第十一話 水降って地固まる
水の中に引きずり込まれた俺は、まず呼吸が出来るかを確かめた。 慎重に息を吸い込んでみる。
「よし、息が出来る」
水中にもかかわらず、空気を吸い込む事が出来た。
水に飲み込まれる寸前に、全員に水呼吸の術式を発動させたのが間に合ったみたいだな。
俺は三人を抱きかかえたままレティシアに叫んだ。
「レティシア、水の精霊に水を消し去るように言うんだ!」
「ご主人様!? あれ、水の中なのに苦しくない」
「そんな事はいいから早く!」
「は、はい! 水の精霊お願い、水を消し去って」
――レティシアがそう言った瞬間、今まで浴室全体を満たしていた水がまるで最初から無かったかの様に消え去っていた。
同時に、床に投げ出される俺達。
「ぐっ」
咄嗟に三人の下になり受け止める。 たいした高さじゃなくて助かった。
「みんな大丈夫か」
「ご主人様……あっ、すみません」
サクヤが慌てて俺の上から立ち上がる。 他の二人もサクヤに続いた。
「私は大丈夫です、ご主人様」
少しふら付きながらも、気丈に答えるフィーネ。
「ご主人様、ごめんなさい」
流石に反省したのか、レティシアの耳もしゅんと垂れ下がっている。
「でも、服を乾かすくらいは! 火の精霊を呼んで……」
「ちょっと待て!」
レティシアの暴走を慌てて止める。
「俺達を火達磨にする気か、火の精霊は呼ぶな」
「でも……」
ああもう、分からないのか。
「あのな、制御できない魔法ほど危険なものは無いんだよ。 そもそもさっきは何であんな事になったか分かってるのか?」
「えと、あたしが未熟だから……」
「いや、違う。 レティシアが失敗したのにはちゃんとした理由がある。 水の精霊への指示が拙かったんだ」
レティシアは驚いて俺を見た。
「ご主人様、精霊語が分かるんですか?」
「聞けるだけだけどな。 話す事は出来ない」
精霊語は高音域を使った繊細な発音を要求される。 それに加えて精霊との相性も良くないと、言う事を聞いてくれない。
そんなもって生まれた才能が必要な召喚術より、学問として学べる魔術の方が俺には向いているだろう。
「それでも聞けるだけでも凄いです」
「うん、まあ聞けるようにはなっておかないと、対召喚師の戦闘の時に不利になるからね」
そのあたりは師匠から徹底的に叩き込まれた。
「っと、話がずれたな。 指示が拙いって所まで話したっけ。 召喚術は他の魔法と違って、指示を明確にする必要があるんだ」
「どうしてですか?」
「例えば俺が使う魔術だと、それぞれの術式は個別に効果範囲が決まっている。 対して召喚術は、召喚した精霊などに指示を出して効果範囲を教えてやらないといけない」
「――あっ!」
ようやく気付いてくれたようだな。
「先程のケースだと、”ここを水で満たして”って指示したから浴室全体に水が満たされたんだよ。 つまりさっきの場合は”この浴槽の中に水を満たして”って言えば良かったんだ」
「ああ、そういう事だったんですね」
納得したのかレティシアは深く頷いた。
「じゃあ水も消えたし、もう一度水の精霊に今言った指示をだしてみようか」
理論を学んだ後は、実践あるのみ。 魔術の基本だな。
「はい、ご主人様。 水の精霊、この浴槽の中に水を満たして」
レティシアの指示と同時に、浴槽の中に水が満たされた。
「やった、やりましたご主人様!」
嬉しそうに俺に抱きついてくるレティシア。 喜ぶのはいいけど、ここは釘をさしておかないとな。
「頑張ったな、レティシア。 だけどこれで気を抜いてもらったら困る。 まずは水の精霊の制御を完璧にこなせるようになる事。 それまでは他の精霊は使用禁止な」
「えっ!?」
信じられないって顔をするレティシア。 いやいや、そのリアクションはおかしい。
「え、じゃないだろ。 レティシアは精霊語の発音もいいし、精霊との相性も良い。 精霊はレティシアのお願いを最大限叶えようとしているのに、間違った指示をだしているんだ。 つまり魔法の威力は高いのに、それを制御出来ていないっていう今の状況はとても危険なんだよ」
レティシアの目が見開かれる。 現状の危険性に気がついたようだ。
「あ……そうだったんですね。 ごめんなさい、分かりましたご主人様」
やっと分かってくれたか。
「しかしこういった事は普通師匠に教わるはずなんだが、レティシアは師匠から教わってないのか」
レティシアは恥かしそうに俯いた。
「あの……あたし修行の途中でエルフの森を飛び出しちゃって」
「えっ、なんでまたそんな事を?」
「あたしは森に篭っているような、保守的なエルフの考えが嫌になったんです。 だからナルスーン大陸の色んな街を見てみようと思ってエルフの森から旅立ちました」
ああ確かにレティシアは、エルフにしては珍しく好奇心旺盛な性格だもんな。 そういった考えになるのも止む無しか。
――ただこれで、レティシアの事情が分かったような気がする。
「成る程ね、後の展開は予想がついた。 おそらく行く先々の街で魔法によるトラブルを起こして、借金を作ったんじゃないか? そしてその借金を商会に肩代わりしてもらうかわりに、商会の保護下に入ったと。 そんな所だろ」
「えーっ!? ご主人様、どうして分かったんですか」
「ここまで聞いて、更にこれだけヒントがあるなら予想ぐらいつくさ」
しかしレティシアの事情がこんなだったとは……、ミレイさんのアドバイスは何だったんだ。 むしろ魔法の被害が及ぶから、他人に会わせるなって事なのか?
そこまで考えていると、サクヤが鋭くレティシアを睨み付けた。
「レティシア、あなた先程からご主人様に対する態度はなんですか。 魔法を失敗してご主人様にご迷惑をお掛けしたのに、反省の色も無く反論してばかり。 とても見逃せるものではありません」
ちょ、サクヤいきなりどうした。 いきなりレティシアを怒りだして。
「えっ、でもご主人様には謝ったし。 魔法も出来るようになったからいいでしょ」
負けずにレティシアも反論する。
「その態度が駄目だと言ってるんです。 それに、ご主人様の奴隷になった理由も軽薄すぎます」
「軽薄って……。 ご主人様を見て、あたしを守ってくれると信じたから奴隷になったのに。 そういうサクヤはどうなの、そこまで言うなら、さぞ褒められた理由なんでしょうね」
「――そ、それは」
「あわわ……」
二人の剣幕におろおろするフィーネ。 その尻尾も不安げに揺れている。
もういいだろう、いい加減止めないと。
「二人ともやめろ! 確かにレティシアの失敗は酷かった。 でもサクヤも言いすぎだ」
サクヤは俺の叱責に青くなると、深く頭を下げた。
「申し訳ありません、ご主人様。 出過ぎた真似を致しました」
レティシアは見捨てられると思ったのか、俺に縋り付くと必死に訴えた。
「ご主人様、あたしを見捨てないで下さい。 ご主人様のお役に立てるように頑張りますから、どうかお側に置いて下さい」
あー、ちょっと言い過ぎたか。 三人を見捨てるわけ無いのに。
甘くしすぎても厳しくしすぎても駄目なんだから難しい。 でもここは、俺の本心を三人に伝えるべきだ。
俺は三人を抱き寄せると、真剣な顔で話し始めた。
「俺は一度身請けした者を、決して見捨てたりはしない。 三人が大切だし、守りたいとも思う。 レティシア、サクヤ、フィーネ、ずっと俺の側にいてくれるか」
三人は俺の腕の中でじっとしていたが、やがて結論が出たのか深く決意を秘めた眼差しで俺を見た。
「はい、一生お側にいます。 必ずご主人様のお役に立ちますから」
「私はすでにご主人様のもの。 永久に御仕え致します」
「ご主人様とずっと一緒です。 みんなで仲良く暮らしたいです」
「みんな、ありがとう。 主人が俺で良かったと思えるように頑張るから」
三人はそれぞれの言葉で、俺に忠誠を誓ってくれた。 俺もそれに答えられるように頑張ろうと思う。
一時は大変な事になったけど、結果的には良い方向へ向かってくれた。
水降って地固まる、ってとこかな。 ……少し違うような気がするが、文系は苦手だからしょうがない。