24話--修羅場-前半--
沙耶と七海の支度が終わるまでのあいだ、私はひとり黙々と駐車場と部屋を往復していた。
車の後部座席に押し込んでいた段ボールや紙袋――この一週間で増えた「異変の準備の物資」を、腕に抱えて家の中へ運び込んでいく。
最後の荷物を玄関に置いて、ふぅ、と息を吐いてリビングに戻ると、そこには準備万端といわんばかりに並んで座る沙耶と七海の姿があった。
外食に行くだけ――そのはずなのに、二人とも髪からメイクまできっちり仕上げている。
比べて私は、さっき無理やり女の子モードにされたばかりで、いまだにスカートの裾の感触にすら慣れていない。
(……同じ支度を一から全部やれって言われたら、私だけ二倍は時間かかるだろうなぁ)
そんなことをぼんやり考えていると、先に口火を切ったのは沙耶だった。
「お姉ちゃん! どお?」
くるり、と一回転して、ふわっとスカートの裾を揺らしてみせる。
髪もいつもより手が込んでいて、細い指でちょっとだけ横の髪をつまんでアピールしてくる。
「うん、似合ってるよ」
素直にそう答えると、沙耶は「えへへ」と頬を緩めて、待ってましたと言わんばかりに続けた。
「へへ……今日はね――」
そこからは早口で、自分のコーディネート解説が始まった。
どこどこのブランドの何々がどうで、色味を合わせるためにインナーはこれにして、差し色がどうのこうの――。
……正直なところ、私からすれば、延々と続く呪文にしか聞こえない。
もちろん、頑張って組み立てたんだろうな、というのは伝わってくるので、適当な相槌だけは忘れない。
そして、完全に理解できないまま説明が終わったところで――私は、つい癖でパチパチと拍手してしまった。
「沙耶ちゃん、先輩は説明されて理解できなかったら拍手して流す癖があるっすよ」
「……お姉ちゃんにはまだ早かったかぁ」
七海の容赦ない暴露に、沙耶が肩を落としてため息をついた。
(あ、そういえば職場の男性陣のよく分からない自慢話のときも、よく分からないまま拍手してたっけ……)
今さらながら、自覚してしまう。きっとそれがそのまま癖になったのだろう。
理解が追いつかないと、とりあえず拍手して「すごいね」で逃げる――そんな逃げの技が、こんなところでばれるとは。
「先輩っ! ウチはどうっすか?」
七海が、くるりと一回転して見せる。
見慣れたスーツ姿ではなく、今日は動きやすそうなカジュアルな私服だった。短いスカートに、軽そうなパーカー。ツインテールも、さっきまでよりふんわりゆるくまとめ直されている。
「七海の私服姿、初めて見た気がする。似合ってるんじゃない?」
「あざっす!」
小さくガッツポーズを決める七海を見ていると、ふいにメッセージアプリの通知音が鳴った。
画面を確認すると、小森ちゃんから「準備できました」とメッセージが来ている。
(……そういえば、二人には何も説明してなかったな)
沙耶は面識があるから問題ないとして、七海は――まあ、あのコミュ力なら大丈夫だろう。多分。
カバンを肩にかけて、三人で玄関を出る。
靴を履き、鍵をかけて、そのまま駐車場へ向かった。
運転席には私。後部座席には沙耶と七海。
珍しく沙耶が助手席に乗り込まなかったので、私のカバンは助手席の足元に置いた。
エンジンをかけてカーナビを設定する。小森ちゃんから送られてきた住所は――コンビニのすぐ隣の家だった。
ほぼ顔パスで行ける距離だ。
コンビニまで車を走らせて、いつもの駐車スペースに停める。
「コンビニのほうに車停めてるよ」とメッセージを送ると、すぐ既読がついた。
「……お姉ちゃん? 何でコンビニ寄ってるの……?」
沙耶が、じとっとした視線で私を見る。
「あぁ、この前、沙耶と小森ちゃんが仲良くなれそうに話してたから……ついでに親睦でも深めてもらおうかなって……? 何で頭抱えてるの?」
「誰っすか? ウチは知らない子っすよね?」
「そうだね。七海とも年が近いんじゃないかな……? このコンビニで働いてる子なんだけど、ナンパ男に絡まれてるのを助けてから話をするぐらいの仲になった……のかな?」
「理解したっす。誑かしたんすね」
「誑かしてはないからね!?」
後部座席で、二人がひそひそと何か話し始める。
声は私に聞こえないぎりぎりの小ささで、完全に「内緒話」モードだ。
コンビニの駐車場には、他に車は停まっていない。
窓の外を見ると、店の自動ドアの陰から、小森ちゃんがこちらの様子を伺っているのが見えた。
運転席側の窓を開けて、後部座席のドアをボタンで解錠する。
「車でごめんね。後ろ乗ってくれる?」
「あっ、はい……二人きりじゃないんですね……」
最後の一言は、尻すぼみになってほとんど聞き取れなかった。
小刻みに肩を震わせながら、そろそろと後部座席を覗き込んだ小森ちゃんは――左右に座っている二人を見て、息を呑んだ。
「ひっ」
喉の奥から、短い悲鳴みたいな音が漏れる。
「小森さん。真ん中、どうぞ?」
「七海っすー。よろしくっすー」
二人とも笑顔だが、目がまったく笑っていない。
睨んでいるわけではないのに、妙な圧力がある。
小森ちゃんは、涙目になりながら、おそるおそる真ん中の席に腰を下ろした。
――車内に、殺伐とした沈黙が降りる。
(あれ……? もしかしてこれ、私、やらかした?)
嫌な汗が首筋をつたう。
この空気をどうにかしようと、私は慌てて話題を振った。
「ど、どこに食べに行く?」
「個室があるところがいいなぁー」
「沙耶ちゃんに同意っす」
「わ、わたしも……」
三人の意見は、珍しく見事に揃っていた。
会話を広げる余地は、見事に潰されたとも言う。
(個室……個室か……)
財布の中身を頭の中で確認する。
ふと、カードポケットに挟んであったものを思い出した。
お得意先に接待されたときに「いつでもどうぞ」と渡された、ちょっとお高い料亭の招待券。
普段なら尻込みしてしまうような店だが――こういうときぐらい、使ってもバチは当たらないだろう。
(よ、よし。ここにしよう。道も分かるし)
そのまま車を発進させ、首都高を経由して、街中から少し離れた住宅地にぽつんと現れる料亭へ向かう。
窓の外の景色は刻々と変わるのに、車内の空気は終始無言で、じわじわと胃を締め付けてきた。
(いや、私、そこまでストレス耐性低くないはずなんだけどな……)
内心で弱音を吐く頃、ようやく目的の料亭に到着した。
門構えは古風で、立て札の文字は達筆で読みにくい。
しかし、一歩中へ足を踏み入れると、手入れの行き届いた日本庭園が視界いっぱいに広がった。
小さな池、丸く刈り込まれた植木、敷き詰められた白砂――視界の隅から端まで「高そう」が詰まっている。
受付で招待券を差し出すと、女将らしき和服姿の女性が、すっと腰を折って丁寧に頭を下げた。
「ご招待券利用の方ですね。どうぞ、こちらへ」
私たちは女将に続いて、敷居の高そうな廊下を進む。
庭園を横目に縁側を歩き、曲がり角をいくつか曲がった先、襖で仕切られた一室の前で足が止まった。
「こちらをお使いください。お飲み物やご注文がお決まりになりましたら、お呼びくださいませ」
「はい……」
女将が静かに下がるのを見届けてから、私たちは部屋の中へ入った。
四人で入るには十分すぎる広さの和室。掘りごたつ式の座卓があり、窓の外には先ほどとは違う角度から庭が見える。
全員が入ったのを確認してから、沙耶がバン、と勢いよく襖を閉めた。
パタン、ではなく、バン。
それだけで、背筋にうっすら冷たいものが走る。
沙耶と七海は微笑みを崩していない。
だが、目は相変わらず笑っていない。対して、小森ちゃんはオロオロと私と二人を見比べている。
「お姉ちゃんは両手を上にあげて、あっちの壁に向かって正座してて」
「……私何かした?」
「いいから早くするっす。今は何言っても無駄っすよ」
「はい……」
七海の言葉に、完全に逃げ道が塞がれた。
私は肩を落としながら、案内されたのとは反対側の壁際へ移動し、壁に向かって正座する。
一体、私が何をしたというのか――いや、心当たりがないわけではないけれど。
『愛の神が貴女の配慮の無さに頭を抱えています』
『全能の神が首を縦に振っています』
『叡智の神が貴女に同情の念を送ります』
ここぞとばかりに現れる青いウィンドウ。
揃いも揃って好き勝手言ってくれる。
「うるさいな……」
渋い顔をしながら画面を一枚ずつ指で払って消す。
素直に壁に向かって両手を上げると、すぐ背後から足音が近づいてきた。
ふいに耳元がくすぐったくなり、何か柔らかいものが触れた。
視線だけで確認すると、私の耳に、ワイヤレスイヤホンが差し込まれている。
「ちょっとお話しするから、音楽でも聴いてて? 外したら怒るから」
「わかった……」
逆らうという選択肢は、最初から用意されていなかった。
沙耶からスマホを手渡され、画面を見ると、音楽アプリの再生画面が開かれている。すでにランダム再生の状態だ。
適当に一曲タップすると、少し大きめの音量でイントロが流れ出す。
思っていた以上の音量に肩がぴくりと跳ねた。
背後では、沙耶たちが話し始める気配がする。だが、音楽とイヤホンのおかげで、内容までは一切届いてこない。
(……仕方ない。終わるまで、魔力増加法でもして待つか)
壁に向かって正座したまま、静かに呼吸を整える。
外では、きっと面倒な“女子会議”が開かれているのだろう。
今の私にできることは――素直に反省しつつ、黙って体内の魔力を巡らせることだけだった。




