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18話--明日--

 ダンジョンの外に押し出されるようにして出ると、さっきまでゲートがあった場所には、ぽつんと壺と魔石が転がっていた。


 陶器の壺にはどろりとした半透明の液体――スライムオイルが満たされていて、その隣には、ビー玉を巨大化させたようなビッグスライムの魔石。


「沙耶、魔石持ってて。こっちは私が持つから」


「はーい」


 沙耶に魔石を渡し、私は壺を抱え上げる。

 振ると、瓶の内側でぬちゃり、と重い液体が揺れた。


 粘度が高くて、いかにも「油です」という感じの匂いはしない。

 どちらかといえば……高級ローション、とか言った方が近い質感だろうか。もちろん使ったことはないけど、イメージ的に。


 ここぞとばかりに、視界の端で青い画面がぴこぴこと主張してくるが、一回タップして容赦なく閉じた。

 スライムオイルの使い道について、私が知っているのはひとつだけ――


 布製の防具に塗って乾かすと、撥水効果が付与される。

 雨や血をはじくから、長期戦のお供としてはそれなりに優秀。……その程度。


 車へ戻ろうと歩き出したところで、青い画面が諦めきれないとばかりにまた開いた。


『回答します。アイテム名:愛のスライムオイルは、全身の余すところなく塗り馴染ませると防御力が永続的に1上昇します。二人以上と同時に塗り合わなければ上昇効果はありません』


 前半だけなら、かなり魅力的な効果だ。

 防御力が永続的に上がるなら、多少ベタつこうが我慢してでも塗る価値はある。……前半だけなら。


 問題は、後半だ。


「二人以上と同時に塗り合わなければ」


 その一文を見た瞬間、私はそっと画面を閉じた。


(……却下)


 私ひとりで完結するなら、風呂のついでに試してみるつもりだった。

 わざわざ誰かと一緒に、全身を、塗り合う。そこまでして得る一ポイントの防御力って、どうなんだろう。


 心の中で愛の神に向かって、盛大に中指を立てながら車に乗り込む。

 スライムオイルの壺は、とりあえずクローゼットの奥にでも放り込んで忘れたふりをしよう。下手に視界に入ると、変な使い道をひねり出してきそうで怖い。


 エンジンをかける。

 まだ時間には余裕がある。家に帰るには少し早い。


(近場のダンジョンを、もう一つくらい潰しておいてもいいか)


 魔族の本体がいつ動くか分からない以上、レベルは上げられる時に上げておきたい。

 私はハンドルに手を置いたまま、頭の中で【全知】に問いかける。


「【全知】、ここから一番近くて、人のいない場所にあるダンジョンは?」


『回答します。公園の女子トイレの個室内にあります』


「トイレ……」


 カーナビで地図を呼び出すと、言われた方角にそこそこの規模の公園が表示された。

 距離もそう遠くない。十数分も走れば着くだろう。


 さくっと攻略して、ついでに沙耶の経験値も稼がせる。

 そう決めて、後部座席を振り返った。


「沙耶ー。もう一つダンジョン行くけど……どうする?」


「いく!」


 スマホをいじりながら、反射的に手だけ挙げて元気よく返事をする。

 言葉とは裏腹に、画面から目が離れていないあたり、妙に器用だ。


 そのまま車を走らせること十数分。

 公園の駐車場に到着して、私は眉をひそめた。


「……あー」


 そこには、迷彩柄の車が一台、どっしりと止まっていた。

 見覚えのある配色と形状――自衛隊の装甲車だ。


 嫌な予感が、じわりと胸の奥に広がる。

 それを押し込めて、トイレを示す立て看板の矢印に従い、沙耶と一緒に歩き出した。


 数分ほど進むと、公衆トイレらしき建物が見えてくる。

 その周りを、迷彩柄の服を着た人たちが、複数で固めていた。


「なんか人がいっぱい居るね……?」


「うーん。自衛隊かぁ」


 苦笑しながら、私は小さく肩をすくめる。


 回帰前の記憶が脳裏をよぎった。

 ゲートが発見されると、すぐに自衛隊が周囲を封鎖して警備にあたる。


 きっと、何も知らない一般人がトイレに入ったとき、鍵の開いている個室にそのまま入ろうとして――ゲートの中に吸い込まれたのだろう。

 誰も、トイレの扉を開ける瞬間に、命懸けで警戒なんてしない。そういう場所じゃないから。


 横を見ると、沙耶が唇を尖らせて、露骨に不機嫌そうな顔をしていた。


「あれじゃあ入れないね。今日は帰ろっか」


「ぶー……」


 ぶー垂れながらも、逆らって突っ込んでいくような真似はしないあたり、分別はついているようだ。

 下手に話しかけて「何で女子トイレを見に来たんだ」とか問い詰められても困るし、自衛隊が銃を携行しているということは、少なくとも「ダンジョンの脅威」が上に伝わっている証拠でもある。


 ここは何もせず引き返すのが正解だ。


 私は沙耶の手を取り、踵を返して駐車場へと戻った。


* * *


 家に帰り着く頃には、太陽もだいぶ傾いていた。

 ダンジョン内で【炎球】の煙をさんざん浴びたせいか、服も髪も、全身が少し焦げ臭い。


「とりあえず、お風呂だね……」


 いつものように沙耶と一緒に風呂に入り、スライムと煤の混ざった汗をすっきりと流す。

 服はまとめて洗濯機に放り込んで、回し始める。


 明日は――モンスターが、人目につく日だ。


 回帰前の記憶では、日本で最初に「公式に」認識されたダンジョンは、渋谷駅と大阪・梅田駅のトイレに出現した。


 どちらも、人の往来が多い駅構内。

 当然のように初日は封鎖されるが、それでもじわじわと隙間からモンスターが漏れ出し、あっという間に人を襲い始める。


 渋谷のダンジョンは特に難易度が高く、溢れたモンスターも数が多く、個体も強かった。

 回帰前――自衛隊は、最終手段として渋谷駅へミサイルを撃ち込んだ。

 溢れかえったモンスターを、建物ごとまとめて殲滅するために。


 その代償は、あまりにも大きかった。

 復旧には長い時間と莫大な資金を要し、そこに暮らしていた人々の生活は、完全には戻らなかった。


「何をそんなに考えてるの?」


 ぼんやりと天井を眺めながら唸っていると、いつの間にか沙耶が、私の股の間に座っていた。

 私は胡坐をかいて床に座り、その背もたれとして、沙耶が当然のように寄りかかっている。


 背中越しに伝わる体温が、じんわりと温かい。


「沙耶はさ、大勢の人を救えるかもしれないけど、それが原因で後々面倒なことになるって分かってるんだったらどうする?」


「どうするって……救うか救わないかってこと?」


「そう」


 渋谷のダンジョンを、溢れる前に攻略する――

 一見、答えは簡単に思える。けれど、そうでもない。


 あそこは難易度が非常に高い。

 しかも「最低入場制限」が設定されていて、三人同時にゲートに触れないと中に入れない。


 中に入ったら最後、攻略するまで外に出る手段はない。

 全員がハンターとして覚醒し、十分なレベルと装備を整えていなければ、無駄に命を散らすだけだ。


「私だったら救いに行くかなぁ……だって救えたら英雄ヒーローじゃん!」


「英雄……か。なってみるか」


 ぽつりと零して、自分で自分に呆れた。

 回帰前に地獄を見てきたせいで、いつの間にか俯瞰で物事を見ていたのかもしれない。


 一度経験した悲劇を、ただ「そういうもの」としてやり過ごそうとしていた。


 行かなければ、大勢の人が死ぬ。

 それが分かっているのに、行くかどうかを迷うなんて――どうかしている。


 ダンジョンの外にモンスターがあふれると、そこから十日のカウントがリセットされ、次に溢れるまでの期間は二十日に延びる。

 期間が伸びたぶん、次に溢れるモンスターの数も倍になるが……それは、今考えるべきことじゃない。


「……もしかして何か起きるの?」


「うん。明日ね――」


 私は、実家で話したときよりも踏み込んで、明日起きることを沙耶に説明した。


 渋谷駅と梅田駅で、あふれ出したゴブリンやスライム、コボルトたちが数千単位で暴れ回ること。

 パニックに陥った人々が逃げ惑い、その五日後には、渋谷にミサイルが落ちる未来があること。


「実家で会ったゴブリンや今日行ったスライムみたいなのが数千!? 都心にミサイル!?」


「ミサイル発射は五日後だったかなぁ」


 沙耶が、口をぱくぱくさせたまま固まっている。


「今からでもSNSで拡散したりしても無駄なの?」


「無駄だと思うよ。沙耶は、知らない誰かが“明日、富士山が噴火します! なので避難してください!”って言ってても信じないでしょ?」


「……確かに」


 たとえ明日の危機を正確に予告したとしても、誰も本気にしない。

 事が起きたあとなら、「どうしてもっと早く言わなかった」と責められ、ありとあらゆる詮索や中傷が降ってくる。


 人は、実際に痛みを味わうまで、動かない。

 そして動き始めたときには、もう手遅れなことが多い。


「明日、行ってくるよ」


「私も……行く!」


「気持ちはありがたいけど、沙耶はここで待ってて。守りながら戦う余裕なんてないと思うから」


 はっきりと言うと、沙耶の肩が目に見えて落ちた。

 実家のときも、今回のスライムダンジョンも、結局「決定的な場面」では待っているしかなかったことを気にしているのかもしれない。


「……つよくなる。私、お姉ちゃんと一緒に戦えるように強くなる」


「待ってるよ。今回は私一人で行ってくるけど、次は一緒に、ね?」


「うん!」


 私は前に回した腕で、沙耶の身体をぎゅっと抱きしめる。

 背中越しだった体温が、今度は胸元にぴたりとくっついた。


 沙耶は、私の頬に自分の頬を擦り寄せてきて、くすぐったそうに笑う。


 ――一緒に、また笑っていられるように。

 そのためにも、明日は、絶対に生きて帰らないと。


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