第14話:殺戮
3000の歩兵を率いて国境に展開する軍の指揮官。
名はバイル・ナルメル・リヒタイン、公爵家の三男坊で今年で27になり、爵位は子爵だ。
本陣に豪奢な天幕を張って、その中で葡萄酒を嗜んでいた。
が、部下からの報告を受けた彼は、天幕からでると断崖に目を向けた。
「ほう……。顔ははっきりしないが、確かに紅髪がいるな」
引き締まった上半身をさらけ出して、下半身は金銀の装飾がなされた派手な絹を着ている。
他の兵士と同様に褐色の肌を持っているが、恵まれた体躯、漂わせる雰囲気は他とは一線を画している。
「噂通りの美女ならば良し。身代金などいらぬ、我が奴隷にしてくれる」
断崖に挟まれた街道で、盾を構える兵士を見て、葡萄酒を片手に失笑する。
「ははっ、見ろ。この数を相手に戦うようだぞ」
「厄介ではありませんか? あれでは数の優位を保つことができません」
「雑兵などいくら減ってもかわまん。本隊に合流すればじきに補充できる。構わず突撃せよ」
「かしこまりました」
副官が第一陣に指示を飛ばすと、砂塵を巻き上げながら進軍を開始した。
その後方に控えている弓隊に指示を飛ばすと、みるみる内に矢が空を染め上げたが、効果を発揮することはなかった。
すぐに第一陣と敵が衝突する。怒声が空気を震わせることで、ここまで伝播してきた。
「ふむ。やはり一筋縄ではいかんか……」
相手は第6皇女、それを護るのは帝国の精鋭部隊。
彼らの士気とて尋常ではないだろう。
しばし思考してリヒタイン子爵は手をあげた。気づいた副官が走り寄ってくる。
葡萄酒を一口してから、勿体ぶるように口を開いた。
「あのボロい砦を落としたときに地図を手に入れていたな?」
「はい、最新ではありませんが……」
「なら、それを頼りに相手の背後に回り込め」
「かしこまりました。第三陣から隊を組みます」
「いや……本陣から500人。相手に気づかれぬように100人ほどに分けてだ」
「それでは本陣が手薄になってしまいますが?」
「かまわん。どうせ相手はあのように閉じこもったままだろう。第三陣が動いて相手に悟られて逃げられてはかなわんしな」
「では、そのように」
右手で左肩を叩いて敬礼すると副官はただちに行動を開始する。
視線を切ってからリヒタイン子爵は紅髪に注目した。
「地の利、勢い、士気は全て向こうが上か……。しかしだ、手札はこちらのほうが多い、第6皇女よ。お前はどのように踏みにじれば喘いでくれるのか」
しばらく戦場を黙って眺めていたリヒタイン子爵だったが、第一陣が数を減らしていく様を見て不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「無様だな。街や村を襲って士気を向上させておくべきだったか……」
砂塵を払いのよけるように手を横に振ると副官を呼びつけた。
「矢を放て、味方が巻き込まれようがかまわん」
「はっ!」
「それと、帝国兵200人の捕虜がいただろう。それを前線に並べよ」
「すぐに用意させます!」
指示通りに用意された捕虜をリヒタイン子爵は処刑する。
第6皇女の心を揺さぶるため、淡々と首を斬り落としていくが、悲鳴もあげずに死に絶えていく帝国兵に驚きを禁じ得なかった。
「はっ、さすが世界に覇を唱える帝国の兵士だな。眼前に死の恐怖が迫っても悲鳴一つあげぬか。見事だが……今このときばかりは許せぬ」
怒りにまかせて敵が突撃してくるのを待っているのだ。
泣き叫べばいいのに耐えられては、相手の士気をあげるだけで意味はない。
降伏が望ましいと思ったが、第6皇女が動く気配はなかった。
「つまらん。皆殺しにしろ。それと奴を連れてこい」
200人の帝国兵は抵抗することもできず、胸を突き刺され、喉を抉られて、五体を斬り落とされて殺されていった。死体から流れ出る血が渇いた大池を潤していく。
そして、リヒタイン子爵の前に、頬に大きな傷がある男が連れてこられた。
『ディオス!?』
紅髪の少女が片腕を押さえながら瞠目していた。
リヒタイン子爵の顔が愉悦で歪む。
心の底から楽しくて仕方がないと、腹を抱えて笑い出した。
「くく、ははははっ、ああっ……良いぞ! 素晴らしい声ではないか。ようやく鳴いてくれたか!」
悔しそうに歯を食いしばるディオスの頭を踏みつけて、リヒタイン子爵は勝利を確信した。
※※※※※ ※※※※※
比呂はひとり岩の上に腰を下ろして、地面を見つめていた。
頭の中を駆け巡るのは、足手まといだった自分の愚かさだ。
この異世界になんのために、自分はやってきたのか、どうして何の力もないのか。
ただ、眼がよく見えるだけという特技では、彼女のために戦うことすらできない。
(僕はなんのために……ここに来たんだろうか)
バウム小国に逃げろと言われたが、どうにも動く気はしない。
離れた場所にいる彼女に気持ちが傾いているせいかもしれない。
彼女の悲しげな笑みが脳裏に浮かび上がる。共に戦ってほしいと言ってほしかった。
例えそれが勝ち目のない戦いであろうとも、この世界で世話になった恩を返しきれていないのだ。
(でも……戦いになったら僕はきっと腰を抜かしてしまう)
それだけならいいが、比呂を庇った少女が怪我をしてしまうかもしれない。
首を横に振ってから比呂は空を見上げた。強い日差しが渇いた大池を照りつけている。
ジメっとした風が苛立ちを呼び起こし、なんともいえない不愉快な気分になった。
(……これからどうしようか)
岩から降りて名残惜しそうに振り向く、この道の先に彼女はいる。
今頃は戦いが始まっていることだろう。
100にも満たない数で3000という数は絶望的だ。
けれど、リズは強い。素人目から見てもそれは確かだ。
どうか彼女が無事にグリンダ辺境伯と出会えるように、比呂は精霊王に祈った。
未練を捨てるように眼を閉じると、足早にその場を去ろうとした。
けれど、すぐに立ち止まった。
(……なんだ? 人?)
多くの足音が聞こえると同時に、風に運ばれてくるのは声だ。
岩陰に身を隠すと、見覚えのある集団が断崖の隙間からでてくる。
『こっちでいいのか?』
『ああ、この辺りはバウム小国側だ。このまま壁沿いに南に行けば第6皇女の背後をとれるはず』
『このあたりに村はないのか?』
『我慢しろよ』
『あの帝国にケンカをふっかけたんだ。奴隷3人ぐらい捕まえねえと割にあわねえよ』
数は把握できないが、影から大量の兵士がわらわら飛び出してくる。
リヒタインの兵士だ。どれも鍛え抜かれた身体をしており、褐色の肌を恥もなく晒しながら、我が物顔で比呂が来た道を進んでいく。
『第6皇女を捕まえたら、あとは周辺の村を焼き討ちするだけだ。楽しみにとっておけ』
『第6皇女ね……やっぱ味見したら怒られるかね』
『まあ、間違いなく首を撥ねられるだろうな』
『それだけの価値があったらいいんだけどな』
ぎゃはは、と下品な笑いをしながら進む連中の前に、比呂は岩陰を飛び出して立ち塞がった。
敵兵たちに少しの間、緊張の色がでたが、すぐさま警戒をといた。
足を恐怖で震わせながら現れた少年に何の杞憂があるというのか。
『…………迷子か?』
『なんだ男かよ。女だったら鳴かせてやったんだがな』
下品な兵士があからさまに落胆して肩を落とした。
けれど、顎に手をあててジロジロと比呂を見た。
『けど、なかなか、いいツラしてやがる。そっちの趣味に売れそうだな。捕まえるか?』
『いや、邪魔になるだけだ、殺していくぞ』
バウム小国に報告されたら面倒だしな。と呟いて真面目な兵士が内反りの剣を抜いた。
『へいへい、じゃあ、俺がスパッとやっちゃうからお前ら見とけよ。それとも賭けるか?』
すぐさま後方の兵士たちから楽しげな声があがる。
『賭なんて成立しねえよ』
『ガキが死んで終わりだ。とっとと行こうぜ』
『あまり時間をかけるなよ。閣下に殺されちまう』
『わかってるよ。ちょっと待ってな』
下品な男が左手で比呂の肩を掴んだ。
右手にあった槍を地面に突き刺して、代わりに内反りの剣を抜き放つと、比呂の首筋にピタリと押しつける。
『怖くて声も出ないか? 安心しろ、痛みもないだろうよ。こんな細い首スッパリやってやる』
下品な男の右腕が広がっていく。距離をとって勢いよく斬り落とそうとしているのだ。
恐怖からか比呂の身体は小刻みに震えていた。
それを見下ろしながら、どんな悲鳴が聞こえるのか下品な男は想像して笑みを深めた。
「……ごめんなさい」
と、比呂は呟いた。
『いまさら命乞いは遅すぎんよ』
下品な男はぽんぽんと慰めるように比呂の肩を叩いて、力を込めて振りかぶろうとした――が、腕が動くことはなかった。
怪訝な顔で下品な男は自分の腕があった場所を見て、右肩から先が失われているのに気づく。
『あぁ!? な、なん、で!? うでぁあがああああああああああ!』
ブシュッ――と噴き出した血を止めるように手をあてるが、指の隙間から血があふれ出て止まることはない。
『あああああああああぁぁぁぁあガァッ――!?』
激痛に苦しむ男の首が地面を転がった。
それを凍える眼で見下ろすひとりの少年。
比呂が握っているのは男の腕であり、その手には内反りの剣が血で染まっている。
腕からしたたる血が地面に吸われていく。
「……ああ」
比呂は自分の中で確かにそれを聞いた。
「…………そうか」
何かが壊れる不気味な音が、身体の内で反響している。
もうそれは元に戻ることはない。完全に壊れてしまったのだろう。
「僕は…………」
頭の隅々が晴れ渡っていく感覚が心地よい。
大地に突き刺さる槍を抜いて、
『クソガキィィィ!』
迫る敵の胸元を貫いた。
倒れる間際の敵の腰から剣を盗み取って、
『おらぁ――ッ!?』
次の敵の首を断つ。
身体の節々に力が行き渡っていくのを感じる。
『なんだてめぇ! かこめェッ!?』
またひとり敵を屠って槍を奪い取ると横に薙ぎ払う。
3人の敵兵の首が宙を舞った。
少年を抑圧していた壁は完全に消え失せていた。
頭が冴えていくのがわかる。
身体が軽くなっていくのがわかる。
五感が研ぎ澄まされていくのがわかる。
少年は――かつての己が戻ってきたのを実感した。
それを確かめるように、二度、三度と手を握りしめる。
「…………」
深淵の瞳に感情など浮いてはいない、そこには無があるだけだ。
ただ、暗く。
ただ、深く。
ただ、冷たく。
――殺戮の幕は開いた。