第九話 迷いと覚悟
少し短めです。まとめきれなかった…
しっかりした記憶があるのはこの町についてからだ。
いまだ朦朧とする意識の中、バニ爺が繰り返し言い聞かせるように
「もう、大丈夫じゃからな」
と呟くのが聞こえた。
工房に初めて足を踏み入れ、どこか懐かしいにおいのする鍛冶場を見て、なぜか涙が止まらなかった。
そして数分、あるいは数時間だろうか、ようやく僕が落ち着いたころバニ爺は言った。
「今日からわしがおまえの家族じゃ」
そこに含まれた複雑な気持ちも、事実も、何一つその時の僕は読み取ることが出来なくて。
家に帰りたい、とせがむ僕に、困惑したような顔をしながらもバニ爺は告げる。
僕の家族はもう死んでしまったこと。
僕の家はもう焼け落ちてしまったこと。
僕には記憶がない様子であること。
僕の親代わりとして、父の友人のバニ爺が面倒を見てくれること。
ひとつずつ、真摯に答えてくれた。
泣きじゃくる僕が泣き疲れて眠るまで、ずっとそばにいてくれた。
その翌日だっただろうか。
泣きはらしてあかい目をした僕が、その箪笥の存在に気付いたのは。
焦げたような、いやまさに焦げていた箪笥の表面には、ご丁寧に名前が書いてあった。
子供らしい崩れた無邪気な字で、僕の名前が。
それを見て、理解して、暗くなって。
気付いた時には、ベットで寝ていた。
どうやら「たましい」なんてものにひびいたらしい。
喚いて叫んで苦しんだらしい。
それ以来、箪笥に近づくことはなかった。
*
入り口側にある箪笥へと行くにはミューと炎の兵士たちの間を突っ切る必要がある。
握りしめた〈覚悟〉や、いまなお背を這い回る〈絶望〉を使えば、難しいことではない。
ひょっとすれば一瞬でもミューの援護になるかもしれない。
唯一の気がかりは、箪笥に辿り着いた僕が正気を失う可能性、だ。
あの時はまだ小さかったとはいえ、問題が「魂」にある以上、そう簡単に克服できているとも思えないのが本心だ。
魂の形は容易に変わらない。だからこそ天器は絶大な力を得るし、トラウマに囚われれば簡単に狂う。
さらに「魂」には炎を操り、氷を降らせ、雷を落とし、大地を割るほどの力を秘めているのだ。
ひとたび暴走すれば、この不安定な現状は一気に瓦解して待っているのは簡潔な死だ。
「いや、分かってるよ。何をすべきかくらい、さ」
今何をすべきか。
借り物の覚悟ではあったけれど、決めたはずだ。
「現状?このままいったって負けは確定なんだ」
そもそも、この作戦の骨子は「僕が『核』を見つけられるかどうか」にある。
いまさら悩む段階ではない。
もう一度〈覚悟〉を握り直し、炎熱地獄を駆け抜けるための〈絶望〉を纏う。
「いつまでも逃げちゃいられないんだ」
駆け始めた最初の数歩は爆音に掻き消される。
すさまじい熱波をまるで殺気のように放ってくる兵士に〈覚悟〉を込めた一閃をお見舞いする。
背後に迫る気配に思わず振り向けば、ちょうど数人の兵士たちがまとめて掻き消えるところだった。
ちらりとこちらを見た蒼眼に、もう少しだけ覚悟を分けてもらう。
トラウマと対峙するための覚悟を。
*
その周りだけ、火の勢いが弱かった。
ここに置かれていた時からすでに焼け焦げ、すぐにでも崩れそうな様相の箪笥。
しかし周りの家具がまた一つと燃えていく中、不自然なほどの安定感で佇んでいた。
…揺れる魂がはっきりと感じられて、気分が悪い。
だけどこれは、僕の魂だけが原因というわけではない。
確かに感じる。強烈な感情…波動の脈動を!
この箪笥の中から。
頭が痛い。まるで何かの警告のように視界が眩む。
体はひどく重く、一歩進むだけでも精神力をごっそりともっていかれる。
それでも、前に進む。
久しぶりに対面したその箪笥は、あまりにも小さかった。
いや、高さは平均的なものなのだけど、おぼろげな思い出の高さと一致しない。
長い時間が、僕が成長するだけの時間が経ってしまったのだということ。
それだけ積み重ねたものがあるということ。
「…味気ないものではあったけどね」
自嘲気味に呟いたのは、ここ数日の僕の本音だ。
父さんとの約束に拘るあまり、その目的を見失っていた僕。
今、父さんの剣とミューの覚悟の後押しを受けて、ようやく思い出せそうな気がする。
僕がするべきだったこと、その目的を。
そっと箪笥を開けると、中に入っていたのは一つきりだった。
歪んだ刃が特徴的な、短剣。
その複雑な形は実用上の理由でも何でもなく、ただ単に僕の腕前が下手だったというだけの話だ。
バニ爺に教えてもらって、僕が作った、最初の作品。
その時はあまりの出来の悪さに「こんなのいらない!」なんて言った気がする。
バニ爺はちゃんと取っておいてくれたようだ。
ああ、魂が揺らぐ。
「バニ爺はなんでこんなことしたんだろうな…」
ぐらつく頭をごまかすため、覚悟を決めるために、口を開く。
この短剣は僕の思い出の品であるとともに、バニ爺の大切なものでもあったらしい。
短剣には、感じた者が恐ろしくなるほどの波動が、溢れんばかりの感情が込められていた。
探し求めていたもの。
この工房を封鎖し、ハルトやバニ爺の帰還を妨げる結界の『核』。
ここでの僕の、はじまりの象徴とでも言うべきものを、今からこの手で壊さなければならない。
*
覚悟が、決まっているわけがなかった。
もともとふわふわと漂うような生活をしてきた僕だ、そんな大層なものは持ち合わせていない。
そもそも過去の僕を守るための犠牲が今の僕の始まりだなんておかしいじゃないか。
僕は何を支えにしていたらいいんだ。
なんて馬鹿なことを囁く心の声を無視する。
まぁきっと今朝の僕なら簡単にその言葉に負けてしまうのだろうけど。
今は、ミューから借りた〈覚悟〉を剣に込めているのだし。
今は、「形」を壊しただけで僕が消えるとは思ってない。
…さっきから、少しおかしくなっているのかもしれない。
今手にあるものは全部借り物で、自分で決めたことなど何もない。
現在の僕を表すならそれで十分だろう。
どこにぐだぐだしていた僕が成長できる要素があったというのだろう。
もしかしたら、初めから。
初めは、こんな僕だったのかもしれない。
剣をしっかりと握った右手を「自分の意志」で振り上げる。
今込めるべき〈覚悟〉は、借りた方じゃない。
前に進むための、自分の足で進むための、覚悟。
きっと、この気持ちはこれ以上ないほどの硬さを与えてくれる。
こころなしか重くなった長剣は、振り下ろす右手と一体となり。
寸分の違いなく『核』へと打ち込まれた。
*
砕け散った剣の欠片が頬を切り裂いていった。
鋭い痛みに唇を噛む。
〈覚悟〉を込めたはずの長剣が欠けていた。
歪んだ短剣からはドームのように力が放出され、砕こうとする長剣を拒むようにしている。
『核』の威力。
バニ爺の想い。
「これは確かに〈執着心〉なのかもね…!」
人のことを思って波動を使う。そんな思いに〈執着心〉と名付けるなんてふさわしくない、とは説明を受けた時から思っていた。
〈信愛〉とか〈愛着〉とかもっといいものがあるのに、と。
だけど、思いの対象からの「拒絶」すら受け取らないこの波動は、〈執着心〉と呼ぶべきかも知れない。
「…だからずっと独身なのかもよ、バニ爺…!!」
これ以上刃が欠けないよう全力で〈覚悟〉を込めながらぼやく。
いつもはありがたいバニ爺の思いやりだけど、今日ばかりは受け入れるわけにはいかない。
それは、ふたりの死を意味するから。
だから。
「そろそろ僕も…反抗期といくかな…!」
〈覚悟〉に加えて〈反抗心〉を込める。
いつまでも過保護なままでいてほしくない、と。
「…もう六年も経つんだ。僕だって、ただ震えること以外にできることがあるよ」
実際は、子供っぽい反発かもしれない。
ついさっきまで、いや今だって、自分の覚悟は決まっていないのだから。
でも、と僕は思う。
たまにはひとりでだって…やってみせる、と。
「だから、これはもういらない」
ぴしり、と音を立てて『核』を囲む力に乱れが生まれる。
「ゆらゆら揺れる僕が、これ以上後ろを振り向かないように」
同時に、僕が握る長剣に致命的なヒビが入る。
折れることはない。
なんたって〈覚悟〉が込められているんだから。
「進むべき場所に…まっすぐ進むんだ!」
重なるようにして響いた二つの破砕音は、あるはずだった結界を越え、夜の街を束の間騒がせた。
*
そのとき僕が感じたのは、溢れかえるような熱気と、誰かの叫び声。
笑う声と――
*
展開は悪い方に向かったらしい。
あえて簡潔に言うならば、タイムリミットの推測ミス。
工房がタギネルの炎に負け崩れるまでの時間が、致命的に少なかった。
結界から解放され、支えを失った工房は、その瞬間。
僕の目の前は一瞬真っ赤に染まり、次いで暗くなり、目を閉じているだけだと気付いて。
目を開けてみれば、焦げた木材が乱立する廃墟にいた。
*
どうやら起こったのは、爆発のような事象らしかった。
中心から離れていた僕はあまり被害を受けなかったようだ。
「…そうだ…ミューは…?」
辺り一面瓦礫の山で、自分だけ無傷。
そんな情景が脳裏をよぎり、慌てて先ほどまで囮となってくれていた相棒を探す。
乗り越えようとすれば崩れ、足元に散らばる廃材をどけながら、呼びかける。
「ミュー!!どこにいる…!」
返事が来ない、
なんて最悪はどうやら避けられた。
わずかながら、声のような声が聞こえる気がする。
邪魔する瓦礫を蹴飛ばして声のした方へと駆ける。
消え入りそうなその声は、瓦礫の下から…。
「ミュー…?」
「…なんとか無事…。けど、動けない、かも」
複雑に積み重なった瓦礫はひとつでも下手に動かしたら彼女ごと崩れ落ちてしまいそうだった。
「今…助けを…」
「…!っ後ろ!!」
突然の声に、または茫然自失の体だった僕が、とっさに反応できたのは助けを呼ぼうとわずかでも振り返ったからだった。
迫りくる火球に冷気をぶつけ、舞い散る火の粉に服が焼けた。
次いで繰り出される蹴りを、転がるように回避する。
「なにやらこそこそやってたようだが…うまくいかなかったようだなぁ」
「タギネル…!」
この男とこうして対峙するのも何度目だろうか。
もう僕はその底知れなさに身震いするしかない。
炭化していた肌はみずみずしさを取り戻し、あれだけ感情任せに噴出させていた炎も今は見えない。
「結界を壊した、か…。こうなるとすぐにでもあの鍛冶師が来ちまうな…」
激戦の最中とは思えない、冷静な態度。
いや、自嘲するなら、もう激戦とは言えないか。
頼みの綱のミューは瓦礫の下。
タギネルが負っていたはずのダメージはほぼ回復したとみていいだろう。
それになにより、さっきまでの僕がつけ込み、僕と同じ土俵に立たせることができていた理由。
戦いを楽しむ姿勢が今のあいつからは見受けられない。
「いや、今日は楽しかったぜ、ボウズ。久々に怒り以外を感じた気がするよ」
「………満足したなら帰ってくれませんか?」
「そいつは無理な相談だな。一度捕まえた獲物は骨まで食べる主義だ」
ダメもとの提案も当然のように却下される。
何かないかと必死で頭を回らせるけど何も思いつかない自分にイライラする。
感情の揺れは、波動を鈍らせる。
「ボウズのことは一生忘れないだろうさ。光栄に思えよ?」
あくまでも満足したような、爽やかな笑みを向けてくるタギネル。
ここからどうすればいい。
どうすれば…。