第25話:神速
少し前に時間は遡り――。
強風が吹き荒れて、肌を叩くのは大粒の雨だ。
ベルク要塞、中央塔の頂上。
そこにいる数十人の男女が言葉を発せずにいた。
重い空気が四方から圧力を加えてくるような、そんな息苦しさに襲われている。
比呂の隣で戦場を眺める紅髪の少女は、形のよい眉を心配そうに寄せた。
「ヒロ、これってマズイんじゃないの……?」
「いや、まだ勢いはこちらにある……」
敵方の方陣は乱れており、あとは敵将を討ち取れば完全に瓦解する。
アウラ率いる〝皇黒騎士団〟は、突然の雨に動きを鈍らせているとはいえ、勢いを失ったわけではない。
(敵は残り8000ほどか……)
今の状況は追い打ちをかける好機でもある。
こちらは1000しかいないが、敵は完全に〝皇黒騎士団〟に目を奪われている。
豪雨に紛れることで、敵兵がこちらに気づくのを遅らせることができるはずだ。
もし悟られたとしても、あれだけ乱れていれば指揮系統は混乱しているはず。
――打って出るべきだ。
と、判断したところでリズを見たが、彼女の姿は隣になかった。
すでにキオルクに駆け寄っていたからだ。
必死になにかを喋っているところを見ると、比呂と同じ気持ちなのかもしれない。
キオルクが頷いて兵士に指示を飛ばしたのを見て、比呂は再び戦場に目を向けた。
「討ち取ったか!」
戦場から伝わってくる勝利の気配を〝天精眼〟が捉える。
だが、大きな壁に当たったかのように二つに割れた黒い龍は、敵本陣で円を描き始めた。
「……どうして離脱しない?」
比呂は壁に手をついて、身を乗り上げると眼をこらす。
異変が起きたのはわかる。けれど、様々な情報が入り交じり、正確な情報を捉えることができない。
(いくしかないか)
迷っている時間はない。壁に登った比呂は瀬戸際まで辿り着く。
遙か眼下では兵士たちが慌ただしく動いているのが見える。
楽に死ぬことができる高さだ。
「ふぅ……」
一呼吸してから比呂は決意を固める。
何もない空間に足を踏み出して、
――落ちた。
「ヒロ!?」
塔の頂上から落ちていく少年を見て、リズが驚いた声をあげる。
それはすぐさま雨音によってかき消され、比呂が気づくことはなかった。
(……いちいち階段で降りていたら間に合わない)
重力に引っ張られて地上に落ちていく。
臓物が上に押し上げられるような感覚に襲われる。
比呂は、途中で〝 天帝〟を喚んだ。
足下に柄頭が現れると同時に、それを足場にして跳躍する。
再び足下に喚びだしては跳ねるように空を駆けていく。
地上を見下ろしたら兵士たちが、次々と門から飛び出して戦場に向かっているのを確認できる。
今頃はリズたちも階段を使って地上に向かっていることだろう。
比呂は一足先に門を飛び越えたところで地面に着地した。
門をでた味方の兵士たちから、どよめきが起きる。
誰もが目を疑っているようだ。空から人が降ってきたら、夢か、幻かと驚くのも無理もない。
白銀の剣を片手に比呂は地を蹴り上げた。
まるで晴れた草原を駆けるように、泥に足をとられることもなく容易く走り抜ける。
敵で埋め尽くされた戦場に辿り着いて、視線を巡らせて隙間を探す。
それは〝皇黒騎士団〟が全力でこじ開けた道だ。
大きな隙間を見つけた比呂は突撃する。
「疾ッ!」
進路を阻む敵の背中に白銀が襲いかかった。
血飛沫があがる前に、次の敵の命を刈り取って道を開く。
雑兵が気づくことはない。閃光が通り過ぎた時には敵兵の首は飛んでいる。
白く激しく輝く剣、それを認識する前に雑兵が息絶えていく。
『なんだ貴様ぁぁぁぁぁ!』
敵の部隊長がこちらに気づいて剣を振り下ろす。
「フッ!」
躱してから横薙ぎに斬りつけた。
敵部隊長の剣が中央から真っ二つに折れて刃が地面に落ちる。
ほぼ同時に物言わぬ部隊長は屍となって泥に埋もれた。周囲の敵が騒然となる。
先を急ぐ比呂はまたも駆け出し、敵の動揺を置いていく。
常人ではありえない速度、それは〝天帝〟にもたらされた加護のおかげだ。
隙間を縫うように駆け抜けていくことで、ようやくアウラの姿を眼で捉えることができた。
泥にまみれた少女を見て、比呂は静かな怒りを瞳に湛える。
比呂が心の内で願うと、応えるように眼前の空間がひび割れた。
亀裂から現出した一本の精霊剣は宝石で彩られている。
その柄を迷わず手にとって投擲。鋭い刃は敵将の手首を斬り落とす。
比呂は動揺する敵将との距離を一瞬で潰して肉薄する。
気づかれる前に〝 天帝 〟を横に一閃。
『ぐごッ――!?』
首を骨ごと断った感触が手に残っている。
確実に敵将に死をもたらしたはず。
「なのに……なんで生きてるんだ?」
立ち止まった比呂が、問いかけるように敵将に振り向く。
『誰だ……貴様?』
突然の乱入者だ。怪訝な表情を向けてくるのも無理もない。
比呂は無視して敵の首を見る。繋がっているのを確認した。
「……もう一度斬ればわかるかな」
比呂は〝天帝〟の剣先を敵将に向けた。
『名乗るつもりはないか。だが、オレは名乗っておいてやろう。自分を殺した者の名ぐらい知っておきたいだろうからな』
敵将が獰猛な肉食獣のような笑みを浮かべた。
『レイヒル・ルメール・リヒタイン。リヒタイン公国の次期公爵である!』
名乗りを上げたレイヒルが、精霊武器である槍を縦に振った。
比呂は〝 天帝 〟で受け止めると弾き返す。
派手な火花が両者の間に散ったのは少しの間のこと。
力負けして後退ったレイヒルは、首を傾げて疑問符を浮かべ、自身の手を一瞥してから比呂を見た。
『……なんだその剣は? 精霊武器か?』
「答える義務はない」
比呂は内心、驚いていた。
相手の膂力が想像以上のものだった。
押し勝ったものの、比呂は元の場所から二歩ほど後退していた。
『くくっ、ははは、いいぞ。何も言わなくて結構だ! 貴様を殺してから、じっくり調べるとしよう』
槍を頭上で振り回しながら、レイヒルは比呂に向かって近づいてきた。
比呂は地を蹴り上げる。レイヒルの胸元に飛び込んで〝 天帝〟を豪快に横薙ぎにした。
手がしびれるような感触が返ってくる。受け止められたのだ。
レイヒルの顔に浮かぶのは喜悦。
『確かに手強い。だが、速いだけだな』
にたりと唇の端を吊りあげると、レイヒルは力任せに槍を振るった。
それを〝天帝〟で押し返そうとした比呂の身体が軽々と浮く。
(さっきよりも力が増している!?)
この死合を見ている者がいたなら、少年は吹き飛ぶ、と、思うに違いない。
しかし、比呂は剣の刃を横に逸らして力を受け流すと、後方へ跳んで距離を開いた。
仕切り直そうと思ったのだが、視線を前方に向けると、レイヒルが眼前まで迫っていた。
『グララァァァァ!』
「くっ!?」
腰を屈めた数瞬後に、頭上を暴風が右から左へ通過していく。
攻撃を躱した比呂は〝天帝〟を突き出すが、レイヒルに刃を蹴られて剣先が天を向く。
腕をあげる形になった比呂に大きな隙が生まれる。
『小僧! 終わりだァ!』
雷の如く空気を軋ませる槍の柄は、比呂の頭を捉えていた。
けれども、空間を切り裂いて現れた2本の剣によって阻まれる。
『な、ンだとぉ!?』
2本の剣は1000年前に〝天帝〟を経由して〝精霊界〟に保存しておいた精霊武器だ。
役目を終えた精霊武器はこの世界から消えて、両者の間を阻む物はなくなった。
『なんだそれは!?』
何が起きたのか理解できず、レイヒルが困惑した表情を浮かべる。
「疾ッ!」
比呂は〝天帝〟の剣先を突きだしたが、レイヒルの脇腹を浅く斬るだけの結果に終わった。
(反応速度も上がってる)
少し前のレイヒルだったら躱せなかった……なにかがズレている感覚。
(それにこの異常な回復はなんだ……)
斬り落とした手首は再生しており、先ほどの脇腹の傷も一瞬で塞がっている。
(精霊武器にこんな加護はないはず)
この時代の精霊武器が進化している可能性も考えられるが、少なくとも比呂の記憶に、このような加護を与える精霊武器は存在しない。
(もしかして……)
ある事を思い出した比呂だったが、レイヒルが思考の邪魔をする。
『不思議に思うか? 確実に殺したと思ったか? 馬鹿ガ!』
槍を肩に置いたレイヒルは比呂が持つ〝天帝〟を指さした。
『その剣が何かはわからぬ。だが〝精霊武器〟または〝五大宝剣〟の類いなのは確かダ。何にせよ、それらの加護は身体能力を凄まじいほど引き上ゲル。だがな、あとは個人の力量によって強サガ変ワル。だから――』
一度、言葉を切ってからレイヒルは続ける。
『雑兵を斬って粋ガルナヨ、小僧! オレのような強者が現れた時、小僧のような弱者は露見する! 貴様の元の力量が低ければ、〝ソレ〟は〝宝の持ち腐れ〟ダ!』
言い終えたレイヒルの身体が変貌していく、背中が膨らんで腕は更に太くなる。
比呂はようやく敵将の強さの〝原因〟がわかって静かに呟いた。
「そういうことか……」
『ア?』
比呂は〝天帝〟を敵将の肩に叩きつけて斬り落とした。
『フハハッ、キカヌワ!』
痛みを感じていないのか、レイヒルは愉悦に歪んだ顔で、槍を振り下ろしてきた。
白銀の刃で受け止めた比呂は、競り合う形になってレイヒルを睨みつける。
「あなたがさっき言ったことは正しいよ。けどね、今のあなたの力は――」
『ウラァァァァァ!』
「あがっ!?」
レイヒルの蹴りが鳩尾にめりこみ、比呂の身体が吹き飛んだ。
全身が引きちぎられそうな激痛に襲われて、息もできずに地面を転がっていく。
乱戦となった戦場、そこで暴れている敵兵に衝突することで、ようやく比呂は止まった。
ゆっくりと起き上がった比呂の顔は先ほどまでの無機質な表情ではなく、年相応の少年らしい人間味溢れる表情が浮かんでいた。
「…………あなたが〝魔〟を取り込んだ理由を知りたいとは思わない」
比呂の存在に気づいた敵兵の槍の穂先が、威嚇するように周囲にいくつも浮かんだ。
それを他人事のように見回してから比呂は言った。
「でもね、力の使い方を知れば、そんなものに頼らなくても良かったんだ」
比呂が左手を横に振ると同時に、自分を取り囲む〝全て〟の敵兵の胸元に剣が突き刺さる。
どの敵兵の顔にも疑問が浮かんでいたが、訳を知ることもなく血塊を吐き出してバタバタと死に絶えていった。




