第20話:嘘
辺境都市リンクス、砂漠と草原が共存する不思議な街。
南区は砂漠地帯にある。
普段は街道が露天商で賑わうのだが、戦火の兆しを見せたことで誰も店をだしておらず、ここに住む下級市民も家に閉じこもってしまっている。
かろうじて宿屋、また酒場に人がちらほらいる程度だ。
北区の草原地帯には貴族御用達の駅馬車が置かれている、そこには戦争に巻き込まれないよう荷物を纏めた貴族たちで、ごった返しており殺伐とした雰囲気を漂わせている。
そこから街道沿いに進めばグリンダ辺境伯が住む館を見つけることができる。
館を囲むのは高塀で、その中央にある鉄門をくぐり抜けることで、手入れが行き届いた街路樹が訪問者を迎えてくれる。
その間を通って少し歩けば美しい館が目に飛び込んでくる。
白を基調とした壁、八角塔屋の四方に勾配を持った屋根。
台地に築かれた木造2階建ての館は街を見下ろすように建っていた。
その2階の一室、街の歴史、帝国の歴史が詰められた部屋がある。
四角い形をした部屋の四方には本棚が置いてあり、古いものから、最新の蔵書が並べられ、そこに入らない本は床に置かれている。
その図書室とも呼ばれる場所の中央、無骨で無駄な装飾がない長机が部屋の主のような存在感を放っている。
その下にはサーベラスの姿があり、今は威厳に満ちた白狼ではなく、雨水に濡れた子犬のように身体を震わせて隠れていた。
机の上は山積みになった本が占領していて、机の傍には腰を床に下ろして読書をする男がひとり。
情けないとも、柔和とも言える顔立ちをした黒髪黒眼を持つ少年だった。
「ふぅ……これは恥ずかしい」
比呂は読んでいた本を机に置いてから眉間をほぐすように指でつまんだ。
まるで中二の時に書いた黒歴史を見せられている気分だ。
どの本にも初代皇帝が書かれており、彼がいれば勿論、シュバルツと名乗っていた自分のことも記されている。
比呂にとっては3年前、この世界にとっては1000年前。
自分が神格化までされていたりして、考えただけで頭が痛くなってくる。
「でも、変だな……」
3年前、14歳のときにアレーティアから元の世界〝地球〟に帰還したはずだ。
だが、どの伝承にも記されているのは、比呂が第二皇帝として天寿を全うしていること。
(一体このシュバルツは何者なんだろうね)
比呂の思考はある可能性に至ったが、すぐさま自重するように頭を振った。
――1000年も前の話だ。いまさら何を言っても変わることはない。
気分を変えようと窓の向こう側に視線を投げる。
西空から広がる夕焼け雲が悪戯をするように、ぽつんと浮かぶ太陽を背にしていた。
その窓から差し込む明かりを頼りに、べつの本を手にとって、制服の内側ポケットから一枚のカードを取り出す。
元の世界に戻る前に、初代皇帝アルティウスから渡されたものだ。
「……精霊札にも似てるけど」
開いた本の中には似たような札の絵が羅列されているが、このような無地はなく分厚くもない。
いったいこれは何なのか、どうやって使えばいいのかわからない。
「〝 天 帝〟みたいにはいかないし……」
精霊王の加護、それは人の叡智の枠外に存在する〝外側〟の力だ。
比呂が何もない空間を見やると、パキッ――と音がして裂け目ができる。
そこからゆっくりと這い出るように、飛び出してきたのは白い柄。
腰に視線を下ろせば〝 天 帝 〟の柄が綺麗に切断されたように消えていた。
空間に浮く柄を握りしめて引き抜くと、〝 天 帝 〟は腰から消えて比呂の手に出現した。
――キミは〝 天 帝 〟の寵愛を受けたんだ。
と、アルティウスに見せた時の言葉を思い出した。
(……精霊剣には意志がある)
願うことでアレーティアと精霊界を繋ぐ〝門〟を通って〝 天 帝 〟は具現化する。
比呂が手を離すと、地面に落ちる寸前に空気に溶け込むように消えていった。
部屋に沈黙が落ちることで、水紋のように静寂が広がっていく。
ひっそりと闇が忍び寄ってきた部屋の外。
ドタドタと派手な音を奏でながら、五月蠅い足音が近づいてくる。
少ししてから乱暴に扉が開けられ、紅髪の少女が怒った様子で入ってきた。
「サーベラス! ここにいるの!?」
「ぶふっ!」
そちらを向いた比呂は、唾が飛ぶほどの驚愕に襲われた。
サーベラスは尖った耳をへにゃらせて比呂の背中に隠れる。
「こら! こっちにきなさい!」
リズが近づいてきてサーベラスに手を伸ばしたが、狼は威嚇するように唸るだけだ。
その瞳を見れば宿敵に出会ったように燃えている。
一歩も動かないという意志を確固たるものにしていた。
「もう! どうしてそんなに風呂嫌いなの!」
「あー……リズさん、忙しいところ悪いんですけど、ちょっといいですか?」
「なによ!?」
「えっとさ……ふ、服をなんで着てないの?」
「ちゃんと隠してるじゃない」
「いや、あのさ……まずいでしょうそれは」
確かに大事なところだけタオルで隠れていた。
判断は極めて難しいものであったが、比呂は下を見ないように半眼になって、彼女の顔だけに集中する。
それはそれで目の毒なのだが、今回ばかりは仕方ない。
「サーベラスさん、僕のためにも風呂に行ってきてくれないか?」
トリスが来る前になんとかしないといけない。
さすがにこの状況は言い逃れができない。
器用に首を振って拒否する狼の胴に、無理やり腕を回した比呂はリズに手渡した。
「こら! 暴れないの!」
往生際の悪いサーベラスのせいでハラリとタオルが舞い落ちる。
彼女は気づいていないようで、そのまま背中を向けた。
そのせいで桃源郷を晒したまま、リズは部屋の外にでていった。
「…………」
比呂は何も言えなかった、細めていた眼が見開かれている。
精霊剣でも感じたことのない力の奔流が、下半身に集まっているのがわかった。
同時に息を吸うのも忘れて顔がみるみる赤く染まっていく。
――酸素。
それは人にとって最も重要なものだと言える。生きるためには必須だといってもいいだろう。
「ぶはっ!」
比呂はようやく呼吸の仕方を思い出すことで、正気に戻ることができた。
そして、開いたままの扉から、比呂を見つめる存在がいた。
――トリスだ。
その顔は怒りでもない、悲しみでもない、なんとも奇妙なものだ。
ゆっくりと近づいてくるトリスに、比呂は即決断で土下座した。
「お願いします。命ばかりは助けて頂きたい」
「小僧、聞きたいことがある」
「なんなりと……だから命ばかりは……」
「さっきから何をそんなに怯えてるのかは知らんが……人の話を聞いておるのか?」
「……………」
1000年前〝軍神〟と呼ばれた頭脳を全力で回転させて、トリスの言葉を吟味すること数秒で答えた。
「何か質問でも?」
取り繕うように引きつった笑みを浮かべる。
トリスは怪訝な顔を浮かべながらも、気にしないことにしたようだ。
「先日は色々とあり、うやむやになってしまったからの」
やはり、リズの件ではなかったようだ。
内心、安堵の溜息をつき、トリスの言葉に耳を傾ける。
「小僧、お主の正体はいったいなんじゃ?」
「なにって……」
微かな陽光が反射してキラリと光り、首筋にピタリと冷たい刃があてられた。
「返答しだいじゃ首を落とすこともあるでな」
「…………」
トリスの眼を見ると本気だということが窺える。
「儂は小僧を信用しておる。あの死臭漂う戦場から救ってもらった恩もあるしの。しかし、あのような力を見せられて見知らぬふりもできまいて」
「それは確かに」
「姫様にとってそれが有害であるなら、儂は恩人をも、この手にかけよう。だから謀ってくれるな」
比呂はゴクリと唾を飲み込んで喉を鳴らした。
第二代皇帝です。と言ってしまったら、恐らく首は床を転がることだろう。
だからと言って〝地球〟から来たんです。と言ったところで首は落ちる。
――どうする?
比呂が迷っていると、
「トリス! なにをしてるの!」
リズが慌てて部屋に入ってきた。
そのまま比呂の首に抱きついて押し倒すと、顔をあげてキッとトリスを睨みつける。
「何があったのか知らないけど、さすがにそれはやりすぎよ!」
「姫様……」
「黙りなさい。それと、剣をしまいなさい」
有無を言わさぬ口調に、剣を鞘に収めたトリスが片膝をついた。
ほのかな甘い香りを残してリズの身体が離れる。
「トリス。何があったのか、ちゃんと説明して」
「リズ。丁度いいからキミにも聞いてもらいたいことがある」
比呂は腰をあげると、二人の間に挟まれる形で立った。
「なにを?」
「――僕の正体。キミも気になってたはずだよ」
「……言いたくないなら別にいいのよ。あたしは気にしないもの」
彼女の瞳が泳いだのを見て、比呂は少し躊躇ってから頭を撫でた。
親とはぐれた子供みたいな、心細い顔をするリズに比呂は苦笑した。
「いいんだ。僕が言いたくなったんだから」
「……わかった。ヒロが言いたいなら聞く」
「そんなに複雑な話じゃないんだけど――」
一拍おいてから比呂は独白した。
「僕は第二代皇帝の末裔なんだ」
「…………は?」
「…………ぬ?」
全てを正直に言うとなれば1000年前の話までしなければいけない。
明日はここを発たなければいけないし、半日やそこらで説明できるはずもない。
なので単純に嘘をつくことにしたのだ。
「証拠と言われたら、この髪の色と眼かな。隔世遺伝なんだ」
「…………」
「…………」
黙り込む2人の反応を不思議に思いながらも比呂は続ける。
「ちなみにアンファング森林に入れたのは第二代皇帝の血筋だからだと思う」
「…………ヒロ。それどういう意味かわかってる?」
深刻そうな顔で聞いてきたリズに、ヒロは首を傾げた。
「えっ、どういうこと?」
「それが本当の話だとしたら、ヒロは皇位継承者になるわ」
「それはない。僕はただの末裔だよ」
「あの〝 軍神〟のでしょ?」
「……うん。そうだけどさ」
「なら、皇族の末席となるわよ。たぶん」
「な、なんで?」
「だって、初代皇帝の遺言があるもの」
「遺言?」
「うん。変な遺言よね?」
リズが黙り込んでいるトリスに目線を送った。
「シュバルツの子孫を名乗る者が現れたら精霊王廟で確かめよ。もしそうであったなら相応の地位を与えよ。この遺言破る者は精霊王の呪いにかかる。と」
――アルティウス……キミなにしてんの。
彼は頭のいい男だ。何かしらの予感があったのかもしれない。
比呂がいつの時代に戻ってきても、不都合が起きないようにしてくれたのかもしれない。
しかし、末裔を名乗ることを予測していたとは恐ろしい男だ。
「というわけで、皇族になれるかもしれないわよ。嬉しい?」
腕を絡ませてくるリズの口元に微笑が浮かぶ。
比呂が鈍感でなかったなら、彼女の恋心を察したかもしれない。
身分違いの恋ではない――と、気づいたかもしれない。
しかし、比呂は予想外の展開に引きつった笑みを作り、なんでもいいから助言がほしいと、サーベラスに助けを求めた。
さっきのことを根に持っているのか、ぷいっと顔を背けられて無視されてしまう。
「……ふむ、今はそれでよいかの」
納得のいかない表情を浮かべながら、不承不承といった感じでトリスが立ち上がる。
出自を答えても、力の謎を説明していないから当然なのだが、リズの手前もあって我慢するしかないのだろう。
「それにしてもヒロが第二代皇帝の末裔だなんてね。精霊じゃなかったのは少しだけ残念かな」
まだそのネタを引っ張るのかと、ツッコミたい気持ちもあったが、それよりも大事なことがある。
「あの、僕が第二代皇帝の末裔ってことは黙っておいてくれないかな」
「わかってるわよ。今はそんな状況じゃないし、気になることもあるから……」
「うん……頼むよ」
自業自得なのだろうが、嘘をついたら更に複雑になってしまった。
策士、策に溺れるというのは、こういうことを言うのかもしれない。
異世界人生ままならないものだと嘆息する。
比呂は今後のことを考えて必死に思考を巡らすのだった。