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16話--妹とダンジョン--

 気軽にダンジョンを攻略してこよう――と、軽いノリで家を出るつもりだったのに。


「私も行きたい!」


 沙耶の一言で、その計画はあっさりとひっくり返った。


 回帰前は、自分が生き延びることで精一杯だった。

 必死にモンスターを斬り刻み、寝る間も惜しんで潜り続けて、ようやく周囲に目を向ける余裕ができた頃には――沙耶と母さんは「行方不明」という一言で片づけられていた。


 そのときの、空っぽになったみたいな感覚は、今でも鮮明に思い出せる。


 だから、今回は。

 あの時に取りこぼしたものを、今度こそ守りたい。沙耶が望むことなら、できる限り叶えてあげたい――そう思う自分がいる。


 ……それでも、ダンジョンに連れて行くのが「正解」かどうかは、簡単には判断できなかった。


「ほら、私もお姉ちゃんみたいにブワーッってすごい魔法使いたい!」


 沙耶は目をキラキラと輝かせ、両手をぶんぶん振り回しながら、謎の「ブワーッ」を表現しようとしている。

 その仕草が子供っぽくて、年相応で、なんとも言えずこそばゆい。


 この年頃で、こういう非日常に憧れないほうが無理な話だろう。

 実際、私だって最初に「覚醒してモンスターと戦える」と聞かされたときは、胸が高鳴ったものだ。現実の厳しさを知る前は、だけれど。


「私、魔法は使えないよ?」


「えっ? でもこの前、離れた場所から岩を真っ二つにしてたじゃん!」


 ……見られていたか。


 誰もいないと思ってやっていた、実家での訓練。

 距離を詰めて一瞬で斬り、また元の位置に戻る――【神速】込みの走り込みと切り込みの練習を、魔法と勘違いしているのだろう。


 素人目には、熟練の技術と派手な魔法の区別なんてつかない。

 まして、斬られた岩は誰かに見つかると面倒なので、砂になるまで細かく切り刻んでおいた。……あれも、もしかして見られていたのだろうか。


「どこから見てたの?」


「家から望遠鏡でね……へへっ……」


 悪戯に成功した子供みたいに胸を張って言う。

 望遠鏡。そんなアイテムまで駆使していたとは思わなかった。実家からは十分に距離をとったつもりだったのに、完全に油断していたようだ。


 敵意を持った視線ならまだしも、好奇心や憧れといった「害のない視線」までは感知できない。盲点といえば盲点だ。


「ダメ、かな……?」


 ぽつりとそう言って、潤んだ瞳でじっと見上げてくる。

 反則級の「おねだり顔」だ。頭を掻いて、ため息をひとつ吐く。


「……わかったよ。危なかったらすぐに引き返すからね?」


「わぁい! ありがとうお姉ちゃん!」


 ぱぁっと顔を輝かせて飛びついてくる沙耶。

 その笑顔を見てしまうと、これ以上断る気力なんてどこかに吹き飛んでしまう。


 ――よし。いつもの数倍は感覚を研ぎ澄ませて警戒しよう。


 正直な話、沙耶のスキルにも興味がある。

 どんな才能を持っているのか、覚醒したスキルを【全知】を通して覗けるのは、少しだけ楽しみでもあった。


 そう自分に言い訳しつつ、最低限の装備を整えて車に乗り込む。

 沙耶には、無理やり買って着せた運動着に着替えてもらった。本人は「ダサくない?」とか言っていたけれど、動きやすさと安全性が最優先だ。


 ***


 霊園に着くと、空気の密度が変わったのが分かった。

 肌に触れる風の中に、微細な粒子のようなものが混ざっている――魔力が、ゲートの方向からじわじわと漏れ出している。


 不自然なほど静かな道を数分歩くと、木々の間から、見慣れた異物が姿を現す。


 ひし形に歪んだ輪郭。

 中心部には濃紫色に揺らめく、液体とも煙ともつかない光の膜。


 周囲を見渡す限り、人の気配はない。

 ひっそりと、しかし確かに口を開けているそのゲートは、こっそり攻略するにはうってつけの場所だ。


「これがダンジョンに入るためのゲートだよ」


「ほぇー……本当にあるんだ……」


 沙耶は瞳を丸くし、ぽかんと口を開けてゲートを見つめる。

 ゲーム画面や妄想の中でしか見たことのない「非現実」が、こうして目の前にあるのだから、無理もない。


 私が先に一歩踏み出そうとしたとき、ぐい、と袖が引っ張られた。


「一緒に……」


 不安と期待が混じった声。小さな力で、しかし決して離す気のない手つきで布を掴んでいる。


「うん、一緒に入ろうか」


 袖をそっと握り返し、今度はきちんと手を取る。

 指先が触れ合い、そのままぎゅっと握り合った状態で、二人一緒にゲートへと踏み込んだ。


 世界が、滑るように切り替わる。


 重力の向きが一瞬だけ分からなくなったような、ふわりとした浮遊感。

 耳鳴りとも風音ともつかないノイズが頭の中を通り過ぎ、次に目を開けたとき――


 私たちの眼前には、見渡す限りの緑が広がっていた。


 風になびく草原。

 所々に点在する小さな丘と、ゆっくりと流れる雲。空は高く、陽光は柔らかい。


 フィールド型ダンジョン。

 この手の草原エリアは、序盤ならスライムかコボルト、あるいはその両方が出るはずだ。回帰前の記憶を辿りながら、周囲の気配を探る。


 沙耶はといえば、両目を見開いたまま、完全に固まっていた。

 現実感が追いついていないのだろう。無理もない。


 私はひとまずアイテム袋から剣を取り出し、柄を握って全神経を周囲へと向ける。

 ダンジョンの内部は外界と比べて魔力濃度が桁違いに高い。魔力増加法を行うにも好条件だ。


「はっ!? すごいね! ここがダンジョンなんだぁ!」


 ようやく現実が脳内で処理されたのか、沙耶がぱっと顔をこちらに向けて興奮気味に言った。頬が上気していて、完全にテンションが上がっている。


「やっと帰ってきた。頭の中で能力値を確認してみて?」


「能力値……」


 口に出さなくても、意識を向けるだけでステータスは確認できる。

 最初の頃は「ステータスオープン!」だとか「ステータス表示」だとか、RPGの真似をする人間が多かったが、慣れてくると誰も口には出さなくなっていく。


 私は最初から無言派だったので、そのやり方を教えるつもりだったのだけれど――


「スキルの欄に【魔法】と【祝福】って書いてあるよ!」


「【魔法】!? おめでとう、当たりだよ! あと、【祝福】……?」


「そうなの? 【祝福】は愛の神? からの祝福を受けた者。って書いてある」


 ……愛の神。

 聞き覚えのありすぎる単語だ。


 思い出すのも微妙に恥ずかしい、あの風呂場の事件。

 沙耶に全身くまなく洗われたときに、ぬるりと出てきた青い画面――そこに名前が出ていた神だ。


 よく見ていなかったのでスルーしたが、ステータス画面を改めて確認してみると、確かに私のスキル欄にも【祝福】が追加されていた。


『愛の神が貴女たちに向けて親指を立てていますb』


 【全知】から、どうでもいい報告が届く。

 思わず、目の前に浮かぶ青い画面へ抜剣したが、当然ながら手応えはなく、そのまま剣は虚空を素通りした。


「……はいはい、分かったから黙ってて」


 これ以上構っても時間の無駄だ。

 ため息をひとつつき、気持ちを切り替えて沙耶の装備を用意する。


「沙耶。これと、コレ。使ってみて」


「杖と……本?」


 アイテム袋から取り出したのは、古代竜骨の杖と、前回のダンジョンで手に入れた【炎球】の技能書だ。


 沙耶が本にそっと触れた瞬間、本の表紙が淡く光り、ページの隙間から光の文字列が噴き出してきた。

 文字は空中で渦を巻くように沙耶の周囲を回り、やがて一際強く光を放つと、そのまま胸元へと吸い込まれていく。


「えっ!? えっ……?」


「習得完了だよ。杖を持って、あっちの方へ【炎球】って唱えてごらん」


「うん……【炎球】!」


 沙耶が恐る恐る杖を構え、技能名を唱えた。


 瞬間、杖の先に私とほぼ同じくらいのサイズの炎の球が生成され、そのまま一直線に前方へ飛び出していく。

 球はプロ野球選手の豪速球か、それ以上の速度で地面に叩きつけられ、着弾地点から三〇メートル近い火柱が上がった。


「お姉ちゃん……私、魔法使いになったの!?」


「そう、だね。立派な魔法使いだよ。ただし――この技は狭いところでは絶対に使っちゃダメだからね……?」


 はしゃぎながら跳ね回る沙耶に、念押しをしておく。

 いまの威力の【炎球】を洞窟内でぶっ放されたら、モンスターより先にこっちが炭になる。


 とはいえ、初手からこの火力というのは、想像以上だ。

 杖の性能補正もあるだろうが、沙耶自身の【魔法】適性も相当高いのだろう。


「……こりゃあ、あの魔族と再会する頃には、頼れる砲台になっててもらわないとね」


 心の中でそんな冗談を呟きながら、小さく息をつく。


 沙耶のために、他の技能書も集めておく必要がある。

 当面はこっそりとダンジョンを攻略し、国が覚醒の方法を公表してハンター制度が整うまでは、大々的な動きは控えておいたほうがいい。


 それまでは――洞窟や屋内型のダンジョンを引いたときだけ、沙耶には悪いけれど杖で直接殴ってもらう、ということで我慢してもらおう。


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