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第27話:英雄の帰還

 リヒタイン公国軍が去った戦場は、妙な静けさに包まれていた。

 辺りは凄惨な状況だ、大地を埋め尽くすほどの、おびただしい死体が転がっている。

 地獄の様相を呈している身の毛もよだつ場所、勝者である帝国側の人間は、ある場所に目を奪われ、その光景に息をのんでいた。

 吐き気をおぼえるほどの死臭が、鼻にまとわりつくのも気にならないほど、その光景に見惚れている。

 突如、戦場に現れた人間の5倍はあろう怪物。肌は薄青色で不気味なものだ。

 その周りを小さな闇が踊り狂っていた。

 

 アレーティアで〝化け物モンスター〟は珍しくはない。

 強さは様々なれど、大型モンスターとなれば集団での討伐対象だ。

 もし、一人で挑む者がいたとするなら、人々はきっと無謀だと嘲笑するに違いない。様々な訓練を受けてきた軍人なら尚更だろう。

 しかし、誰も笑う者なんていない、怪物に果敢に立ち向かう少年を馬鹿にする者はいない。

 

 攻防を繰り広げる一人の少年。


 ――ヘルト・レイ・シュバルツ・フォン・グランツ。


 1000年前のアレーティアで〝軍神マルス〟と讃えられた〝英雄ヘルト〟である。

 いまでは〝神話〟となった〝伝説の英雄〟。

 周辺諸国を征服した後、元の世界に帰還したが、再び〝異世界〟に戻ってきた。

 神話から飛び出した少年の手には白銀の剣が握られている。

 それは伝承にも記されていない、失われた剣だ。


 精霊剣五帝――〝天帝〟。


 鍔も柄も純白で雪化粧が施されたかのように美しい。

 刀身は煌めく星が無数に散っているかのように輝いている。


 少年――比呂の鼻先を巨大な拳が通過していく。

 風圧で前髪が何本か空に舞う。比呂は身体を捻って〝天帝〟を無造作に振った。

 怪物の腕から血飛沫が舞い上がる。

 が、パックリと裂けた傷は瞬時に塞がった。


 もし、どれだけ斬りつけても死なない生物がいるとする。

 そのとき人はどういった行動をとるだろうか。

 大抵の者は逃げようとするに違いない。けれど、ごく稀に立ち向かう者もいるはずだ。

 比呂は後者の人間だといえよう。彼の頭には逃げるという選択はない。

 その顔に恐怖もなければ焦りもないが、苛立ちがあった。

 

(まだ遅い! まだ足りない!)


 渇望する。

 かつての姿にはほど遠い。

 怪物の息の根を止めるにはこれでは足りない。


「渦ッ!」


 苛立ちを込めて〝天帝〟を振るう。巨大な腕が宙に舞い上がる。

 それは人であれば致命傷になりえただろう。

 しかし、相手は曲がりなりにも精霊の〝どく〟を取り込んだ怪物である。


『GUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!』


 返り血で比呂の顔は赤く染まっていたが、怯むことなく加速した。


「くそッ!」

 

 元の世界に帰還してから3年のブランクがある。

 平和を謳歌していた比呂は確実に衰えたといってもいい。

 だからといって、それを言い訳にはしたくはなかった。

 なぜなら、それまで培った経験、大事な物は残ったままだ。


(無駄にしたくはない)


 身体の節々が悲鳴をあげる。歯を食いしばって比呂は耐えた。

 幾度もの戦闘を経て、少年の身体は限界を迎えていた。

 それでも比呂は斬り続ける。

 白銀の閃光が怪物に吸い込まれるように消えていく。

 そのたびに化け物の血が大地を染めあげ、痛みを含んだ咆哮が空間を震わせた。


(キミがいた。みんながいた。だから、僕は勝ち続けることができた)


 地面に膝をついて、大地に手を叩きつける。


(もう……みんないなくなってしまったけど)


 怪物の周囲に数え切れないほどの精霊武器が出現する。


『GUO!?』


 動揺する怪物を尻目に、〝天帝〟を怪物の頭上、空高く放り投げた。


 ――キミたちが残した〝歴史ほこり〟のためにも、僕は必ず勝利を掴もう。


 比呂は目を閉じて息を小さく吐く。

 隙だらけの少年に怪物が攻撃を繰り出してきた。

 当たれば即死の一撃必殺。それが少年の頭上から何度も振り下ろされる。

 しかし、おそろしいことに一発も当たることはなかった。

 比呂の瞼が開く、現れた瞳に深淵はない、純粋な光だけがある。


 雨粒が癒やしを与えるように返り血を流していく。

 空気に混じる粒子が祝福するように輝きを増していく。

 世界の息吹を視た少年は、口元に笑みを湛えた。


(アルティウス……この世界にキミはいないけれど)


 その背後、紅髪の少女が心配そうに少年を見守っている。


(でも、キミの意志は残っている。過去と未来は繋がっている)


 始まりは突然で、終わりは必然だ。 

 離れていても、二度と会えなくなるとしても、繋がっている。

 キミがいない世界。僕がいない世界。

 キミはどんな日々を送っているだろうか。

 楽しい日々を過ごしているだろうか。

 悲しい日々を過ごしているのだろうか。

 できれば笑顔が絶えない、充実した日々を過ごしていてもらいたい。

 キミも同じ事を考えているなら、


 ――僕はこう伝えよう。


(安心してほしい)


 怪物を見据える。


(心配しないでほしい)


 精霊の力が身体の隅々まで満たされていく。


(楽しくやっているよ)


 地を蹴った少年は――、


 ――世界の音を置き去りにした。


 怪物の周囲に浮いていた精霊武器が、一本、、三本、八本、一四本、おそろしい速度で消えていく。

 雨が降りしきる戦場に空気を切り裂く音が伝播する。


『UGOOOOoooooooooooooooo!!』


 神速の斬撃が怪物を襲う。肉が斬り取られていく。


『AOGAO――!?』


 白閃が怪物を包み込み、呻き声すらもかき消した。

 それでも、すさまじく激しい攻撃は止まらない。


 それは〝天帝〟を持つ者のみに許された特権。

 迷いがなくなった少年に、〝天帝〟の加護〝神速〟が本領を発揮する。


 ――不可視の斬撃。


 全ての精霊武器が消えたとき、空から降ってきたのは一本の美しい剣だった。

 比呂は大地を蹴って跳躍すると〝天帝〟の柄を握りしめる。


「ハァァアアアァアッッッッ!」


 怪物の頭を切り裂き、そのまま振り切ったとき、剣先が地面に突き刺さった。

 轟音が空間を震わせる。同時に地面を砕いて地響きを起こした。

 怪物の身体は爆発したかのように細切れになり、肉界が辺りに四散して泥に沈んでいく。

 その中央――荒々しく呼吸する少年は、頭上を仰いで酸素を取り込む。

 雨はあがった。気味悪くうごめく灰色の雲の隙間から、帰還を祝福するように太陽が比呂を暖かく照らした。


「ヒロ!」


 紅髪の少女――リズが少年に駆け寄って抱きついてくる。

 全力を出し切ってしまった比呂は、受け止めきれず尻餅をつく。

 なにかを言ってやりたいところだが、酸素が優先とばかりに口が思うように動かない。


「色々と言いたいことはあるけど……無事でよかった」


 比呂の顔を両手で挟んでグニグニ弄りながら、リズは安堵の溜息をもらした。

 相変わらず少年は何も言えないのでなされるがままだ。

 そんな比呂の元に、サーベラスがやってきて肩に頭をこすりつけてくる。

 比呂の視界の隅では、兵士に支えられたアウラがこちらを凝視していた。

 アルフレッドは未だ意識が戻らず、衛生兵から治療を受けている。

 トリスとグリンダ辺境伯が興奮冷めやらぬ顔で近づいてきた。


「す、すごいじゃないか。あんな化け物を一人で退治してしまうとは……」


 夢でも見たのかとグリンダ辺境伯は頬を自分で抓った。

 その隣、


「むぅ……小僧の正体はいったい」


 と、ブツブツ呟くのはトリスだ。

 それが皮切りになったかのように、背後から歓喜が爆発した。


『すげえ……あの攻撃……お前、見えたかよ!?』

『え、あ、ああ、もちろん見えたに決まってる』

『嘘つくなよ。あれが見えたら二等兵やってるわけないだろ』

『お、おい……あれ』

『なんだよ――ッ!?』


 ざわめく兵士たちの興奮はすぐさま収束する。

 地響きにも似た馬蹄の轟きが、空間を震わせ鼓膜を蹂躙する。

 距離が縮むたびに心臓が締めつけられる圧迫感。


『第四皇軍……!?』


 味方でなければ逃げ出したかもしれない。

 それほどの威圧感を放ちながら、視界を埋め尽くす大軍は乱れることなく停止した。

 大軍の先頭にいる二頭の馬が、比呂たちの元にやってくる。


     ※※※※※ ※※※※※


 ロイング将軍の目の前には第六皇女を含めた4人の男女がいる。

 どの眼も警戒をあらわにこちらを見ていた。

 わからなくもない、このタイミングで、なぜ現れたのかと詰問したいところだろう。

 どのような責めがこようと、のらりくらりと躱せばいいだけの話だ。

 颯爽と馬から降りて胸に手をあてる。ロイングは第六皇女の前で膝をついた。


「セリア・エストレヤ殿下、まことに遅れて申し訳ない。先ほどまで降っていた雨のせいで行軍速度が落ちてしまい、間に合わなかったようです」


 顔をあげると第六皇女に抱きつかれている少年を見る。

 いくら出来損ないとはいえ〝魔人〟を倒すとは……。

 もし倒せる者がいたとしても〝炎帝〟を所持する第四皇女ぐらいなものだろうと思っていた。

 だが、それは集団戦に限った話。

 それなのによもや単騎で滅する者がいるとは……。

 しかも、第六皇女と年がそう変わらぬ少年がだ。


(これは……面白い)


 少年の戦いは大将軍の本能に火をつけるものだった。

 試してみたいと思ってしまう。どれほどの強者なのか、この手で確かめてみたい。

 しかし、ロイングは血が滲むほど手を握りしめて耐えた。

 弱った相手を倒したところで面白くもなんともない。

 今の少年なら片手間に始末することができてしまう。


(楽しみはとっておこう。今回はそれが目的ではないしな)


 そして気づいた。隣から放たれる殺気に。


「……危ういな」


 低い声で呟いたのはシュトベル第一皇子だ。

 馬に跨がる姿は覇王の如く圧倒的な存在感を放っている。

 金の髪は逆立っており王冠のようにも見える。

 鋭い眼光は殺気を隠すことなく少年を射貫いていた。


(まずい……)


 ロイングは頬を引きつらせる。


「…………邪魔になるかもしれんな」

「お待ち下され。いまこの状況で――」


 シュトベルの手から雷撃が迸った。

 それを眼で追いかけることは叶わず。

 気づいた時には少年が身体を宙に投げ出していた。

 誰もが呆然と紙くずのように舞い上がる少年を見ていた。


「ヒロ……ッ!!」


 最初に声をあげたのはリズだ。

 叩きつけられるように落ちてきた少年に駆け寄った。

 馬から飛び降りて、大股で近づいていくシュトベル。その手には大きな戦斧がある〝雷帝〟と呼ばれる精霊剣五帝の一振りだ。

 

「エリザベス。そこをどけ」

「ふざけないでっ! なんでこんなことをしたの!?」


 リズの怒りに呼応するように〝炎帝〟の刃から炎が巻き上がる。

 好敵手に反応した〝雷帝〟から電撃が荒れ狂う。


「……まさか私に剣を向けるとは、勝てるとでも思っているわけではなかろうな?」

「勝てなくてもいいわ。ヒロに手出しはさせはしないッ!」


 一触即発とはこのこと、いつ殺し合いが始まってもおかしくはない。

 否――一方的にリズが嬲り殺されるだけだろう。

 それほどまでに両者の実力には差がある。


「可愛い妹にまとわりつく害虫を駆除しようとしているだけではないか」

「ヒロが害虫ですって?」


 ロイングはまずいと思いながらも、止める手立てを思いつけない。

 この場でリズを殺してしまえば、皇帝に隠し通すことは不可能だ。

 目撃者が多すぎる。

 ここで〝炎帝〟所持者を殺してしまえば、確実に玉座が遠のいてしまう。

 わかっているはずだ。わかっているはずなのに。


(そこまで脅威に感じたということかッ!)


 煩わしそうにシュトベルが口を開いた。


「そこまで、その男が大事か……。それとも必死に守らなければいけない理由でもあるのか?」

「ええ、あるわよ。彼を殺せばお父様は、あなたを許しはしないでしょうね」

「なんだと?」


 それは苦渋の決断だったのかもしれない。

 横たわる少年を一瞥したあと、リズの顔は深い悲しみに彩られていた。


「彼は――第二代皇帝の末裔よ」


 ――賽は投げられた。


 ――世界は少年を中心に動き始める。

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