第3章Ⅰ:サーシャと自衛団員
第3章ではサーシャがふとしたことからちょっとした事件に巻き込まれてしまいます。
※遠回しにですが性的な描写(強引な場面)が有りますので不快な方はご注意下さい※
「……。」
眠りの中にいるサーシャの耳元に、何かが聞こえてきている。
「…んで…!と…く、…でいく…!」
「…ません。まさ…、…から…とは…せんで…。」
誰かと誰かが、慌てたように話す声。
そして、ぱたぱたと急ぐように駆けていく足音。
「ん…。」
その騒々しさに、とうとうサーシャは目を覚ましてしまった。
“一体何があったのかしら?”
外はまだ夜明けしたばかりなのか、空の下のほうは橙色の陽の光が見えてはいるが、天高くは未だに暗く、微かにだが星の光も見える。
「……。」
不思議に思いながらも、脇にある水差しで顔を洗い、ガウンを羽織った姿でそっと部屋から出てみた。
「駄目です坊っちゃまっ!朝食抜きは身体に悪いですよっ!」
「んな事を言ってる場合じゃ無いっ!」
ダイニングに向かう途中で、メイドのポーと屋敷の主であり、サーシャの、一応『夫』でもあるジーフェスの激しく言い争う声が聞こえてきた。
「あの…、」
と突然、
どんっ!
「きゃあっ!!」
サーシャの身体に何かがぶつかったような激しい衝撃が走り、思わず尻餅をついてしまった。
「す、すみませんサーシャ殿。」
倒れたサーシャを、ぶつかった本人のジーフェスが抱き抱えるように起こして立たせた。
「大丈夫ですか?怪我は無いですか?」
心配そうに呟く彼の姿は、先日までのくだけた格好とは違って、立派な軍服のような洋装に身をつつんでいた。
「あ、だ、大丈夫です。あの、その格好は一体?」
「あああっ!!すみませんサーシャ殿、遅刻しそうなので失礼しますっっ!!」
「あの…、」
ばたばたと慌てふためき、ジーフェスはサーシャを置いて走って屋敷から出ていってしまった。
「……。」
呆然とするサーシャのもとに、ポーが近寄ってきた。
「おはようございますサーシャ様。」
「あ、おはようございます。」
「朝早くから騒がしくて申し訳ありませんでした。」
「いえ、私は大丈夫ですけど、ジーフェス様、何かあったのですか?」
するとポーはふう、と深い溜め息をついた。
「坊っちゃま、今日から仕事だというのにすっかり寝坊したので御座います。朝食も取らずに、全く…。」
「仕事?こんなに朝早くからですか?」
「今日は早番なのですよ。そういえばサーシャ様は坊っちゃまのお仕事はご存知でしたか?」
「あ…、」
そういえば姉様が言っていたわね。
『ジーフェス殿は自衛団の団長を務めているらしいわよ。』
「確かこの国の自衛団の団長さん、でしたよね。」
その言葉に、ポーは少し安心した様子だった。
「その通りです。」
「国や街の秩序を護るお仕事なんて、本当にジーフェス様に相応しい仕事ですよね。」
「そうですね…。」
にこやかに話すサーシャとは対照的に、何故かポーの表情には陰りがあった。
*
「あー、やっぱり旦那様寝坊したんだー。」
遅れて起きてきた小間使いのエレーヌが、けらけら笑いながら呟いた。
「貴女も人の事を笑えませんよ、エレーヌ。」
ポーからぎろりと睨まれて、えへ、と誤魔化すように舌をぺろりと出した。
きちんとした服に着替え、独り朝食をとっていたサーシャはそんな二人をちらりと見つめた。
「そういえばサーシャ様は食事が終わったらどうされますか?」
「……。」
何も考えてなかったサーシャは、ふと困ってしまった。
「何か、やりたい事とかがありましたら準備させますけど。裁縫とか料理とか…。」
祖国アクリウムにいた時は、庭園の花々の手入れをしたり本を読んでいたりしていたけど…、
“嫁ぎ先のこの屋敷の庭は余り手入れもされてないみたいだし、面白い本もあるのかどうか。”
「あの…、」
「おーい、旦那様のお昼が出来たぞー。」
同時に、台所の奥のほうから、料理人のハックの呑気な声が聞こえてきた。
「旦那様、お昼も忘れていったんだー、どじだねー。」
「これエレーヌ!後で旦那様のところにお昼を持っていきなさいな。」
「えー!あんな遠いところまでー!勿論馬車使って良いですよね?」
「駄目です。まだまだ若いのですからそれくらい歩いて行きなさい!」
「ポーさんのけちー!」
ぶーぶー文句を言っていたエレーヌが何か考え込み、にやりとしながらサーシャのほうに視線を向けた。
「サーシャ様、旦那様の仕事場、行ってみたくないですか〜?」
「え?」
「何もすることが無いのでしたら、是非是非一緒に行きましょう!ね!」
「エレーヌ、貴女の魂胆はみえみえですよ。サーシャ様をだしに馬車で行こうと考えているのでしょう?」
話を聞いていたポーが、ぎろっと睨み付けながら呟いた。
「えー、違いますよー。私はサーシャ様に旦那様の働く姿を見せたいなーて。」
「だったら明日でも良いでしょう。」
「駄目です!それじゃあ私が馬車に乗れないじゃあ無いですか。」
あっさりと魂胆を白状してしまったエレーヌ。
はっ、となってしまったが最早後の祭り。
「……。」
ポーから冷たい視線を受け、えへへ、と照れ笑いするしか無かった。
一方のサーシャのほうは、今朝のジーフェスの軍服姿を思い出してちょっと頬を赤くしていた。
“今までのちょっとくだけた感じの服装とは違った、凛としてちょっと格好いいその姿、
あの姿で、どんな仕事をしているのだろう?”
エレーヌの言うことではないけど、確かにちょっと気にはなっていた。
だけど…、
「あの、行ってみても良いのでしょうか?」
おずおずとそう聞いてみた。
「何がですか?」
「あの、ジーフェス様の御仕事を、見てみても良いのでしょうか?」
サーシャの一言にエレーヌがにやあ〜、と笑みを浮かべた。
「良いですよ良いですよ!夫の仕事を把握するのは妻として当然の役目!流石サーシャ様ですっ!」
「サーシャ様、エレーヌのことなど気にしないで良いのですからね。サーシャ様はご自身のお好きな様にされて下さいませ。」
「ポーさあん、余計な口出ししないで下さいよー。」
「あ、いえ、本当に仕事をされている様子を見たいのですけど、…駄目、でしょうか?」
「……。」
*
結局、サーシャはエレーヌと共に馬車に乗ってジーフェスが働く自衛団の庁舎に向かうことになった。
「エレーヌ、くれぐれもサーシャ様に失礼の無いように。タフタ、エレーヌに言われても決して寄り道などしないで下さいね。」
「はーい♪」
「了解です。」
「サーシャ様、くれぐれもお気をつけて下さいませ。」
「はい。」
不安がるポーを置いて、サーシャ達を乗せた馬車はゆっくりと目的地に向けて出発していった。
「何事もなければ良いのですけど…。」
*
晴れ渡る空の下、馬車はゆっくりと街中を走っていく。
街のとある一角では、花や果物や魚などを売買している数々の店、そしてそれを目的とした人々が買い物や商いを行い、熱気に満ちている。
「わあ…、沢山の店が並んでいますね。」
「ここはセンテラル市場といって、この国で一番大きな市場で、国じゅうの生鮮物が一同に集まってくるのですよー。月に一度は大安売りもあって、その時はもっと賑やかになりますよ〜。」
「そうですか。それにしても凄い人だかりですね。」
「今は少ないくらいですよー。今から向かうのが住宅街で、その中に目的地の旦那様が勤める自衛団の庁舎があります〜。」
「そうなのですか、あれは何ですか?」
と、サーシャが指した先、
街から少し離れた所にある、とても大きくて豪華で、だけど他の建物から見たら異質な、派手な朱の色の壁をしている建物だった。
「あれですかー?あれはマダム=ローゼス様のお住まいですよ〜。」
「マダム=ローゼス様?」
「そうです。大娼婦様のことですよー。」
「大、娼婦様?」
少し顔をしかめたサーシャにエレーヌは平然と続ける。
「そうですー。あそこの建物の周辺は娼婦街で、特にマダム=ローゼス様が支配する一角は『高級娼婦街』と呼ばれていて、官僚や貴族などの高貴な方の為の遊び場になっているんですよ〜。」
「はあ…。」
「まあ、私達には関係無い世界ですけどね〜。
あと街中は大抵安全なんですけどね、娼婦街周辺だけはちょっと治安が悪いから注意して下さいね〜。」
「は、あ。」
何となく返事をしてしまったサーシャだったが、
後々この娼婦街で、とんでもない事件に巻き込まれることになるとは、今は思いもしなかった…。
*
一方、3日ぶりに出勤してきたジーフェスは自分の机に着いて、眠い目を擦りながら目の前に置いてある書類とにらめっこしていた。
「………。」
適当にちらちら見ながら、適当にぽんぽんと印を押す様子に、副団長のサンドルがちょっと怪訝そうに声をかけた。
「団長、もうちょっと真面目に見たほうが良いですよ。ほら、この書類…、」
「…ん?」
手にしていた書類、…一団員の始末書だったが、内容も去ることながら、まあ誤字脱字だらけの始末書だった。
「な、んだこれは!?」
「だから言ってるではありませんか。」
「全く…。」
そんな会話を交わしている中、
「3班、只今戻りましたー!」
と、見廻りに出ていた団員達が戻ってきた。
「おー、お疲れ。」
「おいレイトン、お前この始末書は何だ?誤字脱字だらけだぞ!もう一度書き直せ!」
ジーフェスは戻ってきた団員のひとりに、先程の始末書を突っ返しながら叱咤した。
「えー!」
「『えー』じゃない!」
「そういえばセンテラル市場を見廻りしていた時に、エレーヌちゃんの乗った団長さんの馬車を見ましたよ。」
「?」
「えー、俺気付かなかったぞー。」
「ちらっと見ただけだから団長さんのかどうかは解りませんけど…。」
ちょっと不安そうにその団員は告げる。
買い出しにでも出てたのかな?
「もしかして、奥さんがお弁当持ってきてたりして。」
「『お待たせしました、あなた。』なーんて言って来たりして、うはー、何て羨ましいんですかっ!団長っ!」
「………。」
勝手に妄想を繰り広げる団員達に、ジーフェスはただただ絶句するだけだった。
確かにお昼は忘れてきたけど、んな事などあるわけ…、
「お待たせしましたーっ!」
という、何ともタイミングの良い威勢の良い声。
「え!?」
という感じで一同が声のほうを振り向くと、
そこには片手にお弁当を、もう片手に大きな荷物を振りふりしながら、にこやかに笑うエレーヌの姿があった。
「なんだ、エレーヌ、お前だったのか。」
「「なーんだ、エレーヌちゃんだったのかあー。」」
ジーフェスはほっと安堵の溜め息を、他の団員は残念そうな溜め息をついてしまった。
「何だー、とは何よー!折角お弁当とお土産持ってきたのにー。」
「はいはい、全く、ここに来るのにわざわざ馬車を使うとは、本当にご苦労様。」
ジーフェスは呆れたように呟いて、エレーヌの手からお弁当と荷物を奪い取った。
「えー、なんでばれたの〜。」
「お前が馬車に乗ったのを団員が見てたんだよ。」
「ふーんだ!わたしひとりで来たんじゃないですよー、だ。」
「…?」
たたた、と入り口に向かっていったエレーヌの横には、
少し恥ずかしそうに顔を覗かせているサーシャの姿があった。
「さ、サーシャ殿!?」
「ん?エレーヌちゃん、その可愛らしい女の子は誰なんだい?」
「うわー真っ白な肌だー。銀の髪だし、ここいらの娘じゃないよねー。」
「すっげー可愛いー♪エレーヌちゃんの知り合いの娘?」
団員達もエレーヌの傍にいたサーシャの存在に気付いて、各々傍まで近寄って、思い思いに声をかけていた。
「あ、あの…。」
いきなり大勢の団員達に囲まれて、サーシャはかなり戸惑い気味。
「手え出したら駄目ですよー。この御方は旦那様の奥方様ですからねー。」
「………え……!?」
エレーヌの一言に、皆が一瞬沈黙してしまった。
そして皆が一同に団長であるジーフェスのほうを振り向いた。
「団長の、奥さん…?!」
「そう、なんですか、団長…?」
その視線は、何故か少し冷たい。
「そうだが…。何だ、その視線は?」
そんな皆の視線にちょっとたじたじになって、妙に変に答えてしまった。
「だ、団長っ!駄目ですよっ!」
「何てことをっ!こんな幼い子供に手え出すなんてっ!!」
「犯罪ですよ犯罪っ!!」
案の定、皆はサーシャをほんの子供と勘違いしてしまって、各々抗議や非難ごうごうわめきだした。
「お前達…、まあ、言いたい事は解るが彼女は子供では無いぞ。ちゃんと15歳になっているからな、俺も犯罪してる訳ではないぞ。」
「「えええーーっっ!!」」
ジーフェスの一言に皆絶叫。
「じ、じゅうごさいですか…?!」
「い、いや、凄く若いというか…。」
「団長、ここまで来ると最早犯罪…。」
最後の言葉を言った団員の頭を思い切りこづいて、ジーフェスはエレーヌを睨み付けた。
「エレーヌ、何故ここにサーシャ殿を連れて来たんだ?」
「だってー、サーシャ様が旦那様のお仕事場を見たいって言うから、わ・ざ・わ・ざ、連れて来たんですよ〜。」
ジーフェスが取り上げた荷物を取り返しながらそう答える。
「馬車乗りたさに、お前がサーシャ殿をそそのかしたんだろう、ん?」
見事に企みはばればれである。
「そんな事ありませんよー。皆さん、お茶菓子のクッキーを持ってきましたからお茶にしませんかぁ〜?」
話題を反らすように、エレーヌが荷物をテーブルの上で広げていく。
「おおっ♪」
「今からお茶入れますねー。旦那様もサーシャ様も一緒にお茶しましょうー。」
「あ、はい。」
「……。」
見事に言いくるめられたような気はしたが、取り敢えずお茶の席に着いたジーフェスだった。