表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

《魔服の仕立て屋さん》クロエは素敵な人生を縫い合わせる〜婚約破棄され解雇された私が、小さな補修屋を開店して王都で一番の仕立て屋になるまでの物語。〜

作者: 夜野あめ


  第1章:職人の追放と、奇妙な新規客


「クロエ、お前との婚約を破棄する。ついでにこの店からも出て行ってもらおうか」


 きらびやかなシャンデリアが輝く、王都最高級の魔服店『アトリエ・シルク』。その中心で、私の婚約者――だったはずのロベールが、見たこともないほど派手なピンクのドレスに身を包んだ女性の腰を抱き寄せ、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。


「え……? 婚約破棄か?」


 私が手に持っていた、たった今縫い終わったばかりの特注マントが、ふわりと作業台に落ちる。

 ロベールの隣で、これ見よがしに彼にすり寄っているのは、最近雇ったばかりの看板娘、リリアンだ。彼女は扇子で口元を隠しながら、クスクスと嫌味な顔をしている。


「聞こえなかったかしら? 地味で、華もなくて、いつも針箱ばかり抱えているあなたなんて、この格調高いお店には不釣り合いなのよ。これからは私という『本物の華』が、ロベール様を支えるんだから」


 本物の華、ね。

 私は彼女のドレスを観察した。胸元が開きすぎていて、縫製も甘い。あれでは激しい動きをした瞬間に弾け飛んでしまう。職人の視点から言わせてもらえば、華というよりは、雑な作りの造花にしか見えない。


「クロエ。お前の縫製技術が評価されていると思っていたようだが、勘違いするな。この店がこれほどまでに繁盛しているのは、経営者である俺の手腕と、うちが独占契約している『伝説の竜の絹』という最高級素材の力だ。地味なお前の技術なんて、誰が代わっても同じなんだよ」


 ロベールは冷酷に言い放つ。

 私はそっとため息をついた。

 なるほど、彼は何もわかっていない。この店に並ぶ服が、なぜ着る人の魔力を癒やし、戦場でも破れない強度を誇っているのか。


 それは素材が良いからではない。私が毎日、指先から魔力を糸に流し込み、『糸鎮め』という特殊な調律を行っているからだ。


(……っていうか、素材の魔力調整、明日から誰がやるつもりなのかしら?)


 引き継ぎとして、最低限の忠告はしておくべきだろう。


「ロベール。その『竜の絹』は、非常に強力な魔力を宿した素材なの。毎日私の魔力で制御しないと、布そのものが活性化して、着ている人の魔力を吸い尽くす暴走状態になるわ。私がいなくなったら、三日も保たないと思うけど……」


「はっ! 負け惜しみを! 職人風情が、自分の価値を上げようと必死だな。いいからさっさと荷物をまとめて出て行け。お前の持っているその汚い針箱だけは、持っていっても構わない!」


 ロベールの言葉に、リリアンも声を上げて笑う。

 ああ、もうダメだわ。話が通じない。

 私は静かに頭を下げた。怒りよりも、どこか晴れやかな気持ちが胸に広がっていた。


「わかったわ。それでは、本日をもって退職させていただきます」


 私は使い古した愛用の針箱を抱えた。

 今まで、一日の休みもなく働き続けてきた。三徹なんて当たり前だったし、ロベールのわがままな注文をこなすために睡眠時間を削り続けてきたのだ。

 それが今日、ようやく終わる。


(……やったわ。これでようやく、ゆっくり寝られる……どころか、ずっと休めるじゃない!)


 私は未練もなく、王都の目抜き通りに立つ豪華なアトリエを後にした。背後でロベールたちの笑い声が聞こえていたけれど、私はもう、三日後の彼らの顔を想像して、少しだけ口角を上げた。



 ◇◇◇



 それから一ヶ月。

 私は王都の隅っこ、細い路地裏にある小さなボロ家にいた。

 貯金をはたいて借りたこの場所が、私の新しい仕事場兼住居だ。表には小さな木の板に『補修屋クロエ』とだけ書いた看板を出してある。


「クロエちゃん、今日もお願いできるかしら? この靴下、もう穴だらけで」


「はい、お任せください。一瞬で直しますね」


 近所のおばさんが持ってきた靴下を受け取り、私は魔法を込めた針を動かす。ただ縫うだけじゃない。履く人の疲れが取れるように、わずかに癒やしの魔力を編み込んでいく。


「あら! なんだかこの靴下、新品の時より履き心地がいいわ。ありがとうねぇ」


 お礼にいただいたリンゴをかじりながら、私は日向ぼっこを楽しんでいた。

 アトリエにいた頃に比べれば収入は激減したけれど、心は驚くほど穏やかだ。誰にも邪魔されず、自分の好きなように針を動かせる。これこそが私の求めていた幸せかもしれない。



 その平穏が破られたのは、午後の紅茶を楽しもうとしていた時だった。


 ――ドォォォォンッ!!


 爆発音ではない。けれど、それに匹敵するほどの「魔力圧」が、狭い路地裏に満ちた。

 店の薄いドアが、みしりと悲鳴を上げる。

 ただ事ではない気配に、私は手に持っていたティーカップを置いた。


(何……!? この凄まじい魔力。まるで暴風雨の中みたい……!)


 バタンッ! と、勢いよくドアが開け放たれた。

 逆光の中に立っていたのは、一人の男性だった。


 私は息を呑んだ。

 そこにいたのは、漆黒の騎士団制服を纏った、目を疑うほどの美男子だった。

 月光を溶かしたような銀髪が、端正な額にハラリとかかっている。切れ長の碧眼は、凍てつく湖のように冷ややかで、けれどどこか焦燥の色を帯びていた。


 高い鼻筋、薄い唇、そして引き締まった顎のライン。神様が暇に任せて作り上げた最高傑作のような顔立ちだ。

 それなのに――。


(う、うっわ……美形! でも……服が死にかけてる!)


 彼の美貌よりも先に仕立て屋としての本能が、その「悲惨な状態」を察知した。

 彼の軍服は、肩の継ぎ目が裂け、袖口のボタンは弾け飛び、あちこちの糸が魔力の負荷に耐えきれず、今にも空中分解しそうなほどボロボロだったのだ。


「……ここが、どんな魔力にも耐える服を作れると聞いた、仕立て屋の店か」


 低く、耳に心地よく響くバリトンボイス。

 けれどその声には、隠しきれない疲労が混じっていた。

 私は我に返って、慌てて立ち上がった。


「い、いらっしゃいませ……。確かにここは補修屋ですが……お客様、その格好、一体何をしたんですか?」


「……ただ立っていただけだ」


「立っていただけ……?」


「俺の魔力は、並の衣類では制御しきれない。国内最高の仕立屋を十軒回ったが、どこで作らせた服も、三日と保たずにこうなる。……中には、袖を通した瞬間に爆散したものもあった」


 美男子――王国の若き騎士団長、レオンハルトは、忌々しそうに自身の肩を指差した。


 なるほど、納得だ。彼の体内には、魔導師団の魔力貯蔵量に匹敵するほどの膨大なエネルギーが渦巻いている。普通の布地や、普通の縫製では、彼の放つ魔力の奔流に耐えられるはずがない。


(かわいそうに……。こんなに素敵な服が、ご主人様の魔力に耐えられなくて泣いてるわ)


 私の胸に、久しぶりに熱い「職人魂」が燃え上がった。

 こんな強大な魔力を相手にするなんて、アトリエ時代でも経験したことがない。

 プロとして、これを見逃すわけにはいかないわ。


「……わかりました。騎士団長様、その服、私が何とかしてみせます。少しだけ、じっとしていてくださいね」


 私は針箱から、一番太い銀の針を取り出した。

 レオンハルトは疑わしげな視線を向けてきたが、私が彼の腕にそっと触れると、ピクリと肩を揺らした。


「おい、何を……」


「動かないで。今、あなたの魔力の『流れ』を読み取っていますから」


 私は目を閉じ、彼の身体から溢れ出す魔力の波長を分析した。

 荒々しいけれどとても純粋な魔力。

 私は自分の指先から、対照的なほど静かな魔力を紡ぎ出し、針に通した。


 シュッ、シュッ――。


 空中に光の糸が踊る。

 私は彼の軍服の裂け目に、魔力の「逃げ道」を作るように回路を縫い込んでいった。ただ塞ぐのではない。彼の魔力を衣類全体に循環させ、逆に布地の強度を高めるための「魔法陣」を刺繍として刻み込むのだ。



 数分後。

 ボロボロだった軍服は、まるで魔法にかかったかのように修復され、さらにはそれまで放っていた不安定な魔力の霧散もピタリと止まった。


「……っ!?」


 レオンハルトが、驚愕に目を見開いた。

 彼は自分の腕を動かし、何度も胸元を確かめている。


「……体が、軽い。今まで、常に全身を鋼鉄の鎖で縛られているような重圧を感じていたのに……。それに、服が俺の魔力と共鳴しているのか?」


「はい。魔力を循環させる回路を縫い込みました。これで、あなたがどれだけ魔力を解放しても、服は魔力に適応するはずです」


 私は満足げに頷いた。

 レオンハルトは呆然とした様子で私を見つめていたが、やがてその端正な顔が、耳の付け根まで真っ赤に染まっていく。


「……すごいな。君は、一体何者だ?」


「ふふふ。ただの、地味な補修屋ですよ」


 私は微笑んで答えた。

 レオンハルトは何かを言いかけ、口をモゴモゴと動かしたあと、乱暴に懐から革袋を取り出した。


「……代金だ。取っておけ。それと、名前を……名前を教えてくれないか」


「クロエと言います」


「クロエ……。わかった。……また、来る」


 彼はそれだけ言い残すと、逃げるような速さで店を飛び出していった。

 残されたカウンターの上には、ずっしりと重い、金貨が詰まった革袋。


「えっ、ちょっと待ってください! こんなに頂けません! お釣り――!」


 叫んだときには、すでに彼の姿は路地裏の向こうへ消えていた。

 私は呆然と金貨の山を見つめた。


(……何だったのかしら。あんなに顔を赤くして。もしかして、私の採寸が下手で、服のどこかが当たって痛かったのかしら?)


 私は首を傾げた。

 せっかく完璧に縫えたと思ったのに、もし痛かったのなら申し訳ないことをした。

 次に彼が来たら、もっと丁寧に、痛くないように補強してあげなきゃ。


 これが、私と「不器用すぎる騎士団長様」との、奇妙な日々の始まりだったなんて。その時の私は、まだこれっぽっちも気づいていなかった。




  第2章:毎週の「クレーム」とすれ違い


 あの日から、私の日常は劇的に変化した。

 平和な隠居生活を楽しむはずが、毎週土曜日の午後になると、決まってあの「凄まじい魔力圧」が路地裏を揺らすようになったからだ。


 ――ガタガタッ!


 棚に並べた糸巻きが震え、看板が風もないのに踊り出す。

 時計の針が午後三時を指した瞬間、店のドアが開かれた。


「……すまない。また、壊れた」


 そこに立っているのは、相変わらず心臓に悪いほど端正な顔立ちをした、王国の至宝ことレオンハルト団長様だ。


 今日も今日とて、銀髪は完璧に整えられ、軍服もピシッと着こなしている……はずだった。

 ところが、差し出された彼の右手には、またしても「それ」が握られていた。


「嘘……。また、ですか?」


 私は絶望に打ちひしがれながら、彼の手のひらに乗った小さな金属片を見つめた。

 それは、先週私が渾身の魔力縫製で取り付けた、特製強化魔法合金のボタンだった。

 しかも、糸が切れたというよりは、布地ごと「ブチッ」と引きちぎられたような痛々しい跡がある。


(そんな、そんなバカな……! あのボタン、大人の男の人が十人がかりで引っ張っても取れないはずなのに!)


 私の心の中に、仕立て屋としての激しい敗北感が渦巻いた。

 騎士団長様の魔力は、私の想像を絶している。補強しても補強しても、一週間でどこかが決壊してしまうなんて。


「申し訳ありません、団長様! 私の技術が未熟なばかりに、何度も足を運ばせてしまって……っ。プロとして、本当にお恥ずかしい限りです!」


 私は深々と頭を下げた。

 ところが、レオンハルト様はなぜか視線を斜め下の方へ逸らし、耳の先をほんのりと赤く染めてボソボソと呟いた。


「……いや。君のせいではない。俺の……その、扱いが荒いだけだ。気にするな」


 気にするな、と言われて気にしない職人がどこにいるだろうか。

 私は唇を噛み締め、ますます「強度不足」の解決に躍起になっていた。


「団長様。決めました。今日こそ、原因を根本から究明させていただきます!」


「……原因、か?」


「はい! おそらく、軍服のゆとりがあなたの激しい魔力変動に追いついていないんです。もっとミリ単位で体にフィットさせ、魔力の逃げ道を最適化する必要があります。……ですので、今日は『超詳細再採寸』をさせてください!」


 私の宣言に、レオンハルト様が石像のように固まった。



 ◇◇◇



「……あ、あの。クロエ……。そんなに、近くに寄る必要が……?」


 レオンハルト様の困惑した声が、すぐ頭上から降ってくる。

 私はそんなこと構っていられない。口にピンを数本くわえたまま、メジャーを手に彼の胸元に文字通り「飛び込んで」いた。


「動かないでください。胸筋の膨らみが魔力を圧迫している可能性があります。……失礼します!」


 私は彼の軍服のボタンを外し、シャツの上からその広い胸板に直接メジャーを当てた。

 触れた瞬間、指先に伝わってきたのは、鋼鉄のように硬く、それでいて驚くほど熱い筋肉の感触だった。


(うわあ……。さすが騎士団長様。服の下は、こんなに鍛え上げられているのね)


 効率的なラインを測ることに集中する。

 けれど、レオンハルト様の方はそれどころではなかった。

 彼を見上げると、銀色のまつ毛が細かく震え、碧眼が泳ぎに泳いでいる。呼吸は止まり、顔は今にも沸騰しそうなほど真っ赤だ。


(ひいぃぃ! やっぱり怒ってるわ! こんなに近くでベタベタ触られて、不快極まりないんだわ! 騎士団長様のプライベートゾーンを侵食してしまったんだわ!)


 私は恐怖に震えた。けれど、ここで手を止めたら、また来週「壊れたボタン」を見ることになる。

 私は心を鬼にして、今度は彼の腰回りに腕を回した。


「次は腰のラインを……! す、すぐ終わりますから! 命だけは助けてください!」


「命……っ!? いや待て、クロエ。俺は別に怒ってなど……くっ、心臓が……」


 レオンハルト様が呻くように何かを言ったけれど、私は必死すぎて聞き取れなかった。


 腕を回した際、私の顔が彼の胸元に深く埋まる形になる。

 ふわっと、彼の中から立ち上る香りが鼻をくすぐった。

 洗いたての清潔なリネンと、どこか冷涼な森の空気のような、不思議と落ち着く香り。


(……いい匂い。じゃなくて! 集中しなきゃ!)


 私は自分を叱咤し、手早く寸法を書き留めた。

 ようやく離れると、レオンハルト様はガクガクと膝をつきそうになりながら、近くの椅子に倒れ込むように座った。


「……死ぬかと、思った……」


「そんなに!? 私の採寸、そんなに苦痛でしたか!? 本当に申し訳ありません!」


 私は泣きそうになりながら、せめてものお詫びにとお茶を用意した。

 アトリエ時代なら来客用に出すことすら躊躇われるような、市販の安い茶葉だ。


「あの……お口に合わないとは思いますが。心を落ち着ける効果があるハーブを混ぜてありますので……」


 レオンハルト様は、震える手でカップを取り、一口飲んだ。

 そして、信じられないことに、うっとりとした表情を浮かべたのだ。


「……美味い。……こんなに美味い茶は、生まれて初めてだ」


(絶対嘘だわ……。味覚まで魔力の暴走で麻痺してしまっているんだわ。かわいそうに……!)


 私はますます、彼のために完璧な服を作らなければと決意を新たにした。

 一方で、レオンハルト様は、カップに残った茶を大切そうに見つめながら、消え入りそうな声で呟いた。


「……なあ、クロエ。君は……今の生活が、幸せか?」


 唐突な質問に、私は針を通す手を止めた。

 アトリエを追い出され、婚約も破棄され、路地裏で細々と暮らす日々。


「はい。とても幸せですよ。以前のお店では、誰のために縫っているのか、時々わからなくなることがありました。でも今は、団長様のように、私の技術を必要としてくださる方の顔が直接見えますから」


 私は心からの笑顔で答えた。

 すると、レオンハルト様は一瞬だけ目を見開き、それから今まで見せたことのないような、優しい微笑みを浮かべた。


「……そうか。なら、いいんだ。……来週も、また壊れるかもしれない。……その時は、また頼めるか」


「もちろんです! 二度と壊れない一着を、必ず完成させてみせます!」


 私は力強く宣言した。

 来週はボタンを二十個くらい予備でつけておこうかしら、などと考えながら。


 結局、この日も彼は「チップだ」と言って、多くの金貨を置いて帰っていった。

 私はその背中を見送りながら、少しだけ胸の奥がチクりと痛むのを感じた。


(……団長様。どうしてあんなに服をボロボロにしてしまうのかしら。騎士団のお仕事が、それだけ過酷っていうことよね。……私がもっと、彼を支えてあげなきゃ)


 それは、恋と呼ぶにはまだあまりに「職業病」に近い感情だったけれど。

 私の心に灯った小さな灯火は、確実にその色を変え始めていた。




 一方、その頃。

 王都の中心にある『アトリエ・シルク』では、不穏な空気が漂い始めていた。

 ロベールが「誰が縫っても同じだ」と豪語していた、伝説の竜の絹――その真の恐怖が、ついに牙を剥こうとしていたのである。




  第3章:『アトリエ・シルク』の崩壊


 私が路地裏で「レオンハルト様の服がなぜ壊れるのか」という難題に頭を抱えていた頃、王都の華やかな社交界では、ある「奇妙な噂」が広まり始めていた。


 曰く、『アトリエ・シルク』の新作ドレスには、恐ろしい呪いがかかっている――と。


「……ねえ、聞いた? 先日の夜会で、エメリ公爵令嬢が倒れたんですって」


「まあ。彼女、ロベールのお店で作った『竜の絹』のドレスを着ていたのでしょう?」


「そうなのよ。最初はとても美しくて注目の的だったのに、一時間もしないうちに顔色が真っ青になって……。まるで、命を吸い取られているみたいだったって」


 市場へ食材を買いに出た私は、耳に入ってきた貴婦人たちの立ち話に、思わず足を止めた。

 カゴの中のリンゴを落としそうになりながら、嫌な予感が背筋を駆け抜ける。


(やっぱり……。あれだけ言ったのに、『糸鎮め』をしていないのね……)


 私が店にいた頃、あの『竜の絹』は私の魔力によって、常に「冬眠状態」に保たれていた。


 あの布地は、生きていた頃の竜の魔力を色濃く残している。適切に鎮めていなければ、周囲の魔力を手当たり次第に吸収し、再び活性化しようとする性質があるのだ。


 魔力を持たない平民なら「なんとなく体がだるい」程度で済むかもしれないが、魔力回路が発達した貴族が着用すれば、それは文字通り、生体エネルギーを吸い尽くす「吸魔の布」へと変貌する。


「……大変なことになるわ」


 私は独り言を漏らし、急いで自分の店へ戻ろうとした。

 その時だ。


「どけ! どけ! 騎士団への納品だ、邪魔をするな!」


 横柄な声と共に、派手な装飾が施された馬車が路地を強引に突き進んできた。

 御者台で鞭を振るっているのは、かつて私を地味で華がないと罵った、ロベールの店の店員だ。


 馬車の窓からは、焦燥しきった表情のロベールが顔を覗かせていた。

 かつての余裕たっぷりの笑みは消え、目の下にはひどい隈ができている。隣に座るリリアンも、お気に入りのドレスが魔力を吸いすぎて色がくすんでいることに気づいていないのか、必死に化粧を塗りたくっていた。


(あんな状態で、まだ商売を続けるつもりなの……?)


 ロベールは、あちこちで発生している「ドレスによる体調不良」を、客の体調管理の問題だと決めつけて押し通しているらしい。


 けれど、流石に貴族たちの不満を抑え込めなくなった彼は、起死回生の一手として「騎士団の公式装備受注」を狙っているという噂だった。

 国を守る騎士団が公式に採用すれば、ドレスの不評など「騎士団の魔圧にも耐える最高級品の証」として揉み消せると踏んだのだろう。



 ◇◇◇



 その日の夕暮れ。

 私の店に、珍しくレオンハルト様が「土曜日ではない日」に現れた。

 しかも、いつになく険しい表情をしている。


「……団長様? 今日はどうなされたんですか? もしかして、またボタンが……?」


「いや。今日は服は無事だ」


 彼は私の顔を見るなり、一瞬だけ安堵したように目元を緩めたが、すぐに真剣な面持ちに戻った。


「クロエ。君に警告しに来た。……近いうちに、ロベールという男がここへ来るかもしれない」


「ロベールが? どうしてですか?」


「奴は騎士団に『竜の絹』を使ったマントを売り込んできた。……俺は一目で、それが使い物にならないゴミだと見抜いたがな。奴は諦めず、来週の『御前試合』で俺にそれを試着させろと国王陛下に直訴したらしい」


 私は息を呑んだ。

 御前試合。それは国王陛下や他国の使節も観覧する、王国最大の武術行事だ。

 そこでレオンハルト様のような高密度の魔力を持つ人が、あの暴走寸前の絹を纏ったら――。


「ダメです! そんなこと、絶対にさせられません! 団長様の魔力があの布に触れたら、吸収どころか、最悪の場合……布が活性化しすぎて、団長様を傷つけてしまいます!」


 私は思わず、彼の逞しい腕を両手で掴んでいた。

 レオンハルト様は、自分の腕を見下ろし、それから真っ赤な顔をして視線を泳がせた。


「……あ、ああ。わかっている。奴は、俺が君の店に通っていることを嗅ぎつけたようだ。君を脅して、何らかの細工をさせようとする可能性がある」


「私に……?」


「奴は『かつての婚約者の義務だ』などと、訳のわからないことを言っていた。……安心しろ。俺が君に指一本触れさせはしない。……君は、俺が守る」


 レオンハルト様の力強い言葉。

 私を安心させるための言葉だとわかっているのに、なぜか胸の奥が、これまでとは違う熱さで跳ねた。


 けれど、私の心配は別のところにあった。

 ロベールは、自分の売っているものがどれほど危険か、最後まで理解しようとしないだろう。

 そして、レオンハルト様は……私のお店を守るために、無理をしようとしている。


(……いいえ。守られるだけなんて、仕立て屋の名が廃るわ)


 私は彼の手をぎゅっと握り返した。


「団長様。お願いがあります。御前試合、私の作った『新作』で出てください」


「新作……? だが、ロベールのマントを羽織ることは陛下との約束で……」


「いいんです。マントの下に、私の服を着てください。……あの男が持ち込む『呪い』を、私の技術ですべて無効化してみせます」


 私の瞳に宿った強い意志に、レオンハルト様は一瞬圧倒されたように目を見開き、やがて頼もしげに口元を綻ばせた。


「……承知した。君の腕に、俺の命を預けよう」


 その夜、私は一睡もせずに針を動かした。

 ロベールへの復讐のためではない。

 ただ、自分を信じて命を預けてくれる、この不器用で美しい騎士様を――世界で一番輝かせるために。


 アトリエ・シルクの崩壊は、もう止められない。

 そして運命の御前試合、すべての決着をつける時が刻一刻と近づいていた。




  第4章:御前試合での対決と真相


 王立競技場は、熱狂的な歓声と、華やかな貴族たちの香水の香りに包まれていた。

 今日は建国記念を祝う御前試合。国王陛下を筆頭に、この国の重鎮たちが勢揃いする大舞台だ。


 私は観客席の端で、祈るように両手を握りしめていた。

 周囲では、派手なドレスを着た貴婦人たちが、口々に『アトリエ・シルク』の噂をしている。


「見て、あそこの『アトリエ・シルク』のオーナーを。自信満々だわ」


「今日、団長様が着るマントは、伝説の竜の絹を三頭分も使った超大作だそうよ。……でも、最近のあのお店、少し不安だわ」


 観客席の中央、一段高い特別席の近くで、ロベールがこれ見よがしにふんぞり返っていた。

 リリアンもまた、これでもかというほど宝石を散りばめたドレスで周囲を威圧している。


 ロベールと目が合った。

 彼は私に気づくと、鼻で笑い、親指を下に向ける下劣なポーズを取った。


(笑っていられるのも、今のうちよ……)


 私は静かに視線を競技場へ戻した。

 ファンファーレが鳴り響き、銀色の鎧に身を包んだ騎士たちが整列する。

 その先頭。

 一歩前に出たのは、私の「専属客」――レオンハルト様だった。


 彼は、ロベールが提供したという「竜の絹のマント」を羽織っていた。

 一見すれば、深紅の布地に黄金の刺繍が施された、この世のものとは思えないほど豪華な品だ。


 けれど、私の目にははっきりと見えていた。

 マントからはどす黒い魔力の澱みが噴き出し、まるで飢えた獣のように、レオンハルト様の魔力を奪おうと蠢いているのが。


「……さあ、始めようか」


 レオンハルト様が静かに告げ、腰の剣を抜いた。

 演武の開始だ。

 彼が軽く踏み込んだ瞬間、競技場の空気が一変した。

 彼の中から溢れ出す、暴風雨のような強大な魔力。

 普通の人間なら、その気圧に押されて立っていることすらできないだろう。


 その時だった。


「ひ……っ!? な、なんだ、あのマントは!?」


 観客席から悲鳴が上がった。

 レオンハルト様の魔力が全開になった瞬間、彼が羽織っていたロベールのマントが、不気味な紫色の光を放ち始めたのだ。

 布地はバチバチと音を立て、彼の魔力を逃がすどころか、内側へ押し込め、逆流させようとしている。


「おほほ! 見なさい、これこそが素材の力よ! 団長様の魔力を受けて、マントが輝いて……」


 リリアンが勝ち誇ったように叫んだ、その直後。


 ――バヂィィィィィィンッ!!!


 鼓膜を突き破るような破裂音が響き渡った。

 次の瞬間、豪華絢爛だったはずのマントは、無惨にも粉々に引き裂かれ、どす黒い塵となって霧散したのだ。


「な……っ!? そんな、バカなっ!! 俺の、俺の最高級素材がぁ!!」


 ロベールが椅子から転げ落ち、絶叫する。

 会場は静まり返った。

 誰もが、マントを失い、魔力の暴走に飲み込まれるであろう騎士団長の身を案じ、息を呑んだ。


 けれど――。


「……信じられん。なんて、美しいんだ……」


 誰かが、ぽつりと漏らした。

 マントの塵が晴れたそこには、傷一つ負わず、凛々しく立つレオンハルト様の姿があった。


 彼が着ていたのは、私の作った軍服だ。

 彼の強大な魔力は、私が編み込んだ循環回路を通り、服の表面を清らかな青白い光へと変えていた。

 星の光を纏っているかのような、神々しいまでの輝き。

 暴走するはずのエネルギーは、すべて彼の「盾」となり「力」となり、完璧に制御されていた。


「……ふぅ。やはり、君の服は最高だな、クロエ」


 レオンハルト様は、観客席にいる私を見つめ、誰にも気づかれないほどのわずかな笑みを浮かべた。

 そして、彼は一歩、また一歩と、震えながら座り込んでいるロベールの方へ歩み寄った。


「ロベールと言ったか。貴様、こんな危険ものを騎士団に売ろうとしたのか」


「ひ、ひぃっ! ち、違います、それは……! 素材が、素材を管理していた、元従業員が悪かったんです! そうだ、全部クロエのせいだ!」


「黙れ。これは着る者の魔力を狂わせ、命を奪おうとする呪いの布だ。……俺がこの下に着ていた魔服の仕立て屋の一着がなければ、今頃俺は魔力逆流で死んでいただろう。……陛下、これは明確な暗殺未遂です」


 レオンハルト様の氷のような声が、競技場全体に響き渡った。

 上座にいた国王陛下が、重々しく頷く。


「……衛兵。その者らを捕らえよ。職人としての誇りを捨て、偽物を売って騎士の命を危険に晒した罪、決して許されん」


「そ、そんな……! クロエがいなくなっただけで、どうして、どうしてこんなことに……!!」


 ロベールは泣き叫びながら、リリアンと共に衛兵に引きずられていった。

 かつての栄光も、金も、地位も。

 私が支えていた「魔法の土台」を失った瞬間、すべては砂の城のように崩れ去ったのだ。


 嵐のような拍手と歓声が、レオンハルト様を包み込む。

 彼はそれに応えることなく、ただ真っ直ぐに、私だけを見つめていた。


 私は、震える指先で涙を拭った。

 仕立て屋として、これ以上の喜びはない。

 私の技術が、大切な人を守り抜いたのだ。


(……よかった。本当に、よかった……)


 けれど、この時の私はまだ知らなかった。

 この勝利の後に、あの不器用な騎士団長様が、どんな「とんでもないこと」をしでかしてくれるのかを。




  最終章:不器用な告白と、新たな波乱の予感


 御前試合から数日後。

 王都は、呪いの品を売っていた『アトリエ・シルク』の没落と、一人の「無名の女性仕立て屋」が救国の騎士団長を救ったという話題でもちきりだった。


 けれど、当の本人である私はといえば。


「……よし。これでよし。これなら火を直接触っても燃えないわ!」


 相変わらず路地裏の小さな店で、近所のおばあちゃんの鍋つかみを修繕していた。

 有名になろうが何だろうが、針を動かす私の手は変わらない。

 けれど、一つだけ、いつもと違うことがあった。


 ――ガタガタガタッ!!


 いつもの「魔力圧」が、今日に限ってはこれまでの三倍近い規模で店を揺らしたのだ。


「ひいぃっ!? な、何事!?」


 慌ててドアを開けると、そこには軍服を完璧に着こなしたレオンハルト様が立っていた。


 今日はお仕事帰りではないのか、マントも付けていない。

 それどころか、彼は抱えるのも一苦労なほど巨大で豪華な花束を抱えていた。


「だ、団長様!? 今日はどうされたんですか? もしかして……服が破れましたか!?」


 私は反射的に彼の袖をチェックした。

 けれど、どこも破れていない。ボタンも一つ残らず、私が縫い付けた位置にしっかりと鎮座している。


 レオンハルト様は、顔を真っ赤にして、視線を右へ左へ、さらには天井へと泳がせながら、絞り出すような声で言った。


「……服は、壊れていない。だが……その。伝えなければならないことがあって……来た」


「伝えなければならないこと?」


 私は首を傾げた。

 彼は一つ、大きく深呼吸をすると、私の目を真っ直ぐに見つめて、震える声でこう言ったのだ。


「クロエ。君という人は、俺にとって……かけがえのない存在だ。……俺の、隣に……一生、いてほしい」


 一生、隣に。

 その言葉の意味を、私の脳は「職人回路」を通して瞬時に変換した。


「わかってます、団長様! ……つまり、騎士団全体の『専属メンテナンス契約』のお話ですね!?」


「…………は?」


 私は拳を握りしめ、熱っぽく語った。


「御前試合で私の技術を認めていただけたんですものね。これから団長様だけでなく、部下の皆さんの服もすべて私が管理し、常に最高のコンディションを保つ……。ああ、なんて名誉なことでしょう! お任せください、団長様! 私、死ぬ気で縫います!」


 レオンハルト様は、真っ白に燃え尽きたような顔で固まった。

 抱えていた巨大な花束が、カサリと床に落ちる。


「……いや……そうでは、なくて……。俺は、君個人と……」


「団長、また撃沈したね。お疲れ様」


 呆れたような声と共に、陰からひょっこりと現れたのは、騎士団の副団長さんだった。

 彼は私の隣に寄ってくると、耳打ちするように信じられないことを囁いた。


「クロエさん。知ってた? 団長、君に会いたくて、毎週自分の部屋で必死にボタンを引きちぎってたんだよ。昨日は『壊れてなくても会いに行く!』って、部屋で一晩中、告白の練習してたんだ」


「えっ……? 引きちぎって……? 自分で……?」


 私はフリーズした。

 これまでの「強度不足」の謎が、一瞬ですべて解けていく。

 私の技術不足じゃなかった。

 彼は、ただ、私に会いに来るために――。


「そ、そんなの……だって、あんなに綺麗な人が、私なんかに……っ」


 顔が火を吹くほど熱くなる。

 レオンハルト様は、崩れ落ちるように膝をつき、顔を覆っていた。

 その姿は、戦場の英雄とは思えないほど情けなくて、けれど、愛おしくて。


 私が何かを言おうと、震える手を彼に伸ばした、その時だった。


 ギィィィ……と、路地裏に似つかわしくない、重厚な馬車の車輪の音が響いた。

 止まったのは、見たこともない紋章が刻まれた、漆黒の馬車。

 中から降りてきたのは、全身を黒いローブで包んだ、奇妙な男だった。


「見つけたぞ……『神魔の縫製師』の末裔よ」


 男の声は、墓穴の底から響くように冷たかった。

 男が差し出したのは、一本の「黄金の針」。

 それを見た瞬間、私の指先が、今まで感じたことのない激しい熱を帯びた。


「な……に……これ……?」


「この針、そして君の血に流れる魔力縫製の技術。……それは、一国を滅ぼす魔導兵器を完成させるための、最後の鍵だ。……さあ、クロエ。君を連れ戻しに来たぞ」


 レオンハルト様が、瞬時に立ち上がった。

 彼は私を背中に隠し、腰の剣を抜く。先ほどまでの不器用な表情は消え、そこにあるのは、愛する者を守り抜く最強の騎士の顔だった。


「……消えろ。この人は、誰にも渡さない」


 男は不敵に笑い、周囲に黒い魔力の影を広げていく。


「ちょっと待って……私、ただの地味な仕立て屋なんですけど!? 恋だの、世界を滅ぼす鍵だの、私の針箱には収まりきらないんですけどーーーっ!!」


 私の叫びが、夕闇の路地裏に虚しく響き渡る。

 

 果たして、私の「穏やかな休暇」はいつになったら取れるのか。

 そして、私の針が紡ぎ出す運命は、どこへ向かうのか。

 

 魔服の仕立て屋さん、クロエの物語は、まだ始まったばかり。



――Fin.



読んでいたきありがとうございます。

ファンタジー色が強めの物語を書いてみました。


もしよろしければ、評価をしていただけるととっても嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
刺繍と魔法という組み合わせ、とても格好良いです!周囲の人たちの反応も面白いです!素敵な物語!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ