第2章Ⅲ:思わぬ誤算
一方、ポーに連れられて新しい部屋に案内されているサーシャは、屋敷の中の様子が珍しくてきょろきょろしてばかりいた。
「サーシャ様、何か面白いものがありましたか?」
余りにきょろきょろしているその様子が可笑しくて、少し含み笑いをしながら尋ねてきた。
「あ、いえ、は、初めての所だから、見るものが珍しくて、つい…。」
ちょっと恥ずかしそうに俯きながらサーシャは呟いた。
「この屋敷は大したものは置いていませんよ。ごく普通の屋敷です。」
とポーは言うが、所々に置いてある絵画や花瓶などは、年代物の風格を漂わせている。
「さ、こちらです。」
ポーが際奥の部屋、もとはジーフェスの部屋であった場所、にサーシャを案内し扉を開けた。
「う、わあ…。」
そこは、淡いアイボリー色の壁を中心に優しい色合いのカーテン、綺麗な装飾の施されたベッド、ドレッサー、洋服タンスに小さなテーブルにソファーが備わり、ベッドはこれまた優しい淡いピンク色のシーツに包まれていた。
「素敵です。本当にここ、私の部屋、なのですか?」
「はい、お気に召されましたでしょうか?」
「はい!」
恐る恐る、新しい部屋に入っていくサーシャ。
そんなサーシャをほっとしたように見守りながら、ポーも部屋に入っていった。
「そういえばサーシャ様は、祖国から何か御持ちした荷物とかは無かったのでしょうか?」
ふと尋ねたその一言に、サーシャは躊躇わずに答えた。
「こちらに嫁ぐ時に、祖国を思い出す事の無いように祖国のものは持っていかない様に言われました」
「……。」
「私はもう、ジーフェス様の妻になる身。私は、ここフェルティ国の民の一員なのです。ですから、この身ひとつでここに来ました。」
にっこりと、だがきっぱりと言い切った彼女はやはり王女としての風格に溢れていた。
「了解いたしました。
では、宜しければこちらの服に着替えて頂けると助かりますが…。」
ポーは洋服タンスを開けると、中にあった服のひとつを手にしてサーシャに差し出した。
「はい。」
サーシャはポーから服を受けとると、改めて自分の服装を見てみた。
今のサーシャの服は、純白の見た目まさに花嫁のドレスのようなもので本当に綺麗なのではあるが、何分裾が長くて動きにくそうで、転びそうで危うくて実用向きでは無かった。
「着替えの手伝いは必要でしょうか?」
「いえ、ひとりで大丈夫です。」
「では私は一旦外に出ておきますので、着替え終わりましたらお呼び頂けますか?」
「はい。わかりました。」
*
こちらは湯あみ中のジーフェス。
先程までの慣れない香水だのをすっっっ、かり落としきって、湯の中に浸っていた。
「はー。極楽極楽。」
普段は余り湯を好むほうでは無いが、今回ばかりは慣れない香水などを落としきってすっきりしていて珍しくちょっと長湯していた。
「さて、そろそろあがるかな。」
湯船からあがり、身体を軽く拭いてからいつものくだけた服装に戻り、一旦自分の部屋に戻ろうとしたその時、
自室の隣の部屋、…今はサーシャの部屋となった、の扉が半開きのままになっているのが見えた。
「…?」
不思議に思ってその扉に近付いていくと、
「よかったぁー。ぴったりですね〜。」
と、呑気に話すエレーヌの声が聞こえる。
「ありがとうございます。ちょうどぴったりです。」
とサーシャの声が続けて聞こえてきた。
「エレーヌ、貴女にしてはグッドアイディアでしたわね。」
というポーの声。
何事かと思い、ジーフェスは思わず半開きの扉をノックした。
「おーい、一体何しているんだ?」
その声に、一番に反応したのはエレーヌだった。
「あっ、ちょうど良いところに!」
と言うなり、いきなり扉を思いっきり開けたものだから、危うく鼻をぶつけるところだった。
「おいっ…!」
慌てて避けたので扉にぶつかりはしなかったが、身体をよろけたまま文句を言うジーフェスの手を掴んで、エレーヌは問答無用で部屋の中に引っ張り入れた。
「ほらー、可愛いでしょう〜?」
と、エレーヌが見せてくれたのは…、
ちゃんと着替え終えた、サーシャの姿であった。
が、それは、
フリルのついた白のブラウスに首もとには黒のリボン、黒のベスト、同じく黒の膝丈までのスカートに白のエプロン、すらりと伸びた脚にぴったりの黒のタイツ、そして頭には白のフリルのついたリボン仕様のカチューシャが飾られていたその姿…。
そう、それはまるで…、
「な、何でサーシャ殿がメイド服を着ているんだっっ!!」
そう、それはポーやエレーヌが着ているのと同じ、女性の使用人用のメイド服そのものだった。
余りの様子に、ジーフェスは驚きを隠せずに、ついつい興奮したように叫んでしまった。
「申し訳ありません坊っちゃま。全て私の失態で御座います。」
すると、今まで脇にいたポーが現れて申し訳なさそうに頭を下げた。
「失態、って?」
ジーフェスの問いに、ポーは尚も続ける。
「花嫁様の、サーシャ様の為に購入した服がどれも大きすぎて合わなかったのでございます。」
確かに、サーシャは皆が予想していたよりは遥かに小柄で、胸周りも尻周りも乏しく…、
いやいやいや、そこは関係無い無い!
「で、以前私がここにお仕えする時に購入して頂いていて小さすぎてサイズが合わなかったメイド服があったから、どうかなー、って思って持ってきたのですー。そしたらぴったんこだったのです。」
ふふん、と自慢気なエレーヌ。
ちょっと、自慢するところ違うぞ。
「取り敢えず今日はこのままでいて頂いて、明日朝一番に服を交換しに参ります。」
見ると、確かに夜の暗さが辺りを包み始めていた。
「でも、とっても良く似合ってますよー、サーシャ様。」
エレーヌだけは呑気にそう呟く。
「おい!?」
「ありがとうございます。私ずっと前から、一度このようなメイド用の服を着てみたかったのです。」
そう言ってサーシャはくるん、と嬉しそうに一回転してみせた。
「この服は凄く軽くて動きやすいのですのね。」
「でしょう?それにここのメイド服はデザインも可愛いのよねー。」
にこにこ笑いながらエレーヌが答える。
「……。」
王女と使用人とは思えない会話をしている二人に、ジーフェスは最早開いた口が塞がらなかった。
“まあ、明日の午前までの我慢だ。しかし、サーシャ殿のこんな姿をアクリウム国の方が見たら、まさに卒倒ものだな。下手すれば、俺が不敬罪に問われるかも、な。”
どうかそんな事が無いように。
きゃいきゃいとはしゃぐ女二人を見て、ジーフェスは心の中で手を合わせて祈っていた。
*
結局、メイド服の姿のまま、サーシャとジーフェスは夕食を始めた。
一瞬、ハックがサーシャをエレーヌと間違えて思わず叱責しそうになる場面もあって、思わず笑ってしまったが。
「からかうなんて酷いですよ旦那様。しかし、意外と可愛くてお似合いですよサーシャ様。」
「ありがとうございます。」
意外と、というのがちょっと引っ掛かるのだが。
夕食は先程ハックがサーシャに尋ねたのを参考に、魚料理をメインに、香料を控えたあっさりとした味付けの、彼女好みの料理であった。
「いかかですかサーシャ様。」
「とても美味しいです。このお魚は初めて見ますけど、何という魚なのですか?」
「これはマーマインと申しまして、ここフェルティ国の近海で普通に獲れる大型魚です。見た目の怖さと違って、繊細で美味なんですよ。」
だが、ジーフェスのほうはちょっと不満そうだった。
「いつもより味が薄くないか?」
そう言って備え付けの香料の瓶に手を伸ばして魚のムニエルに振りかけていた。
「これくらいが素材の味を楽しむのに丁度良いのですよ。この機会に是非旦那様も薄味に慣れて下さいな。」
ハックに嫌みを言われて、むっと不機嫌そうにジーフェスは睨み付け、だがそれ以上は何も言わずに黙々と食事をしていた。
*
食事を終えると、ジーフェスはさっさと独り自室に戻り、サーシャはポーに連れられて湯に入っていった。
「湯加減はよろしかったでしょうか?」
「はい、とても気持ちよかったです。」
にこやかに答えるサーシャは、準備されていた一番小さめのナイトドレス、…それでも、手で持ち上げないと裾を引き摺るのだが、に身をつつんで現れた。
「それは良かったです。少し早めですが、今日は長旅でお疲れでしょうから部屋でお休み下さいませ。」
「あ、はい…。」
何故かサーシャは納得のいかないような、不思議そうな表情で返事をした。
そしてポーに連れられて新しい自室に戻った。
「こちらに飲み水を置いておきますね。あと何かありましたら、私は食堂横の部屋におりますのでお呼び下さいませ。」
「ありがとうございます。あの、ジーフェス様はどちらに。」
ふと何かあったのか、サーシャが尋ねてきた。
「坊っちゃまなら、お隣の自室で既にお休みになられていますけど、それが何か?」
だが慌てて首を横に振って、サーシャは答えた。
「い、いえ、何でもありません。おやすみなさい。」
「おやすみなさいませ。」
ポーはサーシャにそう告げて、向かって一礼した後に、部屋を出ていった。
ひとり部屋に残されたサーシャは、ベッドの端に座って、暫く何か考え事をしていた。
「……。」
ある思いを胸に、サーシャはきゅっと胸元を握り締めた。
*
一方、こちらは早々に部屋に戻っていたジーフェス。
ベッドに身体を横たえて、何か考え事をしていた。
「……。」
アクリウム国の王女サーシャ、か。
ふと、ジーフェスはサーシャのことを思い出していた。
あどけない顔立ちにまだ幼い身体つき…、
王女としての自覚と誇りを持っている一方、純粋で無垢で、穢れを知らない心の持ち主。
“ちょっと想像していた姿とは違っていたけど、な。
だけど、見た目と中身が違う人は、この世界にごまんといるからな。まさか彼女がそうだとは思いにくいが…、”
複雑な気持ちでいるまま、疲れがきたのか、少しうとうとと微睡みだした。
『コンコン』
気のせいか、扉をノックする音が耳に入ってきた。
“…空耳か…?”
だが再び、今度ははっきりと自室の扉をノックする音が聞こえてきた。
「誰だ…?」
こんな時間に何だ?
少々不機嫌気味に答えると、扉からぼそぼそと何か聞こえてきた。が、その声は余りに小さくて何かよく解らなかった。
「……。」
仕方なくだるそうにベッドから身体を起こすと、扉に向かい開けてみた。
「?!」
扉の向こうには、少し驚いたような、少し怯えたような表情をしたサーシャの姿があった。
「サーシャ殿、一体どうされたのですか?」
意外な人物の登場に、ジーフェスはちょっと驚き慌ててしまった。
「……。」
が、当のサーシャは先程の様子とは違い、何か真剣な思い詰めた表情をしていた。
「な、何かあったのですか…?」
彼女のその様子に、流石にジーフェスも心配になってきた。
「あの…、そ、その…。」
だが、サーシャはジーフェスを目の前して、ただただ顔を赤くして俯き、何も言えない状態であった。
「……?」
「…あの…、…儀式、は…、しない、のでしょうか…?」
「儀式?」
何のことか訳が解らず、頭をひねってしまったジーフェス。
だが、サーシャのほうは本当に耳まで真っ赤になって俯いてしまっている。
「は、はい…。あの…、夫婦になると…、その、男の方と、女の方とが…、その…、裸でする…、儀式、です…!」
そこまで言われて、やっとジーフェスも事態を飲み込んで、そして赤くなってしまった。
「あ、あの、その…!?」
予想だにしなかった彼女の大胆な行動に、ジーフェスも流石に慌ててしまった。
「もしかして、こういうのは、…女性のほうから、お誘いするもの、なのでしょう、か…?」
少し頬を赤らめながらも、部屋に入ろうとするサーシャを、ジーフェスは慌てて制した。
「ち、ち、ちょっと待ってっっ!!」
「……はい?」
慌てふためくジーフェスとは対象的に、サーシャのほうは少しずつ落ち着いてきている様子である。
「あの、その…、と、取り敢えず、今日はサーシャ殿も長旅で疲れたでしょうから、その件については…、明日、そ、そう、明日にでもゆっくりと、話し合って、みようか、と。今日はお互いにゆっくり休んでおこうかと…。」
しどろもどろだが、何とか話しをまとめたジーフェス。
それを聞いて、サーシャも暫く考えていたが、
「それが、ジーフェス様の御意志でしたら、解りました。本日はひとりで休みます。」
そう、きっぱりと言い切った。
「あ、ああ、そうしてくれると助かります。」
サーシャの言葉に、ジーフェスは一安心したようにほっと一息ついた。
「夜遅くに大変失礼しました。では、おやすみなさいませジーフェス様。」
「ああ、おやすみなさいサーシャ殿。」
ぺこりと頭を下げていたサーシャがふと頭を上げた。
「あと、私の事はサーシャとお呼び下さい。『殿』などつけられては、他人行儀みたいですので。」
ふわりと優しく微笑むと、サーシャは再び一礼して、扉を閉めて部屋に戻っていった。
「…………。」
独り残されたジーフェスは、余りの出来事に暫し呆然とその場に立ち尽くしていた。
「嘘、だろう…。」
おいおいおい。
まあ、見た目からも想像はついていたけど、あの態度、どう見ても、どーー考えても、男慣れしてないよな、うん。
一応、何人か経験のあるジーフェスだが、こんなに素直に真っ直ぐに攻められたのは初めてだった。
“あれが演技なら、彼女は相当な手練れなんだろうけど…。あれで演技、は、ありえないよな…。”
「ちょっと、勘弁してくれよぉ…。」
頭の中が未だに混乱したまま、彼はその場にへたりこむように座り込んでしまった…。