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99話--慢心と罠--

 次の講座に関しては、国際交流戦が終わってから――と、魔力循環の講座が終わった日に皆で決めて、さっさと告知まで出してしまった。

 だから今の私の仕事はひとつ。拠点の安全を確保するために、ひたすらダンジョンを潰すこと。


 やることは単純だ。

 ゲートを見つける、入る、ボスを斬る、出る。

 その繰り返しを、ハイペースでこなしていく。


 順当に三日間かけて、周辺のダンジョンを淡々と制覇していった。

 特に危険もなく、想定外もなく、私にとっては「作業」と呼んでも差し支えない難度。


 ……で、そういう「慣れ」が出てきたあたりで、それは起きた。


「ここを潰せば残り三つか……あと少しだ」


 ひとつ深呼吸をして、目の前のゲートに手を伸ばす。

 指先が光の膜に触れた、その瞬間――。


 ゲートの色が、どす黒く変色した。


「――嘘でしょ!?」


 白から黒へ、という単純な変化じゃない。

 インクをぶちまけたみたいに、じわじわと黒が広がって、ゲート全体を塗り潰していく。

 そして次の瞬間には、まるで風船みたいに、異様なサイズまで膨れ上がった。


 引きつるように、思わず手を引っ込めようとする。

 けれど、もう遅い。


 視界がぐにゃりと歪んだ。

 足元から上半身にかけて、重力がおかしくなったみたいに身体が前に引っ張られる。

 掃除機が布を吸い込むみたいに、私の全身がゲートの中へと呑み込まれていく。


(まずい――)


 状況を拠点に知らせるため、肺いっぱいに空気を吸い込む。

 魔力を声帯に乗せて、喉が裂けそうなほどの大声で叫んだ。


「カレン!!!! 『ミミックゲート』!!!」


 拠点からはおよそ三十キロ。

 けれど、魔力に敏感なカレンなら、この声の振動を拾ってくれるはずだ。

 そう信じたところで、私の身体は完全に闇へと飲み込まれた。



 ダンジョンの中へ投げ出された瞬間。

 得体の知れない気持ち悪さが、内臓に手を突っ込まれたみたいに一気に襲ってきた。


「……うぇ」


 思わず、その場に膝をついて吐いた。

 何も食べていないわけじゃないのに、胃の中身より先に胃液が逆流してくる。


 口の中に残る酸っぱさをごまかすように、心の中で盛大に舌打ちをする。


(――この気持ち悪さは……かなり、まずい)


 ダンジョンでは、稀に「地球と時間の流れが違う場所」に繋がっていることがある。

 地球より時間の流れが遅いダンジョンは、身体がふわっと浮くような、重力が軽くなったような感覚。

 逆に、地球より時間の流れが速いダンジョンは――今のような、内臓をぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような不快感。


 回帰前、四十五年間のうちに、一度だけ今回と同じ「時間が速い側」のダンジョンに入ったことがある。

 その時の症状だって、決して軽くはなかった。

 それでも、今と比べればまだマシだったと言い切れる程度には、今の気持ち悪さは桁違いだった。


 あのときはダンジョン内で十日かけて攻略し、外に出たら一日しか経っていなかった。

 それでこのレベルの違和感だった。


(今回は――下手すれば、百日で一日とか、その次元かもしれないね……)


 それだけじゃない。

 極めつけは、さっき叫んだ『ミミックゲート』という単語だ。


 宝箱に擬態するモンスター――ミミックにちなんで名付けられた、それは。

 ゲート自体の大きさや性質を偽装する、極めて悪質なタイプのゲートを指す。


 回帰前、四十五年間の中で確認された事例は、たったの三件。

 いずれも、中に入った人間は誰一人戻ってこなかった。


 さらに厄介な特徴として。一度誰かが中に入ると、そのゲートは他の者を一切受け付けなくなる。

 外側から触れれば、柔らかい膜に押し返されるだけで、中に入ることすら叶わない――そんな報告を、回帰前に何度か読んだことがある。


 つまり、ここは。

 ダンジョンの構造すら分からず、帰還者もいない、ほぼ未知の領域ということだ。


 カレンには、魔界に居た五年の間に、回帰前の情報をかなり細かく話してある。

 もちろん『ミミックゲート』についても説明した。

 そのとき、カレンは「ん、聞いたことない」と首を傾げていた。


「ゲートは魔族が開いているって聞いてたけど……もしかすると、このゲートは違うのか……?」


『核心を突く貴女の発言に叡智の神が拍手をしています』


『全能の神が頷いています』


 ――ははっ。


 状況だけ見れば、笑えないどころか頭を抱える案件だ。

 けれど、いつもの調子でこちらを観察している神々のコメントを見て、ふ、と肩から力が抜けた。


「……あれこれうだうだ考えるのは、私らしくないよね」


 ぱちん、と両頬を軽く叩いて、気持ちを切り替える。


 まずは現状把握だ。

 くるりとその場で一周して、周囲の景色を見渡す。


 振り返れば、背後には天を突き刺すみたいな巨大な崖――いや、ほとんど壁と言っていい岩盤がそびえている。

 表面はつるりとしていて、足場になりそうな突起もほとんどない。

 ……あれを登るのは、さすがに現状では無理だろう。


 足元は、膝下あたりまで伸びた草が一面に生えている。

 少し先――十メートルほど行ったところから、木々が密集し、深い森が口を開けていた。


(とりあえず、あの森に入るのが正解、かな)


 そう結論づけつつ、念のため装備状況を確認するために腰へ手を伸ばす――が。


「――あれっ? もしかして、拠点に置いてきた……?」


 そこにあるはずのアイテム袋が、影も形もなかった。


 確かに、今朝――いや、こっちに来る前――持ってきた覚えがない。

 完全に、私の慢心だ。


 頭をぐしゃぐしゃと掻き回し、ひとつ深呼吸をしてから現実を飲み込む。


(ま、ないものは仕方ない。食料は現地調達で何とかするしかないか)


 地面に突き刺しておいた剣を抜き、森の方へ歩き出す。

 最初の木の幹の横を通り過ぎた、その瞬間だった。


 目の前に、見慣れたようでいて、見慣れない――“赤い”ウィンドウが突如として浮かび上がった。


 そこには、簡潔な文章が表示されていた。


『チュートリアル:始まりの森林へようこそ! 全プレイヤーの公平化のためレベルとステータス、スキルと装備は統一されます』


「――は?」


 読み終わるのとほぼ同時に、違和感が全身を駆け巡る。


 着ていた服が、一瞬ふわりと軽くなったかと思えば、そのまま霧のように消え失せた。

 次に意識を戻したときには、粗い麻布で作られた、ボロボロの服を身にまとっていた。


 手に握っていた剣も、見慣れたものではない。

 無駄に重く、やたらゴツゴツした鉄製のロングソード。

 身体そのものも、鉛を詰め込まれたみたいにずしりと重い。


 試しに、そのロングソードで近くの木を斬りつけてみる。

 いつも通りの感覚で斬撃を放ったというのに――木は断ち切れず、刀身が半分ほど食い込んだところで止まった。


「……嘘でしょ?」


 背筋に冷たいものが走る。


 嫌な予感を確かめるため、ずっと見ないようにしていたステータス画面を――念じて、呼び出した。


 そこに表示された数値に、私は言葉を失った。


 個体:橘アキラ Lv.1

 種族:人族?

 性別:女


【能力値】

 攻撃力:40

 素早さ:40

 防御力:120


 所有スキル

 【全知】【器】


 最後に確認したときの記憶と照らし合わせる。

 二千を超えていた攻撃力も、千を超えていた素早さも、きれいさっぱり消し飛んでいる。


 唯一、防御力だけが以前と変わらず高いままだ。

 これは、『竜体』『竜骨』『竜の心臓』――竜関係のスキルが私の身体そのものと一体化しているからだろう。

 しかし、そこにあるべきスキルが見当たらない。


(【剣術】が、ない……)


 ウィンドウには「統一する」と書かれていた。

 なるほど、戦闘系スキルは全プレイヤー共通の状態にリセットされたのだろう。


(でも――何で【全知】は残ってるんだ? それに【器】も)


 疑問に思った瞬間、頭の中に、久しぶりの機械的な声が響いた。


『回答します。スキル名:全知は神の分身に等しいスキルのため、統一化の権限では無効化されませんでした。また、スキル名:器も同様です』


 まるでナビゲーションシステムのような、冷静で感情のない声。

 魔界に居たとき、「頼りすぎるのは良くない」と意図的に問いかけるのをやめていたから、聞くのは五年ぶりだ。


「またよろしく頼むね。早速だけど、ここはいったい何なの?」


『回答します。現在地は■■■界の■■■■■■■です。脱出方法は、地下三百二十階層にいるボスを撃破することです』


 途中で、ノイズが入ったみたいに、肝心な固有名詞が聞き取れなかった。


(……あれ? 前にも一度、同じことがあったような)


 回帰前、神々に質問を投げかけたとき――確か、似たような現象が起こった記憶がある。

 ただ、あのときは「音声だけ」が遮断されていた。


 今回は、もっと根本的な場所で干渉されているような感覚がある。


『当世界の■■■よりスキルへの妨害を確認。一時的に当スキルは機能を失います』


 当世界――。

 あの時は運営者からの干渉だったって事がわかっていた。

 妨害してきた者の正体すら掴めていない今回は、もしかすると……運営者より上位の存在かもしれないのか?


「……」


 問いかけても、もう返事は返ってこない。

 本当に、『全知』が機能を停止したようだ。


 深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。


「とりあえず、帰る方法は分かった。……また、一から始めるかぁ」


 ちょっとばかり――いや、かなり「最初期」よりはステータスが高いけれど。

 そう心の中で自分にツッコミを入れながら、私はロングソードを肩に担ぎ、森の奥へと足を踏み入れた。


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― 新着の感想 ―
あ〜だいぶ悪意あるやつだ 平等なら兎も角公平なら本来これまでの努力の結晶奪うのは矛盾の塊だし 装備だけなら他者の力は入ってたりするからまだしも
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