第3話:旅の始まり
頭の片隅で認めてはいたものの、それでも心のどこかで夢だという望みを捨ててなかった。
「これからどうしたらいいんだろう……」
比呂は足下に視線を落として頭を抱える。
頬の痛みで異世界だと断言してしまう自分が浅ましいとも思うが……。
それよりも元の世界に帰ることができるのか、この状況から抜け出せるのか。
これからどうすればいいのか、不安が次々と押し寄せてくる。
そんな比呂の肩を叩いたのは、対面に座っていた少女だ。
「そんなに落ち込まないの。大丈夫よ。不敬罪にはならないから」
「いや、そういうことで落ち込んでるんじゃないんだけど……って、不敬罪?」
比呂の弱々しく発した声を聞き取れなかったようで、彼女はその場で片手を胸にあてて優雅な笑みを浮かべた。
「まずは自己紹介しておくわね。あたしは、セリア・エストレヤ・エリザベス・フォン・グランツ。グランツ大帝国の第6皇女。15になったばかりよ。リズって皆は呼んでいるわ。ヒロもそう呼んでいいからね」
「…………」
皇女を愛称で呼んだりしたら、確実に不敬罪じゃなかろうか。
そもそも、この言葉遣いもやめたほうがいいかもしれない。
この若さで首を撥ねられるなんてご免だ。
「どうしたの?」
「リズって呼んだら不敬罪になったりします?」
「大丈夫よ。あたしがいいって言ったんだから。ほら、ディウスだってあんな言動だけど不敬罪にならないし」
「ああ、言われてみればそうか……じゃあ、リズって呼ばせてもらうよ」
出会ったときから友好的だったから、親しみやすい皇女なのかもしれない。
「うん、素直でよろしい。でも、さすがにディオスでも愛称で呼ばないけどね」
「うおおおおおおおお、はめられた!? やっぱり不敬罪!?」
「あはははは、心配しなくても大丈夫よ。でも、人前で愛称は呼ばないほうがいいかな。ディオスはともかく、砦の人たちが知ったら怒るかもしれないから」
――年下に弄ばれるってどうなんだ?
楽しげに腹を抱えて笑ってるけど、生死が関わる遊びはやめてほしい。
でも、彼女はどうして愛称を呼ばせてくれたり、色々と優しくしてくれるのだろうか。
「少し聞きたいことがあるんだけど……」
「なあに?」
「どうして僕にそこまで優しくしてくれるのかな?」
「だって、生きてたじゃない」
「はい?」
言葉の意味がわからず。首を傾げてしまう。
「サーベラスが噛みついてなかったし、それに精霊も騒いでなかったから」
「えーと……サーベラスが噛みついてたり、精霊が騒いだらどうなるの?」
「それは死んでるわよ。さっきの……アンファング森林って言うんだけど、あそこには精霊が多く棲みついてるの。初代皇帝陛下が棲まわせる代わりに守護するよう契約したんだけど、1000年以上経った今でも律儀に護り続けてくれているわ。だから、皇族以外は入ることが許されないし、生きて出ることはできない」
「そんな危険なところにいたのか……」
物騒な話を聞かされて比呂は背筋が寒くなるのを感じた。
恐怖で顔を歪ませる比呂の顔がよほどおかしかったのか、リズは笑いを堪えながら言った。
「だから、あたしはあなたを助けた。納得してくれた?」
「うん。とても危険な状態だったんだなってことはわかった。でも、どうして僕は生きてるんだろう? 皇族でもなんでもないよ?」
「でしょ、不思議なのよね。だから、ディオスはあなたが精霊の類ではないかと疑ったの」
「ああ、それで……あんな反応をしたんだね」
「そういうこと。じゃあ、納得してもらえたところで、あなたの話を聞かせてくれる? どうしてあそこにいたの? それとも本当に精霊なの?」
「それがわかったら、こんなに苦労してないよ……」
「記憶喪失?」
「そういうのとは違うよ。僕はただの平民で、16歳の高校生」
「こうこうせいってなに?」
「……うん? 学校に通う生徒のことだけど」
「ああ……訓練学校の生徒のこと?」
言葉こそ日本語のようだが、単語が通用しないことも……ふと、比呂は気づいた。
「あれ……僕が喋ってるの日本語じゃない?」
「にほん語? そんな言語あったかしら……ん~」
リズが首を傾げて唸る。
「えーと……僕が今喋ってる言語は……」
「グランツ語だけど?」
「……どういうことなんだ?」
「え、なにが?」
「いや、なんで僕がグランツ語を喋れているのかなって」
「あたしに言われてもわからないわよ。そんなことより、こうこうせいってなに!?」
彼女にしたらグランツ語を喋るのが当たり前のことだ。
異世界に来ることに比べれば、些細なことなのかもしれない
とりあえず、今はそのことを置いといて、比呂は彼女の質問に答えることにした。
考え出すと混乱してしまいそう、という理由もあった。
「さっき、キミが言ったように訓練学校の生徒みたいなものだよ」
「へえ……精霊界じゃこうこうせいって言うのね」
「いや、精霊じゃないよ。君と同じ人間だ」
「さっきも言ったけど顔立ちが幼いし、成人にしたら声が高いような感じがするもの」
「僕の世界じゃ、16歳は未成年なんだけどね……。それより、君が言う精霊も僕みたいな感じなの?」
「全然違うわよ。精霊に姿や声なんてものはないから、でも、初代皇帝陛下は意思疎通ができてたみたいね」
「じゃあ、なんで僕が精霊だと?」
リズは首を傾げると細い顎に人差し指をあてる。
「うーん……なんとなく? それに精霊だってほうが色々と辻褄があっちゃうから」
本当にどんな仕草でも華になる少女だ。
他にも色々と聞きたいことがあったが、それは叶わなかった。
リズが窓の向こう側に視線を投げかけたからだ。
「そろそろ、砦に到着するわね。バタバタしてるけど、ちゃんと客人としてもてなすから、ゆっくりしていってね」
比呂も同じように窓に視線を向ける。
真っ赤に燃える夕陽が地平線の向こう側に沈んでいこうとしていた。
※※※※※ ※※※※※
中央大陸の覇者、グランツ大帝国。
その大帝都クラディウスの東側から徒歩で2日の距離に、タオエン砦はあった。
タオエン砦は初代皇帝にとって最も重要な砦と歴史に記されている。
ここから滅亡寸前だった国が快進撃を始めたからだ。
そんな歴史的な重要拠点の司令官を任されているのは、今年15の成人を迎えたばかりの少女だった。
名は、セリア・エストレヤ・エリザベス・フォン・グランツ。
グランツ大帝国の第6皇女だ。
彼女は現在、砦の作戦司令室で側近たちと会合を開いていた。
ディオス・フォン・ミハエル騎士団長。
トリス・フォン・ターミエ歩兵団長。
そこに皇女の三名である。
「荷物は全部馬車に積み込んだ。あとはベルク要塞に向けていつ出立するかだが……」
「襲撃の可能性が捨てきれませぬ」
ディオスの言葉を引き継いで、発言したのはトリス歩兵団長だ。
「今回の姫様の左遷は、帝国中に知れ渡っております。不埒な事を考える者が現れないとも限りませぬ」
「さすがに騎兵100、歩兵200じゃ心許ないと思うぜ」
「仕方ないでしょ。タオエン砦のほとんどの兵士が第一皇軍だもの。連れていくわけにはいかないわ。それにベルク要塞に行けば……ううん、グリンダ辺境伯領に入れば安全だわ」
グランツ大帝国の南にはリヒタイン公国がある。
その国境線の要であるグリンダ辺境伯領のベルク要塞は、ルゼン・キオルク・フォン・グリンダ辺境伯が取り仕切っていた。
リズの母の兄であり、伯父になる人物だ。
しかし、リヒタイン公国はグランツ大帝国の強い影響下にあるため、ここ数十年は戦闘など一切起きていない平和な地域でもある。
そこの1要塞に左遷させられるということは出世の道を絶たれたということだ。
「……無事にたどり着けることを祈るしかないな」
「儂らが姫様を守ればいい話ではないか」
いつも楽観的なトリスに、ディオスは眉に皺を寄せて睨みつける。
文句を言ってやろうと思案していたが、怒りを吐き出すように嘆息して話題を変えた。
「しかし、なんだってお嬢を、皇族の方々は怖がるのかね」
「それはあれじゃろ……精霊剣5帝の一つを授かったからではないかな」
「そんなものがどうしたってんだ。ただの剣じゃねえか」
「あら、お父様に聞かれたら不敬罪で死刑にされるわよ。もしくは精霊王の呪いにかかるかも」
「ふ、ふん、精霊が怖くて戦争ができるか」
強気な態度で言ったが、ディオスの顔は恐怖でひきつっていた。
その姿をみてトリスは豪快に笑った。
「がっははははは、ちゃんと謝っておくんじゃぞ、寝る前にな」
精霊剣5帝。
初代皇帝が精霊王から力を授かり、精製した5振りの宝剣のことである。
精霊剣には、その名の通り精霊の意志が宿っていると言われている。
主と認めない限りは姿を現すことはなく、無理に発現しようとすれば呪いがふりかかる。
しかし、認められれば絶大な力を授けられる。
精霊剣・炎帝は剣で、炎の精霊が宿っている。
精霊剣・氷帝は槍で、氷の精霊が宿っている。
精霊剣・雷帝は斧で、雷の精霊が宿っている。
精霊剣・風帝は弓で、風の精霊が宿っている。
残り一つの精霊剣は長い歴史の中で失われ、どういった武器だったのか資料すら残っておらず、伝承では第二代皇帝が好んだと記されている。
この中で初代皇帝が最も愛用したのが、炎帝である。
しかし、それ以降の皇帝が選定されることはなかった。
だが、1000年という遠く長い年月が流れ、精霊剣・炎帝の持ち主がついに現れた。
セリア・エストレヤ・エリザベス・フォン・グランツ第6皇女だ。
炎帝を所持した皇女を他国に嫁にやるわけもいかず、父である皇帝が第6皇女に少将の地位を与え、第一皇軍が管轄していたタオエン砦の司令官に任命した。
しかし、これを黙って見過ごす訳にはいかない者達がいた。
――皇位継承者たちだ。
炎帝に選ばれた第6皇女の求心力が日に高まると同時に、初代皇帝の再来だと民衆からも支持され始めたのだ。
帝都近くに置いておくのが危険と判断した、第一皇軍司令官、ライン・ハート・シュトベル・フォン・グランツ第1皇子は、第6皇女を辺境に左遷することにした。
本来ならここで他の皇位継承者が軍部を私的に利用したと、批判をあびせるのだが、今回に限ってはそういうこともなかった。
なぜなら、他の皇位継承者も第一皇子と同じ気持ちだったからだ。
むしろ、協力してリズを持ち上げていた貴族たちに圧力をかけていった。
後ろ盾を失ったリズの行き着いた先は辺境要塞の司令官だった。
その道中で亡き者にしようと、シュトベル派が軍隊を派遣してこないとも限らない。
他の皇位後継者が軍を派遣する可能性だってある。
それらの危険をくぐり抜け、ベルク要塞に辿りつかないといけないのだ。