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33話--皆とダンジョン--

 ゲートに足を踏み入れた瞬間、視界がぐにゃりと歪んだかと思えば、次の瞬間には肌を撫でる風の感触と、草の匂いが鼻をくすぐった。


 中は一面の草原だった。

 膝下ぐらいまである草が風に揺れ、さわさわと擦れ合う音が耳に心地よく響く。私たちが立っているのは、わずかに盛り上がった小さな丘の頂上で、ぐるりと見渡せば地平線まで遮るものはない。


 見晴らしとしては最高だけど、隠れる場所がないという意味では最悪だ。モンスターが出てきたら、真正面からぶつかり合うしかない。


 ざっと周囲を見回したが、今のところ見える範囲にモンスターの姿はなかった。

 ――静かすぎるのも、それはそれで不気味なんだけどね。


 ここで時間を無駄にするのももったいない。まずは戦力確認だ。


 七海と小森ちゃんのスキルを確認してしまおう。

 前回ダンジョンに連れて行ったときに沙耶に説明した事と同じ内容を、二人にも噛み砕いて説明していく。ステータスの見方やスキル欄の確認方法を教え、各自で能力値を見てもらう。


「【弓術】っす! 高校でアーチェリーやってたからっすかね?」


 目を輝かせながら七海がそう言って、ステータス画面を私に見せてくる。得意分野とスキルが噛み合っているのは、かなりの当たりだ。


「わたしは【支援】です。戦えるものじゃないのかなぁ……?」


 おずおずと小森ちゃんも報告してくる。不安そうに眉を下げているが、そのスキル名を見た瞬間、私の口角が自然と上がった。


「二人とも、最高だね」


 思わず即答してしまった。

 七海の【弓術】は文字通り、弓を使うことで攻撃力が上昇するスキルだ。しかもスキル欄を見る限り、最初から技能がひとつ使えるらしい。


 技能名は【回収】。

 自身が撃った矢を文字通り“回収”できる技能で、射った矢が時間経過で手元に戻ってくるタイプだ。矢を節約できるし、長期戦にも強い。弓使いとしては喉から手が出るほど欲しがる技能だ。


 私のアイテム袋の中には、古代竜骨で作られた弓と矢の束が眠っている。回帰前には手が出なかったような代物だが、今は私の物だ。


「七海はこれ使って」


 アイテム袋から白く滑らかな光沢を放つ弓と矢筒を取り出し、七海に手渡す。骨とは思えないほどしなやかで、握った感触は手にぴたりと馴染むはずだ。


「承知っす!」


 七海は嬉しそうに弓を受け取り、弦の張り具合を確かめるように軽く引いては離している。その表情は完全に“おもちゃを与えられた子供”だった。


「小森ちゃんは……使える技能って何かある?」


「えっと、【速度上昇(クイック)】と【攻撃力上昇(ストレングス)】があります!」


 胸の前で手をぎゅっと握りながら、小森ちゃんが答える。

 スキル欄に並ぶ文字を見て、私は心の中でガッツポーズをした。


 なるほど。小森ちゃんの【支援】は上昇効果(バフ)型か。


 【支援】には大きく分けて三つの型がある。

 一つ目は味方の能力値を直接底上げする上昇効果型(バフ)

 二つ目は敵の能力を下げる下降効果型(デバフ)

 三つ目は自分にしか効果を掛けられない自己強化型だ。


 上昇効果型は、今小森ちゃんが持っている【速度上昇】【攻撃力上昇】のように、味方の能力を上げる技能を最初から使える。

 下降効果型なら、相手の防御や命中を下げる技能が最初から備わっていることが多い。


 自己強化型は滅多にお目にかかれないレアものだが、その分、上昇量がえげつない。自分にしか掛けられない代わりに、“歩く災害”みたいな奴が出来上がる。

 ──回帰前に自己強化型だった奴から聞いた話だから、若干あやふやだけど。


 【支援】の技能は、とにかく“使えば使うほど”強くなる。効果量も、持続時間も、経験と共に伸びていく。

 つまり、今のうちからどんどん使ってもらえば、それだけで戦力が底上げされる、というわけだ。


「小森ちゃん、私に【速度上昇】をかけてもらえる?」


「はい! 手を貸してください」


 差し出した私の手を、小森ちゃんがそっと両手で包み込む。指先だけを少し強めに握り、小さく、しかしはっきりとした声で【速度上昇】と呟いた。


 次の瞬間、体の内側にすっと風が通り抜けたような感覚が走る。

 筋肉にまとわりついていた見えない重りが外れたように、全身が軽くなる。


 体感で言えば、私の【神速】の一割程度。

 でも、今はそれで十分だ。これが積み重なっていけば、いずれは触れずとも、遠く離れた仲間にも技能を飛ばせるようになる。そこまで到達するのは、まだまだ先の話だろうけど。


「ありがとう。そうだ、私のスキルで【統率】ってのがあって隊列(パーティー)を組めるから組んでおかない?」


 スキル欄を開きながら、三人に隊列の話を切り出す。

 複数人でダンジョンに潜るなら、隊列はほぼ必須だ。特に【支援】がパーティーにいるなら尚更。


 通常、ダンジョン攻略後の報酬──レベルアップやスキル取得判定は“個人が倒したモンスターの数”で決まる。

 けれど【支援】スキル持ちは、攻撃系の技能がほとんどないため、自力でモンスターを倒す機会が少ない。結果として、どれだけ支援しても経験が入りにくい、という悲しいことになる。


 そこで隊列の出番だ。

 隊列を組んでいる場合、ダンジョン攻略時の“討伐数や報酬”の計算は個人ではなく“隊列単位”で行われ、その成果が人数で均等割りされる。

 つまり、【支援】スキル持ちも、きちんとレベルが上がるようになる。


 そのあたりの仕組みを説明すると、三人とも真剣な顔で聞き入り、最後は揃って頷いてくれた。


 隊列の申請を行うと、三人の頭上に薄く淡い光の輪が浮かび、すぐに消える。全員が承認を終えた、という合図だ。


 その直後、拳大の石が唸りを上げて飛んできた。


 条件反射で剣を抜き、石を叩き落としてから、飛んできた方向へと視線を向ける。


 ――コボルトだ。

 犬と狼の中間のような顔、粗末な布切れを身につけた二足歩行の獣人。十匹ほどの群れが、私たちに向けてぎらついた目を向けている。


「沙耶は前のスライムの時のように私ごとコボルトに【炎球】を。七海は周囲の確認をしつつ新手が来たら報告して射って。方向は私が突っ込んだ方角が12時。小森ちゃんは全員に技能を使って」


 短く、必要最低限の指示だけを飛ばす。

 沙耶の【炎球】は、私の位置を中心にして撃ってもらったほうがやりやすい。私が避ければ、残ったモンスターだけが焼かれる形になるからだ。


「は、はいっ!」


 小森ちゃんの掛け声と共に、再び身体が軽くなる。脚に力が漲るのを感じながら、私はコボルトの群れへと駆け出した。


 一太刀で二匹をまとめて斬り裂く。

 血飛沫が風に乗って散り、足元の草に赤い斑点が咲いた。


 こちらの戦い方を警戒したのか、コボルトたちは私を避けるように左右へと散開し始める。

 ――だけど、その逃げ道はもう塞いである。


 逃走先を見越したように、左右に【炎球】が炸裂した。

 轟音と共に立ち上がる炎の壁に進路を遮られ、コボルトたちは慌てて足を止める。前にも後ろにも進めない状況に追い込まれ、残された選択肢はただ一つ──私に飛びかかることだけだ。


 残り全匹が、一斉にこちらへと突進してくる。

 【神速】を起動し、視界が一瞬だけ白く伸びる。


 八本の首が、刃の軌跡を追うように宙を舞った。

 遅れて噴水のように血が噴き上がり、すぐにコボルトの身体は地面に崩れ落ちる。剣に付いた血を一振りで払った。


「先輩っっ! 2時と10時に新手っす!」


 背後から七海の声が飛んでくる。視線を向けると、遠くの草むらからコボルトの群れが二つ、こちらに向かって走ってきていた。


「了解! 沙耶と七海は10時を牽制、攻撃して! 小森ちゃんは二人に再度技能を!」


「はいっ!」


 指示を飛ばすと同時に、再び身体がふっと軽くなる。

 沙耶の【炎球】が左側──私から見て10時の方角へと飛んでいくのを視界の端で確認しつつ、私は2時方向に現れた群れへと向かった。


 2時方向の十三匹を、一体ずつ着実に切り伏せてゆく。

 足を止めさせ、武器を弾き、首筋や心臓を正確に斬り裂く。気づけば足元には、動かなくなったコボルトの山が出来ていた。


 振り返ると、10時方向のコボルトは残り二匹になっていた。どうやら九匹いたうち、七匹は既に倒されているようだ。


 これは手を出さずに見守ろう。

 沙耶が七海の視界を塞がないように【炎球】の規模を抑え、火柱が上がらないように調整しているのが分かる。七海も渡した弓に慣れてきたのか、矢が無駄なくコボルトの足を射抜き、膝をつかせたところを頭へと正確に撃ち込んでいた。


 最後の一匹が倒れ、全てのコボルトが地面に沈黙する。


「うん、全部死んでるね」


 倒したコボルト一体一体に剣を突き立て、生死を確認していく。

 コボルトは闘争心が高く、基本的に死ぬまで戦うが、ゴブリンあたりになると平気で死んだふりをする。確実に殺した自信がないときは“死体蹴り”をしておくに越したことはない。


 私がそう告げると、三人が互いに抱き合って喜びを爆発させた。

 その光景は微笑ましいが、申し訳ないことに、まだ“やらなければならないこと”が残っている。


 ポーチからサバイバルナイフを三本取り出し、一人一本ずつ手渡した。


「ナイフ? 何に使うんすか?」


「胸の中心辺りにある魔石を剝ぎ取るんだよ」


 言いながら、実際に目の前でやって見せる。

 コボルトの腹の上のほうに縦に切れ目を入れ、温かい血の匂いと生温い感触に構わず、手を突っ込んで胸の中心へと指を伸ばす。

 硬質な感触に触れたところで、そのまま勢いよく引き抜いた。


 血と共に、淡く光る石が私の手の中に現れる。

 魔石だ。


 ……まあ、初見でやれと言われたら引くよね。


「え、本当にやらないとダメ?」


「うん。早く慣れて? この石がこれからの重要な収入源になるから」


 魔石の価値、そして今後の生活にどれだけ影響するかを軽く説明する。

 モンスターが再出現するまでに、この作業を終わらせないといけない。慣れておかないと、後々困るのは自分たちだ。


 私は三人の後ろに回り、作業を見守る立ち位置に移動する。


「七海と沙耶は3匹で小森ちゃんは2匹ね」


 役割分担を告げてから周囲の警戒に意識を回す。

 私が倒した分のコボルトからは、既に魔石を回収済みだ。


 その場でコボルトの魔石を一つ手に取り、口へと放り込む。

 ……何度やっても、飲み込みづらい。輪ゴムを噛んでいるような妙な味と、喉にねばりつく感触は慣れるものではない。


『【統率】は既に取得済みです。魔力保有量が増加しました』

『【統率】は既に取得済みです。魔力保有量が増加しました。以降はスキル取得時のみ報告(アナウンス)します』


 三つ目を飲み込んだところで、アナウンスが途切れた。

 魔力がじんわりと満ちてくる感覚はある。けれど、スキル欄に新しい文字は増えていない。


 渋谷で戦ったときのコボルトより、ここにいる個体は二回りほど小さい。

 スキルを一つしか持っていないタイプなのだろうか……と四つ目を口に運ぼうとしたところで、小森ちゃんの声が飛んできた。


「あの、橘さん……終わりました」


「……早くない?」


 思わず振り返る。

 沙耶と七海は、まだ一匹目の腹を前にして苦虫を嚙み潰したような顔をしているのに、小森ちゃんの手には既に二つの魔石が収まっていた。


 頬に付いていた血を指先で拭ってやると、小森ちゃんは少しくすぐったそうに瞬きをした。


「あっ、ありがとうございます。実家が田舎で……子供のころ鹿とか猪とかの解体を手伝ってたので、あまり抵抗がありませんでした」


「そうなんだ……。じゃあ、七海と沙耶のを1匹ずつお願いしていい?」


「はいっ!」


 返事をするや否や、小慣れた手つきでコボルトの腹にナイフを入れ、迷いなく手を突っ込む小森ちゃん。

 内臓を避けながら魔石だけを掴んで抜き取る動作に一切の躊躇いがない。心なしか、どこか楽しそうにさえ見える。


 ――ダンジョン内の魔力に、微細な揺らぎが走った。


「来るよ。解体は一旦中断、準備して」


 手早く三人にタオルを渡し、血を拭き取らせる。

 次の波が来る前に、余計な汚れは落としておいた方が動きやすい。


 しばらくすると、私たちを取り囲むようにして、コボルトの群れが五つ姿を現した。

 12時、2時、5時、7時、10時──ほぼ完璧な包囲だ。


 正面──12時の方角に現れた群れには、渋谷で見たのと同じサイズの大型コボルトが一匹混じっている。手に、大型のククリナイフを握りしめている。

 明らかに他の個体とは違う威圧感。恐らく、アレがこのダンジョンのボスだ。


 他の四つは、さきほどと同じサイズの群れだ。


「沙耶。私が5時に突っ込んだら2時と7時に高めの火力で【炎球】を。七海は10時に速射……当てなくていいから数をバラまいて」


 指示を飛ばした瞬間、小森ちゃんが無言で技能を使用してくれる。

 足が軽くなり、腕に力が宿る。こういうところが、支援職の頼もしさだ。


 沙耶と七海が頷いたのを確認し、私は最も隙を作りやすい5時方向へと体を向けた。


「いくよ!」


 掛け声と同時に地面を蹴る。

 私が5時方向へ駆け出すと、ほぼ同時に2時と7時方向で【炎球】が炸裂し、眩しい炎の柱が立ち上るのが視界の端に見えた。


 10時の群れには、矢が雨あられと降り注いでいる。

 「当てなくていい」とは言ったものの、七海の矢はそこそこ命中しているようだ。足を射抜かれたコボルトが何体か倒れ込んでいた。


 私は【神速】で距離を詰め、一瞬で5時方向の二十匹を切り伏せる。

 残った一匹の首根っこを掴み、そのままボスのいる群れへと投げ飛ばした。


「こっちに走って!!」


 肉弾と化したコボルトが空中を回転しながら飛んでいく。その脇をすり抜けるように、三人がこちらへと全力で駆けてきた。


 私たちが下がったことで、コボルトの群れは横一列に並び直し、一つの大きな塊になる。

 ボスが甲高く吠えると、その群れが三つに分かれ、一つを正面に残して左右へと展開した。


「全員で右に行くよ。前進しながら攻撃!」


 立ち止まれば、数の暴力で押し潰されるだけだ。

 私は右側に展開した群れへ向けて走り出し、三人もそれに続いてくる。


 七海の矢が次々と飛び、沙耶の【炎球】が爆ぜる。

 その隙間を縫うように、私は前衛として右側のコボルトを片端から斬り倒していく。

 右の群れをほぼ壊滅させる頃には、左の群れとボスが合流し、こちらに向かってきていた。


「3人は後退、安全な距離から全力で攻撃して!」


 背後にいる三人にそう叫び、残ったコボルト全てを引き受ける形で前へ出る。

 何匹かが三人を追おうと足を向けたが、そのすべてを斬り捨てた。


「さあ、あの子たちを追いたければ私を倒してから行くんだね」


 自分でも若干鳥肌が立つような台詞を口にしてみる。

 ──なんて言ってみたけど、これ、誰かに聞かれてたら死ぬほど恥ずかしいな……。


 幸いなことに、三人には聞こえていないはずだ。距離的にも、戦闘音的にも。頼むから聞こえてないでほしい。


 【炎球】と矢が次々と飛んできて、コボルトたちの動きを削っていく。その合間をすり抜けるように、私は獣たちの首と腕と脚をひたすら切り落としていった。


 十分もしないうちに、残っているのはボス一匹だけになった。


「グルルルルルルル……」


 ボスが低く唸り、毛を逆立てながら私に威嚇の声を上げる。

 二足歩行であっても、牙を見せて威嚇する様は完全に“犬”だ。身体が大きくなっても本能はあまり変わらないらしい。


 大きく吠えると同時に、ククリナイフを振り上げて斬りかかってきた。

 その一撃を剣の側面で受け流し、流れた勢いを利用して足に浅く傷を刻む。


 それを何度も、何度も繰り返しているうちに、ボスの攻撃は徐々に荒く、大振りになっていく。

 焦りと苛立ちが、刃筋からも伝わってきた。


 横薙ぎに振られたククリを、剣の腹で外側へと流し、わざと力を加えてボスの体勢を大きく崩した。


 ――今だ。


「七海!!」


「はいっす!」


 私の声に合わせて放たれた矢が、一直線にボスの頭部へと吸い込まれていった。

 矢は額を貫き、そのまま脳天へと突き刺さる。


 大きな身体が、地面を揺らしながら前のめりに崩れ落ちた。


『完全討伐報酬を挑戦者たちに送ります』


 無機質な音声が、ダンジョン攻略完了を静かに告げた。

 草原に、しばしの静寂が訪れる。


 ──さあ、ここからが新しい世界のスタートだ。

 最初の一歩としては、悪くない滑り出しかな。


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