第2章Ⅳ:変異種(アルビノ)
そんな事があった夜も明けた翌日の朝、
未だにジーフェスは自室のベッドで眠りについていた。
まあ、あのことがあって、夜中じゅう頭の中が混乱して、眠りについたのがほんの夜明け前だったから仕方が無いのだが。
「坊っちゃま、坊っちゃまっっ!!」
だが、そんな事を知らないポーは、いつものように容赦無く主人を起こしにきた。
「起きて下さい坊っちゃまっ!もうサーシャ様はお目覚めになって御待ちしてますよっっ!!」
「……ん〜、…ん?…え!?」
サーシャの名前を聞いて、ジーフェスは慌てたように起きあがった。
「おはようございますジーフェス様。」
慌てて起きあがったものの、未だ寝惚け眼のジーフェスのもとに聞こえてきたのは、
「あー、おはようございますサーシャ…、殿?!」
え、え!ええ?!!
ジーフェスの目の前には、むっつり顔のポーと、何故かにこやかに微笑むサーシャの姿があった。
二人ともお揃いのメイド服で。
「やっっと、起きましたね坊っちゃま。」
呆れたように呟くポー。
「ち、ちょっとっ!何故サーシャ殿がここにっ!!」
「私がお願いしたのです。夫を起こすのは妻としての仕事と思いまして。」
“うん、確かにそれは当たっていることかもしれないよ。
だけどね、昨日初めて逢ったばっかりで、いきなりそういうことをされるのも、ちょっとね。”
今のジーフェスは、寝惚け眼で髪もぼさぼさ、寝間着は半分近くはだけて、ちょっと、いや、かなりみっともない姿である。
「あの、その、と、取り敢えず着替えるから、ちょっと部屋を出てくれるかな?」
照れたように、さりげなくシーツを頭から被ってぽつりと呟いた。
「はい。では私は先に食卓のほうに行ってますね。」
にっこりと微笑むと、サーシャはポーと共に部屋を出ていった。
「………。」
独りになったジーフェスは、はあああ〜、と深ーい溜め息をついた。
「朝から疲れる…。」
*
「旦那様、何かあったのですか〜?」
食卓でお茶をついでいたエレーヌが、何の躊躇いも無く不思議そうに尋ねてきた。
「……。」
だが、ジーフェスは何も言わずに、ちょっと不機嫌そうにサラダをほおばった。
「朝から折角旦那様の大好物のミートサンドなのに、そんな不機嫌な顔なんてー。」
ぶー、と口をとがらせるエレーヌ。
「もしかして、私が勝手にジーフェス様のお部屋に入った事に、気分を害されたのですか?」
一緒に朝食をとっていたサーシャが、不安そうに聞いてきた。
「えー!勝手に部屋に入ったって!もしかしてあんなことやこんな事を…!?きゃー!!」
「朝からはしたないですよエレーヌっ!サーシャ様は今朝私と一緒に坊っちゃまを起こしに行っただけですよ。」
ポーの叱責に、エレーヌはえー、とつまらなそうにぼやいた。
「頼むから少し静かにしてくれないか。頭に響く…。」
ぽつりとそう呟き、尚も続ける。
「サーシャ殿のせいではありません。単に寝不足なだけですので…。」
流石に2日続けてまともに眠ってないので、ジーフェスの表情は虚ろ気味である。
「寝不足、ですか。」
サーシャがそう言い返した時には、ジーフェスは椅子から立ち上がっていた。
「すまない。少し眠らせてくれ。ああポー、直ぐにでもタフタと一緒にサーシャ殿の服を揃えに行ってくれ。あとエレーヌ、食事を終えたらサーシャ殿を連れて屋敷の中を案内してやってくれ。」
「了解いたしました。」
「はーい。」
と二人。
「あとサーシャ殿。自分は少し休みますので、すみませんが午前中はエレーヌと共に行動をお願いします。」
「は、はい。」
サーシャの返事を聞くと、ジーフェスは少し安心したように笑って、ふらふらした足取りで自室に向かっていった。
「ジーフェス様、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫大丈夫〜。旦那様、仕事が忙しい時はしょっちゅうああいう状態ですから。」
とエレーヌ。
「大丈夫ですよサーシャ様。半日も休めばもとの坊っちゃまに戻りますよ。」
とポー。
二人とも慣れているのか、ジーフェスの様子にさほど驚いても心配もしていない風である。
「は、あ…。」
「だけど、昨日から仕事なんてしてないのに、何で寝不足なのかな〜?」
とエレーヌが不思議そうに首をかしげる。
「さあ?さてと、私は今から街に行ってきますね。エレーヌ、くれぐれもサーシャ様に失礼の無いように!」
「はーい。」
ポーの睨みを効かせた戒めにも、エレーヌは飄々と答えるだけだった。
*
というわけで、ポーはタフタと一緒に馬車に乗って街に出掛けていき、朝食を終えたサーシャはエレーヌに連れられて屋敷の玄関先まで来ていた。
「さてとー、うるさいポーさんも居なくなったしー、何して遊びましょうかー?」
「あ、あの…。」
呆気にとられるサーシャの様子に、エレーヌはきゃはは、と高笑いした。
「冗談冗談、冗談ですよぉ〜。
えーと、屋敷の案内ですね。まずはー、ここから行きましょう!」
とエレーヌが連れていったのは、台所だった。
「ここが台所。ハックさんがいつもご飯とかを作っていますー。」
と、そこでは、確かにハックが何か料理の下ごしらえをしているところであった。
「おいエレーヌ、さぼるんじゃない!」
「さぼってませんよー!サーシャ様に屋敷の案内をしているだけですよー!」
「残念だが、まだお茶菓子は出来てないぞ。さっさと他を案内してこい!」
「えー!」
目論みが外れて、エレーヌはぶー、と不満そうに頬をふくらませてぼやいた。
「つまんないのー。」
ぶつぶつ言いながらも、エレーヌは次の部屋に向かった。
「ここが私達の宿泊部屋ですー。」
そこは、サーシャの部屋とは違い、少し小さめで家具とかも粗雑なものばかりの部屋だった。
「ここは私とポーさんの部屋、隣はタフタさんとハックさんのお部屋ですー。一応、皆さん他に家はあるんですけど、仕事が忙しい時にはここで泊まったりもしてますー。
あ、因みに私はここに住んでますので、何かあったら夜中でも呼びにきて下さいねー。」
「は、はい。」
その後も、客間、食堂、風呂場に御手洗などなど、屋敷の中を隅からすみまで探索していった。
「2階はお客様用の寝室と旦那様とサーシャ様のお部屋だけだから、省略しますねー。次は庭に行きましょうかー?」
「はい。」
見た目、まるで新入りのメイドに教えているその様子が少し笑える。
「はい、ここが玄関ですねー。」
と、二人は玄関から外に出ていった。
外は気持ちいいくらいに晴れ渡り、眩しい光が照りつけていた。
ふと辺りを見回したサーシャがぽつりと呟いた。
「そういえば、ここは余り庭の御手入れとかはされていないのですね?」
そう言われて、エレーヌはあー、といった。
「旦那様があんまり興味無いからですね、余り手を加えてないんですよー。時々ポーさんがお花を植えていますけど、なかなかねー。」
「そうですか。」
少し寂しそうにそう呟くと、サーシャは暫く何も無い、少し荒れた庭を見ていた。
と、その時、遠くから馬の嘶く声と馬車の走る音が微かに聞こえてきた。
「あれ?ポーさん、もう戻ってきたのかなー?」
エレーヌが呟くと同時に、
「おーい!エレーヌー!ちょっとこっちに来て手伝ってくれー!」
と、遠くからハックの呼ぶ声が聞こえてきた。
「はーい!」
エレーヌが呑気に返事して、ハックの所に向かおうとして、はたと立ち止まった。
「すぐ戻りますから、サーシャ様は待ってて下さいねー。多分ポーさんが帰ってくると思いますよー。」
「はい。」
にっこり答えるサーシャに軽く手を振って、エレーヌは台所に向かっていった。
と同時に、馬の嘶きと蹄の音と共に庭に一台の馬車が現れ、その場に止まった。
「お帰りなさ…!?」
てっきり、自分の服を買いに行ったポーが戻ってきたと思い、何の躊躇いも無く馬車に近付いたサーシャは馭者の姿を見て息を飲んだ。
そこにいたのは、
白髪混じりのおっとりとした面持ちのタフタの姿ではなく、…刃物のように鋭く冷たい目付き、白髪混じりの髪で隠された顔の右側のほうには深い傷を負っている、痩せた小柄の老人だった。
「貴方は…。」
だが、その老人はぎろりとその鋭い目付きでサーシャを睨み付けると、黙ったまま馬車から降り扉に向かった。
そして扉を開けると、黙ったまま頭を下げて馬車の主を迎えた。
「!?」
馬車から降りてきた主、
それはすらりとした長身の男性だった。
年齢はジーフェスよりは幾らか歳上くらいだろうか、その男性は立派な身なりをしており、身分が高い者だと一目で判った。
が、それより何よりも、その男性の風貌が異様なものであった。
ジーフェスやポー達のように、浅黒の肌に黒髪が主流のフェルティ国の民とは違い、その男性の肌は抜けるように真っ白で、耳元より少し長めの髪は、銀というよりはほぼ白に近い白銀、そして何より印象的なのは、白肌にくっきり浮かぶ、まるで血のような、深い緋色の瞳だった。
「変異種。」
ぽつりとサーシャが呟く。
*
変異種。
それは、全世界中でごく稀に誕生する異端児。
ある国にとっては神の使いと崇められ、敬われ、
ある国にとっては災いをもたらす忌み児として即座に処刑される。
その容姿は決まって、白肌に白に近い銀髪、そして緋の瞳を持つものとして、ほとんどが男性として産まれる。
その大半が天才的な頭脳の持ち主で、
かつて太古の世に世界を支配していたとも伝えられる種族だったとも言われたり、
それが先祖帰りしたとも言われているが、未だにその誕生は謎になっている。
そして、変異種の大半の者は身体が弱く、成人を迎えること無くその生命を終えると言われている、が…。
サーシャの前にいるその男性は、どう見ても成人そのものであり、その容姿から変異種と疑いようも無かった。
その男性は、ぎろりと冷淡な目付きでサーシャを見下ろし、しげしげと上から下まで見て、
「見慣れない者だな。その容姿、アクリウム国からの使いか?」
低い、冷たい声で呟いた。
その口振りから、サーシャを当人と全く気付いていない風である。
まあ、今のサーシャの格好がメイド服姿だから仕方も無いことだけど。
「あ、あの。」
「ポーさん帰ってきましたかー?」
と、その時、用事を終えたのか、玄関からサーシャ達に向かってエレーヌが駆け寄ってきた。
「あ、あれー?」
だが、サーシャとその傍にいるその男性の姿を見てちょっと表情を歪めた。
「あの…。」
「屋敷の小間使いか。おい、ジーフェスはどこにいる?」
その男性は、エレーヌの姿を見つけるなり、そう問いただした。
「え、あー、旦那様なら部屋で独りお休みになってますよー。」
と、どう見ても自分より身分の高いであろうその男性に対しても相変わらずの態度で答えた。
「部屋で休んでいる、だと…。」
だが、そんな彼女の口振りに慣れているのか、男性はエレーヌをじろりと睨み付けただけで忌々しく呟いた。
「はい、何ならここに御呼びいたしましょうかー?」
「よい、こちらから行く。」
エレーヌやサーシャを無視して、その男性はさっさと屋敷にあがりこんでいった。
*
え、え?…え?!
いきなりの事で、サーシャは訳が解らず、少し頭が混乱していた。
その男性は、屋敷の事を良く知っているらしく、迷うことなく一直線にジーフェスの部屋まで向かっていった。
「わー、修羅場だ修羅場だわ〜。楽しみ〜♪」
男性の後について、屋敷に戻ったエレーヌが何故か嬉しそうに呟いている。
「あ、あの、エレーヌさん、あの男性は一体…。」
エレーヌの後についてきていたサーシャが、ふと尋ねてみた。
「あー、あの方、あの方はですねー…。」
と、その時、
『バンッッ!!』
という激しい音と共に、ジーフェスの部屋の扉が荒々しく開かれた。
「……。」
部屋の中には、端に置いてある大きめのベッドの上で、部屋の主のジーフェスが高いびきをかいて眠っていた。
「……ZZZZ……。」
あれほど扉を開けた時に派手な音をたてたのに、尚もジーフェスは眠りの中にいた。
男性は表情を変える事無く、つかつかと部屋の中に入っていき、眠っているジーフェスの肩を掴んで揺さぶった。
「起きろ、おいジーフェス起きろ!」
部屋の入り口で黙って様子を見守っているサーシャとエレーヌ。と、
「何だー。派手な音がしたけど、何かあったのか?」
騒ぎを聞き付けたハックが二人のもとにやってきた。
「何だ、二人して旦那様の部屋の前で何して…?!」
そこまで言って、ハックも部屋の中にいるジーフェスと男性に気付いた。
「ありゃー、よりによって…。」
ハックがそう呟いている間に、何をやっても相変わらず爆睡したままのジーフェスに手を焼いていた男性は辺りを見回して、傍らに置いてあった水差しを手にした。
ま、まさか…?!
三人があることを予想するか否か、男性は手にした水差しの中身を、容赦無く眠っているジーフェスの顔にぶっかけた。
「わ…!?」
「きゃ…!?」
「やっちゃったぁ〜♪」
サーシャ達が短い悲鳴をあげる中、水をぶっかけられた当人のジーフェスも、流石に目を覚まして飛び起きた。
「ぶ、はっ!?な、いきなり何をするんだっっ!?」
いきなりの事に怒りを露に叫んで目の前の人物を睨み付けるジーフェス。
だが、その男性の姿を見た途端、その表情を強ばらせひきつらせた。
「な、な、なんで兄さんがこんな時間にここに!?」
男性、…ジーフェスから兄さんと呼ばれた人物、は、無表情のまま、冷淡にジーフェスを見下ろして呟いた。
「やっと起きたかジーフェス。貴様花嫁を、サーシャ王女をほったらかしにして一体何をしているのだ!」
その口調は落ち着いてはいたが、かなり怒りに満ちていた。
「あ、あの、その。」
何も言えずにしどろもどろのジーフェス。
「サーシャ王女は一体どこに居るのだ、ん?」
「はい、ここにいますよー。」
男性の質問に答えるように、エレーヌがにこやかな表情でサーシャを前面に突き出すように肩を掴んだ。
「え、エレーヌっっ!!」
真っ青になったのはジーフェス。
そりゃそうだ。何せ服が無かったとはいえ、一国の王女たる方に、使用人の服を着せるなんて、不敬罪ものだから。
まあ、不敬罪にはならないだろうが、よりによって、一番面倒で、見られたくない人物に見られてしまったのだから…。
「……。」
男性は、ひとしきりメイド姿のサーシャをまじまじと見て、それからエレーヌを睨み付けた。
「何を戯れ言を言う。貴様、この私をからかうつもりなのか!」
「からかってなんかいませんよー。この御方は正真正銘、アクリウム国の王女様ですよー。」
怒りに満ちた睨みにも、平然と気にしない様子で飄々と告げる。
「本当に、そなたがアクリウム国王女のサーシャ殿なのか?」
そうサーシャに尋ねる。
「はい。」
「……。」
躊躇いの無いその様子に、男性は少しずつだが冷静さを取り戻し、そしてジーフェスを睨み付けた。
「一体どういうことか、ちゃんと説明してもらおうか。」
「………。」
苦笑いするジーフェス達の耳に、微かにだが馬車の走ってくる音が聞こえてきた…。