第11話:洗礼
白地の着物に黒の袴を着用した媛巫女。
男たちを自然に惹きつける包容力を感じさせ、そこに色香を含むことで魅力を引き立てている。
彼女から発せられる癒やしの芳香は、意識をもっていかれるほどの刺激がある。
その美貌はうっとりするほどで、しっとりと露を感じさせる滑らかな肌が日差しを受けて光っていた。
それ以上に気になる点もある。
異様に長く、尖った耳を持っているのだ。
そんな比呂の不躾な視線に気づいたのか、媛巫女はニコッと咲き誇る花となった。
「わたくしの耳が気になられましたか?」
「あ、えと……珍しい形をしてるので」
「ふふっ、そうですね。人族の方には珍しきモノでございましょう」
彼女は機嫌を損ねることはなく、笑いながら自身の耳を触る。
隣に立っていたリズが肘で脇腹をつついてきた。
比呂が顔を向けると、耳元に口を寄せてくる。
「彼女は耳長族なの。特徴は長命なことなんだけど、羨ましいことに耳長族は皆が容姿端麗なのよね~」
「そ、そうなんだ。確かに人間離れした顔つきだけど……」
キミも負けてないよ。なんて気の利いた台詞を比呂が言えるわけがなかった。
媛巫女はヒソヒソと話す二人を微笑みをたやさず眺めている。
「それにね、頭もすごく良いのよ。一番上のお兄様の幕僚にもいるんだけど、これがまた――」
「姫様! なにをこんなところで――って、また貴様かァ! 小僧ッ!」
「えっ、えっ、僕はなにもしてないですよ!?」
熊みたいな男、トリスが怒りの形相で迫ってきた。
だが、トリスの勢いは途中で失速した。
比呂との間に一人の女性が立ちはだかったからだ。
「トリス様。精霊王廟ではお静かにお願い致します」
「む、むぅ……申し訳ございませぬ」
片膝をついて頭を下げるトリス。
「わかっていただけてよかったです」
媛巫女は再びふたりに顔を向けると、横を向いて道を作った。
「どうぞ。朝食のご用意ができております。そこでゆっくりと話されるとよいでしょう」
「あっ、はい。お願いします」
「お腹がすいてたの。ありがとう!」
媛巫女が先導してふたりが後をついていくことになったが、
「い、一度ならず二度までも……小僧、覚えておれよ」
と、トリスの横を通過するときに確かに聞こえたのだ。
聞こえてないふりをして比呂は足を速める。
後ろから殺気が飛んでくるが気のせいだろう。
精霊王廟の内部は4つの区画に分けられている。
中央区画は精霊王が祀られている洗礼郷。
ここは、生まれたばかりの赤ん坊や、初めて精霊王廟に訪れた者が招かれる場所だ。
東区画は巫女見習いのための修行を行っている場であり、部外者は立ち入り禁止となっている。
西区画は見習い巫女や、巫女の居住区画となっていて、南区画は巡礼場所として扱われており、食堂や宿などはここにある。
比呂やリズが招かれたのは居住区だった。
トリスや、リズの私兵は宿で一夜を明かした。
西区画に向かう途中で、媛巫女が足を止めて、比呂に視線を向けてきた。
「たしか……ヒロ様は洗礼を受けておりませんでしたね」
「洗礼ですか?」
「あれ、ヒロ受けてないの?」
異世界にやってきて洗礼なんてものは受けた覚えはない。
「はい、受けた記憶はないです……」
「なら、ヒロ様はわたくしと共に洗礼郷に来てくださいますか?」
「それは仕方ないわね。ヒロ、ちゃんと精霊王に気に入られてくるのよ」
「ふんっ、小僧など呪われてしまえばよい」
媛巫女はリズに目を向ける。
「セリア・エストレヤ様は先にご朝食をお召し上がり下さい。食堂までの道はご存じでしょうか?」
「大丈夫よ。何度か来てるから道に迷うことはないわ」
「なら、わたくしはこのままヒロ様を洗礼郷にお連れ致します。よろしいですか?」
「うん。ヒロ、怖いことはなにもないから、安心して洗礼を受けてきなさい」
リズはトリスを連れたって通路の奥に消えていく。
媛巫女がそれを見届けて、ヒロの手を突然握ってきた。
「では、こちらに。ああ、手を繋いだのは、はぐれないようにです」
「そ、そうですか! び、びっくりしました」
大人の魅力溢れる笑顔で言われて、比呂の心臓は爆発しそうなほど高鳴った。
それからしばらく白壁に囲まれた通路を黙々と歩く。
もう帰り道なんてわからないほど、あちこちを曲がっては同じ通路にでる。
徐々に先が薄暗くなっていき、比呂が連れてこられたのは、
「つきましたよ。ここが洗礼郷です」
「………………これは」
驚く比呂の手を離して、媛巫女がどこかに消えていく。
比呂は気づかない、それほど圧倒されている。
通路が鋭い刃物で切られたように、ぶつりと途切れ、その先に森が広がっていたのだ。
比呂の足は無意識に進んでいた。
氷のような青い空気が流れていて、ひんやりとした感触が肌を撫でる。
小鳥のさえずりが空気を伝って広がっていく。
森を抜けると開けた場所にでて、比呂は泉に辿り着く。
列柱に囲まれた光り輝く泉だ。
その背後には巨大なふたつの銅像。
それに挟まれるように白い球体が神々しい光を発しながら浮いていた。
水に触れようと腰を落として手を伸ばしたとき、背後の草陰がガサッと鳴った。
そこでハッとして、比呂が振り返った。
「お待たせしました。これより洗礼を始めたいと思います」
雪のように真っ白な肌が見えるほど、薄い布を着た媛巫女が立っていた。
うっすらと見える胸、色気溢れるその先端から下はくびれた腰。
更に下に視線を向ければ足の付け根、その間は陰りができている。
研ぎ澄まされた白く眩しい女体が比呂の目の前にあった。
全てが見えている、着ていないほうがまだマシだろう。
「どうかしましたか?」
「あの……えっと、洗礼ってなんですか?」
「精霊王の祝福を受けることです」
「それって一人じゃダメなんですか?」
「今回は特別ですので」
「な、なんで特別なんでしょうか?」
顔を伏せて見ないようにしているが、ガサガサと草を踏みしめる音が聞こえる。
媛巫女が距離を詰めているのがわかった。
「わたくしの口からは言えません。けれど、切っ掛けを差し上げることはできます」
媛巫女がしゃがんだのがわかった。
瑞々しい肌をもった大腿部が目に飛び込んできたからだ。
肩に手が優しく置かれて、それはゆっくりと動いて比呂の頬に触れた。
顔をあげろと促され、抗うことはできなかった。
媛巫女と鼻先が触れあうほどの距離で見つめ合う。
「……無事のご帰還を心よりお喜び申し上げます」
蒼眼から一筋の涙が頬を伝い、彼女の潤った唇が優しく撫でるように口元に触れた。
※※※※※ ※※※※※
「トリス! ヒロがいなかったわ!」
「落ち着きなされ、第6皇女ともあろう者が走り回ってはいけませぬ」
「で、でも洗礼郷にいなかったのよ!? 迷子になったのかも……」
「媛巫女がついておるので、それはないかと……」
「じゃあ、どこに行ったのよ……。きっと泣いてるわ」
リズが椅子に座り直して顔を手で覆う。
その前のテーブルには空になった皿が並べられていた。
足下には満足そうな顔で眠るサーベラスがいる。
対面に座っているのはトリスだ。
「16にもなって泣くことはありますまい。もしかしたら――」
ある人物が眼に入ってトリスは言葉を切った。
「姫様、戻ってきたようですぞ」
「えっ?」
振り向くと入り口に比呂の姿があった。
洗礼を受けたせいなのか、その表情は若干疲れている。
「ヒロ! こっちよ!」
手をふって呼びかけると、こちらに視線を向けて歩み始めた。
のろのろ歩く比呂に我慢できなくなったのか、駆け寄ったリズは引っ張ってくると隣に座らせた。
「ヒロ……なんか疲れてるけど、そんなに洗礼がきつかった?」
「うん、精神的にすごい疲れた」
「そうなの?」
「どこ見たらいいのかわからないし、色々と触られたよ」
「まあ、今日は人多いみたいだからね。ヒロって結構可愛い顔してるから、おじさんが変な気を起こしても仕方ないかな」
「うん? おじさん?」
「おじさんでしょ?」
「え?」
「え?」
ふたりして首を傾げていると、その間に影が落ちた。
「――セリア・エストレヤ様。ご朝食は如何でしたか?」
振り向くと媛巫女が背後に立っていた。
「あっ、とても美味しかったわよ。さすが精霊王廟の食堂よね」
「それはようございました。今日も泊まっていかれますか?」
「う~ん。魅力的な話だけど、そろそろ出立しないといけないわ」
「それは残念です。色々と忙しいでしょうが、またお越しください」
「近いうちにくるわよ。怪我をした部下を引き取りにこないといけないし」
腕を折っていたり、足が折れていた兵士はここに置いていかなければならない。
この先は何が起こるかわからないからだ、戦闘が起きたら彼らを守ることはできない。
「そうですね。そのときは、ヒロ様もぜひお越し下さい。また色々とお話ができると嬉しいです」
「あっ、えーと、はい。また来ます……」
「ヒロ? 顔が真っ赤だわ。風邪でもひいたの?」
「いや、だ、だいじょうぶだよ?」
「ふふ、では、わたくしはこれで失礼致します」
「あっ、色々とありがとうね。この恩は絶対に忘れないわ」
「困った方を救うのは精霊王に仕える者の義務です。わたくしでよければ、いつでもお頼りください」
「本当にありがとう!」
「それと外に馬を用意してあります。お好きにお使いください」
では、と腰を曲げてお辞儀すると媛巫女は立ち去った。
それを見届けたリズは再び椅子に腰をおろして比呂をみた。
「ねえ、やっぱり顔が赤いわよ?」