表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/29

第5話:紅刃

 緑で生い茂っていた道が、今では大きな岩が混ざった砂利道に変貌している。

 一歩進むたびに足の裏に痛みが奔る。

 大きな石を避けようと集中すれば余計に体力が奪われていく。

 明日は確実に筋肉痛だろうな、と比呂は思った。


「ヒロ、大丈夫? 痛いなら背負ってあげるわよ?」

「いや、さすがに女の子に背負われるのは……僕だって男だからね」


 彼女の優しさに感謝しつつ、比呂は頂上に目を向けた。

 近いようで遠い、それでも、景色が変わることで進んでいることが実感できる。

 それにリズが何度も小休止を間に挟んでくれている。

 ――きっと僕のせいだろう。

 比呂ほど疲労感を顔にだしている者などいないからだ。

 足手まといになっていることはわかる、だから、弱音を吐くことは許されない。

 兵士たちも足手まといな比呂に文句を言わなかった。

 休憩する毎に「なかなか根性あるな」「もう少しの辛抱だ」と声をかけてくれる。

 気の良い兵士たちだと、比呂は感動した。


「大変なのはこれからよ。ここから先はモンスターも多いから、ヒロはあたしから絶対離れちゃダメよ」

「オグルみたいなのがまだ出てくるの?」

「うん。というかオグルの群れがでてくるわ」

「マジですか……」

「マジですよ」


 と、リズが比呂の真似をしたとき、前方から大量の岩石が転がってきた。


「岩の影に隠れるんじゃ!」


 トリスが叫ぶと同時に兵士が迅速に行動する。

 比呂は咄嗟のことで動けないでいたが、リズも手を掴んだまま動く気配はない。

 地面が大きく揺れて、まともに立っているのが難しい。

 一つの岩石がトリスが身を隠す岩にぶつかり派手に砕け散った。

 流星のように上から落ちてくる岩石の大群。

 大きな岩が撥ねて比呂を押し潰そうと迫ってくる。

 もうダメだ。と思った時、比呂は目を閉じてしまった。

 だが、いつまで経っても、痛みが襲ってくることはなかった。

 恐る恐る目を開けた比呂の眼前、大きな岩が真っ二つに割れて融解を始めていた。


「えっ、なにこれ……」


 比呂は間抜けとも言える顔でそれを眺めた。

 しかし、岩は一つではない。

 融解した岩を足がかりに、ガコンッ――と重く鈍い音を出して頭上に飛んだ。

 大きな影が比呂たちを包み込んだ時、それは起きた。

 突然、岩が炎に呑み込まれて爆発。

 破片は比呂たちを避けて辺りに散らばる。

 唖然とする比呂に、声をかけたのはリズだ。


「ヒロ! ここを動いちゃダメよ!」


 目を向けるとリズが岩石の群れに向けて走り出していた。

 影に隠れていた兵士たちが平然とした顔で姿を現した。

 比呂の傍らには空を見上げて欠伸をするサーベラスの姿。


 ドン――と爆音が、呆然とする比呂の鼓膜を揺さぶった。

 視界の端でリズが地面を蹴って、岩石の目の前に着地する。

 ドン――また岩が爆散した。

 破片が空中で融解して、ジュッと音をあげて地面にへばりつく。

 比呂はようやく気づいた、リズの手に何か握られているのを。


「おう、坊主はあれ見るの初めてか?」


 兵士の一人が比呂の肩を叩いて言ってきた。

 比呂は視線をそのままに返事をかえす。


「えっ、なにがです?」

「精霊剣・炎帝レーヴァテインを見るのがだよ」


 兵士の言葉を聞いて胸がドクンと脈打った。


「あ、はい……たぶん初めてです」


 胸を押さえて舞い踊る彼女を捉え続ける。

 彼女の手には紅い一振りの剣。

 ピジョン・ブラッドのような美しく透き通った紅刃。

 柄は黄金、陽の光を浴びることで更に輝きを増している。

 最後の巨岩を払うように斬って、全て処理した彼女が比呂に向けて手を振った。


 愛嬌のある微笑みを満面に湛えて、艶のある紅髪が風に揺らされる。

 炎帝レーヴァテインの刃を地面に向けて歩く姿が、比呂の目を捕らえて離さない。

 どんな絵画にも負けない美しさがそこにあった。


 また胸の奥が一際大きくドクンと脈打つ。

 胸元を握りしめて比呂は熱い息を吐いた。


「どうしたんだ……なにが……」


 心臓の鼓動が高鳴っていく、なにかが内で暴れているのがわかる。

 しかし、見目麗しい乙女が「大丈夫?」と、顔を覗き込んできたことで正気に戻った。


「ひぅ!?」

「ひゃっ!?」


 ビックリして変な声をだしてしまったが、リズも驚いたようで目を丸くしている。


「ご、ごめん。すごく格好良かったから! それで!」


 比呂が両手を顔の前で振りながら、興奮したように言う。

 リズの顔が更に近づいてきて、逃さないとばかりに肩まで掴んできた。


「ホントに!? そんなによかった?」

「えっ、いや、なんていうか……胸が熱くなるっていうか……ホントすごく綺麗だった」

「もう、そんな照れるようなこと言っちゃって! もう一度言ってもいいわよ!」


 リズが頭を掻きながら比呂の肩を何度も叩く。


「さっ、お前ら行こうぜ~」

「おう、小僧、俺の荷物もてや」

「こっちも頼むわ」

「オレも」

「頼んだ」

「儂も頼もうかの」


 あれほど優しかった兵士の皆が急に態度を豹変させた。

 比呂の前に積まれていく剣、槍、弓、盾の山。

 ――これ命を守るための大事なものなんじゃないんですか? あと、トリスさん何を便乗しているんですか。

 と、抗議の声をあげようとした比呂を遮って、兵士の誰かが声を張り上げた。


「オグルの群れだ!」


 皆の視線が一斉に兵士が指さした先に集中する。

 醜い姿をしたオグルが群れを成して比呂たちを見下ろしていた。

 中央には一際大きなオグル、その周りを囲むのは七体のオグルだ。


「オーガもいるじゃない。ディオスがいたら喜んだでしょうね」


 リズが余裕の笑みを作り、オグルの群れを眺める。

 比呂の前に積まれていた武器は、全て兵士が迅速に回収していた。


「オーガ?」

「そうよ。あの一際大きい気持ち悪いのいるでしょ。あれ突然変異らしくて、他のより凶暴で知能も高いのよね。だから、群れを形成して人を襲ったりするの」

「もしかして、さっきの落石って……」

「正解。あいつらの仕業よ。楽して人肉を食べようとでも思ったんじゃないかしら……」

「……大丈夫なの?」

「オーガの討伐なんて一度や二度じゃないから……ディオスなんて討伐しすぎて《オーガ》なんて異名を持つぐらいよ」

「へ~……」


 比呂が話している間に、兵士たちの戦闘準備が整ったようだ。

 重装歩兵が、比呂たちの前で盾を地面に突き立て壁を作っていた。

 後ろでは弓隊が弓弦を引き絞って合図を待っている。

 それらを満足そうに眺めたリズが、炎帝レーヴァテインを空に掲げてから縦に振った。


「弓隊、放て!」


 無数の弓がオグルの群れにまっすぐ飛翔する。

 瞬く間に大きな巨体に突き刺さっていく矢。

 一気に四体を仕留めたが、怒り狂ったオグル二体が駆け下りてきた。


「弓隊、足を狙いなさい!」


 リズの命令通り、足を正確に狙い打たれたオグルが勢いよく転がり落ちてくる。

 盾の壁に激突して動きを止めたが、その隙間から伸びた槍によってトドメを刺された。

 残されたオーガとオグル一匹は、逃げを選択したようで斜面を登ろうとしていた。


「サーベラス!」

『ウォンッ!』


 サーベラスは壁を飛び越えて勢いよく登っていく。


「重装歩兵! 前を開けなさい! 軽装歩兵、一緒にやるわよ!」

「「「おう!」」」


 盾の壁が左右に開いて、そこから先頭をきったのはリズだ。

 後ろからトリスや、軽装歩兵が追いかける。

 この頃には、サーベラスが背後からオグルを仕留めて、オーガを翻弄させ始めていた。

 それから10分ほどで決着がついた。

 リズたちと合流しようとする比呂の足下をオーガの首が転がっていった。

 嫌なものを見た比呂は気分を変えるために頭上を仰いだ。

 太陽はまだ高い、昼頃だろうか。

 リズは夕方までには頂上につくと言っていた。

 あと3~5時間、この山を登らないといけない。


    ※※※※※ ※※※※※


 同時刻――。

 大帝都クラディウスから南東に100セル(300キロ)向かうと第二帝都クリーベンがある。

 そこから東に向かうことでゼーゲン村を見つけることができる。

 第二帝都が近いこともあり、盗賊やモンスターが少なく治安の良い地域だが、現在は殺伐とした雰囲気に包まれていた。

 村を囲むようにテントがいくつも張られて、村人たちは恐れて家に閉じこもっている。

 村長の館周辺では数十人の重装歩兵が警備にあたっていた。

 扉の前には紫の地に剣と盾の紋章が入った旗が立てられており、風にあおられて宙を泳いでいる。

 中に入ると手入れが行き届いた通路が迎えてくれる、左に進むことで客間に辿り着く。

 そこには、美しい少女、精悍な顔をした青年の二人がいた。


「アウラ様。こんなところで道草をしていてもよろしいので?」


 青年の名は、ローレンス・アルフレッド・フォン・シュピッツ。

 彼の視線の先には上司でもあり、女神のごとく崇拝する女性の姿があった。

 トレア・ルザンディ・アウラ・フォン・ブナダラ。

 第三皇軍、参謀長にして《軍神マルス》の異名を持つ。

 彼女は現在、椅子に背を預けた状態で、机に左肘をかけて右手で本を開いていた。


「…………………」


 沈黙が落ちた部屋に、紙をめくる音だけが響く。

 聞こえなかったのか、無視しているのか、シュピッツは諦めずに声をかけた。


「アウラ様。本ばかり読んでいないで、私の話にも耳を傾けて頂きたい」


 少しでも暇な時間ができると、ブナダラは本を読んでしまう癖がある。

 しかも、いつだって読むのは一冊の本だ。

 同じ《軍神マルス》の異名を持つ第二代皇帝の生涯が書き綴られた本。

 恐らく帝国中を探しても、彼女ほど第二代皇帝を知り尽くしている人物はいないだろう。


「アウラ様……どうかお聞き届け下さい」


 ようやく声が届いたのか、本を閉じたブナダラの目がシュピッツに向く。

 ああ……と、シュピッツが感動のあまり膝をつけて平伏した。


「シュピッツ子爵……私は初代皇帝陛下を侮辱するつもりはありません」

「…………はあ……」


 また始まったとシュピッツは内心で嘆いた。

 伝承を読んだあと彼女は必ずこの話を始める。


「初代皇帝アルティウス陛下の治世は見事という他ありません。ですが、その礎を築いたのは誰か……滅亡寸前の国に勝利をもたらし、周辺諸国を征服した第二代皇帝シュバルツ陛下です。彼がいなければ、今のグランツ大帝国はなかったでしょう」

「まことそのとおりでございます」

「兄であるアルティウス陛下が亡くなり、その弟であるシュバルツ陛下が皇帝の座についたのは七〇過ぎての頃、老齢で玉座についた時の心中は如何なものだったでしょうか……残された時間は少なく、事実、たった一年の在位で彼はこの世を去りました。彼が初代皇帝になっていれば世界を統一することも可能だったでしょうに、さぞ無念だったことでしょう」


 熱く語る上司に、シュピッツの頭が項垂れる。

 彼女が話しているのは1000年も前の話だ。

 今では二人とも神格化されてグランツ一二大神として祀られている。

 グランツ大帝国が存在するのだから二人が実在したのは確かだろうが、色々と脚色されているに違いない。

 例えば第二代皇帝シュバルツは最後の戦いで万の軍勢を一人で打ち破った話などがあげられる。

 数カ所の筋断裂、あばら骨が折れ、傷口を自分で縫って戦い続けて最終的には勝利をおさめた。

 そんなことは精霊剣5帝をもってしても不可能だ。

 よくて1000だろうとシュピッツは思っている。

 それはそれですごいことなのだが……今は過去よりも目の前のことに集中してもらいたい。


「アウラ様……いつまでここに滞在するのですか?」

「……まだ言いたいことは山ほどあるのですが」

「ブルタール様からお手紙が届いております」

「……なんて書いてました?」

「読んでおりませんが?」

「なぜです?」

「なぜって……皇族の方からのお手紙を私ごときが勝手に封を破るわけにはいきません」

「私はシュバルツ陛下の伝承を読んだばかり、この余韻を楽しみたいので許します」

「……わかりました。では、私が読ませて頂きます」


 シュピッツは派手な装飾が施された封筒を取り出した。

 一枚の紙にはこう書かれていた。


 我が親愛なる《軍神マルス》よ。

 そなたが城を発ってから早10日、未だに朗報がもたらされない事に驚きを禁じ得ない。

 相手が皇族だからといって遠慮することはない。

 生意気な小娘に死の鉄槌を与えるがいい。

 いらぬ心配であろうが、そなたが望むなら兵を送ろう、好きな数だけ申すが良い。

 我が《軍神マルス》にグランツ十二大神のご加護があらんことを。


             グランツ大帝国ブルタール第三皇子。


「――とのことです」

「せっかちな人ですね」


 ブナダラはうんざりした顔で言った、シュピッツはそんな彼女に苦笑を向けた。


「仕方ありません。継承順が3番目とはいえ、第一皇子になにかあれば、精霊剣5帝の加護がある第六皇女が玉座につく可能性があります」

「歴代皇帝の誰もが精霊剣5帝の加護を得ていたわけではありません。第二十八代皇帝、第三十六代皇帝は剣の扱い方も知らないのですよ。皇帝の資質があるかどうかが重要なのです」

「……それをブルタール様がわかってくれたらいいのですが」

「わかっていたら、皇帝の怒りを買うような真似はしません」

「はあ……」

「手紙は燃やしておきなさい、不愉快なだけですから」

「かしこまりました」


 近くのカマドに手紙を放り込み、シュピッツは一枚の赤い札を取り出した。

 それを続けて投げ込むと、小さな火柱があがり手紙の一欠片も残さず灰となった。

 見咎めるようにブナダラはシュピッツに視線を向けた。


「手紙を燃やすのに精霊札ですか……勿体ないでしょう」

「皇族の手紙を燃やしたんですよ。少しでも手紙の断片が残ればアウラ様の身が危うくなります。こういうのは徹底しておかなければ何があるかわかりません」

「……一理ありますね。のちほど精霊王廟に手紙を送っておきます。20枚ほど買っておきますか? 請求はブルタール様でいいでしょう」

「いえ、精霊札の一枚ぐらい大した出費ではございません」


 シュピッツはそう言うが、精霊札一枚でグランツ金貨3枚である。

 平民の一日あたりの賃金はドラツ銀貨3枚だ。

 ドラツ銀貨10枚でグラッツ銀貨1枚、グラッツ銀貨10枚でグランツ金貨1枚である。

 庶民が手を出すには高額すぎる品物だが、精霊札は病も治すことから重宝されていて、精霊王廟には身分問わず多くの者が精霊札を求めてやってくる。

 しかし、平民が購入できる可能性は低い。

 一日に精製される札は80~100枚で、ほとんどを皇族や大貴族が買い占めるからだ。

 たまに市場に出回ったとしても、ほとんどが倍の値段で取引されていたりする。


「それに予備もございますから、今回の作戦中は足りるでしょう」


 昨今は高価で品薄なことから、主に精霊武器を相手にする時に使用されている。

 だから、今のように手紙に火をつけるために使う者はいない。

 それが皇族であってもだ、そんな使い方をしていたら財政が傾き、待つのは破滅だ。

 シュピッツ家は貧しくはないが裕福ともいえない。精霊札は貴重のはず。

 仕事熱心な部下を見て、ブナダラは嘆息してから真剣な顔つきになった。


「私は別にここで遊んでいるわけではありませんよ。ここならグリンダ辺境伯領と目と鼻の先ですからね」

「……攻め入るおつもりですか?」

「一戦交えるかどうかは、あちらのやる気次第ですが……。あとは第六皇女をお待ちして、説得したあとにブルタール様の下に送り届けます」

「ブルタール様は第六皇女の死を望んでおられますが」

「第六皇女のお命を奪えばどうなるかわかりませんか?」

「…………皇帝陛下がお怒りになり、下手をすればブルタール様は打ち首ですか」

炎帝レーヴァテインの持ち主ですよ。さすがに稀少すぎますから、皇帝陛下は息子の蛮行を許さないでしょうね」

「ですが、ブルタール様の命に背けば、こちらの身が危うくなります」

「人の意見など変わるものです。ブルタール様も冷静になれば判断を誤ることはないでしょう」

「わかりました。では、これから如何致します?」

「まずは手紙を送りましょうか。内容は……そうですね、第6皇女の身柄を引き渡してもらいたい。第三皇軍、司令官のご命令である、認められない場合は実力行使も辞さない。良い返事をお待ちしている。と、こんな感じでお願いします」


 と、言ってから、視線が下に向いて楽しい読書に戻っていった。

 挑発的な言葉にシュピッツは目を丸くするしかなかった。

 これでは戦争をしようと言っているようなものだ。

 グリンダ辺境伯は好戦とはほど遠い温厚な人物と聞いている。

 普段であれば認められたかもしれないが、こちらの目的は姪でもある第六皇女だ。

 客間の扉を閉めたシュピッツは重いため息をついた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ