第24話:混沌
混迷を極めた戦場がある。
まだ午前中だと言うのに高く昇る太陽は、雲に覆われて見えない。
その眼下では、方陣を組んだ軍が何倍にも劣る黒い騎馬群に押されていた。
大地を叩く馬蹄の音が敵の悲鳴を踏みつけていく。一本の黒い線は敵本陣まで迫りつつある。
しかし、曇天模様の空から小さな粒が降り注ぐことで、次第に速度は下がっていった。
それほど時間が経たないうちに、大粒となった雨は勢いを増していく。
それが地面に浸透することで、完全に〝皇黒騎士団〟の勢いを潰すことになった。
茶髪の副官、アルフレッドが併走する上官に言った。
「アウラ様! 如何致します!?」
「敵将は目前、首をとった勢いで離脱。要塞まで逃げ切ります」
「それしかありませんか……」
「執着はしません。無理だと思ったら即離脱します」
「はっ!」
アウラは敵将の位置を探るため、敵本陣を見据える。
雨が邪魔をして視界は良好とはいえないが、彼女は勝利を手繰り寄せるために必死に目をこらす。
馬鎧が敵をはじき飛ばすのに目もくれず、ただ、ただ敵本陣に焦点を定めている。
慌てた様子でこちらを指さす兵士。
恐怖に顔を引きつらせる兵士。
獣のような表情を浮かべて待ち受ける兵士。
どれも目的の者ではない。すべてを視界からはずして――。
光明が差し込むように彼女の瞳はそれを捉えることに成功した。
「見つけました。シュッピッツ子爵、私についてきてください!」
珍しいことにアウラが声を張り上げた。
それだけではない、雄々しく精霊武器を掲げて馬の腹を蹴った。
アルフレッドは息をのんだまま唖然としていた。
しかし、すぐさま気を取り直すと全力でアウラの後を追いかける。
剣から槍に持ち替えて、
「皇黒騎士団! 我らの〝軍神〟に続けぇ!」
雷鳴のような心を揺さぶる声をあげた。
騎士たちは声をださず、気迫のこもった攻めで返事をした。
周囲の敵歩兵を屠殺しては、次の敵の血を空高く舞い上がらせ葬り去っていく。
アウラは背中から気合いが伝わってくるのを感じる。雨で冷えた手に熱がこもっていくのがわかった。
精霊武器の加護を一身に受けたアウラは、総大将を守る敵兵を斬り捨てていく。
蹄鉄に踏みつぶされないように敵兵が距離をとり始めた。
所詮は徴兵されただけの兵士だ。他国に奴隷を求めてやってくる野蛮人。
大義もなければ、大望もない。そんな者が大帝国の領土を踏み荒らすことは許さない。
「この勝利をシュバルツ陛下に捧げましょう」
アウラが眼前まで迫った敵総大将の顔には驚愕と絶望が浮かんでいた。
その首へアウラの精霊武器の刃が食い込んだ。不気味な感触が手に伝わると同時に、騎馬の勢いを利用して振り切る。
敵将の首が泥に絡まりながら地面を転がっていく。
でかいだけの図体が倒れる。見届けたアウラは精霊武器を天高く突き上げた。
「敵将、討ち取りました!」
背後の味方から歓声が沸き、周囲の敵から動揺が滲み出る。
高揚感を押さえつけて緩みそうになる顔を引き締める。
「シュピッツ卿! すぐに首の回収を!」
この戦は終わらせるには敵将を殺すだけでは意味がないのだ。
その死が隠匿されてしまえば、引き続き1万近い敵を相手にしなければいけなくなる。
急いで敵将の首を回収して戦場全体に伝えなければいけない。
「なっ――!?」
背後を振り向いたアウラの眼が驚愕で見開かれた。
首を失った敵将が泰然と立ち上がり、自分の首を拾い上げる姿が目に飛び込んできたからだ。
アウラの全身に怖気が奔る。首を失って動くなど、もはや人間ではない。
アウラの決断は早かった。すぐさま脳裏に浮いたのは離脱の二文字。
喉をひきつらせ小さな口から悲鳴のような声が飛び出した。
「シュピッツ子爵! 離脱しま――ッ!?」
最後まで叫ぶことはできなかった。
なぜなら首を繋げた敵将が、得物を手にアウラに飛びかかってきたからだ。
咄嗟に前にだした精霊武器は甲高い音をあげて弾き返され、少女の身体はふわりと宙に浮いた。
そして勢いよく泥にまみれながら地面を転がっていく。
馬は鉄の鎧ごと首を失い、切断された場所から血の飛沫をあげながら横向きに倒れた。
ピクリとも動かなくなったアウラを睨みつける男の視点は定まっておらず、空虚を見つめながら口を開いた。
『小娘が調子にのるなよ』
宝石で彩られた派手な槍を肩に乗せて、大股で少女に近づいていく。
「アウラ様!」
アルフレッドが駆けつけ馬上から槍を突き出したが、それは大男の脇に挟まれる。
「なっ!?」
そのまま持ち上げられたアルフレッドは地面に叩きつけられた。
同時に水しぶきが派手に飛び散ったが、どしゃぶりとなった雨の中では些細な変化だ。
「~~~~~~ッ!?」
息が出来ず苦しむアルフレッドに槍の柄が叩きつけられる。
何度も振り下ろされて口から多量の血を吐き出した。
殺されかけている副官を助けるため、重装騎馬が気合いをいれて突撃する。
「ウラァァァァ――ッ!?」
いともあっさり顔に槍が突き刺さり、絶え果てた兵が馬の背から転げ落ちた。
1人の勇敢な兵の死によって、アルフレッドは助かった。
しかし、意識がないのか仰向けで雨に打たれ、そのせいで血が顔全体に広がっている。
そこで、ようやくアウラがふらふらと立ち上がった。
右手に押さえられた左腕が垂れ下がり、袖口からは泥がしたたり落ちている
折れているのだ。苦痛に支配されている表情が何よりも証拠だろう。
「…………精霊武器?」
アウラが視点定まらない瞳で、大男が手にする槍を見た。
(だとしても……この男の変わりようは一体)
精霊武器に、首を撥ねられた人間の傷を癒やすような加護はない。
もしそのような奇跡があるとするならば、それは精霊が宿った精霊剣か――、
(もしくは五大宝剣ですが……あれはどう見ても精霊武器です)
思考している間にも敵兵がアウラを包囲しつつあった。
それを威嚇するように〝皇黒騎士団〟が円を描きながら牽制する。
けれど、長くは保たない。どんなに騎馬が驚異であろうとも雨の中では鈍足すぎる。
更に言えば数では圧倒的に不利なのだ。それに、一カ所に集まった敵ほど狩りやすいものはない。先ほどまであった優位は完全に失われていた。
敵将が両目を別個に動かして辺りに視線を巡らせる。
気味の悪い仕草に、アウラは吐き気を催すのを感じた。
『兵が見捨てないところを見ると小娘が〝軍神〟か』
敵将の紫色の唇が三日月形に割れて歯を覗かせた。
『ふぅむ……オレの好みではないのが残念だ。しかし、捕らえさせてもらおう。なにオレも鬼ではないからな。身代金をたんまりもらったら解放してやるとも』
敵将が精霊武器を振ると、刃が空間を切り裂き雨粒をはじき飛ばす。
「うごっ!?」
アウラを護るために敵将に立ち向かった兵士が屠られる。
『兵の慰み者になったあとでなァ!』
主を救出するために〝皇黒騎士団〟1個小隊が、こちらに向かってくる。
アウラに指一本触れさせしない、そう思わせる気迫と共に怒濤の勢いで敵将に襲いかかった。
「閣下! 少しばかりお待ち下さい! なんとしても我らが道を切り開きますゆえ!」
『ふははっ、健気なものだ。死にたい奴からかかってこい。精霊武器を手に入れたオレは強いぞ』
アウラは敵将の言葉に耳を疑った。
精霊武器は確かに多大な加護を与えるが、男が感じている力は決して精霊武器によってもたらされたものではないからだ。
そして、アウラの眼前では信じられない光景が広がっていく。
手首を斬り落とされ、胸元を貫かれ、足を失ったとしても、敵将は怯むことなく〝皇黒騎士団〟を殺害していく。
『おらぁ! 次だ! もっと来い! 誰にも負ける気がせぬわ!』
「退くな! 必ず閣下を救いだすのだ!」
アウラの部下は仲間が無残に屠られようとも、決して怯むことなく声を張り上げ戦い続けた。
『ぜあぁッ!』
「あがぁ!?」
最後の1人が胸を突かれて馬から振り落とされる。
『ふぅ――はぁ……はぁ……さすがに疲れたなァァ』
敵将は頭上を仰いで肩を大きく揺らして息を吸い始めた。
周辺には死体の山、〝皇黒騎士団〟一個小隊が、ことごとく死に伏したことを証明する。
敵将の全身にできた傷は、どれも致命傷に到っているが、見る見る内に傷が塞がっていった。
アウラは精霊武器を敵将に向けて疑問を口にした。
「……その得体の知れない力はどうしたのです?」
『精霊武器のことか?』
リヒタイン公国で精霊石が発見されたことはない。
辺り一面が砂漠ということが理由の一つにあげられる。
しかし、美しいオアシスもあり精霊が棲みつきそうな場所は沢山ある。
けれど、そこには人々が寄せ集まって暮らしている。
静かな場所を好む精霊にとっては苦痛以外の何物でもない。
そして、奴隷国家に流れる殺伐とした雰囲気が精霊に好まれるはずがない。
他国から買った可能性もあるが、リヒタイン公国にそれだけの予算はないはずだ。
なぜなら精霊石一つで平民が〝一生〟遊んで暮らせるだけの財を捨てなければいけない。
精霊が宿った〝精霊剣〟と違い、いずれは壊れてしまう消耗品でもある。
数合打ち合って折れる場合もある。鍛え方を誤ればその場でただの石となる。
精霊石の力は魅力的ではあるが、そんなものに国家予算を割くぐらいなら、兵士の装備を充実させたほうがいい。
故に強大なグランツ大帝国といえども、精霊武器を所持しているのは皇族、もしくはそれに連なる者だけなのだ。
「いえ、精霊武器の入手経路も気になりますが、それ以上に、あなたの〝その〟力が気になっているのです」
『意味のわからぬことをほざくな。そうやって時間を稼いだところでどうなる?』
「本当に自分の状態に気づいていないのですね……。いえ、気づいていても、それが異常なことだと思ってないというところですか」
『貴様とはまともな会話ができんな。これ以上は喋るな、殺したくなる。それに周りを見ろ、貴様の大事な兵士が捕まり始めたぞ!』
辺りは混沌と化していた。〝皇黒騎士団〟が馬から引きずり降ろされ始めていた。
すぐさま立ち上がり、奮闘を見せるものの多勢に無勢。
周りを囲まれて1人、また1人と数を減らしていく。
倒れる重装騎兵の傷から溢れる血、それは泥に混じって変色していく。
『もうすぐ快感に喘ぐ時間がやってくるぞ。それまでは遊んでやろう!』
ゴウッ――と敵将は槍を払うように振った。
アウラは精霊武器で受け止めたが、小さな身体は軽々と吹き飛んだ。
肩から地面に落ちる。と、敵将の蹴りが横腹に突き刺さる。
呻く前に口が泥にふさがれ、一回、二回、三回と地面を転がり続ける。
ようやく止まったときには、彼女から生気が失われかけていた。
「あ、ぐっ……」
部下が戦っているのだ、指揮官が簡単に諦めるわけにはいかない。
それが彼女を奮起させる。
しかし、地面に手をついて起き上がろうにも、すぐさま肘から力が抜けてしまう。
水たまりに顔を浸したアウラは、瞳から流れでるものに気づいた。
泣いているのか。と、思ったが、降り注ぐ容赦ない雨のせいでわからない。
敵将が近づいてくる。アウラの髪をぞんざいに掴むと顔をあげさせた。
『なんだ意識が飛びそうなのか? そのほうが幸せかもしれんがな。これから数え切れない男の相手をするのだから』
「………………」
『心配することはない、丁重に扱うとも、身代金をもらうためにな。だから、死なない程度に相手をさせてやる』
「………………」
アウラは何も言わない。ただ鉛色の瞳を向けるだけだ。
敵将が手を離すとアウラの頭は泥に叩きつけられた。
それから興味を失ったように視線をはずして、近くに落ちているアウラの精霊武器を手にとった。
『〝軍神〟を捕らえ、精霊武器が2本も手に入った。愚弟が1本無駄にしたが、それでも十分釣りがくる』
彼は気づかなかった。否――気づけるはずがない。
『あの方に感謝せねばならんな』
喜びを表すかのように敵将は腕を広げる。
同時に、手首ごとアウラの精霊武器が地面に落ちた。
『んん? なんだ?』
手首を失った箇所から、大量の血液が噴き出す。しかし、彼が気に留めることはなく。
眼前に現れた1本の精霊武器に目を奪われていた。
『…………これは愚弟に渡した……精霊武器?』
呆然と眺めている敵将の背後で異変が起きている。
大軍で埋め尽くされた戦場を蛇行する白い光があった。
何の障害もない空を駆けるかのように、〝ソレ〟は敵将まで迫っている。
『ナゼここに?』
疾風迅雷の名に相応しい。それ以外の言葉は見つからない。
暗く淀んだ絶望を切り裂く白刃の輝き――、
――〝白雷〟が地上を迸った。