第一話 邂逅
【魂】
全ての存在には、魂と呼ばれる力が宿っている。魂には形がある。
物体の魂は空気のように曖昧で捉えられず、
動物の魂は朝靄のような不安定さである。
しかし人の魂にはしっかりとした形がある。
それは水のごとく揺れ動くものだが、他の存在にはない、人だけの特徴である。
一般に意思の強い者ほど魂は強固であるとされる。
ー魂学基礎(第三版)序章より、抜粋ー
*
小さな頃のことはあまり覚えていない。
どこか欠けてしまったように、まるで捉えられないのだ。
何かとても大切なことがあった気がする。
毎日続けるような。
いつも心にあるような。
魂に、刻みこめるような。
ただ、今の僕にも確かに言えるのは、
あの時僕は確かに誓ったということだ。
<僕、国1番の鍛治師になるよ。絶対にー>
父さんに伝えた、最後の望みだった。
○学校○
ガリガリと音をたてながら、地面に円を描く。
書き終わったら少し離れて、まぶたを閉じしばし集中。
思い出すのは、あの日の感情。
思い描くのは、透き通る氷柱。
次第に辺りに冷気が漂い始め、体の奥で何かが揺れ動く感覚を覚える。
その何かを慎重に制御しながら、一気に解き放つ。
目を開ければ、自分の描いた円に、ぴったりの太さの3メートルほどの氷柱がそびえ立っていた。
波動。
魂を研究する学問、魂学が進んだことにより近年使用法が確立され始めた人為的な超常現象の総称だ。
いわく、人の魂は意思、つまりは感情によって絶えず揺れ動いている。
その揺れを大きくする、つまり意思を研ぎ澄ますことによって魂の形を変え力を引き出す、というものである。
どんな感情で魂の形を変えるかによって、引き出せる力の質も異なる。
たとえば、<怒り>なら、炎関連の現象になる。
「ひゅー。やっぱすげぇな、おまえの波動」
声のほうを振り向けば、見知った顔。
逆立った焦げ茶色の髪とつり目がちな同色の瞳。
数年来の親友であり、ライバルでもある男だった。
「レイ、何か用事?」
「ああ、ちょっと聞きたいことがあってな」
言いながら、近づいてくるレイ。
「にしても、春も近いというこの時期にわざわざこんなばかでかい氷柱つくんなくてもいいだろうに」
在校生の邪魔になるぞ、と後ろの建物を指さす。
石造りの見慣れた建物は後2週間もしたら卒業する、僕らの学校だった。
僕らが今いるのは、そんな学校の校庭だ。
ちなみにまだ昼前だが、単位が十分ある僕らは自由登校だ。気楽である。
「僕はなかなか風流だとおもうけどね、これ」
「バカいえ。これからは暖かい季節なんだよ」
言うが早いか、レイは氷柱に手をかざし、炎で囲って蒸発させてしまった。
「あー…」
結構力作だったんだけどな。
「はっきり言って無駄な努力だな。すぐ溶ける」
何を言う、この氷柱は溶けることによって模様が変わるように…
「そろそろ本題に入っていいか?」
…………。
「…なにかな」
「そろそろ俺らも卒業だ。それぞれの進路ってやつを突っ走っていかなくちゃならねえ」
「確かに、いつまでも子ども時代じゃいられないしね」
「いくらおまえとの付き合いが長い、それこそおまえがこの町に来てからの6年間ずっと一緒だったとはいえ、いつまでもそうあれるとは限らないだろ?」
「ずっと一緒…か」
「俺は、お互いの進路をきちんと把握しておくべきだと思うんだ」
僕は、そこまで聞いたところで、話の流れを理解した。
レイも一呼吸置いた後、意を決したように、
「おまえ、行くんだよな?中央学院」
絞り出すような声で、しかし毅然とした態度で、尋ねてきた。
…相変わらず情報の早いやつだ。
「行かないよ」
「中央学院はこの国トップの名門校だ。首席卒業のおまえは、そこに推薦で入れるんだぞ!」
「前に言ったことあるよね。僕は、鍛冶師になりたいんだ」
「鍛冶なら、中央学院でだって習える!いくら工業都市だからって、国の辺境にあるここじゃ、たいしたことはできねぇぞ!」
僕らのいるカガリの町はカリウル国最西端の港町だ。航路により大量の原料が手に入るここは、工業都市として有名だった。
しかしもちろん、優秀な技術者が集まり資金もより潤沢である首都リベリアのほうが技術レベルとしては格段に高い。
リベリアにある中央学院に入った方が、得られるものは多いだろう。
そのくらい分かっている。しかし僕はそれを選べなかった。
「僕の意志は、魂は思ってたよりずっと弱い。こんなんじゃリベリアでやっていけない」
「何を言ってる!おまえの魂はさっきみたいな波動をすぐ使えるぐらい強いだろ!」
一般的に、波動は使用者の魂が強ければ強いほど性能を増すといわれている。
「あのくらいなら、レイにだって出来るだろ」
現に、僕の氷柱を一瞬で消してみせた。
レイはそれには答えずに、
「俺は、おまえなら、ソーマなら騎士団幹部くらい余裕でなれると思ってる」
「僕には、国の治安を守る番人なんて似合わないよ」
「おまえにはそのくらいの実力があるって言いたいんだ!」
「実力があるからって、やりたくないことをやる必要はないと思うよ」
「俺は…おまえに行ってほしいんだよ!」
「………」
僕は何も言わずに、いや、何も言えずに出口へとむかう。
レイはついに何も言わなくなったが、僕が外に出たときにぽつりと、
「また、説得にいく」
と伝えてきた。
○クリミア通り○
太陽は、僕の真上にあった。
春の陽気、といえば聞こえは良いが、今の僕にはその日差しが心底うっとうしかった。
何も寄り道せずに家へ帰ることにし、舗装された道路を歩き出す。
周りの人は皆、春の訪れを喜ぶかのように明るい顔をしていたが、その中で僕だけが暗い顔をしている気がして落ちつかなかった。
ふと、ガラスに映る自分の姿が目に入った。
先ほど聞いたレイの言葉がよみがえる。
「騎士団、か。僕に一番似合いそうにない職業だよな」
色の抜けたような灰色の髪、同色の瞳。柔和そうな目元ではあるが、レイのような力強さは感じられない。
なにより…違和感が、ある。
いつの頃からか、鏡に映る自分の姿に違和感を覚えるようになっていた。
それはもしかしたら、今の自分が望んでいた自分とは違うと、そう感じているのかもしれない。
(いや、そんなことない。いつだって僕は、夢に向かって一直線で…)
―へぇ。おまえ国一番の鍛冶師を目指してんのか。
―俺か?これでも騎士団の総長を目指してるよ。
―おい笑うなよ。いつかこのレイ様の勇名をだなあ…
―ふん。俺が総長になったときには、そんなふざけた権力なんて粉々にしてやるさ。
―おまえは?ソーマは鍛冶師になって、何をするんだ?
(僕は―)
僕は、即答することが、できなかった。
6年間、僕は目的もない薄い暮らしをしていたのか。
あの誓いはなによりも大切なものであるはずなのに。
感情が、意思が、まとまらない。
(―本当に、これでよかったのかな?)
今まで僕が積み上げてきたものが崩れていく気がして、落ち着かない。
○バニッサ工房・自室○
レイとの会話から数時間。軽く昼食を済ませた後も、何もやる気が起きずただただベッドに転がっていた。
(こんなことしてる場合じゃないのに…)
考えることは、潰れそうなほどたくさんあるのに頭が回らない。
自分の未来がまるで浮かばない。
そのうち何を考えればいいのかも分からなくなってきて意識が拡散していく。
…そうだ、卒業記念に二振りの長剣―僕とレイの分だ―を仕上げる必要がある。
長剣作成のほうに思考を移し、無理矢理気分を入れ替えると、ベッドから勢いよく起き上がり下の工房へと向かった。
○バニッサ工房・鍛治場○
「バニ爺ー?バニッサ爺さーん?いますー?」
「おうともよ。それとソーマ、わしのことは『師匠』って呼んでくれていいんだぞ?」
金属を熱するための炉のさらに奥から出てきて快活に笑う60代半ばの男性。
この6年、僕の親代わりとなってくれているバニッサ工房の店主、バニッサさんだ。
僕は親しみを込めてバニ爺と呼んでいる。
ちなみに、かなりアバウトな性格で放っておくと部屋が荒れていくため家事全般は僕の仕事となっている。
「もう少し尊敬出来る行動をしてくれたら考えなくもないです。…ところで今鍛治場空いてますか?」
「問題ねぇよ。今日の仕事は終いだ」
「今日は早いですね。何かあるんですか?」
仕事一筋のバニ爺にしては珍しい時間帯だ。
「いや、ちょっと客が来るもんでな…」
言いながら、髪の無い頭をかく。本人は「あえて剃ってるんだよ」と言っていたが、もう生えてこないことを僕は知っていた。
「お客さん…ですか。珍しいですね」
今までの6年間で、商売以外の客が来たことは両手の指で数えるほどしかない。
わざわざ店を休みにしてまで出迎える客とはいったいどんな人なのだろうか。
素直に聞いてみようか。
「どんな人なんです?」
「ん?そうだな…変わったやつであることは確かだな」
バニ爺も十分変わってると思うけど、と心中で酷い評価を下しながらも、話の続きをおとなしく聞く。
「まあ、あいつ以上に優れた鍛治師、わしは知らねぇな。あいつは剣の魂ごと鍛えることができるんじゃからな」
「魂ごと…鍛える?」
興味は惹かれた。
バニ爺は真剣な顔で頷くと、
「あいつが鍛えた剣にはな、意思があるんだ。たとえ最高級の剣でも、あいつの剣の前じゃあただの鉄くず。一瞬で折られちまうだろうさ」
「ほんとですか?」
「わしのことを疑うのか?」
憤慨したように言うバニ爺だが、この人は話を盛るクセがあるので僕は取り合わなかった。
明らかに信用していない僕の態度に、まだ言葉を重ねようとするバニ爺だったが、さすがに長い付き合いだけあって無駄だと悟ったのだろう。最後にこんなことをつけたした。
「ま、あいつも何日か泊まっていくようじゃからな、真偽は好きなだけ自分の目で確かめるといい」
バニ爺のどこか自慢気な、まるで自分の子供の功績を誇る親のような顔を不思議に眺めるうちに、
カラン、カラン、と。
まるでタイミングを見計らったかのように表の扉が開いた音が聞こえた。
「お、来たか。
おーい。こっちだ、鍛治場にいる!」
お客を呼ぶ態度とはかけ離れた、ぞんざいな応答でバニ爺は「あいつ」を鍛治場に呼びだす。
予想外に早い邂逅にさすがに狼狽するが、そこは衝動を抑え、せめて自分だけでもきちんとした態度で迎えようと居住まいを正す。
しかしそんな僕の気づかいは無駄だったようで、勝手知ったる、とでも言いたげに、結局ノックも無しで鍛治場への扉が開いて「あいつ」が入って来た。
思わず唖然とする僕だったが、来訪者を見たときにはすぐにそいつから目が離せなくなった。
例えるなら、何年も会っていなかった最愛の人物と再開したような感じ、だろうか。
待ち焦がれていた瞬間に、ようやく辿り着いた感じ、かもしれない。
いずれにしろ。
何かがこの日動き出した。
それは、欠けてしまった、大切なあの頃の続きかもしれなかった。