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40話--魔族--

 【神速】を纏って、私はゴブリンキングたちの間を駆け抜けていく。

 踏み込んだ瞬間、視界から色が抜け落ちたように世界がスローモーションになり、キングたちの巨体が鈍い影の塊に見えた。


 一本、二本、三本。

 振り抜いた剣筋に遅れて、ぶ厚い首が宙を舞う。血飛沫が時間差で弧を描き、ようやく世界が速度を取り戻した頃には、キングの一体が膝をつき、そのまま前のめりに倒れていた。


 ただ、もう一匹。

 遺跡の入り口でじっとこちらを見ている小柄な影が、一切動かないままだった。


 ――ゴブリンロード。


 絡みつくような濃密な魔力と、皮膚の裏側を針でなぞられているような殺気。

 視線が合うだけで、胃の底がじわじわ冷えていくのが分かる。


(精神だけ削られていく……これ、長期戦になったらマズいな)


 四匹目のキングを斬り伏せたところで、ロードがようやく動き出した。


「人族、娘。予言通リ」


 くい、と骨ばった指先で私を指差し、ロードが口を開いた。

 ゴブリン特有の濁った発音ではない。はっきりとした、日本語だ。


 私は剣を構え直し、一挙手一投足を見逃さないように目を凝らす。

 ロードの視線が、ふっと私の背後へと流れた。


 ――嫌な予感が、背筋を走る。


「人族、一人、違ウ。アッチ、弱イ」


「【八閃花】!! 咲けっっ!!」


 言葉の意味に気づいた瞬間、考えるよりも先に体が動いていた。

 反射的に【八閃花】をロードめがけて解き放つ。

 花弁のように広がる八つの斬撃が、ロードを中心に外側へと弾け飛ぶ。


 だが、すべての斬撃は、ロードの手にいつの間にか握られていた黒い剣によって、正確に弾かれた。

 金属と金属が重なりあう、耳に刺さる音。


(ちっ……全部防がれた)


 出し惜しみをしている場合じゃない。

 ロードの言葉どおりなら、あいつの視線の先――沙耶たちの方にも「主」が居る。


「人族、我。アッチ、主」


 ロードがにやりと口端を吊り上げる。

 つまり、ここにはボスクラスの敵が“二体”いるということだ。


(早くこいつを倒して、戻らないと――)


「リスクが分からないから使いたくなかったんだけど……」


 喉の奥で、小さく呟く。

 足元から魔力を一気に叩き上げ、意識を無理やり二つに割り振る。


 ――【神速】、多重展開。


「――ガァッ!?」


 風景が弾け飛んだ。

 視界が白く塗りつぶされるほどの速さで世界が流れ、ロードの肩口に向けて振り抜いた剣が、次の瞬間にはその腕を宙に飛ばしていた。


 達成感を覚えるより早く、全身を締め上げるような激痛と、内側から魔力を抜き取られるような虚脱感が襲ってきた。

 膝から力が抜け、その場に崩れ落ちる。


「人族ッ!! 何ヲシタ!!」


 片腕を失ったロードが、怒りに震えた声で叫ぶ。

 最初こそ動揺していたが、私の姿を見下ろした途端、すぐに表情を歪めて笑いへと変えた。


「自滅覚悟デ我ノ片腕ヲ……ダガ、ココマデダ」


 ずるり、とロードがこちらへ歩み寄ってくる。

 私は、片膝をついたまま、まだまともに立ち上がることもできない。


 ――それでも、動く必要はなかった。


「もう、斬ってるからね」


「ゲギャ……?」


 ロードの体表に、細い線が無数に浮かび上がる。

 それは一瞬で全身に走り、次の瞬間には、その体は細かい肉片となって崩れ落ちた。


 私がやったことは単純だ。

 常識の外側の速さで、ただひたすらに斬り刻んだ。それだけ。


 ロードの胸元から魔石をもぎ取り、口に押し込む。

 ざらついた感触が舌をかすめ、喉の奥へと落ちていくのと同時に、空っぽになりかけていた魔力が、じわりと満ち始めた。


 【再生】を発動させると、全身を走っていた肉離れの痛みが、熱を伴って少しずつ引いていく。


(……危なかった。油断してくれてて助かった)


 本当は、さっきのはやりたくない手だ。

 少し前、沙耶に多重詠唱の説明をしていたときにふと気になって、自分でも試した技。


 ――技能の多重使用は、【魔法】スキル持ちしかできないのか?


 結論として、私でも“できてしまった”。

 ただ、その制御は狂気じみて難しい。

 両手で別々の言語の書類を同時に清書するような……いや、それ以上に意味の分からない負荷が脳みそを焼いてくる感覚だ。


 二重に重ねた【神速】は、ほんの一瞬だけ――ロードの腕を飛ばす、その刹那だけ発動させた。

 それでも、体が追いつけず、筋肉と腱があちこちで悲鳴を上げてブチブチと切れた。


 【再生】がなかったら、とっくにその場に沈んで動けなかっただろう。


『スキル名:【進化】とスキル名:【合成】、スキル名:【王の威圧】を取得しました』


(……あとで。今は確認してる場合じゃない)


 完全に治りきってはいないが、走るだけなら問題ない。

 宝箱には目もくれず、そのまま丸ごとアイテム袋に放り込み、私は全力で三人のもとへ駆け出した。


 ――辿り着いた先で、目に飛び込んできた光景に、息が詰まる。


 無数の矢が地面に突き立っている。

 あちこちの木々は炎に包まれ、黒い煙を上げていた。

 焦げた木の匂いと、焼けた肉の匂いが、鼻の奥を刺す。


 浅黒い肌をした長身の男の足元には、七海と小森ちゃんが倒れていた。

 二人とも動かない。意識があるのかどうかも分からない。


 そして、その男の片手は――沙耶の首を掴み、軽々と宙吊りにしていた。


「貴様ァ!!」


 思考より先に怒りが噴き上がる。

 殺気のままに踏み込み、一気に間合いを詰めて斬りかかるが、その一撃は男の杖によって受け止められた。

 続けざまに繰り出した連撃も、全てが同じように防がれる。


「おヤ。貴女がここに来たという事は、我が子は死んだという事ですネ」


「お前はっ……!」


 低く響く声。

 顔を見た途端、記憶の底に沈んでいた映像が蘇る。


 ――私が、回帰前に初めて遭遇した魔族。


「さっさとその手を離せっ!!!」


「おオ、怖い怖イ。ふム、この娘は貴女の血族カ」


 魔族の男は、沙耶をぶら下げたまま、楽しげに目を細める。


「この娘も、貴女もココで殺しては勿体ないですネ……」


 男がゆっくりと手を開くと、沙耶の体は宙に浮いたまま、ふわりと支えを失わない。

 魔力で吊り上げているのだろう。


(今なら――!)


 治りきっていない筋肉が悲鳴を上げるのを無視し、私は再び【神速】を二重展開した。

 視界がぐにゃりと歪み、魔族の男の瞳が驚愕に見開かれるのがスローモーションで見える。


 次の瞬間、何重にも重なった金属音が、耳をつんざくように響いた。


「これを、防ぐのか……」


「今のハ、焦りましたネ。貴女の成長速度、やはり狂ってるん(バグ)じゃないんですかネ?」


「ぐっ……は、何を言って……」


 口の中に鉄の味が広がり、盛大に吐血した。

 膝が折れそうになる身体を、気力だけで支える。


 男は攻撃をしてこない。

 その余裕が、逆に恐ろしく感じられた。


 残っている魔力を全て【再生】に注ぎ込み、何とか筋肉と骨を繋ぎ止める。

 それでも、時間が圧倒的に足りない。


 ギシギシと、今にも壊れそうな体に鞭を打ち、無理やり一歩踏み出すたび、筋肉がブチッと嫌な音を立てた。


「返せ……沙耶を、返せッッ!!」


 渾身の一撃を叩き込む。

 刃が男の杖を切断し、そのまま腕を肩口から斬り飛ばした。


 宙に浮かんでいた沙耶の体が重力を取り戻し、地面へと落ちる。

 胸の奥で安堵が弾けた、その瞬間――。


「このクソ下等生物メ!! そんなに死にたいなら殺してやりますヨ!!」


「かはっ……」


 裏返った怒声と同時に、男の蹴りが腹部にめり込んだ。

 視界が裏返り、肺の中の空気が一気に押し出される。


 背中が木に叩きつけられ、そのまま地面にずるりと落ちた。

 のたうち回りたいほどの痛みと呼吸の苦しさが、波となって押し寄せる。


 魔族の男が、私の首を無造作に掴み上げる。

 喉を締め上げられ、視界の端から徐々に色が薄くなっていく。


「貴女ハ、楽に殺しませン。そウだ、貴女の隊列の下等生物ヲ調理しテ貴女に食わセまス。貴女ガ壊れていく様が楽しみですネ!!」


 ぞっとするような声音で笑い、男は私を地面に叩きつけた。

 石畳が割れ、後頭部に鈍い衝撃が走る。


 もう、魔力は残っていない。

 腕も、辛うじて少し動く程度。


 視界の端に、何かがどさりと落ちるのが見えた。

 顔を横に向けると、私のアイテム袋が転がっている。


(さっき蹴られた時に……ポーチから飛び出した、のか)


 魔族は、気を失っている沙耶へと歩み寄っていく。

 それを見ているのに、体が動かない。

 なのに――どうしてか、視線はアイテム袋から離れなかった。


 脳裏に、古い記憶がフラッシュバックする。


「古代竜の……魔石……」


 アイテム袋の奥底に眠らせていた、拳ほどもある巨大な魔石。

 かつて、アイテムを作ってくれた鍛冶屋のおっちゃんが「いつか、とんでもない時の切り札になるぞ」と笑っていたやつだ。


『警告、その行動は推奨できません。魔石の魔力に対して器が耐えきれない可能性があります。

 魔力に耐えられずスキルが獲得できずに体が崩壊して死ぬ可能性が30%、魔力過多による暴走状態に陥り意識が戻らない可能性が60%。

 無事に成功する確率は10%です』


 頭の中に、【全知】の無機質な声が響いた。

 冷たい数字が、淡々と並べられる。


(何もしないで、全員殺されるぐらいなら――)


 死ぬにしても、せめて抗って死にたい。

 ここで何もせずに終わるなんて、絶対に嫌だ。


 私は迷わなかった。


 震える手でアイテム袋に手を突っ込み、拳ほどある古代竜の魔石をつかみ出す。

 舌の上に乗せた瞬間、魔石はじわりと溶け始め、舌先にビリビリとした刺激が走った。


「……っ」


 喉の奥へと、液状化した魔石を無理やり流し込む。


 たとえこの体が壊れようとも――。


 せめて、その前に、あいつの背中ぐらいは斬り裂いてやる。


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