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71話--別れ--

 協会で母さんの配信に顔を出してから、もう三カ月ほどが過ぎていた。

 あの後、「米買い取り計画」は驚くほど順調に進み、次元の袋の中にはとても一目では数えられない量の米袋が整然と積み重なっている。

 最初は半信半疑だった農家の人たちも、実際にゴールドが振り込まれ、協会経由のやり取りにも慣れてきたらしく、今では「余ったらとりあえず送っておけ」くらいの空気になっている。

 そろそろ、次の段階――米以外の保存食や、加工品の買い取り、あるいは別のインフラに手を伸ばしてもいい頃かもしれない。そんなことを、ぼんやりと考えていた。


 外はというと、身を潜めていた冬が本気を出し始めていて、窓の外には、しんしんという擬音がそのまま似合うような雪が、音もなく降り続けていた。

 庭の芝生はすっかり白く覆われ、塀や木々の枝の上にも、ふわりと丸い雪の帽子が乗っている。

 そんな中、リビングではコタツが絶賛フル稼働中で、沙耶と七海が、もはや誰なのかも分からないカタツムリ状態でコタツに張り付いていた。生地の隙間からは、惰性で伸びた手と、スマホを持つ指先だけが見える。


「どうしたの? お姉ちゃん。落ち着きなくソワソワして」


 コタツから顔だけ出した沙耶が、半分眠そうな目でこちらを見上げてきた。

 私はテーブルの端に腰掛けながら、さっきから足先に力が入って落ち着かない自分を自覚している。


「うーん。なんか嫌な予感がするんだけど……分からないんだよね。庭で剣でも振ってくるよ」


 自分でも説明できないざわつきが胸の奥に引っかかっている。戦いの前に感じる、あの独特の、「何かが来る」気配だけが先行している感覚。

 それを振り払うように立ち上がって、庭に出ようと窓を開けた瞬間――


「さむっ!!」「閉めて!! 早く閉めて!!」


 冷気が雪ごと室内に流れ込んできて、コタツ組から大ブーイングが飛んでくる。

 それを笑って流し、「はいはい」と軽く手を振りながら、窓を閉めようと手を伸ばした。


 ――その時だった。


 空間が、音もなく裂けた。


 目の前の景色が、まるで布を引き裂くように左右へと割れ、その隙間から、見慣れた紫色の光があふれ出す。

 ダンジョンのゲート。

 ただし、これは今まで見てきたどのゲートとも、明らかに格が違った。


 ゲートの枠は天を突くようにそびえ立ち、高さは優に三十メートルを超えている。家どころか、そこらのビルすら丸呑みにできそうな巨大さだ。

 裂け目から漏れ出てくるのは、異質としか言いようのない、圧倒的な魔力。

 肌が粟立ち、背筋をかすめる冷気とは別種の冷や汗が、つうっと背中を伝った。


「沙耶と七海は近隣住民の避難を!! 小森ちゃんは協会に電話して!」


 反射的に、喉が叫んでいた。

 だが、視線を横に向けると、三人とも、ゲートからにじみ出る魔力の圧に完全に呑まれていて、目を見開いたまま身体を固めていた。声も出せない様子だ。


 舌打ちしながら、私は三人に向けて【竜の威圧】をぶつける。

 強烈な恐怖を別の恐怖で上書きするような乱暴なやり方ではあるが、ショック療法としては手っ取り早い。

 私の魔力に晒された三人は、一瞬びくりと肩を震わせ、その後、はっとしたように呼吸を取り戻した。


 改めて外を見る。

 庭にそびえるゲートは、かつて古代竜と戦ったときに見たダンジョンよりも、明らかに巨大だった。

 あのときですら、命を賭けた戦いだったのだ。それを凌駕するサイズ――そこに潜む「ボス」の強さは、想像したくないほどだ。


 ――今の私に、勝てるのか?

 いや、回帰前の私であったとしても、正直、勝てる未来が見えない。


「……何で弱気になってるんだ」


 頬を強めに叩いて、浮かんだ弱音を叩き落とす。

 私がここで怯えた顔をしたら、その分だけ、三人を不安にさせるだけだ。

 そんなことをしている暇があるなら、やれることを一つでも増やすべきだ。


 玄関側や近所の状況を確認しようと、慌ただしく動き始めたところで、階段から軽い足音が聞こえてきた。

 二階の自室で寝ていたはずのカレンが、パジャマ姿のままリビングに降りてくる。


「ん? みんな、忙しい?」


 寝起きのままのふにゃっとした声。

 しかし、フードの隙間から覗く瞳は、さすがに状況の異常性を察しているのか、いつもの半分くらい真剣だった。


「庭に出てきた巨大なゲートの対応に追われてるよ。カレンはこの異質な魔力が分からないの……?」


「あ、お父さんの魔力。ん、じゃあこれは迎え」


 カレンがあっさりと言って、申し訳なさそうに頬をぽりぽりと掻いた。


 迎え――その単語で、ようやくピンとくる。

 そういえば、闇竜と戦った時、カレンが「魔力の痕跡を残したから、そのうち迎えが来る」と言っていた。

 あのときは「いつか」の話だと流していたが、それが、今、目の前で現実になったということだ。


 つまり、このゲートから溢れているのは、カレンの父親の魔力――ということになる。


「思ってたより早かった……帰る準備してくる」


 カレンはぼそりと呟くと、面倒くさそうに小さく欠伸をしながら、自室に引き返した。

 階段を上がっていく背中は、別に怖がっているわけではない。ただ、心の底から「行きたくない」と全身で主張しているようだった。

 階段を昇る前に、ぽりぽりとお腹を掻いているのが見えたあたり、本気で気が重いのだろう。


 その間に、住民の避難と協会への連絡を頼んでいた三人が戻ってきた。

 息を切らせながら玄関から飛び込んできたので、今分かっている事情を簡潔に説明する。

 話し終えたタイミングで、階段の方からとことこと足音がして、カレンがリビングに戻ってきた。


「ん、あーちゃんも来てもらうよ」


「事情を皆に一から説明するよ……」


 覚悟を決めて、私は三人の前に立つ。

 倒してすぐのモンスターの魔石を食べるとスキルが得られること。

 それを繰り返してきた結果、今の私のスキル構成がどうなっているのか。

 そして、闇竜の魔石を取り込んだことで、【竜の心臓】も含めて、色々と面倒なことになっているらしいこと。


 今まで一番身近にいた沙耶でさえ、断片的にしか知らなかった話を、改めて全部口に出す。

 沙耶と七海と小森ちゃんは、最初こそぽかんとしていたが、途中から目を丸くして、最後には呆れたような、感心したような、複雑な表情になっていた。

 一方で、カレンはというと――初めから全部知っていた、と言わんばかりに無反応だ。あくびすら堪えていない。


「悪いけど、沙耶と七海と小森ちゃんは連れていけないかな」


「うん……分かってる。ゲートから出てくる魔力に気圧され動くことも声を出すこともできなかった……」


 沙耶が、ぎゅっと拳を握りしめながら唇を噛んだ。

 悔しさと恐怖がないまぜになった顔だ。


「ウチなんて未だに震えが止まらないっすよ……」


 七海は冗談めかした口調のまま、ぴくぴくと揺れる自分の手を見せてみせた。

 その指先は、実際わずかに震えている。笑いにして誤魔化そうとしているのが分かるから、余計に胸が痛い。


「わたしなんて危うく粗相をしちゃいそうでしたからね……」


 小森ちゃんは顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに目を逸らしながらぼそりと告白した。


 ……何を、とはあえて聞かないでおく。

 そこまで追い詰められるほどの魔力だった、という事実だけで十分だ。


 本当は、皆と一緒に行きたい。

 けれど、これは私とカレンにしか解決できない問題だ。

 もし三人を連れて行って、向こうで人質にでもされたら――私がどれだけ強くても、守りきれない瞬間が必ず出てくる。

 それなら、比較的安全なこちら側に残っていてもらった方がいい。


「カレン、最短で帰ってこれるとしたらどのぐらいかかる?」


「んー……分からない。半年……もしかするともっと。お父さんの考えてることは私にも分からない」


「そっか。こればかりは当たって砕けるしかないね……」


 ため息を飲み込みながら、現実的な準備に取り掛かることにした。

 まずは、アイテム袋の中身だ。

 こちらの世界で使うことを想定していた金貨や矢、そのほかの装備類を、可能な限り次元の袋の方へ移し替える。

 あちら側でどれだけ時間がかかるか分からない以上、資産だけは確実にこちらに残しておきたい。


 大半のものを移し終えた頃、沙耶が、泣き出しそうな顔で私の服の裾を掴んだ。


「ちゃんと、帰ってくるよね……? 私、待ってるから。お姉ちゃんが帰ってくるまでにもっと、もっともっと強くなるから!!」


 その目は、まっすぐで、揺れていて、それでも無理に笑おうとしていた。

 胸の奥がぎゅっと締めつけられる。


「大丈夫だよ。母さんの事、頼んだよ? ああ見えて寂しがり屋だからさ……3人が一緒に居てあげれば楽しく過ごせると思う」


 ぐいっと抱き寄せて、沙耶の背中をゆっくり撫でる。

 鼻をすする音が、私の胸元あたりからくぐもって聞こえた。


 ――沙耶には、昔から待たせてばかりだ。

 回帰前も、回帰したあとも。結局、私の都合で振り回しているのは変わっていない。


 沙耶の頭をぽんぽんと撫でてから、そっと離れて立ち上がる。

 続いて七海と小森ちゃんの方へ向かった。


「沙耶を、よろしくね」


「そんな今生の別れみたいな言い草やめてほしいっす。ウチは面倒見ないんで帰ってくるっすよ」


 七海はいつもの調子で軽口を叩きながら、それでも目元は少し赤い。

 その頭をくしゃっと掻き回す。


「わたしも、同じ意見です。帰ってきてくださいね」


 小森ちゃんはぎゅっと拳を握りしめ、小さく頷いてみせた。

 彼女の頭もそっと撫でる。細く柔らかい髪が指の間をすり抜けていく。


 ――できない約束は、したくない。

 「必ず帰る」と言い切ってしまえば、それは一瞬の安心と引き換えに、自分を縛る鎖になる。

 弱音や迷いに繋がると分かっているからこそ、口にできない。


「さあ! カレン。行くよ!」


「ん。大丈夫、最悪の事態は起こさせない」


「不安になるような事言うんじゃないよ……」


 カレンの肩を軽く小突きながら、庭のゲートに向かう。

 背中に三人の視線を感じつつ、振り返らないまま、紫色に揺れる裂け目へと足を踏み入れた。


 私たちは、そのまま、ゲートの中へ――入った。


 ◆


 ゲートをくぐった先に広がっていたのは、見慣れた「ダンジョン」のそれとは、少し違う景色だった。


 岩肌むき出しの洞窟でもなければ、人工的な階段だらけの迷路でもない。

 そこにあったのは、荘厳な装飾が施された石造りの空間――遺跡、というよりは、巨大な城の内部に近い構造だった。


 天井は高く、音がよく響く広間。

 中央には、まっすぐに伸びた赤いカーペットが敷かれていて、その両脇にずらりと並ぶのは、鎧を着込んだ魔族たち。

 全員が無言のままこちらを見据え、わずかな動きも取りこぼさないと言わんばかりの緊張が漂っている。


 一人ひとりから感じる魔力の密度は、底が見えないほど濃い。

 個々で見れば、おそらく一対一なら勝てる。けれど、これだけが一糸乱れぬ連携で襲い掛かってきたら――勝てるかどうかは怪しい。


 赤いカーペットの最奥。

 そこには、玉座と呼ぶにふさわしい重厚な椅子が一つ据えられており、その上に、ゲート越しに感じたあの巨大な魔力の主が腰掛けていた。


「あ、お父さん。ただいま」


 カレンが、いつもと変わらぬ調子で手をひらひらと振った。


「カレンよ……臣下も居る厳格な場だ。正しい挨拶をしろ」


 地を這うような、低く重い声が広間に響く。

 座っているだけなのに、空気がわずかに震えたように感じるほどの威圧感だ。


「むー……。カレン・アート・ザレンツァ、只今帰還致しました……これでいい?」


 カレンは不満げに口を尖らせながらも、きちんと右手を胸に当て、スカートの裾をつまんで膝を少し曲げた。

 所作としては、完璧な貴族の礼だ。

 私は見よう見まねで、慌てて同じ姿勢を取る。


「うむ。ご苦労だった。大臣以外は席を外せ」


 玉座の魔族――カレンの父が一言告げると、左右に並んでいた兵士たちが一斉に敬礼し、そのまま足並みを揃えて広間の外へと消えていった。

 扉が閉まる重い音が、遠くで響く。


 ――そこで、ようやく気がついた。

 背後にあったはずのゲートの気配が、綺麗さっぱり消えている。


「ゲートなら閉じた。逃げられても困るからな」


 何でもないことのように告げられた一言と同時に、彼の視線が、真正面から私に向けられた。


 次の瞬間、轟音でも衝撃でもない、もっと質の違う何かが、全身を貫いた。


 おびただしい量の魔力が、一気にこちらに向けて放たれる。

 それは魔法のように具体的な形を持たない。ただ圧だけが、むき出しのままぶつかってくる。

 五感が次々に奪われていく。視界が暗くなり、耳鳴りだけが残り、身体の輪郭がぼやけていく。


 ――折れるな、心。


 これは魔法の類ではない。威圧――竜たちが見せる、あの本能レベルの絶対的な「格の差」の押し付け方そのものだ。

 古代竜と戦ったときにも、一度味わったことがある。


 許容量を超える恐怖を与えられたとき、身を守るために感覚を遮断する。

 それは生き物の反射的な防衛本能だ。

 ここで流されれば、そのまま精神まで折られる。


 私は、歯を食いしばって魔脈を全開にし、自分の魔力を循環させる。

 押し寄せる圧を真正面から受け止め、それをさらに上から塗りつぶすように、一気に放出した。


「ほう、我が娘が人族に誑かされたと思っていたが最低限は戦えるようだ」


 重圧がふっと消える。

 息を吸うことがこんなに楽だったかと思うほど、空気が肺に流れ込んでくる。


「お父さん。あーちゃんに意地悪したら口きかないから」


 カレンが、ぴしゃりと言い放った。


「申し訳なかった!! 許してはくれないだろうか!!」


 次の瞬間、カレンの父親は玉座から転げ落ちるように飛び降り、その場で土下座した。

 床に額を擦りつけんばかりの勢いだ。

 近くで見ていた大臣らしき魔族が、目を見開いて固まっている。


 ……これって。


「ん、ただの親バカ。だから帰りたくなかった……」


 カレンが心底うんざりしたような顔で、こちらに小声で漏らした。


「そんな寂しいことを言わないでおくれ……お前が居ない間、父さんは寂しかったんだぞ!? フォルスティアに聞いたら恋人のところと聞いて……どれだけ悲しんだことか!! 貴様!! うちの娘はやらんぞ!!!」


 土下座ポジションのまま顔だけこちらに向け、カレンの父が私を指差して怒鳴る。

 殺気と娘への愛情が五分五分で混ざった、非常に扱いに困る視線だ。


「残念。私はもうあーちゃんのもの。ね?」


 カレンが当然のようにそう言って、私の腕にぎゅっと絡みついてきた。

 それを見た瞬間、カレンの父の殺気が、さらに数段階跳ね上がるのが分かった。


 どちらか一方の味方をすることもできず、かといって曖昧なことも言えず――

 私は、ただ苦笑いを浮かべることしかできなかった。

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どの世界線にも度を過ぎた親バカは居るのもよね
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