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15話--妹とコンビニ--

 翌日起きると、隣にいるはずの沙耶は、まだすやすやと眠っていた。

 いつもなら、目を開けた瞬間からこっちをじっと見ていたり、こっそり抱きついてきたりするのに、今日は背中を向けたまま布団に丸まっている。寝たのが遅かったせいだろうか。呼吸は穏やかで、頬もほんのり赤く、よく寝ている顔だ。


 枕元の時計を見ると、時刻は朝の七時を少し回ったところだった。

 休日の朝としては、早すぎず遅すぎず、動き出すにはちょうどいい時間帯だ。


 沙耶を起こさないよう、そっと布団から体を抜き、きしむ音を立てないようにベッドから降りる。両腕を上に伸ばして背筋をぐっと伸ばし、軽く肩を回してから静かに寝室を出た。洗面台で顔を洗い、冷たい水で意識をはっきりさせる。


 タオルで顔を拭きながらキッチンに立つ。最近は、朝食を作りながら魔力増加法を行うのが日課になりつつある。

 意識を内側に向け、大気中の魔力を体内へと取り込む。最初はあの、股間を強打したのを全身に薄めて流したような、あのどうしようもない痛みが襲ってきていたが――今では、その痛みもほとんど感じないくらいに慣れてきていた。


 魔力を器いっぱいまで膨らませては、少しずつ許容量を広げていく感覚。

 その積み重ねの結果として、【神速】も今では一分間、連続で使用できるようになっている。ほんの数秒しか持たなかった頃を思い返すと、地味でも毎日の鍛錬は本当に馬鹿にできないと実感する。


「明日はダンジョンの存在が世界的に知られる日か」


 サラダ用の野菜を切りながら、ぽつりと独り言が漏れた。


 回帰前、私はまだ何も知らずに、命からがらゴブリンやスライム、コボルトから逃げ惑っていた。

 あのときの世界は、今この瞬間の世界とよく似ている。人々はスマホを握りしめ、ありふれたニュースやバラエティの話題で盛り上がっていて、そのすぐ裏側まで、モンスターの影が迫っていることに誰も気づいていなかった。


 最初に現れたモンスターたちを目の当たりにしながらも――

 「何かの撮影か?」「ドッキリ番組だろう」

 そう言ってその場に居座り、逃げ遅れた人間があまりにも多かった。


 現実感のなさと、説明のつかない恐怖と、そして「自分だけが逃げるのは滑稽だ」という集団心理。

 それらが折り重なった結果として、一般人が大量に、あっけなく死んでいった。


 いきなり、空想の産物だと思っていたモンスターが、現実の街に現れたら――足がすくむ気持ちは、理解できなくはない。

 だけど、理解できたところで、死んだ命が戻るわけでもない。


「あ、ドレッシングがない」


 サラダを盛り付けようとして、ふと動きが止まる。

 実家に帰る前に冷蔵庫の中身はほとんど使い切ってしまっていたが、何となく「ストックがどこかにあるだろう」と棚を開けてみたものの、目当てのドレッシングはどこにも見当たらなかった。


 醤油やポン酢で代用しようと思えばできないこともない。だが、せっかくならちゃんとしたドレッシングを使いたい。どうせなら、ついでに他の足りないものも補充しておきたいところだ。


 そう判断して、コンビニに買いに出ることにした。


 簡単に外出の準備をしていると、寝室のドアが開いて、寝ぼけ眼の沙耶がふらりと現れた。


「おあよー……あれ? お姉ちゃんどこかいくの?」


「おはよう沙耶。ドレッシングが切れてたからコンビニに買いに行ってくる」


「コンビニ……。コンビニ!? 私も行くっ!」


 途端に目の輝きが変わる。

 眠そうな顔はどこへやら、言葉の語尾が跳ね上がるほどのテンションだ。何か買いたいものでもあるのだろうか。それとも――別の目的があるのか。


 部屋に引っ込んだかと思うと、ドタバタと忙しない物音が聞こえ始めた。

 着替え、化粧、準備一式。音の雰囲気だけでどんな様子か想像がつく。


 ――二〇分ほど経った頃。


 ようやく部屋から出てきた沙耶は、薄化粧でしっかり顔を整え、服装も髪型もばっちり決めた「お出かけモード」になっていた。

 これ見よがしにくるりと一回転してポーズを決め、どうだと言わんばかりの視線を向けてくる。


「うん、似合ってるよ。かわいい」


「えへへ……ありがとっ」


 素直に褒めると、途端に頬を緩ませて嬉しそうに笑う。

 ……なんというか、本当に分かりやすい。


「……コンビニ行くだけだよ?」


「分かってるよ、お姉ちゃん。これは私にとって聖戦みたいなものだよ」


 聖戦。物騒な単語だ。

 何と戦うつもりなのか気になったが、聞いたところでろくな答えは返ってこなさそうだったので、深追いはせずに玄関へ向かうことにした。


 マンションを出て、いつものコンビニへ向かって歩き出す。

 私一人なら軽く走ってしまう距離だが、今日は沙耶も一緒なので、歩調を合わせてゆっくり進む。


 道すがら、沙耶が当然のように腕を絡めてきた。


「……歩きにくいんだけど」


「お姉ちゃん、これは必要なことなんだよ」


「そう……」


 絡められた腕を振り払う、という選択肢は最初から存在していなかった。

 無理に引き離したら、沙耶がどれだけしょんぼりするか、容易に想像がつくからだ。


 仕方なく、不自然にならない程度に歩幅を合わせ、二人で他愛もない会話をしながら歩き続ける。

 こうして誰かと話しながら歩いていると、同じ距離でも一人で歩くときとは違って、時間の流れが少しだけ速く感じられる。


 そんなことを考えているうちに、目的のコンビニが視界に入ってきた。


「いらっしゃ……いませー……」


 店内に入ると、聞き覚えのある声が私たちを出迎えた。

 最初の「いらっしゃ」までは元気いっぱいだったのに、後半に行くにつれて露骨にトーンダウンしていくのが分かる。


 何かあったのだろうか、と一瞬だけ首を傾げるが、とりあえず今は目的のドレッシングだ。

 店の奥、調味料コーナーに直行する。


 いつも使っているお気に入りのドレッシングは置いていなかったが、和風のものならどれも味に大きな差はない。ラベルをざっと確認し、一番無難そうな商品を一本手に取る。


 ふと横を見ると、いつの間にか沙耶が買い物カゴを持っていた。

 その中には、ドレッシングコーナーの反対側の棚に並んでいる珍味が、しれっと入っている。


 ……気持ちは分からなくもない。

 実際、こないだも私、一人で来たときに余計なものをカゴに入れまくったし。


「おやつってあったっけ?」


「うーん……全部食べちゃった気がする」


 そういえば、この前買い込んだ分は映画とゲームとダラダラタイムの犠牲になって、きれいさっぱり姿を消していた。


 なら、ついでに補充しておこう。

 スナック菓子、チョコ、クッキー、適当に目に付いたものをポイポイとカゴに放り込んでいく。冷静に考えると買いすぎな気もするが、疲れたときに甘いものがないほうがストレスには悪い。


「……よし、こんなものかな」


 とりあえず満足したところでレジへ向かうと、この世の終わりを見届けてしまったかのような、魂の抜けた顔をした小森ちゃんが立っていた。


「れじぶくろ、いりますか……」


「あ、お願い」


「さんえん……いただきます……」


 声も表情も、明らかに元気がない。

 昨日のメッセージから想像していた姿とは随分違う。何かあったのだろうかと彼女の顔を見ていると、足に絡みついている沙耶の存在が目に入った。


 ちらりと横を見ると、沙耶が妙に勝ち誇った表情を浮かべている。


 ……お前、何した。


 そんなツッコミが喉まで上がってきたが、とりあえず状況整理より先に、小森ちゃんに声をかけることにした。


「元気ないけど、どうしたの?」


「あ、いえ……だいじょぶです。お連れさんとはどういったご関係で……?」


「妹だよ。ほら、沙耶。昨日のメッセージのコンビニ店員さんだよ」


「私の、姉が、お世話になりました」


「妹さんなんですね! どうも、小森 愛です」


 ぺこりと頭を下げる小森ちゃんと、じっとそれを見つめ返す沙耶。

 そのまま二人の視線が絡み合い、数秒間、謎の沈黙が流れる。


 ……気が合ったのだろうか。

 この辺りに沙耶の友達はいないから、もし仲良くなれそうなら、それはそれでありがたい話だ。


 そうこうしているうちに、レジの金額表示に数字が並んだ。

 財布からお札を取り出しながら、思った以上にカゴに詰め込んでいたことに気づく。二五〇〇円越え――完全に、買いすぎだ。


 会計を済ませたところで、小森ちゃんが沙耶へと視線を向け、すっと口を開いた。


「私、諦めませんから」


「ふふん。好きにすればー?」


 何やら意味ありげな宣言と、それをさらりと受け流す沙耶。

 会話の行間はさっぱり読めないが、少なくとも、さっきまでの沈黙タイムで何かを感じ取ったのだろう。


 ――今度、時間を作って一緒に遊ぶ機会でも作ってみようか。


 頭の片隅でそんなことを考えながら、小森ちゃんに見送られてコンビニを後にする。


 外に出ると、時刻は八時前後。

 ちょうど通勤通学のラッシュに差し掛かる時間帯で、スーツ姿の会社員や学生たちが忙しなく行き交い始めていた。


 その人波を横目に見ながら、今日このあと何をするかを考えつつ、家への道を引き返した。


 ***


 家に戻り、買ってきたドレッシングを使って朝食を済ませる。

 パンとサラダとスクランブルエッグ、いつも通りの簡単なメニューだが、こういうルーティンがあるだけで心が少し落ち着く。


 食器を片付けながら、今日の予定に思いを巡らせる。

 特に外せない用事はない。なら、今のうちにやっておきたいことがひとつある。


 ――発生したてのダンジョンが近くにあるなら、攻略しておきたい。


 魔族との戦いに備えてレベルを上げておく必要があるし、慣らしも兼ねて、リスクの少ないダンジョンから潰していくに越したことはない。


「【全知】、近くにダンジョンの反応はあるか?」


『回答します。五つ存在します』


 五つ。思った以上に多い。

 出現し始めたばかりとはいえ、やはりこの辺り一帯にも確実に浸食は進んでいるらしい。


「一番人目につかない場所にあるダンジョンは?」


『回答します。南西にある墓地の近くにあるゲートは、人目に付きにくい場所にあるでしょう』


「墓地……? 霊園か」


 スマホを取り出し、地図アプリで位置を確認する。

 緑に囲まれた静かなエリアで、最寄り駅からもやや離れている。確かに、平日の昼間にふらっと人が来るような場所ではない。


 人目につかないということは、ゲートの存在が発覚するまでの猶予が長く取れるということでもある。

 武器も十分にある。魔族との再戦までに少しでも経験値を稼いでおきたい以上、行かないという選択肢はない。


 髪をさっと後ろでまとめ、ゴムで結ぶ。

 椅子から腰を上げて、玄関へ向かう途中、ふと思い出したように足を止めた。


 ――その前に。沙耶に説明しておかなければ。


「沙耶ー。私、ちょっとダンジョン行ってくるね」


 声をかけると、リビングでテレビを見ていた沙耶が勢いよく振り返った。


「そんな近所のスーパー行くみたいなノリで行けるところなの……? この前説明してくれた、あのモンスターとかがいるところだよね!?」


 目を丸くして立ち上がり、そのまま私の前まで歩いてきて、道を塞ぐように立ちはだかる。


 実家にいたとき、私はすでに一通りの事情を説明している。

 ダンジョンの仕組み、モンスターの出現タイミング、明日になればモンスターが外に溢れ出すこと。

 そして、ダンジョンに入れば【覚醒】する可能性があることも。


「そうだけど……」


「私も、付いていきたい!」


 即答だった。


 その瞳には、怖れも不安も混じっている。

 けれどそれ以上に、「同じ場所にいたい」「置いて行かれたくない」という意思が、はっきりと宿っていた。


 ――さて、どうしたものか。


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