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26話--解放--

正座をし始めて30分が経とうとしていた。

途中で「これは長丁場になりそうだ」と薄々気づき、じわじわと膝の辺りに違和感が出てきた時点で姿勢を変えておくべきだったのだが、その時にはもう変に意地になっていた。


――このくらい耐えられないでどうする、私。


なんて自分に言い聞かせていた結果がコレだ。

感覚が薄れつつあるふくらはぎに「これは痺れる前兆ですね?」と脳が警鐘を鳴らしていたのに、私のバカはそれを無視したのである。分かっていたのにやめられなかった、そんな種類の後悔だ。


音楽が大音量のせいで外の状況が全く分からないなぁ、とぼんやり思っていたところで、耳に掛かっていたイヤホンが外された。


「もう大丈夫だよ、お姉ちゃん」


「やっとか……」


沙耶の声が直に耳に入ってきて、肩の力が抜けた。

許しが出たので振り向くと、七海と小森ちゃんが仲良く話していた。さっきまで殺伐とした空気しか感じなかったのに、今はふたりとも普通に笑っている。打ち解けられたようで本当に良かった。あの車内の沈黙が報われた気分だ。


どんな話をしているのか気になって、つい聞き耳を立てる。


七海がスマホを見せながら何かを説明していて、それに小森ちゃんが「わぁ……」と感嘆の声を上げている。どうやら盛り上がっているらしい。嫌な予感しかしないのは気のせいだろうか。


「次は……これっすね! 年間成績一位で表彰されて表彰状を持たされてる先輩っす」


「なんかすごい渋い顔してない……?」


「注目されるのが好きじゃないっすからね、慰労会が終わったらウチに表彰状押し付けて帰ってったっす……捨てていいか分からなかったんで額縁に入れて飾ってあるんすけど……」


そういえばそんなこともあったなぁ。

あのときは「どうせ家に置いておいても埃を被るだけだし」と、本当に何も考えずに七海に押し付けたんだった。

しかし、よりによってなんでそんなタイミングの写真を持ち歩いているのだろう。油断も隙もない。


「七海。ちょっとスマホ貸して?」


「うげっ、ちょっと沙耶ちゃん! 先輩を解き放ったんだったら言ってほしいっすよ!」


「解放したよ~」


「遅いっすよ!! って、あれれ? 先輩……もしかして足が痺れて動けないんすかぁ?」


「……うるさい」


七海のスマホを回収しようとして足を崩した瞬間、予感していた通り――いや、予感以上の衝撃が襲った。


ビリッ、と電流が走ったかのような痺れが両脚から腰にまで駆け上がってくる。

少し足先を動かしただけで、神経に直接針を刺されたみたいな刺激が走って、思わず息が詰まった。


……あ、これダメなやつだ。


逃げようと体を動かそうとするが、痺れのおかげでまるで自分の足じゃないみたいに言うことを聞かない。結果として、膝を崩しかけた中途半端な姿勢のまま、乙女のように横座りで固まってしまった。


何これ、屈辱的なんだけど。


そんな私の前に、沙耶と七海がニヤッと笑いながら小森ちゃんを連れてきた。


「小森さん。お姉ちゃんが辛そうだから痺れを早く治してあげようよ」


「叩いたり揉んだりすると治るらしいっすよ。早く治さないと悪化するらしいっす」


「そうなの!? じゃ、じゃあ……治さないとっ」


七海、さらっと嘘をつくな。

絶対そこまでしなくても時間が経てば治る。治るけど、その間恥ずかしい姿を晒し続けなきゃいけないのも事実なので強く反論できないのが悔しい。


足が言うことを聞かない私は逃げることもできず、じわじわと詰め寄ってくる小森ちゃんから目を逸らしたくなる衝動に駆られた。


――いや、まだ策はある。言葉で説得すれば……!


「小森ちゃん……? 時間が経てば治るからさ? 叩かなくても大丈夫だから……ね?」


最後の良心に縋るような声で訴えてみる。

しかし小森ちゃんは真剣な顔でこくこくと頷いた。


「でも、さっき七海ちゃんが悪化するって……。私に任せてくださいっ!」


「ちょっ、やめっ……あっっ」


ふくらはぎが掴まれた瞬間、今度は痺れとは別種の、くすぐったさと痛みの中間のような感覚が走った。

それと同時に、自分のものとは思えない艶っぽい声が喉から漏れてしまう。


やめろ、私の喉。余計な仕事をするな。


揉まれたり軽く叩かれたりするたびに変な声が出そうになるので、慌てて服の袖口を噛んで封じ込める。こんな姿を録画でもされた日には、しばらく枕を顔に押し付けて悶絶し続けるに違いない。


――どうして私が……私が何をしたって言うんだ!!


心の中での叫びは当然誰にも届かない。

届くのは、私のふくらはぎに込められる小森ちゃんの善意たっぷりの指の力だけだ。やっている本人は「先輩の役に立ってる」と信じているのだろうから強く止められないのがより一層つらい。


次第に電流のような痺れが薄らいでいくのと同時に、こみ上げていた奇妙な声も出なくなっていった。

羞恥と疲労で、精神的な意味でもう一度寝たいくらいだ。


「小森ちゃん、もう大丈夫だよ。ありがとう」


そう言っても、一向に私の足を揉むのを止めない。

慣れないことをしたから混乱状態に陥ってしまったのか、周りの音が耳に入っていないようにも見える。


起き上がって、両手で小森ちゃんの頬をそっと挟み、目線を合わせる。


「もう、大丈夫だから」


「ひゃっ……ひゃい……」


やっと手が止まった。

頬から手を離すと、小森ちゃんはその場で自分の頬を押さえて、ぽうっとした表情を浮かべている。どこか夢見心地な雰囲気だ。


……強く握ったつもりはないのだけれど、何かスイッチでも押してしまったんだろうか。不安しかない。


次は――沙耶だ。


どうやら先ほどの出来事をしっかりスマホで録画していたらしく、私がまだ動けずに固まっている隙を見計らっていたようだ。

痺れが取れてきたタイミングで素早く沙耶に近づき、スマホを没収。画面を確認すると、案の定、私の黒歴史になりうる映像が保存されていたので即座に削除した。


「あっ……」


「撮るのはいいけど……さっきのは恥ずかしいから消させてもらったよ」


「お姉ちゃん、ごめんね……?」


「分かればいいよ」


しょんぼりしている沙耶の頭をくしゃりと撫でる。しょげた顔も可愛いのがずるい。

しかし、その裏でなにかしらバックアップを取っていそうな予感がするのは、長年の付き合いのせいだろう。後で確認したほうがいいかもしれない。


七海のほうへ歩み寄り、特に何もしていないようでいて小森ちゃんに変な情報を吹き込み、扇動した主犯格に軽く拳骨を落とした。


「いったぁ!? パワハラっすよ!?」


「七海のせいで大変な目にあったからその意見は通用しないよ」


「なっ、何の事っすかねぇ……」


拳骨と言っても、本当に軽くコツンと頭に触れただけだ。音が鳴るほどではないし、痛みもほとんどないはずだ。

むしろ、これで済んでいるのだから感謝してほしいくらいだ。


とりあえず、私の名誉……は半分くらい守られた、ということにしておこう。

皆も仲良くできているみたいだし、ここからは本来の目的――食事だ。


テーブルの上に置いてあった卓上の小さなベルに手を伸ばして鳴らす。

ちりん、と控えめな音が和室に響いて、1分もしないうちに女将さんがすっと襖を開けて入ってきた。


「失礼します。ご注文ですか?」


「おまかせ通常コース4人前お願いします」


「かしこまりました。ご用意でき次第お持ちいたします」


丁寧に一礼して女将さんは戻っていった。

その直後、七海が慌てた様子でメニューを掴み、沙耶と小森ちゃんに見せていた。何か食べられないものがあるのかと思いきや、声のトーンで察した。たぶん違う。


「先輩……? 通常コースって今言ったっすか?」


「言ったよ。何か食べれないものあった?」


「違うっすよ! 通常コースの値段見て言ったんすか!?」


メニュー表を顔の前に突き出される。

値段くらい知っている。ここはお得意先に連れてこられて接待したこともある店だ。正直、個人で気軽に来るような値段ではない。けれど――。


現金なんて、使えるうちに使っておかないと後々損するからね!


小森ちゃんと七海が、鞄から慌てて財布を取り出して中身を確認しようとしているのが見えた。


「あ、私が出すから大丈夫だよ」


「……流石成績一位っすね! ごちっす!」


「小森さんも気にしなくて大丈夫だよー、お姉ちゃんアホみたいに稼いでるから」


「すみません……後で必ず……」


小森ちゃんが申し訳なさそうに眉を寄せる。

その反応自体が真面目で良い子なのだと証明しているようで、思わず口元が緩んだ。


「大丈夫だって。皆に払ってもらうなら元よりこんな高い店来ないから……」


「お言葉に甘えさせてもらいます……」


三人とも納得してくれたようでホッと胸を撫で下ろす。


人数分の座布団を敷き直し、私は奥側に座る。自然と私の正面に三人が並ぶ形になって、向かい合うだけで何となくくすぐったい気分になった。

何やら三人はまたひそひそと集まって話している。時折、私をちらりと見ながらニヤッと笑っていたりするので、確実に私の知らない話題で盛り上がっているのだろう。


――まあ、いいか。沙耶の友達も出来たことだし。


沙耶が七海と小森ちゃんに色々と説明してくれているのだろう、と都合良く解釈して、聞き耳を立てずに三人の様子を眺めることにした。

大事な人たちが楽しそうに話しているのを見るだけで、不思議と肩の力が抜けて、心がじんわりと温かくなっていく。


なんて気の利く妹なんだ。


そう思いながら、私は静かに湯呑を持ち上げ、一口だけお茶を含んだ。


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