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5話--妹と風呂準備--

 夕食を食べ終えると、沙耶が落ち着きなくそわそわし始めた。

 立ち上がるでもなく、スマホを触るでもなく、妙に膝の上で指先をいじっている。


 何か言おうとしては飲み込み、タイミングを逃しては口を噤む。

 その繰り返しを眺めながら、私の知らない「食後の習慣」でもあるのだろうか、と首をかしげていると、ようやく沙耶が決心したように口を開いた。


「お姉ちゃん……あのさ……」


「うん?」


「久々にお風呂一緒に入らない? お姉ちゃん家のお風呂場広いし……」


 なんとも答えにくい提案だった。


 記憶の中では、沙耶と一緒に風呂に入った最後は、私が社会人になる前――高校を卒業した頃だっただろうか。

 社会人になってからも沙耶はたびたび泊まりに来ていたが、私は仕事で忙しかったり、家に仕事を持ち帰ってきたりと、心身ともに余裕がなく、一緒に入る機会は自然となくなってしまった。


 その時の、風呂の前で「い、一緒に入る?」と遠慮がちに聞いてきて、私が「今日は仕事が残ってて」と断った時の、沙耶の少し寂しそうな顔が、記憶の端にこびりついている。


 今の私は、感覚の面では回帰前の「男」の状態のままだ。

 それでも、女として生きてきた20年分の記憶が馴染んできたせいか、「妹と一緒に風呂に入る」ことに対して、それほど強い抵抗感はない。


 むしろ――久しぶりに、妹の成長をこの目で確認するチャンスだ、と考えている自分もいる。


「んーー……いいよ。入ろうか」


「やったー!」


 沙耶は子供のように両手を上げ、全身で喜びを表現した。

 そこまで喜ばれるとは思っていなかったので、少しだけ面映ゆい。


 再度、自分に言い聞かせる。

 ――うん、姉妹で一緒に風呂に入る。何も問題のない、ごく普通のことだ。


 静かな部屋の中、風呂が沸いたことを知らせるメロディが鳴り響く。

 その音に、沙耶は少し肩を竦めて、驚いたような反応を見せた。

 そして、数秒後。恥ずかしそうに私の顔をちらりと見て、改めて言う。


「久々に一緒に入るね……?」


「そうだね~」


 お互いに、どこか照れくさくて、視線が上手く合わせられない。

 そわそわとして落ち着かない様子の沙耶を眺めていると、なんだかこちらまでむず痒くなってきた。


 沙耶は持ってきたリュックから、もぞもぞと何かを取り出す。


「もしかして最初から泊まる気だったでしょ」


「そうだけど?」


「母さんには言ってあるの?」


「言ってあるよ! 何泊でもしてこいって言われたよ~。だからお姉ちゃんが嫌だって言うまで泊るつもり! 夏休みだし!」


 ……母さん。

 昔から沙耶には甘い性格なのは変わっていないらしい。


 事あるごとに沙耶を私に託し、「お姉ちゃんなんだからよろしくね」と面倒を見させようとしてくるのも、相変わらずだ。

 その変わらなさが、妙に安心させてくれる。


「あ、そうだ。お母さんから手紙預かってるよ」


「まだ手紙なんだ……いい加減携帯ぐらい持てばいいのに」


 沙耶から、封筒を受け取る。

 母さんは頑なに携帯電話を持たず、いまだに手紙でやり取りすることにこだわっている。


 相変わらず異様なまでに達筆で、読み解くのに少々苦労するが、内容を要約するとこうだ。


「沙耶を泊めてあげてね」

「早く孫の顔を見せろ」

「なんだか嫌な予感がするから、しばらく沙耶をよろしくね」

「私より先に天国か地獄に行ったら許さない」

「私が一番乗りだ」


 以上。


 結婚を急かしてくるのは昔からだ。

 私が結婚できる年齢――16の頃からずっと言い続けているので、もう半分以上は聞き流すのが正解だと悟っている。


 三つ目の「嫌な予感」は、少し引っかかった。

 これはダンジョンの開放を、第六感のようなもので察知しているのだろうか。


 母さんは妙に感覚が鋭く、大地震が来る前にも何かを察したような顔をして、数日前から保存できる食料と水を買い込んでいた。

 多分今頃も、金属バットだの、スコップだの、「武器になりそうなもの」をこっそり家に揃えていることだろう。


 ダンジョンが出現し始めたら、一度実家に顔を出して状況を確認する必要がある。

 最後の二つの「私より先に死ぬな」「私が一番乗りだ」は、もはや口癖みたいなものだ。


 母さんはいつも言っていた。

 「アンタが私より先に死んだら許さないからね」と。


 ――母さんへ。

 私は結婚もしないまま60過ぎまで生きたぞ。だから安心してくれて構わない。


「なんて書いてあったの?」


「変な予感がするから、しばらく沙耶をこっちで面倒見てくれってさ」


「いいの!? あ、でもお姉ちゃん仕事か……」


「沙耶は夏休みだよね、私は使ってなかった有休を今日からまとめて取っているから問題ないよ」


 記憶を辿ると、会社から「有給を消化しないと会社が罰金を払うことになるから、7月末までに必ずまとめて取ってくれ」と言われていた。

 それで二つ返事で承諾したのだ。


 有給休暇を取らないと罰金――世の中、ようやくまともな方向に変わりつつあるらしい。


 通常の休みを合わせると、7月末までしっかり休みが続く。

 ちょっとした大型連休だ。


 回帰する前の私は、「何して過ごそうかな~」などとのんきに考えていたが、今は違う。

 ダンジョンの出現を知ってしまった以上、やれることは今のうちにやっておきたい。


 どうせ8月の中旬にもなれば、モンスターが溢れ出し、仕事どころではなくなるのだから。


「お姉ちゃん、明日は何をするの?」


「うーん、母さんが嫌な予感って言ってるから当面の食料とか買っておこうかな」


「確かに。外れないもんね、お母さんの予感」


 どうやって沙耶に「食料を買い集める理由」を説明するか、少し悩んでいたが――母さんの手紙のおかげで、変に嘘をつかずに済んだ。


 私一人が大量の食材を買い込む、などと言えば怪しまれただろう。

 だが「母さんの予感」となれば、沙耶にとっても納得の理由になる。


 沙耶が、リュックの中からさらに何かを取り出す。

 明日の服かと思いきや――。


「お姉ちゃんのパジャマも持ってきたんだよ!」


「また余計なものを買って……夏なのにそんなにもこもこしたの着てられないよ……?」


「えーーーー! いいじゃん!! 着ようよーー?」


 沙耶が誇らしげに掲げたパジャマは、全身もこもこの、いかにも「冬用」といった見た目のものだった。

 どう見ても夏に着るような代物ではない。


 広げてみると、薄いピンク色の兎を模したデザインで、耳付きのフードまでついている。

 ふわふわとしていて、触り心地は良さそうだが――とても二十歳の女が着るものとは思えない。


「それは私の~、お姉ちゃんのはこっち」


 沙耶が、別の毛玉を私に手渡してきた。

 仕方なくそれを広げてみると、先ほどとは違って、茶色いクマのようなデザインだった。


 丸い耳がついたフードに、ふかふかの生地。

 ……女物の服を着ることは甘んじて受け入れたが、これはまた別ラインのハードルを感じる。


「これ着て二人で自撮りするの!」


「へぇ……それが自撮り棒ってやつなんだ……持っている人、初めて見た」


 沙耶の手に握られている、金属の棒の伸ばし方に既視感を覚える。


 ――思い出した。特殊警棒だ。


 回帰前の記憶で、田舎の不良たちがよく使っていた、アレ。

 勢いよく伸ばしすぎると、安物は元に戻らなくなってしまうので、取り扱いには注意が必要だ。


 それからね~、と、沙耶は自撮り計画について滔々と語り始める。

 さっき自分から「一緒に風呂入ろう」と言い出しておきながら、どこか時間を稼いでいるように見えなくもない。


「とりあえず、風呂行こうか」


「あっ、うん……。お姉ちゃん、先行ってて……?」


 話の途中で私がそう切り出すと、沙耶はぱっと視線を逸らし、もじもじと足先をいじり始めた。


 私としては、沙耶が何か「動く系の悪戯」を仕掛けてくる前に、一緒に風呂場へ連行してしまった方が安全だ。

 回帰前の反射行動で、うっかり何かを破壊してしまう可能性も、ゼロではない。


「何か悪戯するつもりでしょ。一緒に行くよ」


「えっ、あっ、ちょっと……まだ心の準備が……」


 沙耶が何かをもごもごと言っているが、よく聞き取れない。

 私はそのまま彼女の手を引き、一緒に脱衣所へ向かった。


 脱衣所に着いても、沙耶は入り口付近で立ち尽くし、服を脱ごうとしない。

 そんな妹を気に留めることなく、私は淡々と服を脱ぎ始めた。


 ブラジャーのホックに手を伸ばしたところで、沙耶が慌てて手を伸ばしてきた。


「待って、待ってお姉ちゃん」


「ん?」


 訝しげな視線を沙耶に送る。


 目の焦点が合っておらず、口は少し半開き。

 ゲームなら、完全に「混乱状態」のキャラクターだ。


 とりあえず、何か言いたげに口をぱくぱくさせていたので、少し待ってやる。


「私が……外していい……?」


「……」


 何を言い出すんだ、この妹は。


 両手をわきわきと動かしながら、妙なテンションになっている。

 目もぐるぐるしているし、正気ではないことだけは確かだ。


「ていっ」


 外部からの衝撃を与えれば、混乱状態は治る――RPG脳な発想ではあるが、案外間違っていないはずだ。


 私は手刀を軽く沙耶の頭に落とした。


「いたっ……、あれ? 私は何を……?」


「この手に限る」


「あ、そっか。お姉ちゃんとお風呂で……」


 どうやら正気に戻ったようだが、今度は顔がみるみる赤くなり、視線が床に落ちる。


 体調が悪いのか、と顔を覗き込もうとした瞬間、両手でぱっと顔を隠された。


 ……ううむ、困ったものだ。


 どうしたものかと顎に手を当てて考えてみるが、妙案が浮かぶ気配はない。

 仕方ない、ここは強行策でいこう。


「そいっ、そーい」


 ブラジャーを外し、そのままショーツも脱ぎ捨てる。

 固まる沙耶の前で、私は堂々と仁王立ちになった。


 だが、何一つ返答がない。


「仕方ない。自分で脱げないというのならばこの姉が脱がしてあげよう……」


「えっ……?」


 私の発言の意味を理解しきれていないのか、沙耶は目を見開き、口をぱくぱくさせる。


 しめしめ、と心の中でほくそ笑みながら、沙耶の服に手をかけると――慌てて私の手を掴んできた。


「だっ、だめ! 自分で脱ぐからっ!」


「よし、3分以内に脱がなかったら脱がせるからね」


「うぅぅ……わかった……」


 今は姉妹とはいえ、私の心は回帰前の人生の方が長いため、どうしても「男寄り」だ。

 そう、私とて恥ずかしいのである。


 ただ一つ、ありがたいのは――劣情を抱いた時に自己主張を始める「息子」が、今の私には存在しない、ということだ。

 こればかりは、神に感謝してもいいかもしれない。


 3分も経たないうちに、沙耶は観念したように服を脱ぎ終えた。

 苦虫を噛み潰したような表情でうつむいて立っている。


 足はすらりと細く見えるが、決して「やせ細っている」というわけではない。

 程よく筋肉が付き、引き締まっている。

 ウエストもきゅっと締まっていて、日頃からそこそこ運動しているのが伺える。


 そして、発展途上ではあるが、小ぶりながらも柔らかそうな胸元。


「ちょっと、お姉ちゃん、今私の胸見て小さいって思ったでしょ」


 まるで心を読まれたかのようなタイミングで指摘された。

 舐めるような視線を送っていれば、そりゃ気付かれるか。


 次からは横目でこっそり見ることにしよう。


「そっ、そんなことはないよ! さーて、風呂に入るかー」


「むー……。私も早く大きくなりたいなぁ……」


 自分の胸に手を当てて、沙耶がぽつりと呟く。


 私の胸は、沙耶より一回り以上は大きい。

 下着のタグには、G、と書かれていた。

 道理で時々、肩こりが顔を出すわけだ……。


 沙耶の下着を拾い上げ、洗濯ネットに入れるついでに、彼女のブラのタグもちらりと確認する。

 そこには、Bの文字。


 ……小さくはない。


 本当に、小さくはないのだ。

 家系的に見れば、そのうち嫌でも大きくなるから気にしなくていい――そう言ってやりたくなったが、私が口にしてしまうと完全に煽り文句にしか聞こえないだろう。


 なので、その言葉は胸の内にしまい込んでおくことにした。


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