表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/29

第10話:軍神

 そこは戦場だった。

 見渡す限り屍が溢れかえっている。

 万の軍勢同士の衝突、怨嗟から生み出されるおびただしい数の死体。

 血は大池を赤く染めあげて、天は悲しそうに小さな雨粒を振り落とす。

 乱戦となった中央に、その少年はいた。

 黒衣が風によって翻る。同期するように腕が動いた。

 白銀の剣が空間を切り裂く、虫を払うような軽い一振りだ。

 たった、それだけの動作で5人の兵士の首が飛んだ。

 大池を蹴って少年は駆けだした。


 狙うのは大将首。

 戦争を終わらすには最も効果的で、尚且つもたらされる確実な勝利だ。

 相手とて簡単に通すわけにいかない。立ち塞がるのは鍛え抜かれた精鋭1000。

 前線は壁のように隙間なく埋め尽くされている。

 大将首は果てしなく遠く感じられることだろう。

 ――それが常人であったならば。

 誰一人とぶつかることなく、少年は敵兵の首を斬り落としながら疾駆する。

 どんな道にも終着点はある、それは長いか短いかの違いだ。

 少年の姿を見た敵の総大将の気持ちは如何なものだったろうか。


「ば、ばかな!? どうやってここまで来た!」

「……………………」


 返り血を浴びた少年の顔を見て敵将は息をのんだ。

 どこまでも深く、凍えるような冷たい瞳。

 漆黒の宇宙が敵将を呑み込むように捉えている。


「……その黒曜石のような瞳。聞いたことがあるぞ」


 破竹の勢いで進み、強大化する亡国の兵士の中に一人。

 天地人を読み説く男がいると、周辺諸国で話題になっていた。

 精霊王に授けられた贈物(レガーロ)

 馬鹿馬鹿しい話を鼻で笑ったものだが……。


「それが〝天精眼(ウラノス)〟か!」

「いや……黒目なんて僕の世界じゃ普通なんだけどね。こっちの世界にはいないから変に解釈されちゃったけど」


 困惑する少年に向かって、敵将が一歩前に進み出る。

 その手には巨大な斧があった。


「貴様をここで殺して、その目を戦利品としてやるわ」


 敵将の顔が愉悦で歪む。相手はたった一人なのだから油断が生じるのも仕方がない。

 無骨な手をあげる。すると槍をつきつけて、少年の周りを取り囲んでいく敵兵。


「無様に苦しんで死ぬがッ――ッッ!?」


 ドサッ――と敵将の首が泥にまみれて地面を転がった。

 取り囲んでいた敵兵が呆気にとられる。

 双黒の少年以外、誰も何が起こったのかわからなかった。

 少年はトンッ――と地を軽く蹴って舞い始めた。

 我に返った敵兵の槍の穂先が少年の眼前を通過する。

 幾多の槍が突き出されたが、跳躍することで躱して、敵兵の首を断っていった。

 煌めく白銀の剣を撫でるように動かすと、熟した実が樹から落ちるように、敵兵の首が次々と地面に落下した。

 敵兵は戦慄する――ここまで瞬く間の出来事。

 これは明らかに人の業ではない。


「疾ッ!」


 大池を濡らす雨粒を弾く白銀の刃が、敵の鎧ごと上半身と下半身を分断する。

 ドシャ――と水たまりに死体が倒れ込んだ。

 瞬間、周囲から血飛沫が噴水のように噴き出した。

 雨と混じり合う新鮮な血のおぞましい匂いがあふれ出す。


「て、て――ッ!?」


 声を発する時間すら与えられない。

 周辺に死体の山が築かれるのに、さほど時間はかからなかった。

 ここから敵は総崩れとなる。

 羽虫を潰すかのごとく、味方によって敵軍は蹂躙されていった。

 敗走する敵、それを追う味方の(ときの声が平原に響き渡る。

 阿鼻叫喚となった戦場を離れた少年は本陣に辿り着いていた。


軍神(マルス)!」


 誰が最初に言ったのか、次々と兵士たちの口から異名が発せられる。

 それはやがて空気を震わせるほどの歓声となる。


「「「「軍神(マルス)! 軍神(マルス)! 軍神(マルス)! 軍神(マルス)!」」」」


 数千もの兵士が叫ぶのだ、身体の芯にまで響いてくる。

 大池が揺れているかのような錯覚、少年が一歩進むたびに、兵士の海が割れていく。

 それを人は王の道と呼ぶ。

 両脇を固めるように長蛇の列ができて、少年は臆することなく中央を歩く。


「「「「軍神(マルス)! 軍神(マルス)! 軍神(マルス)! 軍神(マルス)!」」」」


 そんな少年の前に一人の青年が現れた。

 青年が片手をあげると、しん――と水を打ったように辺りが静まりかえった。

 すっと足を踏み出した彼は、少年の元に歩み寄った。

 その表情はどこか怒っている。


「まったく、余の軍師が前線に行くとは何事か……」

「これ以上の膠着は許されない。僕たちは戦線を広げすぎているからね。ここが終われば西に向かわないとぉ!?」


 反論した少年の頭が小突かれた。

 青年の口角がニッと吊り上がり、悪戯めいた表情を浮かべた。


「次からは余にも声をかけよ。共に前線で暴れ回ろうじゃないか」

「そんなことしたら指揮系統が乱れてしまうよ。キミは本陣でゆっくりと構えてればいいんだ」

「それではつまらないだろう……。まあ、終わったことを言っても詮無きこと、なにはともあれ」


 青年は少年の両肩を叩いた。


「シュバルツ……よくぞ無事に戻った。お前が戦場にでたと聞いて、100年は寿命が縮んだぞ。敵将を討ったと聞いたおかげで、100年の寿命が伸びて生きることができたがな」

「アルティウスは大げさだよ――そうそう、大将首持ち帰ったけど、どうする?」


 シュバルツが親指で後ろをさしたら、そこには白い箱を持つ歩兵が立っていた。


「死体をみただけで吐いてた奴が首を持ち帰ってくるのだから、慣れというものは怖いな」

「はは……まだ慣れないよ。人を殺すことも、人が死ぬことも……でも、そんなことを気にしていれば立場が逆になるからね」

「その通りだ」


 シュバルツの答えを聞いて満足そうに頷いたアルティウスは、白い箱を持つ兵士に向かって声をかけた。


「首実検は必要ない。祖国に丁重に送り届けてやれ。例え敵とはいえ死者への礼儀を忘れたら、ただの獣と変わらん」

「はっ!」


 兵士は膝を地面につけて頭を下げた。

 アルティウスは視線をはずしてシュバルツの背中を叩いた。


「さっ、祝杯をあげるぞ。我ら兄弟の勝利を精霊王へ報告しよう」

「僕はまだ未成年だから飲めないよ」

「安心しろ! 葡萄を搾って持ってきてある!」

「……用意周到だね」


 苦笑する――いつまでも変わらないキミに。


(ああ……これは夢だ。だってキミがいるはずがない)


 遠く懐かしい記憶を思い起こす夢。

 それは会えない者と邂逅する奇跡の瞬間でもある。

 色褪せることのない輝かしい思い出。

 だが、夢はいずれ覚めるものだ――。


「ヒロ! いつまで寝てるの! 起きなさい!」


 毛布をはぎとられた比呂は、重い瞼をこじあげた。

 視界に飛び込んできたのは紅髪をもった少女だ。

 腰に手をあててふくれっ面をしている。

 どんな表情でも華となり、見る者全てを魅了する。


「なにボーッとしてるの? しっかりしなさいよ。またサーベラスに朝食を食べられてもいいの?」


 上の空で彼女の言葉を聞き流し、比呂は上半身を起こして辺りを見回した。

 長らく使われていない部屋の空気が立ちこめている。

 しかし、掃除がされていないわけじゃない。

 窓の近くにある年期の入った執務机は綺麗にされている。

 その背後の壁に、ふたつの旗があった。

 ひとつは白地に天秤の紋章旗。

 もうひとつは黒地に白銀の剣を掴んだ竜の紋章旗がある。

 その近くの本棚を見れば、本が古く黄ばんでこそいるが埃など一切ない。

 比呂が寝ていたのは入り口から近い壁際に置かれたベッドだった。

 その傍らには少女がいて、足下にはサーベラス。

 紅眼の少女――リズが比呂の腕を引っ張った。


「ほら、起きて起きて」


 帝国歴1023年5月23日。

 旅を初めてから18日目。

 グリンダ辺境伯領とバウム小国の国境から66セル(198キロ)離れた地点。

 バウム小国、唯一の街――ナトゥーアがある。

 更に東に向かえば海があり、そこを渡海すれば東大陸シャイターンだ。

 ナトゥーアの街は自然と共存しており、緩やかな盆地に広がる美しい街だ。

 すべての季節をとおして美しい町並みの中央には、白い箱型の神殿《精霊王廟(フリーデン)》があった。

 ここでは精霊王が祀られており、毎日のように国民だけじゃなく他国の人々も参拝に訪れる。

 バウム小国は王がおらず、《精霊王廟(フリーデン)》の媛巫女がバウム小国の代表者となっていた


 現在、その《精霊王廟フリーデン》に比呂たち一行は世話になっていた。

 ここに到着したのは一昨日のこと、ヒンメル山を超えた時に負傷した兵士の手当と、気を失った比呂を介抱するために近くの村に立ち寄ったのだが、これがダメだった。

 バウム小国側に気づかれてしまったのだ。

 負傷者の手当が終わり村を旅立ってから9日後、小隊規模の騎士たちに囲まれてしまう。

 媛巫女の代理と名乗った騎士団長が進み出て言った。


『ここでは何かとご不便でしょう。よろしければ《精霊王廟フリーデン》に来られませんか?』


 リズは負傷者のことも考えて快諾。

 だから、ここにいるわけなのだが。


「まだ眠いの? 最近のヒロは少し変よ。なんかずっと、ぼーっとしてる感じ?」

「ん~……そうかな、自分でもよくわからないんだ」

「わんっ!」


 比呂たちが部屋の扉を開けると、


「ひゃっ!?」

「うわっ!?」


 両手を三角にして床につけ、頭を下げる女性がいた。


「おはようございます。よくお眠りになられましたか?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ