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2話--未知と妹--

 無機質な音声が、まるで機械が読み上げる文字列のような冷たさで、私にそう告げた。

 あまりにも唐突な情報に、脳が現実として処理することを拒否しているのか、理解が追いつかない。

 事実を飲み込むことができず、ただ呆けたように立ち尽くしていると、【全知】は間を置かずに再度、私へと言葉を投げかけてきた。


『回答します。覚醒後にスキルを取得する方法は存在します』


「それは……本当なのか?」


 半ば反射的に問い返す。

 希望を見つけて縋るというよりも、あまりにも聞いたことのない情報だったため、条件反射的に疑ってしまったのだ。


『事実です。ダンジョン内にある隠された宝箱から出現、或いはモンスター等の魔石を喰らうことで取得することが可能です』


 魔石――。

 その言葉に、長年の戦闘経験からくる記憶が自然と引き出される。


 ダンジョンから出現するモンスターには、例外なく「魔石」と呼ばれる石が体の中央付近に埋め込まれている。

 心臓のような位置に存在するそれは、モンスターの命そのものと言っても良い核だ。


 その魔石は膨大なエネルギーを秘めており、その性質を知った人々は魔石の力――通称【魔力】と呼んだ。

 最初期の頃、人々の魔石に対する認識は「覚醒用の石」程度だった。

 人間にスキルを目覚めさせる引き金として機能する、不思議な石。せいぜいその程度の認識だ。


 だが、やがて有用性が見出されると状況は一変する。

 魔石は加工次第で、既存のエネルギー源を遥かに上回る効率と安定性を持っていることが判明し、一気に取引価格が上昇した。

 今や魔石の売却は、ハンターたちの主な収入源のひとつとなっている。


 魔力は、地球上に存在する全てのエネルギーに対して互換性を持っていた。

 熱、光、電気、運動エネルギー。ありとあらゆる形へ変換が可能で、その真価が理解されてからは、世界の主力エネルギーは急速に電力から魔力へと置き換わっていった。


 他の用途として、モンスターの素材から作られた武具に魔石を嵌め込むことで、モンスターが使用していたスキルの一部が使えるようになる……らしい。

 鍛冶屋や研究者たちは、こぞって魔石の活用法を模索し、魔導武装だの魔力兵器だのといった新しい技術が次々と生まれていった。


 ……なるほど。

 魔石を「喰らう」ということは、そのエネルギーそのものを体内に取り込み、吸収するということ。

 これまで武具を媒体として行われていた「魔石をはめ込む」という行為の対象が、武具ではなく「人間自身」になった、というだけなのか。


「はははっ……誰が石を食おうだなんて思うんだ……」


 思わず自嘲気味な笑いが漏れる。

 確かに理屈としては理解できる。だが、だからといって「じゃあ魔石を食おう」と考える者がいるかと言われれば、まずいないだろう。


 武具に関して、私は剣一本のみで戦い続けてきた。

 鎧や盾にあれこれ魔石をはめ込んで戦う、いわゆる「装備依存型」の戦い方は性に合わなかった。

 金属製の鎧などの、あのガチャガチャとした着心地の悪さがどうにも好かない。


 最低限の皮鎧だけは命を守るために身につけていたが、魔石を使用した鎧や、見た目からして重そうな魔導鎧を着込んだことは一度もなかった。

 結果として、魔石と武具の細かい運用事情にはあまり明るくない。


 一呼吸置き、頭を整理してから、改めて【全知】に問う。


「つまり、魔石を食えばいいんだな?」


 実際に口に出してみると、それがどれだけ異様な発想か、改めて思い知らされる。

 魔石は「石」と呼ばれている通り、見た目も硬度もほぼ石そのものだ。

 若い肉体になったとはいえ――歯が石より頑丈なわけではない。


 いったいどうやって喰らえというのか……と頭を悩ませていると、【全知】が答えた。


『魔石は所有者の肉体から取り出された30分以内であれば唾液に反応し、融解します。体内に入った後は喰らった者の魔石へと還元されます』


 覚醒すると、人間の体内にも魔石が生成される。

 それ自体は知っていたが、「30分以内に唾液で融解する」という性質までは、さすがに聞いたことがない。


 30分以内――。

 その条件が意味するところを考えれば、活用できる場面はかなり限定される。

 ダンジョンの途中、あるいはボスを倒して帰還している最中に、その場で魔石を口に放り込むしかない。


 死と隣り合わせのダンジョン内で、「魔石を食ってみるか」などという突拍子もない発想に至る余裕など、普通はない。

 時間制限さえなければ、暇を持て余した好奇心旺盛な誰かが試し、回帰前の世界でとっくに「魔石を喰らう」という手段が普及していたのだろう。


「ううむ……盲点だな。魔石を食ってスキルを得たら、その分もレベルアップの能力値上昇に反映されるのか?」


『スキル習得以降のレベルアップ時に反映されます』


「なるほど……」


 つまり、如何に「低レベルのうちに」スキルを取得するかで、後々の能力値の伸びが大きく変わってくるということだ。

 レベルが上がれば上がるほど必要経験値は増える。

 スキルなしである程度のレベルまで上げてしまった場合、それ以降に得たスキルは、能力値上昇の恩恵を十分に受けられないことになる。


 剣術しかなかった私のスキル欄を――後付けで、いくらでも華やかにできる可能性がある、ということだ。

 たった一つの剣術で、血まみれになりながら積み上げてきた私の人生が、やりようによってはまるで違う形に組み替えられる。


 今から、ダンジョンの出現が楽しみになってきた。

 復讐のために、そして何より、自分の力そのものを突き詰めるために。


「最後にもう一つ質問だ。その魔石でスキルを得る対象は――人間も含まれるのか?」


 あまりにも物騒な問いだが、ここで聞いておかなければならない。


『例外なく魔石を持つ生物の死後30分まで得ることができます』


「"モンスター等"とはそういう事か……。わかった」


 人間も、モンスターも、同じ「魔石を持つ生物」として扱われる。

 モンスターと同じように、人間の魔石からもスキルを得られてしまうということだ。


 このことは――誰にも話さず、伏せておいた方が良いだろう。

 人に話せば、それはどこかで因果となり、誰かがダンジョン内で試し、やがて「人の魔石を喰らう」という行為が公になってしまうかもしれない。


 近い言葉で言うのなら――バタフライエフェクト、というやつだ。

 些細なひと押しが、やがて取り返しのつかない大きな変化を生む。


 人類の相手は、あくまでモンスターであるべきだ。決して、同じ人類ではない。

 人と人が互いに魔石を奪い合い、喰らい合う未来を引き起こしてしまうぐらいなら――私は、この事実を誰にも話さず、墓まで持っていこう。


 【全知】に対する質問も、ひと段落ついた。

 胸の内で煮え立っていた興奮も、ようやく落ち着き始める。


 小さく息を吐いて、張り詰めていた気を緩めた、その瞬間――ソレはやってきた。


「――ッッッ!」


『心拍数の上昇を確認。焦燥感と戸惑いを検知しました』


 【全知】が何か分析結果を述べているが、正直それどころではない。

 これは戦闘でも魔石でもスキルでもない。

 もっと原始的で、もっとどうしようもない――人間としての、簡単な問題だ。


 そう、誰しもが寝て起きた後に、一度は感じるであろう生理現象。

 生まれたての赤子ではあるまいし、普通なら言われるまでもなく分かることだろう。


 しかし、私にとっては――この「女の体」でそれを行うのは、人生初である。


「オーケー、全知。用の足し方を教えてくれ」


 情けなくも、尿意を我慢しながら内股になり、【全知】に教えを請う。

 男だった時と比べて、尿意を感じてから限界までの猶予が明らかに短い……。

 私は、ダムの決壊を死守するダム職員よろしく、下唇を噛み締めて必死に耐えた。


『便器に座って現在力を入れている部分の力を緩めてください』


「なるほど……」


 言われてみれば、その通りなのだが――頭では分かっても、実際にやるとなると妙な抵抗がある。

 とはいえ、背に腹は代えられない。私は頷き、トイレへと駆け込む。


 ゆるいゴムで止まっている寝間着のズボンを一気に下ろし、便座に跨る。

 生まれてこの方、立って用を足すことに慣れきっていた身としては、この体勢だけで妙な居心地の悪さを感じる。


「これでいいのか……?」


『問題ありません。トイレのドアを開けておく必要は感じられません』


「……」


 誰かが見ているわけでもあるまいし。

 そう思いつつも、確かにドアが開いているのは色々とアウトな気もするので、渋々ドアを閉める。


 意識して力を抜くと、男だった頃とは全く違う感覚で、温かい液体が排出されていく。

 その際の「音」の響き具合がやけに気になって、耳がそちらに集中してしまう。


 ――コンビニのトイレに座ると、妙に明るい音楽が流れるのは、これを緩和するためだったのか!?


 世の中の真理に気付いてしまったような気がした。


『……』


「ふう、危うく決壊してしまいそうだった」


 ひとしきり出し終え、腹の底からようやく力が抜ける。

 いつも通り、用を足した後にズボンを上げようとしたところで、【全知】に制止された。


『お待ちください。拭きましたか?』


「拭く? 何をだ?」


『女性の体には男性と違い、直接尿道を振って尿を切ることはできません。そのため排出部を紙等で抑えるように拭くことが必要となります』


「……やらないとどうなる?」


『雑菌の繁殖や臭いの原因となる可能性があります』


「ううむ……」


 自分の体なのだから、多少雑に扱っても構わないだろう――という悪魔の囁きと、清潔を保てという天使の訴えが、頭の中で殴り合いを始める。


 ……仕方ない。今回はやむを得ず拭くとしよう。

 今、私の目の前に鏡があれば、苦虫を噛み潰したような表情をしているのがよく分かるに違いない。


「拭き終えたぞ。これで良いのか……?」


『問題ありません。大変よくできました』


 ……大変よくできました、か。

 昔、学生時代にテスト用紙に押されていたスタンプを彷彿とさせる。


 あの頃は、答案用紙に花丸のスタンプが押されているだけで、妙に気分が上がったものだ。


【全能の神があなたを微笑ましそうに見ています】


「のわっ!?」


 突如として、目の前に青いメッセージウィンドウのようなものが浮かび上がった。

 そこには、先ほどのような文章が表示されている。


 神……。

 私を過去に戻した存在か。


「何が微笑ましそうに、だ……。保護者にでもなったつもりか……?」


『――創造主よりスキルが付与されました。スキル【小さな加護】を獲得しました』


「そんな簡単にスキルを人に与えて良いのか……?」


 疑問は残るが、もらえるものならば有難く貰っておくまでだ。

 メッセージウィンドウの右下に「たいへんよくできました」の花丸スタンプが押されているのは、正直気に食わないが……。


 能力値を思い浮かべ、【小さな加護】の詳細を確認する。


スキル名:【小さな加護】

効果:全能の神の加護。他の人と比べて少しだけ良いことに恵まれる


「……少しばかり幸運になった、ということか?」


 効果としては地味だが、侮れない。

 命のやり取りをする戦場において、「少しだけ良いこと」が生死を分けることは珍しくない。


 ついでに【全知】も確認しておこうと、スキル欄を視線でなぞる。


スキル名:【全知】

効果:雋エ螂ウ縺ッ蜈ィ縺ヲ繧堤衍繧九%縺ィ縺ォ縺ェ繧


 ……文字化けしている。


 これでは、確認しようにも詳細が分からない。


「【全知】よ。この青いのは他人のも見えるのか?」


『見えません』


「なら良いが……いつになったら消えるんだ? あ、消えた」


 視界からメッセージウィンドウがふっと薄れ、霧散する。

 消えろと願えば消える、というだけのことか。


『青いメッセージウィンドウはスキル:【全知】を介して神が接触する場合に表示されるものになります』


「つまり、【全知】の一部ということか?」


『そういうことになります』


 なるほど。神からの通知機能付きスキル、というわけか。ろくな使われ方をしない未来が見える。


 いつまでもトイレに立て籠もっているわけにもいかないので、部屋に戻るとしよう。

 ズボンを上げ、トイレを流し、軽く手を洗う。


 ベッドに腰掛けて座り、改めて現状を整理する。

 ダンジョンが出現するまでに、何をすべきか――スケジュールを組まねばならない。


 残り12日。

 ダンジョンからモンスターが溢れ出した後、人々は一斉に食料を買い求めた。

 近所のスーパーなどは人が押し寄せ過ぎて、入店すら抽選制になり、「一人あたり5000円まで」といった制限が設けられていた記憶がある。


「食料調達が先か……」


『服を買うのが先決かと思われます』


「服?」


 そんなもの、クローゼットに入っているだろうに。

 私は立ち上がり、クローゼットへ向かって扉を開いた。中にはしっかり服が吊るされている。


「な? あるだろう?」


『現状の体では男性用の服はサイズが合っていません。適したサイズの服を買い求めることを推奨します』


 ――――失念していた。


 そうだ、クローゼットに入っている服はすべて「男物」だ。

 近くの柱の横に立ち、頭の頂点を爪で印してみる。


 今の私の身長は……おおよそ160センチぐらいだろうか?

 男だった頃の私の身長は180センチ前後。

 通りで、寝間着の袖や裾が余りまくっているわけだ。


「服を買いに行くにしても、着ていく服がない……あ、アレがあるか?」


 正直なところ、思い出したくなかった選択肢だ。

 2つ下の妹が泊まりに来たり、遊びに来たりした際に置いていった服が、押し入れの隅にしまってある。


 ダンジョンが出現する前、妹はよく私の家に泊まりに来ていた。

 身長は今の私より少し低いぐらいだったはずだ。サイズ的には、着ようと思えば着られる。


 ……着ようと思えば、だ。


 何の躊躇いもなく着れるかどうかと聞かれたら、答えはノーだ。


「まさか還暦を過ぎてから妹の服を着ざるを得ない時が来るとはな……」


『つべこべ言わずに着るのが得策かと思います』


【あなたが女物の服を着るかどうか、神々が賭けをしています】


「一体この仕打ちは何なのだ!??」


 何故だ! 何故、私がこのような辱めを受けねばならないのだ……。

 それに、"神々"だと!? まるで複数いるかのような表記ではないか!!!


【全能の神が着るにBetしました】

【愛の神が着るにBetしました】

【戦の神が着るにBetしました】

【芸術の神が着ないにBetしました】

【鍛冶の神が着ないにBetしました】


 鬱陶しい青い画面が、次々に目の前へとポップアップしてくる。

 着るかどうかを悩んでいると、玄関ドアの方から人の気配がした。


「おねぇーちゃーーん!! 可愛い妹が来たよーー!!」


 玄関の向こうから、大きな声が響いてくる。

 何十年も聞いていなかったはずの妹の声だと、すぐに理解できた。


 思わず涙が零れそうになった――が、感情を押し殺す。

 ここで泣き顔を見せれば、きっと面倒な心配をされるに違いない。


「そういえば……【全知】、女になって過去に戻った私は皆にどう認識されている?」


『生まれた時から女性だった認識になってます。家族からはサイズの大きい男物の服しか買わない変人と認識されています』


「……そういう認識になるのか」


 なるほど。

 つまり家族の中の「私」は昔から女で、ただひたすら大きめの服ばかり買う、ちょっとズレた女として認識されているわけだ。


 玄関の向こうで、ドアノブがガチャガチャと音を立てている。


「あれ? 寝てるのかな……? こういう時には……この前買ったピッキングツールを……」


沙耶(さや)。何を買ったかもう一回聞いてもいいかな?」


「うぇっえ? お姉ちゃん、起きてたの?? なっ、何でもないよ!」


 驚いた妹――沙耶は、慌てて何かを自分の背後に隠した。

 尻すぼみになった声で、何を買ったのかまでは聞き取れなかったが、どうせろくでもない代物に違いない。


「……本当に?」


「本当だってば!」


 目を逸らしながら、吹けていない口笛をする仕草を見せるあたり、誤魔化す気満々だ。

 沙耶は、私と同じ翡翠色の瞳と銀色の髪を持つが、その髪は肩にかかる程度の長さで止まっている。

 そして――私と違って、ちゃんと女の子らしい服を着ていた。


「今日こそお姉ちゃんにちゃんとした服を買ってもらうんだからね!」


「沙耶の?」


「お姉ちゃんのだよ……? 二十歳になったのにいつまでもそんな服着てたらコンキ? を逃すってお母さんが言ってたよ!」


「はははっ、母さんは相変わらずだなぁ。立ち話もなんだから中に入りな、沙耶」


「ただいまー!」


 そこは「お邪魔します」だろう、とツッコミを入れかけて、口をつぐむ。

 ……家族が住んでいる家なのだから、「ただいま」でもあながち間違いではないのかもしれない。


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