第2章Ⅴ:兄弟姉妹
「全て私の不行き届きでありまして、坊っちゃまやサーシャ様は何も悪く御座いません。」
客間のソファーに座るその男性にお茶を出しながら、ポーは頭を下げた。
「ですので、罪に問うのでしたら、私のみにして下さいませアルザス様。」
「もうよい、大体の事情は解った。そなたも悪気があってした事では無かろう。」
疲れたように、呆れたように溜め息を出して男性、アルザスは目の前にいるジーフェスを睨み付けた。
「ジーフェス、お前ももう少しどうにか出来なかったのか?よりによって一国の王女に使用人の服などを着せるとは…。」
「俺も良い方法を思いつかなかったから、取り敢えず放っておいてしまったんですよ。」
未だに眠そうな目をこすりながら、目の前に置かれたお茶のカップを口にした。
「はーい、皆さん、御待たせしましたー♪」
呑気な声が聞こえたかと思うと、二人の目の前にエレーヌと、きちんとドレスに身を包んだサーシャの姿が現れた。
淡い青色のレースで覆われたそのドレスは、サーシャの白い肌にとても良く似合っていて、彼女らしい可愛らしさを引き出していた。
「……。」
柔らかく、少し照れくさそうに微笑むその姿は、暖かな日溜まりを思わせ、ジーフェスは思わず見とれてしまい、顔をほころばせた。
「あの、何か?」
サーシャにそう言われるまで呆け顔をしていたらしく、慌てて頭を振って気を取り直した。
「い、いえ、あ、こちらにどうぞ。」
ジーフェスは自分の隣の席に彼女を案内した。
サーシャも躊躇う事なくそこに腰掛け、ふと目の前にいるアルザスに目を向けた。
「えと、サーシャ殿、こっちはアルザス兄さん、四人いる兄さんの中の二番目の兄さんだよ。」
「あ、はじめまして、サーシャと申します。」
「……。」
だがアルザスは全く動じる事なく、無表情で冷たい瞳を彼女に向けていた。
そしてひとしきり、観察するようになめ回すかのようにじろじろとその姿を上から下まで見ていた。
「あの…。」
「そなた、本当にアクリウム国王女のサーシャ殿なのか?」
次の瞬間、とんでもない事を口に出した。
「?!」
「に、兄さん!?」
「失礼は承知の上で尋ねてる。
確かにそなたの風貌はアクリウム国の民特有のものだ。それは認める。だが、私はそなたの姉君を知っているが、…そなた姉君とは全くもって似ても似つかぬ容姿だな。」
「!?」
その瞬間、サーシャの表情が凍りついたように硬くなった。
「私達兄弟の例もあるから、容姿だけで王族がどうか疑うのは筋違いかもしれん。
だが、近日までその存在を明らかにされなかったサーシャ王女の姿を、誰もが知らないのを良い事に我が国の、フェルティ国の王族に偽りの、下賤なる血が混じる事は王族の一員として許しがたいからだ。」
「兄さん!それはサーシャ殿に対する侮辱だぞ!」
「お前は黙っていろ。」
「!?」
静かだが、凄みのきいたその一言に最早何も言い返せなかった。
「そなたが本当にアクリウム国王女のサーシャ殿なら、その証を今すぐここに示して頂きたい。出来ますかな?」
「……。」
アルザスの、冷酷な緋色の瞳で睨まれ、それでも尚黙ったままのサーシャであったが、
「残念ですが、私がアクリウム国王女のサーシャたる証拠を示せる品等はひとつもありません。」
「サーシャ殿。」
「確かに貴方様の仰る通り、私は姉とは違い、容姿も頭脳も遥かに劣り、ましてやアクリウム王族に伝わる『巫女』としての力も何もありません。」
「……。」
「ですが、私は間違いなくアクリウム国の王族です。姉と同じ父母から産まれた、れっきとしたアクリウム国の王族です。
何も持たない私ですが、アクリウム国王族としての誇りだけはあるつもりです。
貴方様のその発言は、私だけでなく、アクリウム国の王族に対する侮辱でもあります。撤回して下さい。」
「……。」
「……。」
静かだが、凛としたその態度にジーフェスも、そしてアルザスも暫し言葉を失った。
が、ふとアルザスがふっと笑みを浮かべた。
「成る程、幼くとも能力が無くとも、アクリウム国の王族としての誇りは有るというわけか。」
そしてやおら立ち上がると、恭しく頭を下げた。
「先程の自らの愚言、大変失礼致しました。お許しを。」
「兄さん。」
するとサーシャも立ち上がり、優しく微笑んで続けた。
「頭を上げて下さい。貴方様の発言はこの国を、弟君であるジーフェス様の事を思ってのことと承知しております。私の事を理解して頂いただけで充分です。」
「……。」
彼女の屈託の無い微笑みに、暫し黙ったままだったが、再びソファーに腰掛けた。
「流石、というべきですかな、サーシャ王女。」
参ったというような、そんな口調でアルザスは呟いた。
するとそれを聞いたサーシャは何故かきょとん、とした表情をした。
「王女だなんて、そんな堅苦しい呼び方でなく、私のことは気軽にサーシャと呼んで下さいませ。アルザス義兄様。」
「?!」
「………。」
はい?!今何と?!
先程の口調とはうって変わったその言い方に、ジーフェスもアルザスも呆気にとられた表情を浮かべた。
「え?私、何か変な事を言いましたか?」
「い、いや。」
“いや、確かに間違ってませんよ。
ですけど、先程の誇り高く凛とした発言と、今の気さくというか、いきなりの慣れ親しんだ風な言い方、何か、凄く差があるんですけど、
本当に同一人物の発言??”
「ジーフェス様のお兄様なら、私にとっても義理のお兄様にあたるわけですよね?」
「まあ、そう、だけど。」
「サーシャ殿、失礼ですが、他の方から考え方がずれていると言われた事は有りますかな?」
未だに表情を歪めたまま、だけど落ち着いた声でアルザスがそう聞いてきた。
「時々、姉からそう言われたこともありますが、何か?」
それを聞いて、納得したような表情を浮かべ、テーブルのお茶を一口飲んだ。
そして黙ったまま立ち上がった。
「私は仕事があるのでここで失礼致します。サーシャ殿。」
「はい。」
「後日、殿下から食事会の御誘いがあるかと思います。その際は是非参加を、お待ちしてます。」
そこまで告げて、アルザスは一礼して扉に向かっていった。
「兄さん。」
「ジーフェス…。」
ふと、アルザスは立ち止まってジーフェスのほうを振り向いた。
「……。」
その無言の視線に何かを察した彼も立ち上がって、後を追いかけた。
「サーシャ殿、すみませんが少しここで待っていて下さい。」
そう告げて、二人は客間を出ていった。
*
二人が廊下の中程まで来た時、辺りに誰もいないのを確認すると、
「あれは演技か?それとも地なのか?」
ぼそっとアルザスがジーフェスに尋ねてきた。
「出会って2日と経ってないので、はっきり言って判断しにくいんだけと。多分、地だと…。」
「………。」
暫く何か考え込んでいたが、
「で、もう手を出したのか?」
余りに真面目に聞かれたので、一瞬何の事か解らずぽかんとしていたが、直ぐに察して慌てふためいた。
「い、い、いやいやいや!い、いくら何でもそ、そんな、いきなり手は出せませんよ!!」
そんな様子に呆れたように尚も呟く。
「何を今更騒いでる、初めてでも無いだろうに。」
「そういう問題ではないのです、兄さん…。」
昨夜の事を思い出し、疲れたように、がっくし肩を落としながらジーフェスは語る。
「まあ、確かにあの女より遥かに掴めないところはあるがな…。」
アルザスも疲れたように溜め息をついた。
「とにかく、まだ油断はするなよ。純情そうに見える女ほど、中身は得体が知れないからな。」
「は、あ。」
「何かあったら、いつでも相談しにこい。」
と、二人に気付いたポーが慌てて駆け寄ってきた。
「アルザス様、お帰りでしょうか?」
「ああ、見送りは要らんぞ。そなたも苦労かけるが、二人をよろしく頼むぞ。」
「御意。」
恭しく頭を下げ、ポーとジーフェスの二人は黙って立ち去るアルザスの背中を見送った。
「……。」
暫しその場に立ち尽くしていたジーフェスだったが、ふとサーシャを独り残していた事を思い出し、客間に戻っていった。
「?」
だがそこには、先程の柔らかなあどけない微笑みを浮かべた姿ではなく、表情を硬くして唇を噛み締め、何か思い詰めたように考え込んでいる彼女の姿があった。
「どうかしましたか、サーシャ殿?」
その声に、サーシャははっとなったように顔をあげた。
「ジーフェス様、い、いえ、何でもありません。」
そう言って、優しい微笑みを浮かべたが、どこかぎこちない感じが現れていた。
「もしかして、さっき兄さんの言った事を気にしているとか。」
「い、いえ、違います。ちょっと、疲れが出ただけだと思います。」
「そう、ですか。」
少し腑に落ちないところもあったが、それ以上何も言わずに、時間が過ぎていった。
*
結局、二人はその後、早めの昼食をとったのだが、その間もサーシャの表情は時折笑みは浮かべるものの、その表情は硬いものだった。
「……。」
必要最低限の受け答えしかしないサーシャに、ジーフェスも、使用人の皆も何となく声をかけづらくなって、終わりのほうは静かなまま食事を終えた。
「あのー、一体何があったのですかー?」
流石のエレーヌもその場の雰囲気を察したのか、ひそひそと小声でポーに聞いてきた。
「私にも解りません。」
「えー、アルザス様が来てから何かサーシャ様、おかしいですよねー。陰気で意地悪なアルザス様のことですから、何か傷つくような事を言われたんじゃ無いかなー。」
「推測だけで判断するのは止めなさい。」
とその時、
『カタン』
と音がして、見るとサーシャが椅子から立ち上がっていた。
「すみません、少し気分がすぐれないので、部屋で休んでもよろしいでしょうか?」
突然のことに、驚いたジーフェスだったが、
「あ、ああ、どうぞ。」
そう、一言だけ告げた。
「エレーヌ、サーシャ殿を部屋に案内してくれ。」
「はーい。」
明るい返事をして、エレーヌはサーシャに付き添って部屋に案内していった。
*
サーシャとエレーヌ、二人が廊下を歩いている時、ふとサーシャがエレーヌをちらりと横目で見た。
「……。」
「何ですかサーシャ様?」
「あ、いえ、あの、エレーヌさん。」
「エレーヌで良いですよ〜♪何でしょうか?」
「あの、エレーヌさんって、歳はいくつなのですか?」
ちらりとエレーヌを上から下まで見て、そう尋ねた。
ちょっとふっくらとはしているけど、その分胸とお尻もそこそこにあって。見方によっては、色っぽさも感じる、その身体つき…。
「歳?わたしは18ですよー。それが何か?。」
「あ、いえ、何も。」
丁度その時、部屋の前に着いて、サーシャは逃げるように慌てて部屋に入っていった。
「大丈夫ですかサーシャ様?具合が悪ければお薬とかお持ちしますよー。」
ちょっと心配そうに尋ねてきた。
「大丈夫です。本当に疲れがでただけと思いますので、少し休めばなおります。」
「そうですか。じゃあ、何かありましたら遠慮なくお呼び下さいね〜。おやすみなさい〜♪」
「おやすみなさい。」
パタン、と扉が閉まって、一人きりになったサーシャははあ、と溜め息をついた。
そして、ベッドの端に腰を降ろした。
「……。」
サーシャはドレッサーに映る自分の姿を眺めた。
“自分の、身体、
胸も乏しく、肉の無い細い身体つき。
とても女性としての魅力なんて、無いに等しい…。”
『15歳、ですか。』
『そなた、姉君とは似ても似つかぬ容姿だな。』
ジーフェスとアルザス、二人に言われた言葉を思い出し、サーシャは胸が痛んだ。
*
「絶っ対、おかしいですよー、さっきまであんなに元気で明るかったサーシャ様が、何か落ち込んでいる風でしたよー。」
未だ食事を続けていたジーフェスに、戻ってきたエレーヌがぼやいた。
「本人も疲れただけと言っているだろう、心配するな。」
「確かにエレーヌの言う通り、サーシャ様、何かちょっと落ち込んでいるような感じが見受けられましたが。」
「……。」
ポーにも同じように言われて、流石に反論出来なくなってしまった。
「旦那様ー、後でさりげなく聞いてみて下さいねー。」
「何で俺が!」
「えー!何言っているんですかー!妻の心配をするのは夫として当然のことでしょうー?」
その言葉に、周りの皆もうんうんと頷く。
「解ったよ。食事が終わったらそれとなく聞いてみるよ。」
少しぶっきらぼうに呟いて、ちょっと乱暴に食事をかきこんでいった。
*
それとなく聞いてみるよ。
とは言ったものの…。
「……。」
ジーフェスはサーシャの部屋の前で、暫し考え込んでいた。
“何を悩む必要がある。妻を心配するのは夫として当然だしな。
でも、いきなり女性の部屋に入るのも何だかな…。”
ぐるぐるぐると相反する考えが頭を廻り、暫し悩んでいたが、
「うん、別にやましい事をする訳ではないし、何も悩む必要なんて無いよな。」
訳のわからない独り言を呟き、意を決したように部屋の扉をノックした。
「……。」
だけど、反応が無い。
再び、今度は強めにノックした。
「サーシャ殿。」
「……。」
間違いなく聞こえている筈なのに、やはり返事が無い。
少し考えていたが、思い切って部屋の扉をそっと開けてみた。
「サーシャ殿。」
恐る恐る部屋の中を覗きこんだジーフェス。
部屋の中は、準備されていた時とほとんど変わらない様子で、優しい色合いに包まれていた。
そしてふとベッドに目を向けると、そこには端のほうに寄り掛かるようにして倒れているサーシャの姿があった。
「サーシャ殿!」
慌てて彼女の側に駆け寄り、肩を掴むと、
…気持ち良さそうな寝息をたてて、眠っているその姿があった。
単にうたた寝しているだけと解り、ジーフェスはほっと胸を撫で下ろした。
“やっぱり長旅とかでいろいろ疲れていたんだな。”
「サーシャ殿、起きて下さいサーシャ殿、こんな所で寝ていたら風邪をひきますよ。」
軽く肩を揺さぶりながら、少し優しくそう言った。
「…ん…。」
一瞬、声を出して微かに身体を動かしはしたものの、深い眠りにいるらしく、目を覚まそうとはしない。
“よっぽど疲れていたんだな。仕方ない。”
ジーフェスは眠ったままのサーシャの身体を横抱きに抱き上げた。
“わ、軽い、な。”
小柄だからある程度は想像は出来ていたが、それでも余りの軽さにちょっと驚いた。
“いい匂いがするな、花の香りなのかな?”
サーシャの身体からふわりと優しく香るその匂いに、少しうっとりしていたが、直ぐにはっと我に帰った。
“い、いかんいかん!何やっているんだ!”
気を取り直して、サーシャの身体をベッドにそっとおろして、布団を掛けた。
「…ん…。」
その時、ふとサーシャが微かに何か呟いた。
ほんの小さな、その呟きを聞いたジーフェスははっ、となって、表情を曇らせた。
「……。」
暫くサーシャの寝顔を眺めていたが、そのままそっと部屋を出ていった。
部屋を出たジーフェスの目の前には、ポーやエレーヌやハック、おまけにタフタまでが揃って待っていた。
「な、何なんだお前達!?」
思わず叫んでしまい、はっとなったように口をつぐんだ。
「サーシャ様が心配だったから、様子を見にきたのですよねー。」
エレーヌの言葉に皆も頷く。
「で、どうだったのですか?」
「単に疲れただけだろう。今はぐっすり眠っているよ。」
ジーフェスの答えに、皆がちょっと拍子抜けした様子をみせた。
「そうなんですか。」
「えー、もしかして旦那様、サーシャ様の寝顔を見たのですかー?」
相変わらず視点がずれているエレーヌ。
「見たぞ。妻の寝顔を見て何が悪い。」
だが、しれっと切り返されたので、流石のエレーヌもこれ以上突っ込みが出来なかった。
「午前中寝れなかったから俺も今から少し休む。」
「サーシャ様の横でですかー?」
「自分の部屋でだ!何か用事が無い限り、夕食まで起こさないでくれ。」
「了解しました。」
そう言って、ジーフェスはさっさと自分の部屋に入っていった。
「……。」
自分の部屋に戻ったジーフェスは、はあ、と溜め息をついて新しい大きめのベッドに身体を仰向けに横たえた。
「……。」
“あれが、彼女の本当の気持ちなんだな。”
ジーフェスがサーシャをベッドに寝かせた、あの時に彼女が呟いた言葉、
『…帰りたい…。』
“気丈に明るく振る舞っていても、やはり独り、見知らぬ土地の、見知らぬ人々のもとに来るなんて、不安で一杯だったんだろうな。
帰せるものなら、本当は帰してあげたいけど、な…。”