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28話--対戦--

 七海は泊まるための服やら何やらを取りに、一旦自分の家へ戻っていった。

 玄関で靴を突っかけながら「本気の泊まり装備取りに行ってくるっす!」と宣言していたあたり、どうやら本当に泊まる気満々らしい。


 私はというと、その間の付き添いとして小森ちゃんの家まで一緒に行くことになった。

 沙耶は「七海さん家、気になる!」と目を輝かせて七海の方に乗り込み、当然のような顔で車に乗って行ってしまった。

 どうやら「私以外の人の部屋」が気になって仕方ないらしい。好奇心の方向性が相変わらずだ。


 特に急ぎの用事もないし、今日はもう仕事のことを考えなくていい。

 だから、私は車を使わずに歩いて小森ちゃんの家まで行くことにした。夏の午後の空気を肌で感じるのも、たまには悪くない――なんて、ほんの少しだけ思ったりもする。


 そう考えながら階段を降りていくと、先に降りていた小森ちゃんが、踊り場のところでそわそわしながら待っていてくれたようだった。


「あ、あのっ! 手……繋ぎませんか!?」


 階段の途中で、いきなりそんな爆弾みたいなお願いをされる。

 驚いて顔を見ると、両手を胸の前でぎゅっと握りしめていて、目だけが上目遣いでこちらを窺っていた。


「いいよ、繋ごうか」


 自然とそう答えていた。

 沙耶もよく手を繋ぎたがるから、妹と同じくらいの年頃の女の子はそういう距離感が普通なのだろう……と、自分に言い聞かせながら、小さく差し出された手を包み込む。


 沙耶の場合、最近はもう「手を繋ぐ」というよりも、ほとんど腕を組んでぶら下がってくるような感じだけれど。


 夏の昼過ぎの空気は容赦がない。

 ジリジリと肌を焼くような日差しがアスファルトに降り注ぎ、そこからの照り返しがまた肌を刺す。

 繋いでいる手のひらに、じわりと汗が滲んでいくのが分かった。


 私の汗なのか、小森ちゃんの汗なのか、どちらのものかは判別がつかない。

 けれど、指の間で混ざり合って、ぬるりとした温度だけが確かにそこにあった。

 引かれたままの手は、夏の熱気と一緒に今にも溶けてしまいそうだ。


 横目でそっと小森ちゃんの顔を窺うと、頬はうっすらと紅潮していて、額には小さな汗の粒が浮かんでいる。

 外の暑さのせいなのか、それとも――そこまでは、さすがに考えないでおく。


「暑いよね、大丈夫?」


「ひゃい! 大丈夫です!」


 ちょっと裏返ったような返事に、思わず眉が跳ねる。

 繋いでいないほうの左手でぱたぱたと顔を仰ぎながら、彼女は小さく早歩きになった。

 自然と、今度は私が引っ張られる形になる。


 いつもは私が誰かの手を引く側だから、こうやって自分が引っ張られるのは妙に新鮮だった。

 少しくすぐったくて、でも嫌ではない感覚だった。


 ◇ ◇ ◇


 その後は特に問題もなく、小森ちゃんの家に寄って少し涼ませてもらい、泊まりの準備が整うのを待ってから、再び二人で私の家へと戻ってきた。

 エアコンの効いたリビングで出してもらった冷たい麦茶が、火照った喉に沁みたのをよく覚えている。


 話のついでに聞いたところによると、小森ちゃんの両親は不在だった。

 どうやら、コンビニが休みになったことで急に暇になったらしく、「せっかくだから」と旅行に行ってしまったらしい。

 朝起きたらテーブルの上に書き置きが一枚。そこから全てを察した、とのことだった。


 ……何とも自由でマイペースな両親だ。

 うちの母さんの自由さも大概だと思っていたけれど、世の中には上には上がいるらしい。


 繋いだ手はまだ離れていない。

 帰り道、二人で歩きながら、私は今夜の献立のことを考えていた。


 せっかく人数もいるし、みんな今日は頑張った。

 冷凍庫で寝かせている少し高めの肉でも解禁しよう。

 副菜は冷蔵庫の残り物を使って、簡単なサラダやスープでいいだろう。カロリー的には問題ない……はず。


 そんなことを考えているうちに、自宅の玄関ドアの前に辿り着いた。

 鍵を開けて中に入ると、見慣れない靴が二足。とはいえ、持ち主は分かっている。


 沙耶と七海の靴が並んでいる。

 どうやら私たちより先に帰ってきて、すでに上がり込んでいるようだ。


「ただいまー」


「おかえりっ!」


「おかえりっすー」


「お邪魔します……?」


 リビングに顔を出すと、案の定、七海がまるで自分の家のような顔でソファに寝転んでいた。

 躊躇なくその脇腹を足で軽く蹴とばしてから、洗面所に向かって手を洗う。


 戻ってくると、七海が「なんでウチ、蹴られたんすか?」と言いたげな、犬みたいな目でこちらを見ていたが、知らないふりをしてスルーした。

 視線をずらして沙耶を見ると、テレビの前で何かをせっせと接続している。


 白い本体、細長いコントローラー。

 これは――ゲーム機、だろうか。私の家にはこんなものは置いていないから、多分七海の家から持ってきたのだろう。


 小森ちゃんは、遠慮がちに椅子に座って、扇風機の風に当たりながらほっとした顔をしていた。


「お姉ちゃん! 対戦しよ!」


「いいけど……何のゲーム?」


「4人で大乱闘するやつっす!」


 沙耶と七海が、揃って私の方を見てニヤリと笑う。

 テレビ画面には、カラフルなキャラクターたちが並ぶタイトル画面。

 白いゲーム機からは、コードの繋がったコントローラーが4つ伸びており、既に三人がそれぞれ一つずつ手に取ってスタンバイしていた。


 ここで私だけ「やらない」と言うのは、さすがに空気が読めていない感じがする。

 素直にコントローラーを受け取って、空いていたソファの左側に腰を下ろした。


 右隣には沙耶が座り、その膝にもたれかかるようにして七海がくっついている。

 私の足元には、正座ともあぐらともつかない姿勢で小森ちゃんが座り込み、テレビを見上げていた。


 この白いゲーム機になってからは触ったことがなかったが、その前の世代、そのまた前の世代のときには、よく沙耶の部屋でボコボコにされた記憶がある。

 だから、ある程度の操作は体に染みついているはずだ。多分。きっと。そうであってほしい。


「お姉ちゃんゲームクソ雑魚だった記憶あるんだけど大丈夫なの?」


「弱くないよ、多分……沙耶が強すぎたんだよ、あれは」


「先輩……見え張っても得しないっすよ?」


 七海が、得意げな顔で煽ってくる。

 昔は確かに、沙耶相手にボロ負けしていた。でも今の私は、昔の私ではない。

 ダンジョンでモンスターと戦っているうちに、多少は反応速度も上がった……はず。ゲームに活かせるかどうかは別の話だけれど。


 キャラクター選択画面で、私は緑の帽子を被ったキャラを選んだ。

 シリーズを通して、ずっとこのキャラばかり使っている。いわば相棒のようなものだ。


 コントローラー自体は前作と同じ形をしているから、操作感も近いだろう。


「もちろんアイテムは全部なしっすね。ステージもここで……」


「七海さん、残機制にしようよ。勝敗が分かりやすい」


「いいっすね、沙耶ちゃん」


 七海と沙耶が、何やら手慣れた様子で設定を進めていく。

 ルール説明もそこそこに、小森ちゃんはピンク色の丸いキャラを選び終えていた。

 可愛らしい見た目と、つぶらな瞳が画面の中でぴょこぴょこ跳ねている。


 ゲームが始まり、1戦、2戦……と重ねていくうちに、操作の感覚が戻ってきた。

 ジャンプの高さ、攻撃のタイミング、ガードの硬直。

 体が「ああ、これこれ」と思い出していくような感覚が心地いい。


 結果だけ見れば、10戦中7回1位。

 調子が良すぎて、逆に怖いくらいだ。

 残りの3回は、小森ちゃんに吸い込まれ、ステージ下に吐き出され、そのまま落ちていくという何もできない負け方だった。


 丸くて可愛らしい見た目のくせに、やっていることはなかなかにえげつない。

 ギャップがすごい。


「そろそろ何か賭けないっすか?」


 満を持して、という感じで七海が提案してきた。

 今のところ私は3連勝中。流れは完全にこちらに来ている。断る理由は……ない。


 心配なのは、一度も1位を取れていない沙耶と七海のメンタルくらいだろうか。


「いいよ。何賭けるの?」


「1位が負けた3人に自身で出来る範囲のお願いをできる権利とかどうっすか?」


「買い物の時に荷物持って~、みたいな感じだね? 七海さん」


 なるほど。イメージとしては、学生の頃の「じゃんけんで負けた奴が自販機に買い出しに行く」みたいなノリだろう。

 命が懸かっている訳でもないし、勝てば便利に人を使える、くらいの軽い感覚だ。


 沙耶が補足してくれたおかげで、ようやく全体像が掴めた。

 横を見ると、小森ちゃんがぎゅっとコントローラーを握り直し、気合を入れていた。


「私もがんばる……!」


「そうっすね! 沙耶ちゃん。小森ちゃん、本気出したウチは強いっすよ?」


「七海さん。そんなこと言ってると私も本気出しちゃうよ?」


 沙耶と七海の間で、見えない火花が散る。

 その熱気に当てられるように、私も内心で拳を握った。


 ――よし。負けてられないな。


 ◇ ◇ ◇


 負けた。


 それも、手も足も出ないほどの完敗だった。


 何やらよく分からないコンボに巻き込まれて、気づけば画面外へ吹き飛ばされていたり、

 戻ろうと必死に復帰しているところを、タイミングよく叩き落されたり。


 こちらが攻撃を振っても、全てシールドで受け止められ、スッと掴まれて投げられる。

 開始数十秒で、私の残機は真っ先にゼロになった。


 その後すぐに小森ちゃんも落とされ、早々に二人とも観戦側へ。

 コントローラーを膝の上に置き、私の足元にちょこんと座った小森ちゃんの肩を、軽く揉みながら勝負の行方を見守ることにした。


 プレイヤーの数が減ったおかげで、画面内の動きが一気に読みやすくなる。

 沙耶と七海のキャラが、ステージの端から端までを目にも留まらぬ速さで動き回る。

 ガードと回避のタイミングは絶妙で、見ている分には正直めちゃくちゃ面白い。


 互いに一歩も引くことなくダメージを溜め合い、残機はついにお互い1。

 勝負の決着が近いことは、誰の目にも明らかだった。


 無言で集中している二人。

 部屋の中に響いているのは、コントローラーのカチカチという操作音と、ゲームの効果音だけ。


「あっ」


「それは悪手だよ、七海さん」


 七海が小さく声を漏らした瞬間、沙耶のキャラクターが、隙を逃さず決め手となる一撃を叩き込んだ。

 派手なエフェクトとともに七海のキャラが画面外へ飛んでいき、勝負はあっけなく終わりを迎えた。


 勝利ポーズを決める自キャラを見ながら、沙耶が「やったー!」とガッツポーズをする。

 その頭を、私は素直に撫でた。髪がくしゃっと乱れても、今は誰も文句を言わない。


 七海のほうを見ると、悔しそうな顔で唇を尖らせていた。

 沙耶を撫でる手を一旦止め、その勢いのまま、七海の頭もぐしゃりと撫でる。


「惜しかったね」


「あざっす……さあ、沙耶ちゃん。お願い事は何すか?」


「んーー、とりあえずお姉ちゃんだけに使おうかな。小森さんと七海さんのは保留で」


「沙耶、叶えられる範囲だからね……?」


 一応、姉として釘を刺しておく。

 とはいえ、これまでの沙耶の“お願い”を考えると、命を取られるような無茶はしてこない……はず。たぶん。きっと。


 沙耶は顎に手を当てて、これ見よがしに「うーん」と考え込む。

 一体どんなお願いをされるのだろうか。胸の奥に、じわりとした不安が広がっていく。


 やがて、何か思いついたらしく、ぱんっと手を叩いた。


「お姉ちゃん、皆でお風呂入ろっか!」


「え゛……」


 予想の斜め上どころか、世界の向こう側からブーメランしてきたようなお願いだった。


 突拍子もないことを、沙耶が満面の笑みで言い放った。


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