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4話--買い物と夕飯--

 沙耶との買い物は――正直に言って、非常に大変だった。


 原因はほとんど、私の服選びのセンスが壊滅的なところにある。

 これまで自分で服を選ぶ、という行為から逃げ続けてきたツケが、ここに来て一気に回ってきた形だ。


 私が「これでいいんじゃないか」と思って選んだ服に、沙耶が容赦なくダメ出しをしてくる。

 丈が合っていない、色が地味すぎる、柄が古臭い、シルエットが野暮ったい――まあ、散々である。


 それを何度か繰り返しているうちに、ある考えが頭をよぎった。


 ――これ、自分で選ぶ必要なくないか?


 自分で選べばダメ出しをされる。

 なら最初から、服選びそのものを、センスのある人間に丸投げしてしまえばいい。


 そう思ってしまったが最後、私は徐々に「自分で選ぶ」という行為を放棄し、すべてを沙耶に任せるようになった。


 ……そこからだった。


 無限に続く、試着地獄が始まったのは。


 あれこれと服を持ってこられ、着替えては鏡の前に立ち、後ろを向かされ、横を向かされ、しゃがまされ、歩かされ――。

 途中からは、もう自分が何を着ているのかすら分からなくなってくる。


 着せ替え人形の気持ちが、ほんの少しばかり理解できてしまった。

 好き好んでされたい扱いではないが、楽しそうに目を輝かせている沙耶を前に、やめてくれと言うのも野暮に思えてしまう。


 私を着せ替えること数時間。

 ようやく日が暮れ始め、店内の照明が夕焼けを誤魔化しきれなくなってきた頃、ようやく解放された。


 本当ならもっと早く「もう終わりにしよう」と言えば良かったのだろう。

 だが、服を選んでくれと言い出したのは他でもない私だし――何より、沙耶が心底楽しそうに服を選んでいる姿を見てしまうと、その言葉が喉で引っかかって出てこなかった。


 その結果として、私の両手には紙袋に入った大量の服がぶら下がることになった。

 両腕がちぎれそうなほどの重みだが、中身は全部これからの自分を構成する「外見」だと思えば、少しは愛着も湧いてくる。


 大量に買った服を一度車に置き、次は運動用の服などの一式を買いに、再び歩き出した。


「お姉ちゃん、ありがとね」


 相変わらず沙耶はべったりと私にくっついて歩いており、その距離を取る気配は微塵もない。

 腕に絡んだ体温がじんわりと伝わってきて、くすぐったいような、落ち着くような、不思議な感覚だ。


 私としても、こうして寄り添われるのは悪い気がしないので、そのまま放置している。


「それにしても、急に運動着が欲しいなんてどうしたの?」


「あぁ、いや……運動したいな~って思って……」


 布が余ってひらひらしている服は、戦いの場では命取りだ。

 引っかかればバランスを崩すし、視界も遮る。

 それなら最初から、動きやすさと機能性に優れたスポーツウェアを揃えた方がいい。


 ただ、そんな事情を沙耶に説明するわけにはいかない。

 「ダンジョンが出てモンスターと戦うために運動着が必要なんだ」などと言っても、理解される未来が見えない。


 だから、適当な理由で誤魔化しておくことにした。


「別にスタイルいいんだから大丈夫じゃないの? 正直私としてはもうちょっと肉ついてた方が抱き心地がいいから好ましいんだけど……」


「まぁ、買っておいて損はないんじゃないかな!」


「確かにそうだけど……」


 沙耶が、じとっとした懐疑的な視線をこちらに向けてくる。

 我ながら、言い訳が少々ゴリ押し気味である自覚はあるが、ここで視線から逃げたら負けだ。


 特に運動をしてこなかった人間が、急に「運動用の服が欲しい」と言い出せば、怪しまれるのも当然だろう。

 だが、今の沙耶が引っかかっているのは、その部分ではないような気がする。


「もしかして……ついにお姉ちゃんに男ができた!? 急に服が欲しいとか言い出すし……乙女の側面が出て来た……?」


「それはないかな……」


「だよね~。まあ、お姉ちゃんには私が居るしね!!」


 胸を張って言い切るあたり、ある意味頼もしい。

 ここまで堂々と宣言されると、からかいたくもなる。


 今日はここまで、かなり好き放題に着せ替えられた。

 少しぐらい仕返しをしても、罰は当たらないだろう。


 私は握っている手を引き、沙耶の体をぐっと自分の方へと寄せる。

 空いている方の腕を彼女の腰に回し、ぴたりと距離を詰める。


 顔を耳元へ近づけて――。


「――そうだよ。私には沙耶が居るもんね」


 低めの声で、意図的に甘さを混ぜて囁いた。

 記憶の中の少女漫画に出てくる、いかにもな「壁ドン」だの「耳元囁き」だの、そういったシーンを真似てみたつもりだ。


 沙耶の性格なら、すぐに「冗談でしょ~」と笑って返してくるだろう――そう思っていたのだけれど。


「ひゃっ……ひゃい……」


 返ってきたのは、顔を真っ赤に染め、声まで上ずった返事だった。

 完全に虚を突かれたようで、肩が小刻みに震えている。


 反撃されることは予想していたが、まさかこちらの一撃で沈むとは思っていなかったのだろう。


『愛の神が貴女たちを見守っています』


 タイミングを選べ、と言いたくなる青い画面が視界の端に現れる。

 すぐさま意識で弾き飛ばすようにウィンドウを消し、固まっている沙耶の手を引いて、そのままスポーツ用品店へ向かった。


 沙耶はずっと俯いたまま、もじもじと歩いている。

 スポーツ用品店に到着しても、その状態は変わらなかった。


 恐る恐る覗き込むと、顔は真っ赤なままで、動きもぎこちない。

 どことなく、錆びついてまともに動かなくなった機械のようだ。


「はははっ」


 思わず笑いが漏れてしまう。

 ぎくしゃくした挙動が、あまりにも分かりやすくて。


 それに釣られるように、沙耶も少しだけ肩を震わせ、くすくすと笑い始めた。


「ふふふっ……。あー……急にお姉ちゃんが固まるようなこと言うんだもんなぁ」


「お、復活した。今日は沙耶に好き放題着せ替え人形にされたからねぇ」


 冗談めかして言い返すと、沙耶は「うぇへへ」と誤魔化すように笑う。


 ――着せ替え地獄は、本当に疲れた。


 よく「女子の買い物は長い」と言うが、今日一日でその言葉の意味を、身をもって理解した気がする。

 実際に長いし、濃い。体感時間は倍増だ。


「まあ、私としても嬉しかったし……大丈夫!」


 沙耶はようやく完全に通常運転に戻り、店の中をきょろきょろと見回し始めた。


 スポーツ用品店では、運動靴を5足、動きやすい服や保温用のタイツ。

 さらには登山用の断熱性の高い服、大容量のリュックなどをまとめて購入した。


 「いらないよ」と言っていた沙耶の分も、半ば強引に一式揃えておく。

 これから先の世界を考えれば、彼女の身を守るためにも必要な投資だ。


 車に戻り、後部座席いっぱいに置いた荷物を眺める。

 山のようにつみ上がった袋の数々を見ていると、少し買いすぎたような気もしてくる。


「いっぱい買ったね……? お金とか本当に大丈夫なの……?」


「大丈夫だよ、伊達に高給取りしてないし」


 財布事情を心配されるあたり、確かに常軌を逸した量ではあるのだろう。

 だが先ほど、カードの引き落とし口座の残高を確認したところ、今回の出費は全体の10分の1にも満たなかった。


 明日の予定は、武器の調達と、当面の食料・水の大量購入。

 ダンジョンが出現してすぐの数日間は、まだ社会インフラも混乱しきってはいない。

 だが、10日以上誰も入らず、攻略もされないまま放置されると――ゲートの中からモンスターがあふれ出す。


 明後日に出現するのは、ダンジョンの入り口――通称:ゲート。

 全くの未知の存在だったゲートに対し、各国の政府は初動こそ慎重だったが、その分、情報を徹底的に封鎖した。


 その結果、一般人に「ダンジョン」の存在が知られるのは、モンスターが街に現れ、被害が出てからとなる。


 ゲートの中は、外界とは切り離された別空間。

 中に入って1時間以内であれば、入り口まで戻って帰還できる「浅いダンジョン」も多数存在した。


 ダンジョン内の最奥にいるボスを倒すとゲートが閉じるものもあれば、そのまま残り続けるものもある。

 後者のように継続的に存在するダンジョンは【持続型ダンジョン】と呼ばれ、資源の供給源として重宝された。


 一方、一度ボスを倒すとゲートそのものが消失してしまうダンジョンは【突発型ダンジョン】と呼ばれ、持続型に比べてモンスターが強力である場合が多い。


 ダンジョンボスは、普通のモンスターよりも遥かに強力だ。

 体躯が巨大で、禍々しい見た目をしていることが多く、その姿だけで初心者は腰を抜かす。


 そして、一番重要な点――。

 各モンスターやハンターには【防御力】の概念が存在し、その防御力を下回る攻撃は、一切ダメージにならない。


 何のスキルも持たない一般人が、警察官が所持しているような銃を撃った際の攻撃力が、確か「50」だったはずだ。


 そのため、ダンジョン発生初期の段階であれば、溢れ出してくるモンスターは現代兵器で十分に駆逐できていた。

 だが、ゲートの数が増え続け、出現するモンスターの平均防御力が上がるにつれ、銃器の通用しない個体も多くなっていく。


 1年も経てば、「銃でどうにかなる」時代は終わる。

 それまでにある程度レベルを上げ、スキルを整えておかねば、変わりゆく世界に取り残されてしまう。


 私は【剣術】のスキルを持っているため、剣を装備する必要がある。

 だが「剣」と言っても、中世の長剣や日本刀のようなものである必要はない。


 包丁や、そこらの木の棒でも構わないらしい。

 棒状なら何でもよく、「これは剣だ」と私が認識していれば、【剣術】スキルの条件は満たされるそうだ。


 ……とはいえ、耐久力の面で考えれば、木の棒で戦うのは心許ないが。


「ふぅ、やっと家に帰ってこれた」


「日も暮れちゃったね……? お姉ちゃん、今日から泊まっていい?」


「いいけど……相変わらず布団は買ってないよ?」


「うん! 一緒に寝るからいいの」


「あっ、はい」


 勢いに押される形で返事をすると、沙耶は嬉しそうに笑った。


 買った荷物を車から運び出し、玄関から家に入る。

 一人暮らしにしてはなかなか広い、3LDKのアパートだ。


 家具は最小限。

 ソファとテーブルとテレビ、あとはベッドと簡素な棚ぐらいしかないため、余計に部屋が広く見える。


「へへっ……お姉ちゃん、今日買った服着てみてもいい!?」


 靴を脱ぐなり、沙耶が一直線に買い物袋へ飛びついた。

 目を輝かせながら袋を漁る姿は、まるで宝箱を開ける子供のようだ。


 買い物の後の、一番楽しい時間の始まり――なのだろうが。


「いいけど、ご飯作り終わるまでだからね」


「はーい!」


 弾む声で返事をすると、沙耶は早速、袋から服を取り出し始めた。

 その姿を横目に見ながら、私はキッチンへ向かう。


 冷蔵庫の横に掛けてあるエプロンを取り、手早く着用する。

 冷蔵庫を開けて中を確認すると、作り置きのおかずが詰まったタッパーがいくつも並んでいた。


 毎朝一から作るのが面倒で、休みの日にまとめて作り置きしているらしい。

 便利ではあるが、これから先、電気がいつまで安定して使えるかは分からない。


 発電所などの重要施設にも、ゲートが出現することが多々ある。

 そうなれば、電力供給が止まる可能性も十分に考えられる。


 なので、今日から少しずつ冷蔵庫の中身を減らしていくことに決めた。


 作り置きしてタッパーに入っていた煮物を取り出し、レンジで温めてから皿に移す。

 次に、蒸しておいた鶏肉を手で割き、葉物野菜の上にたっぷりと乗せた。


 メインは……パスタにしよう。

 鍋に湯を沸かして麺を茹でながら、フライパンでひき肉を炒め、トマト缶や調味料を加えてミートソースを作る。


 トマトの酸味と、炒めたひき肉の香りがキッチンに広がっていく。

 パスタが茹で上がった頃には、ちょうどミートソースもいい具合に仕上がっていた。


「沙耶ー、できたぞー」


「今着替えるー!」


 リビングのテーブルに料理を並べながら声を掛けると、慌てた返事が返ってくる。

 どうやら途中まで服を着替えていて、そのままここまで来たらしい。


 数秒後、キャミソール姿の沙耶が、慌ててリビングに顔を出した。

 さすがに外には出られない格好だが、家の中なら許容範囲だろう。私も家ではすぐにラフな格好になるし、気持ちは分かる。


「パスタとサラダは分かるけど……なんで煮物?」


「んー、消費しておきたかったから……悪いけど消費を手伝ってね」


「はーい、いただきます」


「いただきます」


 二人で手を合わせてから、黙々と食べ始める。


 フォークですくったパスタを口に運ぶと、トマトのコクとひき肉の旨味が広がる。

 だが、それ以上に――煮物が美味い。


 作ってから一日経っているおかげで、味がしっかりと染みている。

 大根も人参も、噛めばじゅわりと出汁が染み出し、思わず目を細めてしまうほどだ。


 こんな、何でもない夕食の時間すら――45年後の世界では、とうの昔に失っていた。


 今度こそ守るために。

 私は、再び剣を取る。


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