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39話--遺跡の主--

 辺りがうっすらと白み始めていた。

 濃い墨で塗りつぶしたような闇が、じわじわと薄められていく。朝露をたっぷり含んだ湿った空気が肌にまとわりつき、髪の先までじっとり重い。

 爽やかな朝、というよりは、服の中まで湿気が入り込んでくる不愉快な重さの方が勝っていた。


 一晩中、木の根元で背中を預けて起きていたが、ゴブリンの気配は結局最後まで近づいてこなかった。

 昨日、真っ暗闇の中を移動したことと、あの泥団子の匂い消しが効いているのだろう。


 立ち上がって、背筋を伸ばす。関節がポキポキと小さく鳴り、徹夜明けの体が、自分のものじゃないみたいにぎしぎしする。


「昨日襲撃した場所まで行ってみるかな」


 小さく呟いて、まだ寝息を立てている三人を起こさないようにそっとその場を離れた。

 私たちが昨夜陣取っていた場所には、目印代わりに泥団子をいくつか転がしておいた。

 もしゴブリンがここまで来ていれば、間違いなく踏み潰されている――はずだ。


 木々の間を抜けて、慎重に周囲の気配を探りながら、昨夜の地点まで足を運ぶ。

 そこには、予想通り、べちゃりと潰れた泥団子と、土に深く刻まれた小さな足跡がいくつも残っていた。

 靴底ではない、裸足で踏みしめたような、不揃いな形。

 ――ゴブリンの足跡だ。


 周囲の魔力の流れや気配を探るが、近くにゴブリンの気配はない。

 もう偵察だけして、とっくに遺跡の中へ引き返したのだろう。


(匂い消しも、移動ルートも……うまくいってる、ってことか)


 確認したかったことは十分できた。

 私は来た道を戻り、三人が寝ている木の根元へと引き返した。


 木の上では、三人がそれぞれ無防備な格好で丸くなっている。

 枝に片足を引っかけたまま口を開けている沙耶。

 弓を抱きかかえるようにして器用に寝ている七海。

 小森ちゃんは、一番安定した太い枝にぺたんと座り込んだ姿勢から、そのまま壁にもたれて寝落ちしたみたいな体勢だった。


 私は携帯食料を取り出して封を切り、自分の分を口に押し込みながら、上を見上げて声をかける。


「起きてー。そろそろ二日目の地獄が始まるよー」


 ばさ、と枝葉が揺れて、順番に顔がぴょこっと覗いた。

 寝起きの顔は、三人とも見事に疲労と寝不足の色がこびりついている。


「野宿って、思ってたよりしんどいね……」


 沙耶が、目の下のくまを指で押さえながらぼやく。


「わかるっす……木の上ってのが更に疲労を溜めてくっす……」


 七海は普段の元気が半分ぐらい削られていて、口調に覇気がない。


「これが、おさるさんの気持ち……」


「……たぶん違うよ、小森ちゃん」


 思わず真顔でツッコんでしまう。

 確かに木の上で生活する生き物もいるけど、多分彼らの体はもっと枝仕様にできてる。

 人間が真似しようとすると、筋肉と関節が悲鳴を上げるだけだ。


「今日は大きく迂回して、反対側の出入り口を狙おう」


 携帯食料を咀嚼しながら、今日の方針を告げる。

 三人もそれぞれ、もう味への文句を言う余裕もないのか、黙々と不味い塊を水で押し込んでいた。


(よし、じゃあその前に――)


 私は立ち上がると、順番に三人を地面にうつ伏せに寝かせた。


 ――そして、遠慮のないマッサージタイムが始まった。


 足の裏からふくらはぎ、太腿、腰、背中、肩へと、筋肉の流れに沿って指をぐーっと押し込んでいく。

 野宿一日目で溜まった疲労を、強制的に搾り出していく感じだ。

 もみほぐすというよりは、ほぼ拷問に近い。


「んぐっ!? ~~~~っ!」


「ひぁっ、ちょ、まっ――いだだだだだ!!」


「ふごっ……っ、ふ、ふぇ……っ!」


 あまりにも騒がしいので、開始前に「叫ぶとゴブリン寄ってくるよ」と言い含めた上で、それぞれの口に、今は着ていない運動着の上着を丸めて詰めておいた。

 文句を言いながらも、三人とも素直に口を開けた時点で、これはもう合意の上だと思っている。


 結果――。


 私の足元には、マッサージにより満身創痍となった三つの屍が転がっていた。

 全員、仰向けになったりうつ伏せになったりしながら、白目を剥きかけている。


「死ぬほど痛かったけど楽になったよ……お姉ちゃん、ありがと」


 最初に復活した沙耶が、ぎこちなく上体を起こしながら言った。


「どういたしまして」


 私は軽く笑って返す。

 これから一番負荷のかかる役を任せるから、その前にちゃんと全身の張りを取っておきたかった。

 あの遺跡の出入口を魔法で塞ぐ役目は、どうしたって沙耶が一番重要になる。


 いつの間にか、七海も小森ちゃんもよろよろと立ち上がっていた。

 まだ足元がおぼつかないが、さっきより顔色はだいぶマシになっている。


「じゃ、出入り口を狙えそうな場所まで移動しよっか」


 私は先頭に立ち、森の中を少し大回りして、昨日とは反対側の出入口が見える位置まで移動した。

 木々の隙間から見える遺跡は、朝日に照らされてその輪郭がはっきりしている。


「沙耶、この辺からいけそう?」


「うーん。多分大丈夫だと思うけど……昨日より距離あるから、使った後に倒れちゃうかも」


「ちゃんと介抱するから、気にせずやっちゃっていいよ」


「わかった!」


 沙耶はこくりと頷き、両手で杖を握り直して目を閉じる。

 胸の奥で魔力を練り上げているのが、側で見ていても分かるほどだ。


「【土槍】」


 詠唱と同時に、沙耶の体から力が抜け、横に崩れ落ちそうになったところを私は慌てて抱き寄せた。

 肩を引き寄せ、体を支えながら出入り口の方を確認すると、空中に突如現れた巨大な土の楔が、見事に出入り口を貫いていた。


 土煙が晴れる頃には、そこには石と土で完全に塞がれた“壁”しか見えない。

 ゴブリンたちの慌てた喚き声が、遺跡の内側からかすかに聞こえてきた。


「よし、結構後ろまで撤退するよ」


「ちょっ、これはっ……はずかしいから……」


 私は、そのまま沙耶をひょいと抱き上げた。

 いわゆる姫抱き、というやつだ。


 大粒の汗をこめかみから流し、息を荒くしている沙耶が、涙目で私の服をぎゅっと掴んで訴える。


「歩ける……自分で歩けるから……」


「はいはい。倒れたら困るからねー」


 完全に無視して、私は沙耶を抱えたまま、今日の拠点にしようと思っている場所まで戻っていく。

 背中で七海と小森ちゃんのくすくす笑いが聞こえた気がするが、聞かなかったことにした。


 昨日より早い時間帯に遺跡を叩いたせいで、何かしらゴブリン側の反応が出てくるかもしれない。

 念のため、私は沙耶を寝かせたあと、七海と小森ちゃんに木に巻き付いている丈夫な蔦を集めてくるよう頼んだ。


「簡易的だけど罠、作っとこうか」


 足首を引っかける輪や、音が鳴る仕掛け程度の簡単なものだが、ないよりはずっといい。

 私たちの方から仕掛けているとはいえ、相手は数百の集団だ。油断は絶対に禁物だ。


 ――用心しておいたけれど、その後は拍子抜けするほど何事もなく進んだ。


 三方向の出入り口は【土槍】で完全に塞ぎ、残るは一番大きな正面の出入り口だけ。

 日付にして、すでに遺跡に入って四日目になる。


 さすがに疲労はごまかせなくなってきていて、三人の目の下にはうっすらと隈が浮かんでいた。

 携帯食料での栄養補給とマッサージで体の疲れは抜けても、「慣れない環境で眠る」という別ベクトルのストレスは、どうしても残る。


「今日、クリアするから。帰ったら沢山寝ようね」


「うん……その前に、お風呂入りたい……」


 沙耶の切実な願いに、思わず苦笑いが漏れる。


 水で濡らしたタオルで体を拭いてはいるけれど、正直、匂いは中々にキツい。

 誰か一人の匂いを指摘したら、絶対に全員の問題になるので、匂いについて触れない、という暗黙の了解が自然とできつつあった。


(回帰前の隊列メンバー、今思うと本当に色々気を遣ってくれてたんだな……女の子でも普通に汗臭くなるんだって、改めて実感した)


 これからは、衛生用品もアイテム袋に常備しておこう。

 タオルと石鹸だけでどうにかする時代は、もう終わりにしたい。


 私たちは、遺跡の唯一の出入り口になった場所が見下ろせる位置まで移動した。

 そこには、各方向に分散していたはずのゴブリンたちが、一箇所にぎゅうぎゅうに押し込まれている。


 ざっと見ただけでも、視界に入る範囲で百匹はいる。

 だが――ここから先は、私の出番だ。


「私が注目を集めるように歩いて遺跡まで行くから、沙耶と七海は壁の上にいるのを始末して。

 私が遺跡に着いたら、登ってきたやつを随時撃つのと、出入り口から逃げてくる打ち漏らしたやつを、ここから撃ってね。

 小森ちゃんは、二人に技能を切らさないように立ち回ってほしい」


 具体的な役割分担を告げる。

 三人の返事を聞く前に、私は剣を抜き、ゆっくりと遺跡に向かって歩き出した。


 距離百メートルほど。

 その半分ほどまで近づいたところで、一匹のゴブリンが私に気づき、ぎゃっと鳴き声を上げた。

 周囲のわらわらとした気配が一斉にこちらを向く。


 弓を構えたそのゴブリンは、私に向けて矢を番え、今にも放とうとしている。

 ゴブリンの腕力では、五十メートルほどが矢の限界射程だ。

 私は左手を軽く上げて、七海に「【回収】を使え」という合図を送った。


 次の瞬間、ゴブリンが引き絞った弓から、矢がふっと消え失せた。


 遺跡からどよめきが上がる。

 何が起きたのか理解できていないざわめき。

 その瞬間を逃さず、私は地面を蹴った。


 一気に距離を詰め、前衛に立っていたゴブリンの群れに突っ込む。

 日頃の鬱憤を晴らすように、目に入るものから順に斬り捨てていく。


 視界の端で、七海の矢と沙耶の【炎球】が、壁の上にいるゴブリンたちを次々と薙ぎ倒していくのが見えた。


 唯一残された出入り口に、私は陣取る。

 そこから這い出てくるものは、全て斬る。それだけだ。


 次から次へと、武器や防具の差こそあれ、中身の変わらないゴブリンが押し寄せてくる。

 数に物を言わせて押し潰そうとする群れは、沙耶が昔ハマっていた「大量の敵に突っ込んで無双するゲーム」を思い出させた。


 私が歩き、斬り、進んだ後ろには、ゴブリンの死体が道のように積み上がっていく。

 五百体を超えたあたりから、目に見えて質の低下が分かるようになった。

 防具をつけていなかったり、武器が棒切れだったり――予備戦力の底をさらっているのが丸わかりだ。


 そして、しばらくすると――。


 遺跡の中から、一際大きな叫び声が響いた。

 次いで、その声の主が姿を現す。


 渋谷で倒した個体をさらに上回るサイズのゴブリン。

 オークにも引けを取らない、隆起した筋肉と分厚い体躯。

 手には、丸太を削ったような巨大な石棍棒を握っている。


(ゴブリンキング、か)


 強さの指標で言えば、ミノタウロスと同等か、少し劣る程度――そんなところだろう。


 ゴブリンキングが咆哮と共に石棍棒を振りかぶり、私に向かって叩きつけてきた。

 私はそれを剣の腹で受け流し、勢いを利用して懐に潜り込む。


 腕を一閃で斬り飛ばし、よろめいた足を続けて斬る。

 バランスを崩して崩れ落ちた胴を、最後に縦に真っ二つに割った。


 石棍棒が、鈍い音を立てて地面に転がる。

 血飛沫が、遺跡の石畳に大きな弧を描いた。


(……思っていたより、ずっと楽だったな)


 そんなことを一瞬だけ考えた、その時だった。


 遺跡の奥から、同じような体格のゴブリンキングが、さらに四体、ぞろぞろと姿を現した。

 それぞれが巨大な岩を掴み、こちらに向かって投げ放ってくる。


 私は反射的に足を蹴って横へ跳び、飛んできた岩をかわしながら、思わず口から本音が漏れた。


「うっそでしょ……」


 四体のゴブリンキング。そのさらに後ろに――一体だけ、小柄な影が見えた。


 他のゴブリンとは明らかに異なる、冷たい気配。

 薄緑色の肌をしたゴブリンたちと違い、その肌は血の気が感じられないほど白い。


 回帰前、世界の一部を地獄に変えた、とまで言われた存在。

 ハンターたちから「厄災」と呼ばれ、恐れられていた――ゴブリンたちを統べる者。


(……ゴブリンロード)


 喉の奥で、ゴクリと小さく唾を飲み込む音がした。

 自分のものなのか、それとも誰かのものなのか。

 分からないまま、私は剣を握り直した。


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