と首を振って、無言で部屋から出ていくように促した。
様子を察した男は慌てて二人に一礼し、無言で部屋から出ていった。
後には、カドゥースとアルザスの二人だけが残された。
「全く…、過激な発言は控えたほうが良いぞ。只でさえ、そなたを目の敵にしている輩は多いのだからな。」
ふう、とため息をつきながら、カドゥースは表情を歪めて心配そうに呟いた。
「本当の事でしょう。実際、現国王は重い病に侵され、最早政に干渉出来る状態ではございません。貴方様を陛下とお呼びするのも時間の問題かと…。」
「物事には順序がある。先走りは事を仕損じるぞ、アルザス。」
椅子から立ち上がって凛と、だが厳しい面持ちで睨み付け叱責した。
「…出過ぎた真似を、失礼致しました。殿下。」
アルザスは謝罪し、深々と頭を下げた。
その様子に、またもカドゥースはため息をついて顔をしかめた。
「アルザス、お前という奴は…。」
「殿下、こんな戯れ言をする為に朝早くからわざわざわたしを呼び出したのではないのでしょう。そろそろ本題に入りましょう。」
顔をあげて、真剣な面持ちでカドゥースを見つめた。
「…昨夜、これが来た。」
カドゥースはそう言って、ひとつの書状をアルザスに渡した。
「これは?」
「アクリウム国からの書状だ。読んでみろ。」
「……。」
訝しげな表情をしながら、書状を開いて中身を読み出した。
「!…これは?!」
最後まで読み終えたアルザスは、その余りの内容に驚き声を荒げた。
「あちらでいうところの、『神の御告』らしい。」
カドゥースは半ば笑いを含んだ口調で呟いた。
「『神の御告』か何か知らんが、いきなり王族同士の結婚の申し込みか…。」
「結婚の申し込み自体はどうでも良い。…問題はその後に書かれている事だ。」
「……。」
二人が訝しるのも無理は無い。
書状には、アクリウム国第四王女のサーシャとフェルティ国第五王子ジーフェスとの婚礼の申し込み、その際の持参金の内訳とあり、
そして最後に、その婚礼は出来る限り秘密にて行って欲しいとの由が記載されていた。
「アルザス、お前ならどう思う?」
カドゥースが神妙な面持ちで聞いてきた。
「我が国が、アクリウム国と結びつくのに相応しいか、試されている、と。」
「お前もそう思うか。」
カドゥースはアルザスを見て答えた。
「極秘であれば、同盟するのに相応しく無いと分かれば、即刻婚姻解消も可能、ということか。」
「下手すれば、侵略問題にまで発展するかもな。」
「!」
驚くアルザスに、カドゥースは更に続ける。
「アクリウム国は基本的に護りの国だが、その軍事力は世界に名だたる程だからな。一度敵に回せば、我が国など一捻りだろう。」
「では…。」
「まあ、婚姻関係自体は悪いものではないがな。持参金も去ることながら、三大帝国のひとつであるアクリウム国と繋がりが出来るのだからな。」
「この申し出を受け入れると?」
「とりあえず、な。何せ、断る理由が無い。」
その点はアルザスも同意出来る、が。
「当の本人は、何と。」
「まだ知らせてない。今ここに呼んでる。そのうちに来るだろう。お前も一緒に立ち会え、アルザス。」
「御意。」
*
…ここは、フェルティ国の王宮より少し離れた、小さな屋敷。
その日の朝、屋敷の主であるジーフェスは普段より早く目が覚めた。
「ん〜、良く寝た〜。」
ベッドの上でその大きな身体を呑気に背伸びして、それからゆっくりと下に降りて立ち上がった。
「さてと、今日も仕事頑張るかな。」
こきこきこき、と身体の関節を動かして、気合いを入れて部屋を出ていこうとすると、
「おはようございます坊っちゃま。」
部屋を出ようとしたジーフェスの前に、いきなりメイド服の老女が現れた。
「わわわわわっっ!!」
いきなり現れたものだから、流石のジーフェスもびびってしまい危うく腰をぬかしそうになった。
「な、な、何なんだよポーっ!!」
ジーフェスは目の前の老女、ポーに向かって怒鳴ってしまった。
「坊っちゃま。只今王宮からの使いがおみえになってます。」
「、王宮の?!」
物凄く、嫌な顔でジーフェスが答えた。
「はい、何でも火急の用件とのこと。」
「……。」
ますます嫌な予感がして、ジーフェスは顔をしかめた。
と、突然ポーの後ろから二人組の屈強な男が現れた。
「ジーフェス様ですね。無礼をお許し下さい。私達はカドゥース殿下の御使で参りました。」
「カドゥース、兄さんの?」
カドゥースの名前が出ると、ジーフェスに少しだけ緊張が走った。
「はい、火急の用件があるとの事で、至急王宮に来て頂きたく、御迎えに参りました。」
「どうせ断っても、無理に拉致してでも連れていくんだろう。解ったよ。直ぐに着替えるから、少し待っててくれ。」
「はい。」
ジーフェスの答えに、使いの男達は納得して部屋を後にした。
ふう、とため息をついて、ジーフェスはメイドのポーに命じた。
「ポー、服の準備をしてくれ。あと、副長に仕事を休むと連絡しておいてくれないか。」
「了解しました。」
*
…あれからジーフェスは、着替えると直ぐに馬車に乗せられ、あっという間に王宮まで連れてこられた。
使いの者に連れられて、王宮の長い廊下を歩いている時に、ふと
『ぐーー』
とお腹が鳴る音がした。
“そういえば、朝食が未だだったな…。”
ちょっとふらふらになりながらもジーフェスはそう思った。
“あー、腹へったー。”
やがて、例の両扉の前まで来ると、使いの者が扉をノックした。
「カドゥース殿下、ジーフェス様をお連れしました。」
「入れ。」
中から返事がしたのを確認して、使いの者は扉を開けた。
「…!?」
そこには、カドゥースとアルザスの二人の姿があった。
「カドゥース、兄さん、それに、どうしてアルザス兄さんまで…。」
そこまで言ったジーフェスをアルザスがぎっ、と睨み付けた。
「ジーフェス!殿下の御前だぞ。兄弟といえども、無礼は許さんぞ!」
アルザスの激しい叱責に、ジーフェスは驚き、慌てて膝を付いた。
「し、失礼致しました…。」
その様子を見ていたカドゥースが口を挟む。
「それくらいにしろアルザス。ああ、そなたは下がって良いぞ。」
カドゥースは使いの者にそう言って、手を振る仕草をした。
使いの者は一礼して黙って部屋から去っていき、部屋にはカドゥースとアルザス、そしてジーフェスの三兄弟が残った。
暫くの間続いていた沈黙を破ったのはアルザスだった。
「全く、お前という奴は…。」
苦々しい表情で、アルザスはジーフェスを睨んだ。
「ジーフェス、王宮内でくらいは、少しは王族としての自覚を持て。」
アルザスの言葉に、ジーフェスはむっとなって反論した。
「勝手に呼びつけたのはそっちだろうに。」
ぼそっと言ったジーフェスを、アルザスが更に冷たく睨み付けた。
「何か言ったか、ジーフェス…。」
「いえ、何でもありません…。」
まさに蛇に睨まれた蛙のように、ジーフェスはたじたじになってしまった。
「もうよいアルザス。ジーフェス、早速本題に入るぞ。」
そう言って、ジーフェスに先程アルザスが読んだ、あのアクリウム国からの書状を渡した。
「?」
不思議そうにそれを受け取ったジーフェスに、カドゥースが告げる。
「読んでみろ。それが、お前をここに呼び寄せた理由だ。」
「………。」
言われるがままに、書状を開き読み始めたジーフェス。
「…、?…!!」
読んでいくうちに、ジーフェスの表情が驚きと驚愕に変わっていく。
「ち、ちょ!ちょっと待った!!これって、俺に、結婚しろってことかい?!」
「「そういう事だ。」」
カドゥースとアルザスが同時に答える。
「言っておくが、拒否は出来んぞ。そんな事すれば、アクリウム国から何をされるか解らないからな。」
冷静に、だけど冷酷にカドゥースは告げる。
「ちょっと待ってくれよ!俺の意思は無視かよ!」
「意思もへったくれも無い。そもそも王族に産まれた以上、政略結婚も覚悟の上と考えろ。」
追い討ちをかけるようなアルザスの一言。
「それともジーフェス、もしかして将来を約束した女でもいるのか?」
「いや、そんな人はいないけど…。」
「なら別に構わんな。早速アクリウム国には承認の連絡をしておく。今後、連絡が頻繁に入るだろうから、通達には注意しておけ。」
全くもってジーフェスの意思を完全無視して、話を進めていく二人。
「……………。」
これ以上反論しても無駄だと悟ったジーフェスは、なすすべも無く、ただただがっくし、と肩を落とすだけであった…。
「では私は失礼する。お前達もそれぞれの仕事に戻ってくれ。ああアルザス、例の連絡は任せたぞ。」
「御意。」
カドゥースが部屋から出ていき、アルザスとジーフェスの二人きりになると、暫くの間沈黙が続いた。が、
「ジーフェス、今から何か用事はあるか?」
先にアルザスがジーフェスに問いかけた。
「いや、特には。」
「ならちょっとつきあえ。」
「はあ。」
気の抜けた返事をして、会議室を出た二人が向かったのは、アルザスの仕事場でもある執務室であった。
「おはようございますアルザス様。」
執務室には既にひとりの男性が居て、現れたアルザスに対し頭を下げた。
そして、アルザスの後ろにくっついているジーフェスを不思議そうに見ていた。
「おはようラルゴ。早々にすまぬが、食事を二人分持ってきて貰えるか。」
食事と聞いて、ジーフェスは朝食を食べてないのに今更気付いた。
“そういえば、はらへった…。”
「食事、ですか?」
「そうだ。」
「かしこまりました。」
男性、ラルゴは頭を下げると、部屋から出ていった。
その途端、ジーフェスは傍にあった来客用のソファーに倒れこんだ。
「はらへったーーー。」
アルザスは、そんなジーフェスの様子を呆れたように見ながら、自らも反対側のソファーに腰掛けた。
「少しはしゃきっとしろ。恥ずかしいぞ。」
「……。」
流石に羽目を外し過ぎたと思い、ジーフェスはきちんとソファーに座り直した。
程無くして、先程のラルゴがワゴンを押して食事を持ってきた。
軽く焼いたトースト、目玉焼き、野菜サラダ等、それはまさに朝食そのものだった。
「ありきたりの朝食ですが、構いませんでしたか?」
食事を載せた盆を二人の前に置きながら尋ねてきた。
「上等だ。あと、彼と話があるから暫く人払いを頼む。」
「了解いたしました。」
ラルゴはアルザスにぺこりと頭を下げて、部屋から出ていった。
「さて、食事にするか。」
「いただきまーす。」
二人とも、特にジーフェスは待ちくたびれてたので嬉しそうに、目の前の朝食を食べ始めた。
*
「兄さん。」
目玉焼きをほおばりながらジーフェスが尋ねてきた。
「何だ?」
「その、兄さんは俺の結婚相手の、アクリウム国第四王女のサーシャって、どんな人か知ってるかい?。」
すると、
「解らん。」
アルザスは意外な答えを出した。
「解らん、って…。」
「そもそも、第四王女が居たことも今回初めて確認出来たくらいだからな。」
「…はい?!」
「噂ではいろいろ聞いてはいたがな、
ほとんどアクリウムの王宮から出たことが無い秘蔵っ子だとか、現在の『巫女』を遥かに上回る力の持ち主とか、
第三王女のメリンダに並ぶ程の美貌と才能の持ち主とか…。」
「……。」
「メリンダ、…あの女狐に似た女ならまさに最悪だがな…。」
「……。」
彼にとっては天敵に等しい彼女のことを忌々しく呟くアルザスを見て、ジーフェスは苦笑いするしか無かった。
「あの女が確か19歳だった筈だから、その妹なら17、18歳といったところか。」
「ふーん、俺が22だから、まあ、いい頃合いかな…。」
「年齢だけなら、な。」
それから暫く、二人は黙ったまま朝食をもくもくと食べていた。
「あー、ごちそうさま。満足。」
やっと生き返ったように元気を取り戻し、ジーフェスは食後のお茶を飲んでいた。
「ジーフェス、今回の婚礼が意味するものを理解してるか?」
同じく、お茶を飲んでいたアルザスがいきなり尋ねてきた。
「?…王家同士の婚礼で、アクリウム国とフェルティ国が繋がりを持つこと、かな。」
「そうだ。ただ、我が国にとっては大国アクリウムの結びつきは有益になるだろうが、アクリウム側には何の利益がある?」
「…確かに。」
「婚礼自体も極秘で行うということも怪しいことこの上ないし、もしかしたら最悪婚礼を通じて、我が国を乗っ取る策略もあるかもしれん。」
「!」
「まあ、あくまでも仮説だかな。くれぐれも油断はするなよ。特に、結婚相手には、な。」
「…解った。」
そして、ふう、とため息をついてアルザスは呟いた。
「一番王家とは離れたお前が、一番難儀な事に巻き込まれたな…。」
「全く…。」
二人はお互いに見合わせて、深いため息をついた。