20話--獲得と終幕の始まり--
第二波のモンスターを片っ端から斬り伏せながら、私は駅構内を縫うように駆け回っていた。
視線を走らせるたびに、床に転がるのは人かモンスターか――そんな見分けすら一瞬遅れる。
それでも、できるだけ「まだ息をしている影」がないか、しつこいくらい確認していく。
……けれど、残念ながらというべきか、やっぱりというべきか。
壁にもたれかかるように倒れている人間も、ホームの端で折り重なっている人影も、皆、見るも無残な姿で、もう二度と動くことはなかった。
ふと頬に触れると、乾いた血が指先でぱりぱりと崩れる。
気づけば、沙耶から借りてきた仮面舞踏会用の仮面は、戦いのどこかで失くしてしまっていた。
(……あー、絶対怒られるやつだ)
心の中で頭を抱えつつ、後で土下座案件だな、と思う。
外からは、断続的に銃声と爆発音が響いてくる。
さっきまで「日本の都心」だった場所とは思えないほど、音だけ聞けば戦場そのものだ。
階段を駆け上がってホーム階へ。
狩り残しと生存者がいないか目を凝らすが、視界の中で動いているのは――モンスターだけだった。
小さく舌打ちをして、たまたま居合わせたゴブリンを細切れになるまで切り刻む。
完全なる八つ当たりだが、誰に咎められるわけでもない。
「あと、どのぐらい居るんだろ……」
オークの喉を断ち切り、コボルトの頭を蹴り飛ばしながら、半ば独り言のように呟く。
数はもう見当もつかない。
少なくとも――自分一人だけで、数百体は倒しているはずだ。
ポーチから腕時計を取り出して時間を確認する。
針は、十五時を少し回ったところを指していた。
朝から走りっぱなし、斬りっぱなしだ。
集中力は途切れかけ、呼吸も荒い。肺が焼けるように痛い。
体力の限界が、じわじわと近づいているのが嫌でも理解できた。
服にべっとりこびりついていた血は、すっかり黒く変色し、その上からさらに新しい血が重ね塗りされている。
人気のない柱の陰に身を滑り込ませ、短い休憩を取ることにした。
ポーチから携帯食料を取り出し、水で無理やり流し込む。
固まった血で軋む髪を指先でほぐすと、べたり、とした嫌な感触が残った。
「……沙耶に怒られそうだな」
髪のケアを怠ると、口酸っぱく文句を言ってくる沙耶の顔を思い浮かべる。
あの、しかめっ面でブラシ片手に詰め寄ってくる姿が、妙に懐かしく感じた。
ふと、オークとコボルトの魔石を回収していたことを思い出す。
ポーチからそれらを取り出し、手のひらに乗せる。
……飲める時に飲んでおいたほうがいい。
そう決め、迷いを振り払うように魔石を口に含んだ。
舌に触れた瞬間、魔石はどろり、と不自然なほどなめらかに溶けていく。
喉の奥へと流し込もうとしたが、予想以上に喉ごしが悪く、思わずむせ返りそうになった。
何とかこらえて飲みきる。
「げほっ……まっずぅ……」
味は――そうだな、強いて言えば、輪ゴムを煮詰めて液状にしたような感じだ。二度と飲みたくない。
『スキル名:【怪力】と、スキル名:【統率】を取得しました』
脳内に響いた【全知】の声に、私は思わず目を丸くする。
「……本当に、獲得できた……」
ステータスを思い浮かべると、スキル欄に新たな文字が刻まれていた。
―――――
スキル名:【怪力】
効果:常時発動スキル。攻撃力が80上昇する。レベルが1上がるごとに上昇値が4上がる。
スキル名:【統率】
効果:自身を主とした隊列を組むことができる。成果は人数で均等割りとなる。
―――――
どちらも、回帰前に噂で耳にしたことのあるスキルだった。
【怪力】は、レベルが上がれば上がるほど攻撃力のボーナスが雪だるま式に膨れ上がる、シンプルにして強力なスキル。
【統率】は、複数人でダンジョンを攻略するハンターにとって、ほぼ必須と言ってもいいスキル。
……私には縁のない話だと思っていた。
そのスキルが、自分のところへ転がり込んでくるなんて。
自然と、口元が緩んだ。
『魔石の純度が低いため、すべてのスキルを獲得できませんでした。同様の魔石を再度取り入れることを推奨します』
【全知】が淡々と告げる。
どうやら、モンスターどもは一体につき二つ以上のスキルを保有しているらしい。
今回はそのうち二つだけが取り込めた、ということか。
疲労で鉛のように重くなっていた体に、じわじわと活力が戻ってくる感覚があった。
さっきまで空っぽ寸前だった魔力も、内側から満ちていく。
『回答します。魔石の魔力を吸収したため、魔力が回復しました。保有できる魔力量も増加しています』
「……気のせいではなかったのか」
今後は、余裕のあるときなら積極的に魔石を喰ってもいいかもしれない。
命のやり取りの合間に輪ゴム味を噛みしめるのは精神的にしんどいが、背に腹は代えられない。
短い休息を終え、再び構内へと戻る。
その瞬間――
第一波、第二波の時とは比べ物にならないほど濃く、荒々しい魔力の奔流が、肌を刺すように走った。
(……第三波、か)
ゲートから溢れ出してきたモンスターたちを確認すると、ひと目で分かる変化があった。
さっきまでのゴブリンやコボルトと比べて、体格が一回り大きい。
武装も貧相な棒きれではなく、ちゃんとした鉄製の武器や、簡素ながら防具まで身につけている。
ゴブリン――というより、ホブゴブリンと呼ぶべき連中だろう。
ダンジョン内で戦ったボスと同じぐらいのサイズ感だ。
私は一気に間合いを詰め、【神速】を発動して斬り込んだ。
「――硬いな」
刃が食い込む感触が、それまでのモンスターとは明らかに違う。
今までなら何の抵抗もなく肉と骨を断ち切れていたのに、今の一太刀には、はっきりと「手応え」があった。
私の攻撃力と、古代竜骨の剣でこれだけの抵抗を感じるということは――
こいつらの防御力は、銃火器程度ではどうにもならないレベルということだ。
(ここで進行を許したら、本当に終わる)
この場所で抑えきれなければ、地上はあっという間に蹂躙される。
ここが、境界線だ。
そう決意したそのとき――
腹の底から殴りつけられたような衝撃が、世界を揺らした。
鼓膜が裏返るような爆発音に、視界がぐらりと歪む。
平衡感覚が吹き飛び、ひどい耳鳴りが頭の中を支配した。
すぐさまアイテム袋から回復薬を取り出し、喉に流し込む。
じわりと感覚が戻り、耳鳴りも少しずつ引いていく。
「……今のは、何かが撃ち込まれた……?」
耳を澄ますと、低くうねるようなキャタピラの音がいくつも聞こえてきた。
「戦車の砲弾か……って、ちょっとマズくない!?」
そう思った瞬間、号砲が鳴り響く。
連続して、何発もの発射音。
私は【神速】を全開にしてホーム階へと駆け上がった。
直後、無数の着弾音と共に駅全体が激しく揺れる。
どうやら、支柱ごと吹き飛ばしたらしく、ホーム階がゆっくりと沈んでいく感覚が足元から伝わってきた。
完全に崩れ落ちる直前、私は大きく跳躍して近くの看板に飛びつく。
その直後、駅の構造物が轟音と共に崩れ、膨大な粉塵が一気に舞い上がった。
しばし、何も見えない。
むせかえるような粉塵の中で、巨大な扇風機のような風が吹き付けてくるのを感じた。粉塵除去用の装置だろう。
視界が晴れていくと、そこには――瓦礫の山と化した渋谷駅が広がっていた。
モンスターの姿は、一見すると見えない。
「グルァアアアアァァア!!!!」
その時、瓦礫の一部が吹き飛び、地を割るようなオークの咆哮が静寂を切り裂いた。
それを合図にしたかのように、瓦礫の隙間から、次々とモンスターたちが這い出してくる。
戦車砲の爆撃を受けても、なお動いているのだ。
さっきより一回り大きなオークへ、再び砲撃が集中する。
直撃しているはずなのに、その巨体はほとんど怯む様子もなく、ダメージが見て取れない。
オークはニヤリと笑うと、足元の瓦礫を片手で掴み上げた。
「投げるつもりか――!」
看板を蹴ってオーク目掛けて急降下する。
腕を振りかぶり、瓦礫を投擲しようとした瞬間――その首を跳ね飛ばす。
血飛沫が弧を描き、私はそのまま地面へと着地した。
本当なら、人目につかないところで全部片付けてしまいたかった。
けれど、ここまで派手に駅ごと崩されてしまっては、もうどうしようもない。
……無理やり住処から引っ張り出されたモグラの気分だ。
次々と襲い掛かってくるモンスターを斬り伏せていると、やがて砲撃が止んだ。
視界に映る敵影をすべて掃討し終え、戦車の並ぶ方向へ視線を向ける。
その中の一台の上に立っている自衛官が、こちらを見て笑い、はっきりとした動きで敬礼をしていた。
――あの時、トイレ前で助けた自衛官だ。
「……ありがたい配慮だね」
誰にも聞こえないほどの小さな声で呟く。
モンスターの出現がぴたりと止まり、代わりに周囲の人々のざわめきが大きくなり始める。
突然現れた「謎の剣士」に向けられる視線が、ひりひりと肌を刺した。
――だが、まだ終わりじゃない。
そう思った瞬間、暴風かと錯覚するほどの魔力が、空気をねじ曲げるように渦巻いた。
その中心から、ゆっくりと「それ」が現れる。
おそらく、十メートルはあるだろう巨体。
鋭い角を生やした牛の顔。
岩のように分厚い筋肉に覆われた四肢。
そして、自分の身長と同じほどの長さの両手斧。
――ミノタウロスだ。
「ブモォォオォオオオオォォオォォ!!」
天を裂くような咆哮。
その音だけで、人々の心をへし折るには十分すぎた。
咆哮が止むと同時に、ミノタウロスは圧倒的な威圧感を撒き散らしながら、両手斧を高々と掲げる。
近くにいた自衛官の一人が、その姿を見た瞬間、手から銃を取り落とした。
恐怖は瞬く間に感染し、数人が膝から崩れ落ちる。
すすり泣く声が、風に混じって耳に届いた。
「よっ」
私は足元に転がっていた瓦礫を拾い上げ、ミノタウロス目掛けて投げつけた。
瓦礫は角に当たったらしく、硬い金属音がカン、と高く響く。
一瞬で、あたりの空気が凍りついた。
ミノタウロスの手が、わなわなと震えながら両手斧を握りしめる。
「早くかかってきてくんない? 晩御飯までには帰りたいんだよ」
「ブルァァァアアアア!!」
――携帯食料は、もう食べたくないんだよ……。
心の中でぼやきつつ、私は剣を構える。
ミノタウロスの怒号と共に、最後の戦いの火蓋が切られた。




