第4話:遭遇
ディオスが頭を掻きむしって、長机に広げた地図を指さして口を開いた。
「ベルク要塞に向かう道は二つある。まっすぐ南下する道、こっちは完全に罠があると思っていいだろう。暗殺者、軍隊、盗賊、山賊と様々だ。あと一つは東にあるグラオザーム山脈の山の一つ、ヒンメル山を超えた先にあるバオム小国側から、グリンダ辺境伯領に入ることだ」
「騎馬もいるのよ。ヒンメル山は越えられないわ」
「南下を選んだところで全滅は免れない。なら、少しでも多く生き残る可能性をあげるならヒンメル山を越えるしか手はない」
ディオスの隣にいるトリスも頷いた。
「二手に分かれましょう。さすがに全ての兵士をヒンメル山に行かせるわけにもいきますまい。陽動も必要ですからな。ディオス、お主は騎兵と共に歩兵50を率いてベルク要塞に迎え、道中に敵と出会ったら荷車は捨てて全力でグリンダ辺境伯に助けを求めよ。姫様もそれでよろしいですな?」
リズは納得いかない顔だったが、しばらくして小さく頷いた。
「おっさんはどうするんだ?」
「儂は姫様と共に山を越える」
「年寄りなんだから無理すんなよ……」
「ふんっ、若造などにまだまだ負けんよ」
「そう? 最近、腕の周りが細くなってきたわよ」
「なぬっ!? まことですか!?」
リズの冗談に少しだけ作戦司令室に明るさが戻った。
※※※※※ ※※※※※
豪勢な食事をだされて、完食した比呂は満足してベッドに腰かけていた。
リズの言うとおり、客人として迎えられたようだ。
取り調べはなかったが、扉の前には見張りの兵士が立っている。
あちらが警戒するのは勝手だが、比呂にとっては右も左もわからない世界だ。
無闇に動き回ったりはしない。彼らのしていることは無意味だといえよう。
それを言ったところで逆上されるだけだ、それだけならいいが自分の立場が危うくなる可能性もある。
なので、こうして大人しく座って、これからどうすればいいのか思案しているわけだ。
けれど、良い案も浮かばず眠気が襲ってきた頃、扉が突然開かれてズカズカ入ってくる者がいた。
――リズだ。
「ごめんね。ちょっと緊急の用件ができちゃって……」
「なにかあったの?」
「あたしたち拠点を移すんだけど、今日の夜に出立することになったの」
「……つまり?」
「ここを第一皇軍に返還しなきゃいけないから、ヒロが泊まれなくなっちゃうのよ」
「それは…………問題だね」
見知らぬ土地、右も左もわからない場所に放り出される。
しかも夜にだ。これほど怖いものはないだろう。
ここはどうするか考えたいところだが、リズはどこか焦った顔をしている。
考えている時間はないのかもしれない。
なら……、比呂は決断した。
「ついていってもいいのかな?」
「えっ」
「あれ……ダメかな?」
「いいけど……けっこう辛い旅になるわよ。下手したら死んじゃうかも。それでもいいの?」
「かまわないよ。どちらにせよ。こんな夜に一人で放り出されても死んじゃうだろうからね」
「さすがに無一文で放り出さないわよ。少しぐらいなら融通が利くし、食料だって……」
「一食の恩があるからね。恩を仇で返す可能性もあるけど……ついていっても問題ないなら、僕はついていくよ」
「ヒロって変わってるわね」
「そうだね。よく言われるよ」
――主に福太郎にだけどね。
砦の中央広場にでると辺りは篝火で照らされていた。
満月が雲から顔を覗かせて、こちらを見下ろしている。
リズの後ろをついていき、砦の正門前にたどり着くと、サーベラスがリズに走り寄ってきた。
入り口には大勢の兵士が待機していた。
その先頭にディオスがいて、隣に40代前半の筋骨隆々の男が立っていた。
その男がリズに栗毛の馬を手渡す。
「トリス、ご苦労様」
「はっ!」
リズは礼を言ってから手間取ることもなく颯爽と馬に跨がった。
瞬間、背後からドン――と歓声が沸き起こる。
比呂が驚いて振り返れば、いつの間に集まったのか砦の兵士が沢山見送りにきていた。
『セリア・エストレヤ様お気をつけて!』
『セリア・エストレヤ様、万歳!』
『グランツ大帝国万歳!』
『精霊王のご加護を!』
『グランツ十二大神のご加護を!』
リズは笑顔で大きく手を振り返す。
満月の光が彼女を照らすことで、少女の魅力が増大して妖精のように栄えた。
それでまた一段と歓声が大きくあがった。
比呂はリズの馬から離れすぎないように後をついていく。
「砦が見えなくなったら……二手に分かれるわ。はぐれないようについてくるのよ」
リズの声が頭上からふってくる。
「うん」
二時間ほど黙々と歩いたころ、後ろを振り返れば、砦が闇に包まれて見えなくなっていた。
真っ先に行動を起こしたのはリズだ。
馬から飛び降りて、トリスに向かって叫んだ。
「トリス! ちゃんと道案内するのよ!」
「姫様こそ老いぼれについてこれますかな」
トリスがリズの前方を走り出した。
「ヒロ行くわよ!」
比呂の左手がリズに掴まれて強制的に走ることになった。
その後ろでは隊列から抜け出す兵士と、何事もなく進む兵士とで分かれていた。
いったい、どれほどの距離を走るのか、体力が続くだろうかと、比呂は心配になってくる。
隣を見れば疾走するサーベラスが涼しげな顔をしていた。
――さすが狼だ、その体力を少しでいいから僕にわけてくれないか……。
比呂の限界が近い頃に、リズが歩み始めた。
荒々しく呼吸を繰り返す比呂、リズは額に汗こそ浮いてはいるが、息一つ乱れてはいなかった。
「大丈夫?」
「だ、だい、だいじょぶ」
「そう? きつかったら言ってね。少しぐらいなら休憩してもいいし……」
「姫様いけませんな。男児を甘やかせれば軟弱者にしかなりませぬ。男たるもの谷から突き落とされて成長するものです」
つっこみたいが口が酸素を独占しているので、それは叶わなかった。
そんな比呂をあざ笑うかのように、サーベラスが楽しげに走り回ってる。
「ヒロはまだ子供なのよ。谷から突き落としたら死んじゃうわ」
「む? その小僧めは16歳ではなかったですかな? ディウスからはそう聞いておるのですが……」
「でも、見た目は子供でしょ。優しくしないとね」
「むぅ? 確かに顔つきは幼いですが……16で……でも、子供? ふむ、よくわかりませんな」
がっはははっ、と笑い始めたトリスから視線をはずして、比呂は背後を見た。
大勢の兵士がついてきていた。
重い鎧を身につけていながら、息は乱れても脱落することはなかったようだ。
年長者であるトリスは汗すらかいていない。
――このオジさん化け物だな。
「離脱者はいた?」
「そんな軟弱者おりませぬ」
「そう、良かった……」
「今のところは順調ですな。朝日を迎えるまでに山に足を踏み入れることが可能でしょう。誰の目にも触れられずにすみそうですな」
「ディオスのほうは大丈夫かしら?」
「心配いりませぬ。あやつは強いですからな」
しばらく歩いていると空が白けてきて眼前に大きな山々が見えてきた。
比呂の手は相変わらずリズに握られている。
慣れてきたのか……それとも忘れているのか、最初のときほど比呂に照れはない。
山の入り口に脚を踏み入れるとリズが顔を寄せてきた。
比呂は顔を真っ赤にしてリズの言葉を待つ。こればっかりは慣れることはない。
「この山を越えればバオム小国があるんだけど、そこは治安もよくてね、自然溢れる美しい街があるの。でも、今回は時間もないから寄ることはできないけどね」
案内してあげたかったな。と、リズは残念そうに呟き、トリスに声をかける。
「バオム小国にお兄様の手は伸びてないかしら?」
「その心配はありますまい……と、言いたいところですが、安心はできませんな。こちらの作戦が見破られている可能性は捨てきれませぬ」
トリスは難しい顔を作ってから再び口を開いた。
「それに今回はバオム小国に何も通達しておらぬので、余計な刺激を与えずに速やかにグリンダ辺境伯領に向かわなければ」
「……そうね。中隊規模だからすぐバレそうな気もするけど」
「気づかれても帝国に対して何もできませぬ。内心で悪態はつくでしょうが」
「弱みにつけこむようで、罪悪感がでてくるわね」
「グリンダ辺境伯領で事が落ち着いたら、謝罪の文を送れば問題ありますまい」
「どちらにしても失礼な話になるわね」
二人の会話に耳を傾けながら、比呂はゆるやかな坂道を上がっていく。
険しい道のりと聞いていたが、実にピクニックにぴったりな山だった。
道中には様々な花が咲いていて、可愛らしい小動物を時々見かけたりする。
「ヒロは、すごく楽しそうね」
「うん。険しいって聞いてたからね。覚悟してたんだけど……いい山だね。昼寝をするのにぴったりだと思うな」
「ふふっ、それには同感ね。このヒンメル山はグラオザーム山脈の中でも楽に登山できるの。でも、モンスターが沢山棲みついてて、行商も通らないほど物騒な山なのよね。まだ、この辺りは大丈夫だけど」
「も、もんすたー?」
「そう。山頂に近づけば近づくほど凶暴なのがいるわよ。今回はそこを超えて向こう側にいかないといけないから、険しい道のりでしょ?」
ゲームでしか聞かない単語を、この美少女から聞くと怖く感じる。
なまじ顔が整ってるせいで妙な迫力があった。
「安心して、あたしが守ってあげるから、あなたは後ろでドンと胸を張ってるといいわ」
『わんっ』
サーベラスが吠える。
守ってやるぜと、凜々しい横顔が語っていた。
小休止を挟みながら頂上を目指すこと4時間。
太陽が完全に昇っていて、辺りはすっかり明るくなっていた。
顔を上げれば山頂が目視できるほどの距離。
しかし――そいつは現れた。
大きな顔についた二つの充血した瞳が、比呂たちを品定めするようにギョロッと動く。
裂けた口から覗いているのは、所々抜け落ちた黄色い歯だ。
首なんて比呂の腰よりも太く、ぼっこりと前にでた腹は風船のように膨らんでいる。
醜い人型のモンスターだった。
「オグルよ。元々は人間だったみたいだけど、精霊の呪いで醜い姿に変えられたと伝えられているわ。人里から追い出されて、こうした山に棲みついて旅人を襲っては、人肉を貪る怪物よ」
リズが冷静に説明してくれる。
「それにね、力は強いけど知能が低いから、それほど倒すのに苦労しないわね」
と、リズが言った時、サーベラスが走っていた。
『グルァァァァ!』
鋭い牙が、オグルの首を一閃、トッ――軽い音でサーベラスが地面に着地した。
ブシュッと不気味な音と共に、オグルの首から上がなくなり、血が噴き出す。
グロい……、比呂が目を背ける。
しかし、その先にも目を覆いたくなる光景が広がった。
オグルの頭がゴロゴロ坂道を転がっていたからだ。
その様子を見届けたリズの横顔には、花が咲いたような笑顔があった。
「ほらね!」
「……うん」
「さすがサーベラス殿。目にも見えない牙捌き! 素晴らしいものを見させて頂きましたぞ」
『わんっ』
褒め称えるトリスに、サーベラスは尻尾をふりながら応えた。
「あれより強いのが、もっといるわよ」
楽しげな顔で言うリズに、比呂はどんな顔をすればいいのかわからなかった。