第10話:軍神
そこは戦場だった。
見渡す限り屍が溢れかえっている。
万の軍勢同士の衝突、怨嗟から生み出されるおびただしい数の死体。
血は大池を赤く染めあげて、天は悲しそうに小さな雨粒を振り落とす。
乱戦となった中央に、その少年はいた。
黒衣が風によって翻る。同期するように腕が動いた。
白銀の剣が空間を切り裂く、虫を払うような軽い一振りだ。
たった、それだけの動作で5人の兵士の首が飛んだ。
大池を蹴って少年は駆けだした。
狙うのは大将首。
戦争を終わらすには最も効果的で、尚且つもたらされる確実な勝利だ。
相手とて簡単に通すわけにいかない。立ち塞がるのは鍛え抜かれた精鋭1000。
前線は壁のように隙間なく埋め尽くされている。
大将首は果てしなく遠く感じられることだろう。
――それが常人であったならば。
誰一人とぶつかることなく、少年は敵兵の首を斬り落としながら疾駆する。
どんな道にも終着点はある、それは長いか短いかの違いだ。
少年の姿を見た敵の総大将の気持ちは如何なものだったろうか。
「ば、ばかな!? どうやってここまで来た!」
「……………………」
返り血を浴びた少年の顔を見て敵将は息をのんだ。
どこまでも深く、凍えるような冷たい瞳。
漆黒の宇宙が敵将を呑み込むように捉えている。
「……その黒曜石のような瞳。聞いたことがあるぞ」
破竹の勢いで進み、強大化する亡国の兵士の中に一人。
天地人を読み説く男がいると、周辺諸国で話題になっていた。
精霊王に授けられた贈物。
馬鹿馬鹿しい話を鼻で笑ったものだが……。
「それが〝天精眼〟か!」
「いや……黒目なんて僕の世界じゃ普通なんだけどね。こっちの世界にはいないから変に解釈されちゃったけど」
困惑する少年に向かって、敵将が一歩前に進み出る。
その手には巨大な斧があった。
「貴様をここで殺して、その目を戦利品としてやるわ」
敵将の顔が愉悦で歪む。相手はたった一人なのだから油断が生じるのも仕方がない。
無骨な手をあげる。すると槍をつきつけて、少年の周りを取り囲んでいく敵兵。
「無様に苦しんで死ぬがッ――ッッ!?」
ドサッ――と敵将の首が泥にまみれて地面を転がった。
取り囲んでいた敵兵が呆気にとられる。
双黒の少年以外、誰も何が起こったのかわからなかった。
少年はトンッ――と地を軽く蹴って舞い始めた。
我に返った敵兵の槍の穂先が少年の眼前を通過する。
幾多の槍が突き出されたが、跳躍することで躱して、敵兵の首を断っていった。
煌めく白銀の剣を撫でるように動かすと、熟した実が樹から落ちるように、敵兵の首が次々と地面に落下した。
敵兵は戦慄する――ここまで瞬く間の出来事。
これは明らかに人の業ではない。
「疾ッ!」
大池を濡らす雨粒を弾く白銀の刃が、敵の鎧ごと上半身と下半身を分断する。
ドシャ――と水たまりに死体が倒れ込んだ。
瞬間、周囲から血飛沫が噴水のように噴き出した。
雨と混じり合う新鮮な血のおぞましい匂いがあふれ出す。
「て、て――ッ!?」
声を発する時間すら与えられない。
周辺に死体の山が築かれるのに、さほど時間はかからなかった。
ここから敵は総崩れとなる。
羽虫を潰すかのごとく、味方によって敵軍は蹂躙されていった。
敗走する敵、それを追う味方の鬨の声が平原に響き渡る。
阿鼻叫喚となった戦場を離れた少年は本陣に辿り着いていた。
「軍神!」
誰が最初に言ったのか、次々と兵士たちの口から異名が発せられる。
それはやがて空気を震わせるほどの歓声となる。
「「「「軍神! 軍神! 軍神! 軍神!」」」」
数千もの兵士が叫ぶのだ、身体の芯にまで響いてくる。
大池が揺れているかのような錯覚、少年が一歩進むたびに、兵士の海が割れていく。
それを人は王の道と呼ぶ。
両脇を固めるように長蛇の列ができて、少年は臆することなく中央を歩く。
「「「「軍神! 軍神! 軍神! 軍神!」」」」
そんな少年の前に一人の青年が現れた。
青年が片手をあげると、しん――と水を打ったように辺りが静まりかえった。
すっと足を踏み出した彼は、少年の元に歩み寄った。
その表情はどこか怒っている。
「まったく、余の軍師が前線に行くとは何事か……」
「これ以上の膠着は許されない。僕たちは戦線を広げすぎているからね。ここが終われば西に向かわないとぉ!?」
反論した少年の頭が小突かれた。
青年の口角がニッと吊り上がり、悪戯めいた表情を浮かべた。
「次からは余にも声をかけよ。共に前線で暴れ回ろうじゃないか」
「そんなことしたら指揮系統が乱れてしまうよ。キミは本陣でゆっくりと構えてればいいんだ」
「それではつまらないだろう……。まあ、終わったことを言っても詮無きこと、なにはともあれ」
青年は少年の両肩を叩いた。
「シュバルツ……よくぞ無事に戻った。お前が戦場にでたと聞いて、100年は寿命が縮んだぞ。敵将を討ったと聞いたおかげで、100年の寿命が伸びて生きることができたがな」
「アルティウスは大げさだよ――そうそう、大将首持ち帰ったけど、どうする?」
シュバルツが親指で後ろをさしたら、そこには白い箱を持つ歩兵が立っていた。
「死体をみただけで吐いてた奴が首を持ち帰ってくるのだから、慣れというものは怖いな」
「はは……まだ慣れないよ。人を殺すことも、人が死ぬことも……でも、そんなことを気にしていれば立場が逆になるからね」
「その通りだ」
シュバルツの答えを聞いて満足そうに頷いたアルティウスは、白い箱を持つ兵士に向かって声をかけた。
「首実検は必要ない。祖国に丁重に送り届けてやれ。例え敵とはいえ死者への礼儀を忘れたら、ただの獣と変わらん」
「はっ!」
兵士は膝を地面につけて頭を下げた。
アルティウスは視線をはずしてシュバルツの背中を叩いた。
「さっ、祝杯をあげるぞ。我ら兄弟の勝利を精霊王へ報告しよう」
「僕はまだ未成年だから飲めないよ」
「安心しろ! 葡萄を搾って持ってきてある!」
「……用意周到だね」
苦笑する――いつまでも変わらないキミに。
(ああ……これは夢だ。だってキミがいるはずがない)
遠く懐かしい記憶を思い起こす夢。
それは会えない者と邂逅する奇跡の瞬間でもある。
色褪せることのない輝かしい思い出。
だが、夢はいずれ覚めるものだ――。
「ヒロ! いつまで寝てるの! 起きなさい!」
毛布をはぎとられた比呂は、重い瞼をこじあげた。
視界に飛び込んできたのは紅髪をもった少女だ。
腰に手をあててふくれっ面をしている。
どんな表情でも華となり、見る者全てを魅了する。
「なにボーッとしてるの? しっかりしなさいよ。またサーベラスに朝食を食べられてもいいの?」
上の空で彼女の言葉を聞き流し、比呂は上半身を起こして辺りを見回した。
長らく使われていない部屋の空気が立ちこめている。
しかし、掃除がされていないわけじゃない。
窓の近くにある年期の入った執務机は綺麗にされている。
その背後の壁に、ふたつの旗があった。
ひとつは白地に天秤の紋章旗。
もうひとつは黒地に白銀の剣を掴んだ竜の紋章旗がある。
その近くの本棚を見れば、本が古く黄ばんでこそいるが埃など一切ない。
比呂が寝ていたのは入り口から近い壁際に置かれたベッドだった。
その傍らには少女がいて、足下にはサーベラス。
紅眼の少女――リズが比呂の腕を引っ張った。
「ほら、起きて起きて」
帝国歴1023年5月23日。
旅を初めてから18日目。
グリンダ辺境伯領とバウム小国の国境から66セル(198キロ)離れた地点。
バウム小国、唯一の街――ナトゥーアがある。
更に東に向かえば海があり、そこを渡海すれば東大陸シャイターンだ。
ナトゥーアの街は自然と共存しており、緩やかな盆地に広がる美しい街だ。
すべての季節をとおして美しい町並みの中央には、白い箱型の神殿《精霊王廟》があった。
ここでは精霊王が祀られており、毎日のように国民だけじゃなく他国の人々も参拝に訪れる。
バウム小国は王がおらず、《精霊王廟》の媛巫女がバウム小国の代表者となっていた
現在、その《精霊王廟》に比呂たち一行は世話になっていた。
ここに到着したのは一昨日のこと、ヒンメル山を超えた時に負傷した兵士の手当と、気を失った比呂を介抱するために近くの村に立ち寄ったのだが、これがダメだった。
バウム小国側に気づかれてしまったのだ。
負傷者の手当が終わり村を旅立ってから9日後、小隊規模の騎士たちに囲まれてしまう。
媛巫女の代理と名乗った騎士団長が進み出て言った。
『ここでは何かとご不便でしょう。よろしければ《精霊王廟》に来られませんか?』
リズは負傷者のことも考えて快諾。
だから、ここにいるわけなのだが。
「まだ眠いの? 最近のヒロは少し変よ。なんかずっと、ぼーっとしてる感じ?」
「ん~……そうかな、自分でもよくわからないんだ」
「わんっ!」
比呂たちが部屋の扉を開けると、
「ひゃっ!?」
「うわっ!?」
両手を三角にして床につけ、頭を下げる女性がいた。
「おはようございます。よくお眠りになられましたか?」