32話--本部と報酬--
家に帰るころには、既に日は傾き始めていた。
西日がマンションの壁を赤く染めていて、エレベーターの鏡に映る自分の顔も心なしかオレンジ色に見える。
玄関のドアを開けると、リビングからテレビの音と楽しげな笑い声が漏れてきた。
覗いてみると、ソファの上で三人が適当に体を預けて、バラエティ番組を見ながら談笑している。
――うん。どうやら、仲良くやれているみたいだ。
その様子を見て、胸の奥で固まっていた小さな不安が少し溶けた気がした。
ふと視線を窓の方へ向けると、ベランダにはベッドのシーツや布団、毛布などがずらりと干されている。
キングサイズのシーツが風に揺れていて、洗剤と太陽の匂いがほんのりと漂ってきた。
「シーツとか洗濯してくれたんだ。ありがとね」
思わずそう声をかけると、テレビの前に座っていた沙耶がビクリと肩を揺らしてこちらを振り向いた。
「え、あっ、うん。天気が良かったからね!」
ちょっとだけ挙動不審な返事。
キングサイズのシーツなんて一人なら絶対に干したくない代物だ。
三人がかりだからこそ出来たのだろう。私はありがたさを噛みしめながら、ベランダにもう一度目を向けた。
「小森ちゃん、ごめんね。今朝は本当に……」
向かいの椅子にちょこんと座っていた小森ちゃんに、改めて頭を下げる。
「いっ、いえ! 大丈夫です……貴重な経験になりましたので……」
語尾に行くほど声が小さくなっていき、「大丈夫です」以降はほとんど聞き取れなかった。
それでも、本人が「大丈夫」と言うのなら、これ以上しつこく謝るのは逆に気を遣わせるだけだろう。
私が帰ってきたことで、さっきまで弾んでいた空気が少しだけ静まり返る。
沈黙が居座る前に、別の話題を投げないと――と頭を回したところで、ちょうどいいことを思い出した。
そうだ。七海と小森ちゃんを、ダンジョンに誘おうとしていたんだっけ。
「七海。小森ちゃん。ちょっといい?」
声を掛けると、テレビの前の二人が同時にこちらを向く。
「何すか? 急に改まって……」
「なんでしょう?」
その視線の向こうで、沙耶だけが「自分だけ置いていかれた犬」みたいな顔になっていた。
いや、沙耶はもうダンジョンに一緒に行っているし、連れていくのも確定なんだから、今はいいでしょ……。
「よかったらでいいんだけど、ダンジョン行ってみない?」
そう前置きしてから、彼女たちにも分かるように、ダンジョンのこと・スキルのこと・これから世界がどう変わるか――を、要点を絞りながら話す。
命の危険がある反面、慣れてしまえば今後の生活が格段に楽になること。
早い時期に「戦える側」に回っておく意味。
ゲーム好きの七海は、途中から露骨に目を輝かせ始めた。
一方、小森ちゃんは、真面目な顔で頷きながらも、どこか不安そうに指先をいじっている。
無理に来てもらうつもりはない。
二人が「怖い」と言えば、その時点でこの話は終わりにするつもりだった。
「ウチは行くっすよ! 楽しそうっす!」
案の定、最初に名乗りを上げたのは七海だった。
こういう時のフットワークは本当に軽い。
「ありがとう。ちなみに沙耶はもう一緒に行ったことあるから……」
「わっ、私も行きます!」
私が補足している途中で、小森ちゃんが慌てて被せるように言った。
少しだけ、沙耶を意識したような顔。
……対抗心を燃やさなくてもいいんだけどなぁ。
とはいえ、来ると決めた以上は、全力で守る。
後は、二人がどんなスキルに覚醒するか次第だ。
私としては、前衛を一人ぐらい増やしたいところだけど――それは贅沢か。
「大丈夫だよ! ヤバそうなのが出てきたらお姉ちゃんが守ってくれるからさ!」
沙耶が胸を張って私を指差す。
「そうっすね、あのでっかい牛倒してるぐらいっすから安心っす」
七海も悪びれもなく頷く。
こうやって、なんの疑いもなく信頼を向けられると、嬉しい反面、少し背中がむず痒い。
いい感じにスキルが分かれてパーティーが組めるようなら、四人で常設メンバーにするのも悪くない。
気心の知れたメンバーのほうが、ダンジョン攻略は圧倒的に楽だ。
――ゆくゆくは、渋谷のダンジョンも攻略したい。
……いや、さすがにそこまで考えるのはまだ早い。
まずは目の前にある、小さいところから潰していかないと。
リストに記載されていた「発見が早い順」に攻略していかないと、溢れるダンジョンが出てきてしまう。
「それにしても紙媒体は見づらいな……」
手元の分厚いプリント束をパラパラとめくりながら、思わず呟く。
「ウチがPCに書き起こしてもいいっすよ? 特に指定なければ見た目の通りにやっちまうっす」
「お願いしていい? PCは好きに使っていいからさ」
七海に私のノートPCを渡し、ダンジョンリストの束も一緒に渡す。
特に「極秘」の文字も押されていないし、相田さんにも「嬢ちゃんが使う分には問題ない」と言われている。
七海は軽く指を鳴らすと、キーボードに指を走らせ始めた。
そのタイピング速度は尋常じゃなく早い。
そういえば、事務作業は得意だって言っていたっけ。
「そういえばさ……七海と小森ちゃんは帰らなくていいの?」
ふと気になって口にすると、二人の動きがぴたりと止まった。
そして揃って、私と目を合わせないようにしながら、明後日の方向を見始める。
……もしかして、帰るつもりは元々なかった?
「別にいいんじゃないの? 七海さん一人暮らしだし、小森さんは両親が旅行で居ないし~」
沙耶が、私の心の声を読んだように口を挟んだ。
「確かにそうだったね……」
「あんなモンスターが出てくるようになっちゃったんだからお姉ちゃんと一緒にいた方が安全だからね、逆に帰らないほうがいいんじゃないの?」
言われてみれば、確かにそれも一理ある。
この状況で、それぞれがバラバラの場所に居るより、戦える私の近くに居たほうが安全なのは間違いない。
ただ、長期間にわたって泊まるとなると――と、胸の中で別の引っ掛かりが顔を出す。
こういう経験が今までなかったから、どうするのが正解なのか、よく分からない。
「私はできる妹だからお姉ちゃんの考えてることが分かるよ。客人として扱わなくていいんじゃない?」
「あぁ、ありがとう沙耶。言語化できなくて困ってた」
そうだ。私が引っかかっていたのはそこだ。
ずっと「お客様」として気を遣い続けるのは正直しんどい。
逆に、家族の一員みたいに「ただ一緒に暮らす人」として位置づけられるなら、話はだいぶ楽になる。
「安心するっす、先輩。そこら辺はちゃんと分かってるっすよ。洗濯なら得意っすよ」
「わたしは、掃除なら……」
「じゃあ私は片付けだね。んで、お姉ちゃんは料理! これでいいじゃない?」
「うん。それなら他の人に心配されない範囲で好きなだけ居ていいよ」
「やったー! 人居た方が色々と楽しいしね~」
家事の分担が自然と決まっていき、胸の奥でつかえていたものがすっと消えた気がした。
得意なことを得意な人がやる。シンプルだけど、理にかなっている。
そうと決まれば、明日はダンジョンに行く前に色々と買い出しに行かなければ。
普段着のままダンジョンに突っ込ませるわけにはいかないし、返り血を浴びてもいいような運動着は必要だ。
できれば下着類も、それぞれダンジョン用に確保しておきたい。
食料も、思っていたより消費が早そうだ。
元々は「私と沙耶の二人分」で回すつもりだったから、このままでは確実に足りなくなる。
……なんだか、一気に「生活感」が増したなぁ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日。
色々な支度を整えた私たちは、ダンジョンの前に設置された対策本部のテントで、相田さんを待っていた。
簡易テントの中には、地図やモニター、無線機などが並んでいる。
近くでは迷彩服の隊員たちが忙しなく動き回っており、その合間を縫うように荷台車が出入りしている。
その喧騒の中で、私たち四人だけが、少しだけ場違いな浮遊感を纏っていた。
相田さんは「ダンジョンが消える瞬間をこの目で見たい」とのことで、一回目の攻略は外で待機するらしい。
私たちが入って、ボスを倒し、ダンジョンがどう変化するか――それを確かめるために。
私は、まだ目を通しきれていないダンジョンリストの一部を手に取り、ぱらぱらと確認する。
ざっと見た限りだと、私の実家の周辺にはゲートは見つかっていないようで、リストにも載っていなかった。
一先ずは、それだけで少し安心する。
「すまんな、嬢ちゃん。待たせちまった」
テントの入口が開いて、相田さんが姿を見せる。
軽く手を振りながら近づいてくるその姿は、昨日と変わらない「近所の優しいおじいちゃん」感満載だ。
「あぁ、気にしないで。相田さん。それじゃあさっそくダンジョンに行くよ」
「嬢ちゃんが連れてきた者に関しては儂は何も言わん。それより……本当に良いのか?」
「何のこと?」
相田さんが、言いづらそうに顎に手を当てた。
昨日も似たような表情を見た気がする。
話した内容は山ほどあるから、正直、どれのことか見当が付かない。
「報酬だ、報酬。国から予算が出てるからダンジョン1つで1本とは行かないが、そのぐらいは出るんだぞ?」
「ああ、その話は本部でも言ったけど、このリストにあるものは一律で1つ3万。ダンジョンで手に入ったものの半分は私のもので、もう半分は本部に渡す。1つしかないものは私が貰う……って決めたじゃん」
「だがよ……そこらの害虫駆除業者でも、もっと取るぞ?」
相田さんが渋い顔で唸る。
昨日も、ここで小一時間は押し問答をした。
私からすれば、今さら紙幣の額面が多少増えたところで大差はない。
回帰した私には、この先、紙幣が崩壊する未来がぼんやりと見えている。
それより、ダンジョンで手に入る金貨や魔石のほうがよっぽど価値がある。
それに、1日に5つのダンジョンを攻略すれば、日給は15万。
普通に生活する分には、これで十分すぎるぐらいだ。
「だったら、浮いたお金で民間人にスキルに覚醒してもらってダンジョンを攻略してもらう状況の構築を早くしてほしいかな。あとは魔力の研究」
「それに関しては今頃、林とその部下たちが嬉々としてやってる。半年はかからんと思うが、2ヶ月は見てほしい。それ以上はあいつらが過労で倒れちまう」
「無理のない範囲でね。それまではリストさえ送ってくれれば極力、ダンジョンの攻略はするからさ」
魔力が「エネルギー」として認識されるようになれば、人々は魔石を求める。
そうなれば、ハンターという職業が必然的に生まれ、ダンジョン攻略を生業にする人間が増えていく。
ハンターの母数が増えれば、私は難易度の高いダンジョンだけに専念できる。
なるべく早く、回帰前に近い環境に持っていきたい。
「しっかし、この魔石だっけか。こんなものが電力やその他のエネルギーの代わりになれるなんてなぁ……想像もできない話だ」
「その辺は林さんたちがどうにかするでしょ。今日は10件回る予定だから私はもう行くよ」
「おう……って10件!?」
相田さんの驚きは聞き流し、本部のテントを後にする。
沙耶たちは、借りてきた猫のように大人しくしていた。
魔石に関しては、その一部――「喰うとスキルが手に入る」という致命的な部分は、まだ誰にも伝えていない。
公開するべき情報ではない気がする。
そう思っていたところで、頭の中に青い画面が浮かび上がる。
『回答します。魔石を食すことでスキルを得られることを公開した場合、同族を殺してスキルをえようとする者が出現する可能性が大いにあります』
……やっぱりか。
私が薄々感じていた懸念は、【全知】によってはっきりと言葉にされた。
この情報をどうするか決めるのは、今じゃない。
公開するときが来るのかどうかも分からない。
――今、考えるべきなのは目の前のダンジョンだ。
ブルーシートで入り口を隠された簡易テントの中に入ると、ひやりとした空気に包まれる。
その中央に、私と同じくらいの大きさの、紫色に揺らめくゲートがぽっかりと口を開けていた。
見慣れた感覚。色合いからして、突発型ダンジョンだ。
「さあ、行こうか」
アイテム袋から、古代竜骨の鞘に収めた剣を取り出し、腰に巻いて固定する。
沙耶には、前に用意した杖を手渡す。
七海と小森ちゃんは、支給された防具と、簡易武器を抱えたまま、不安そうにゲートを見つめていた。
「え、ここに入るんすか?」
「そうだよ」
引き攣った笑みを浮かべる七海と小森ちゃん。
けれど、逃げ出そうとはしない。
その勇気を心の中で褒めながら、私は二人の手をそっと握った。
――大丈夫。何かあっても、私が全部なんとかする。
そう心の中で呟きながら、目の前の紫の膜にそっと手を伸ばし、触れた。




