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平民落ちを宣言された王子、実は一番優秀でした

作者: イッセ

王立学園の卒業祝賀会――

 百を超える燭台が煌々と輝く大広間は、今や華やかさの裏で異様な緊張に包まれていた。


 「侯爵令嬢エレーナ・フォン・アーデルハイト。

  本日をもって、我――第一王子アルノルトは、そなたとの婚約を破棄する!」


 高らかな声が、祝賀の音楽を断ち切った。


 エレーナは一瞬、言葉を失った。

 周囲の貴族たちもまた、息を呑む。

 だが、当の王子アルノルトは勝ち誇ったように顎を上げた。その傍らには、楚々とした姿を装った男爵令嬢リリアナが寄り添っている。


 「理由は……言わずとも分かるであろう?」

 アルノルトは芝居がかった溜息をつき、リリアナの肩を抱き寄せた。

 「そなたが、リリアナを執拗にいじめていたからだ」


 ざわり、と大広間に波紋が走る。


 リリアナは震えた声で訴えた。

 「ひっ……ひどいのです、殿下……! 私、何度も……」


 まるで自分こそが悲劇のヒロインであるかのように。

 だが、その証言に眉をひそめたのは老練な公爵や伯爵たち。

 一方で若い貴族の何人かは、面白半分と言わんばかりに小声で囁き合っている。


 「おい、本当にやるのか、殿下……?」

 「面白いことになってきたな」


 その軽薄な空気に、エレーナは静かにまぶたを閉じた。

 ――この場に他国の使節がいることを理解しているのか?

 ――この宣言が、どれほど外交的な痛手になるか分かっているのか?


 胸の奥で、冷えた疑問が渦巻いた。


 アルノルトはさらに言葉を重ねる。

 「貴族社会でのいじめ、しかも俺の愛する女性に対してだ。到底、許されるものではない!」


 「……証拠は、ございますの?」

 エレーナは落ち着いた声で問い返した。


 「証拠?」

 アルノルトは鼻で笑った。

 「俺がそう判断した。それで十分であろう。王族の言葉に、いちいち裏付けなど――」


 「殿下、その言い草は少々乱暴では?」


 空気を切り裂くように、一人の青年が歩み出た。

 男爵家の次男坊、ユリウス・バルムント。

 普段は温厚で知られる青年だが、その眼差しは鋭く、王子を真正面から射抜いていた。


 「リリアナ嬢がいじめられていたという話……。その場に居合わせた者の証言はあるのですか?

  殿下の仰ることだけでは、免罪どころか、ただの断罪では?」


 会場がざわめく。

 老貴族たちは揃って渋面をつくり、若い貴族たちは期待に満ちた目でユリウスと王子を見比べていた。


 「貴様……! 男爵風情が王族の判断に楯突くか!」

 アルノルトが怒声を上げる。


 だがユリウスはたじろがない。

 「ここは卒業パーティー……。しかも、他国の来賓も招いている公式の場です。殿下が“証拠もなく婚約破棄を宣言した”となれば、この国の恥。外交問題にさえ発展します」


 その瞬間、会場全体の色が変わった。

 ――そうだ、なぜこんな場で?

 ――常識ではありえない。


 重鎮の公爵が低く唸るように呟いた。

 「まさか、本気でおやりになるとは……」


 ユリウスは間髪入れず、さらに踏み込む。


 「加えて殿下。

  本来、王族である殿下が担うべき“各省からの報告整理”“税収の差異確認”“領地問題の把握”といった実務の多くを……殿下はエレーナ様に丸ごと任せていたと伺っています」


 会場の空気が一段と凍りつく。


 「その状態で“いじめだ”などと主張されても……整合性がありません」


 老貴族たちは顔をしかめ、若い貴族たちはざわつきながら王子へ視線を送った。


 アルノルトは歯噛みした。

 「黙れ……! これは王族の判断だ!」


 ユリウスは一歩前に進む。

「では、もう一つ問わせてください。

  殿下はご存じのはずです。殿下が侯爵令嬢との婚約を破棄すれば――

  あなたの王位継承権は失われる。母方が側室筋である殿下には、侯爵家の後ろ盾が必要不可欠だと」


 若い貴族たちがどよめく。


 老貴族の一人が重々しく呟いた。

 「……いよいよ、訳が分からんな」


 その刹那――


 大広間の扉が重々しく開いた。

 国王と王妃が、静かな怒りを宿した表情で姿を現した。


 国王レオンハルトと王妃が姿を現すと、大広間のざわめきは嘘のように静まり返った。


 国王レオンハルトと王妃が姿を現すと、大広間のざわめきは嘘のように静まり返った。


 国王の声は、氷を散らすように鋭かった。

 「アルノルト。お前の軽率な言動が、どれほど国の信用を損なうか。……分かっているのだろうな?」


 アルノルトは苦い顔で俯く。

 その隣で男爵令嬢リリアナは泣きそうな顔をしていた。


 王妃が静かに言う。

 「他国の使節が見守る公式の場で婚約を破棄するなど、王族としてあってはならない愚行です」


 王妃はさらに言葉を重ねた。

 「それに、あなた自身よく理解しているはずでしょう。

  あなたは“側室筋”の血を引く身。

  王位継承者として盤石とはいえず、

  侯爵家との婚約があってこそ、後ろ盾が成り立っていたのです」


 会場に小さなどよめきが走る。

 若い貴族たちはその意味を理解しきれず、老貴族たちの表情だけが重く沈んだ。


 国王も厳しい声で続ける。

 「その立場で――その血筋で、よくも軽々しく“婚約破棄”などと言えたものだ。

  侯爵家の支持を失えば、お前が後継ぎに留まることは不可能。

  その程度のことも理解していなかったのか?」


 アルノルトは震える指で拳を握りしめるが、反論はしない。


 国王は重々しく宣告した。

 「第一王子アルノルトよ。王族としての自覚を欠いた行為――

  本日をもって、お前の王位継承権を剥奪し、王族籍を除く。身分は、平民とする」


 大広間に衝撃が走る。

 息をのむ音が、あちこちでこだました。


 アルノルトは唇を噛みしめ、震えるリリアナを伴って一礼する。

 「……申し訳ありません。これ以上、皆様の前に立つ資格はありません。退場いたします」


 彼は背を向け、会場出口へと向かった。

 リリアナもふらつきながら後を追う。


 ――王子が、平民として去る。

 その現実に、会場全体がため息にも似た沈黙に飲まれた。


 だが――


 「殿下。……最後に質問があります」


 その静寂を破ったのは、男爵家の青年ユリウスの声だった。


 アルノルトの足が止まる。

 背を向けたまま、ゆっくりと振り返る。


 「……なんだ?」


 その返事には、さきほどまでの焦りや混乱が一切なかった。

 

 王子の様子が変わったことに疑問を持つが、

 ユリウスはまっすぐに見据えて問う。

 「なぜ、このような形で婚約破棄を?

  殿下は自らの立場がどうなるか理解していたはず……此度の一件理由がわかりません」


 アルノルトは一瞬、目を伏せたが。


 次に顔を上げた時――

 その瞳には、これまで見せたことのない静かな光が宿っていた。


 まるで別人のような、落ち着きと知性を帯びた顔。


 「……逆に聞こう、ユリウス」


 会場がざわついた。

 その声音は、先ほどまでの軽薄さを捨てた、研ぎ澄まされた王子のもの。


 「なぜエレーナが、俺の押し付けた膨大な“王族の仕事”を、何の問題もなくこなせたと思う?」

 エレーナ自身が息を呑む。


 ユリウスは慎重に答えた。

 「……周囲に尋ね、情報を集め、現場の声を拾いながら仕事を整理したからだと聞いています」


 アルノルトはゆっくりと頷いた。

 「そうだ。だからこそ、彼女は“脱税”や“不当な徴収”を見抜いた。

  王都にいるだけでは決して掴めない現場の声を、彼女は結びつけてくれた」


 老貴族たちが一斉に息を呑む。

 若い貴族たちは事態の急転に、唖然としながらも熱い視線を向け始めていた。


 アルノルトは続ける。

 「だが、王族は王都から動けない。

  “正しく仕事を任せる仕組み”が必要でも……それを進めれば一つの問題に必ずぶつかる」


 ユリウスが問う。

 「……問題とは?」


 アルノルトは淡々と口にする。


 「王族による中央集権が保てない」


 広間が息を止めたように静まり返る。


 「仕事を貴族に任せれば、その貴族の力は増す。

  それは王家の力の低下につながる。

  ――だから、この国は“変われない”構造なのだ」


 ユリウスの顔に理解が広がる。


 「まさか……それを承知で殿下は……?」


 アルノルトは微笑んだ。

 それは初めて見せる、知略に満ちた笑み。


 「そうだ。これは王子である俺ではできない改革だ。

  俺は“王位継承者から外れる必要があった”」


 若い貴族たちから驚きの声が漏れる。


 ユリウスはさらに問わずにいられない。

 「では……後継ぎは弟君が?」


 「そうだ。

  直系であり、貴族間の力関係も問題ない。

  “改革を進める王”として最適だ」


 そして王子は、ユリウスへと鋭い問いを返す。


 「……そもそも、ユリウス。

  お前は気づかなかったのか?

  “男爵の息子であるお前が王子に質問を飛ばしている”という事実に」


 ユリウスの瞳が大きく揺れた。

 たしかに、普通なら許されないはずだ。


 アルノルトは淡く笑った。


 「今日、お前が発言した瞬間――

  “年のいった公爵たちは眉をひそめ、若い貴族は面白がった”。

  あれは何を示していた?」


 ユリウスははっとする。


 「年々、王家の影響力が落ちている証拠だよ。

  若い世代は王家の“恐ろしさ”を知らない。

  つまり――

  王族が自ら変わらねば、国は変われない時代が来ているということだ」


 ユリウスは震える声で問う。

 「ならば……なぜ今すべてを明かしたのです?

  黙っていれば、もっと綺麗に退けたはずでは……」


 アルノルトは肩をすくめた。


 「国王の言葉を聞いていなかったか?

  “王族の発言は取り消せない”と。

  そしてお前も言っていたな――

  “他国の来賓がいる場での宣言は撤回不能”だと」


 ユリウスはぞくりと背筋が震えた。


 アルノルトはゆっくりと告げる。


 「平民落ち。

  ――すでに確定事項なんだよ」


 その笑みは、

 最初から最後まで、すべてを見通し、計画し、

 掌の上で転がしていた男のものだった。


 アルノルトは静かに踵を返し、男爵令嬢リリアナを伴って出口へ向かう。

 すでに彼に“王子”としての立場はない。それでもその背中には、不思議な威厳が残っている。


 ――会場は、しばしの沈黙に包まれた。


 誰一人、軽々しく口を開こうとはしない。

 貴族たちは各々の胸中で“今見たものの意味”を整理しようとし、

 老貴族ですら深い思考の海へ沈んでいた。


 そんな中、ユリウスがエレーナのもとへ歩み寄る。


 「エレーナ様……ご無事ですか?」


 エレーナは、驚くほど落ち着いた声で答えた。

 「ええ……ただ、殿下があれほどの考えを抱えていたなんて、想像もしていませんでしたわ」


 その表情は硬くも柔らかくもない。ただ静かに現実を受け止める貴族としての顔だった。


 ユリウスは視線を伏せる。

 「殿下は……あなたを信頼していたのでしょう。

  任せた仕事を完遂できるだけの能力と誠実さを、殿下は誰より分かっていた」


 エレーナはわずかに目を伏せた。

 「そうなのでしょうね。けれど……それなら、なぜ私に相談してくださらなかったのかしら」


 その小さな呟きは、誰にも届かないほどかすかだった。


 ユリウスは返す言葉を見つけられない。

 王族の思惑。政治構造の変革。

 そこに婚約者であるエレーナを巻き込まないようにした――

 そう考えれば辻褄は合う。だが、それを今口に出すのは酷というものだ。


 ユリウスが言葉を探すより先に、国王がエレーナへと歩み寄った。


 国王と王妃は、先ほどまでの厳格な表情とは違い、深い悔恨を滲ませている。


 「エレーナ……今回の件、本来ならばお前が傷つけられる理由など一つもなかった。

  心から謝罪する」


 エレーナは裾をつまみ、深々と一礼する。

 「謝罪の言葉をいただけるだけで十分でございます、陛下」


 王妃も静かに語る。

 「あなたにはしばらく心を休めてもらいたいわ。

  今日の混乱で、どれほどの負担を負ったか……」


 だがエレーナは緩やかに首を振る。

 「私はただ、殿下がご自身の道を選ばれたことを見届けただけ。

  それが、この国にとって正しいことならば……私は、それで構いません」


 その真摯な姿に、王妃が胸に手を当てる。

 老貴族たちもまた、彼女の毅然とした姿勢に感嘆の息を漏らした。


 会場のあちこちで小声の議論が始まる。


 「王子殿下……あれは本当に未来を見据えての行動だったのか」

 「いやはや、若いと思っていたが……あれほどの先見を持っていたとは」

 「侯爵令嬢エレーナ殿の働きぶりも、こうして見ると……」


 若い貴族たちは興奮気味に囁き合っていた。

 一方で年長の公爵たちは、改革と権力構造に思案を巡らせていた。


 国王は重い沈黙の中、呟くように言った。

 「……あやつは最初から、そのつもりだったのだな」


 王妃は悲しげに目を閉じる。

 「あの子は昔から……必要とあれば、自分を切り捨てる子でした」


 その時。


 出口へ向かっていたアルノルトが、ふと足を止めた。

 振り返らずに言う。


 「エレーナ。……最後に一つだけ、礼を言っておく」


 エレーナだけでなく、全員が息を呑んだ。


 「お前が“正しい仕事”をしてくれたおかげで――

  俺は、自分の役目が何かを確信できた」


 声は穏やかで、どこか誇らしげで。


 「……ありがとう」


 それだけ言うと、アルノルトは歩き出す。

 リリアナは困惑と不安を入り混ぜた表情でついていくしかなかった。


 会場の誰も、その背中に言葉を返すことはできなかった。


多くの婚約破棄ものを読みましたが、幼少から教育を受けている王子様がそんなに馬鹿なわけないよねと思って書きました。

ま、周りが王子のいきなりの婚約破棄にろくに疑問を挟まないあたり、この小説もツッコミどころ満載なわけですが(笑)

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