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136話--システム--


 自室の布団で眠るというだけのことが、こんなにも贅沢な行為だったとは思わなかった。

 柔らかさも匂いも身体の沈み方も、全部が知っている感覚だ。

 安全地帯の宿屋の簡素なベッドとも、木の上で目だけ閉じていた仮眠とも違う、ちゃんとした休息……の、はずなのだけれど。


「せまい」


 寝返りを打とうとすると隣に誰かが居てぶつかる。

 視線だけ動かして周囲を見れば、私にくっつくようにして転がっているルトリエの肢体。


 今は本体のルトリエとリシル以外は部屋にいないが……隅で遠慮がちに丸まっているリシルの控えめさを少しは見習ってほしい。

 リシルなんて部屋の隅の影と一体化している時間のほうが長いのに。


「ねぇ、ルトリエ。なんかいい感じに部屋を大きくする方法ないの?」


 布団の上で半身を起こしてそう言うと私にしがみついてしたルトリエが私を見た。


「む……? あるぞ。ほれ」


 軽く指を鳴らす。

 パチンという乾いた音と同時に部屋の空気が一度きゅっと縮んだような感覚に襲われ、その直後に四方の壁が音もなく後退していった。

 視界の端で、壁紙や棚がつられて後ろに滑っていく。あっという間に縦横それぞれ五メートルずつぐらい広がっただろうか。


「……」


 原理を考えるのを途中で放棄した。


「アイテム袋とかと同じ原理じゃ。囲われた空間内を拡張しただけじゃぞ」


「そう言われても私、魔法はメインじゃないから良く分からないよ」


 魔力操作は身体強化のための手段であって、理屈はだいたい力技でねじ伏せてきた。

 細かい座標だの空間認識だのは専門外だ。


「……今の原理、教えてくださいませんか?!」


 布団の影で静かに本を読んでいたはずのリシルが、さっと顔を上げた。

 さっきまでの気配を感じさせない速さでこちらに来て目を輝かせながらルトリエに詰め寄る。


 研究好きなリシルにとって、今のは喉から手が出るレベルの技術なんだろう。

 リシルの視線は完全に獲物を見る学者のそれだった。


 ――アイテム袋、と聞いて思い出した。


 慌てて腰のポーチに手を伸ばす。

 指先に触れたのは、硬い革の感触。素材袋と、魔石袋。

 どちらもしっかり残っていた。


 もしこれを没収されていたら立ち直るのに何日かかったか分からない。

 多分、今日は布団から出なかった。


 中身の素材と魔石は、ざっと見積もっても相当な量だ。

 後で全部リスト化して沙耶たちと一緒に有効活用の方法を考えよう。武具にするか研究材料にするか、売るか――考える余地はいくらでもある。


 白熱した議論に突入したルトリエとリシルを背に残して私は部屋を出た。


 リビングに向かうと最初のルトリエ――イルがソファに腰掛けて端末で配信を食い入るように見ていた。

 画面の光が白い横顔を淡く照らしている。


「イル、みんなは?」


「うむ? 外でエルアとリリィが訓練してるぞ」


「……エルアと?」


 嫌な予感が背筋を撫でた。

 エルアの訓練は私の感覚だと普通に人が死ぬ強度だ。腕と足が標準装備の二本ずつでは足りないレベルだと思ってる。

 急いで靴を履いて外に出る。


 覚悟していたような血生臭い惨状――ではなかった。

 庭の一角に整然とした静けさがあった。

 エルアは腕を組んで立ち、リリィはその隣で目を閉じている。地面に転がる人影はない。


「何じゃ? お主に教えることはもうないぞ」


 こちらに気付いたエルアが言った。


「エルアの訓練って聞いて、私にしたようなことしてるのかと思って見に来たんだよ。今は何をしているの?」


「うむ。戦闘経験が乏しいと感じたのでな、妾とリリィの力を合わせて意識だけの空間で戦闘をさせておるぞ」


 意識だけの空間――その言葉に胸が高鳴った。

 映像も音もないのに想像だけで少し楽しそうに思えてしまう。


「なにそれ、楽しそう」


 実戦ばかりでここまで来た身からするとシミュレーションで繰り返し叩き込める環境は経験してみたい。

 疑問に思っていることを聞く。


「意識だけだと変な癖ついちゃわない?」


「問題ないぞ! 痛覚はふぃーどばっくされるのじゃ!」


 隣でリリィが胸を張る。

 声だけ聞いているとゲームのイベント紹介みたいだ。


「なるほど……尚更、気になるんだけど……」


「無理じゃ。妾たちでできるのは自身より弱い者のみじゃ。お主もやりたかったら本体に頼むとよいぞ」


「今は忙しそうだから……また今度だね」


 意識だけの空間で痛覚フィードバック付き戦闘、という言葉が頭の中で反芻される。

 後ろ髪を引かれながらも今は見守るだけにして手を振った。


 参加しているのは小森ちゃん、沙耶、七海の三人らしい。

 七海の妹は解体場で働いてくる。と机の上の書置きがあった。


 カレンの気配を探ると家の中から馴染みの反応が返ってきた。

 ちょうど廊下の奥のドアが開いてカレンがふらりと出てきた。

 寝癖をつけたまま、眠そうな目を擦りながら冷蔵庫へ向かって一直線に歩いている。


「私がやるよ。牛乳?」


「ん……。あーちゃんの血も一滴混ぜて……」


「今日だけだよ」


 試練場帰りで全員バタバタしている中でカレンだけはいつも通りだった。

 皆が訓練や色々なことをしているせいで少し疎外感を覚えかけていたのもあって今日はカレンの我儘を無視する気にならなかった。


 コップを取り出して牛乳を注ぐ。

 指先で軽く爪を立てて腹を切って赤い一滴を垂らした。


「はい」


「ん、ありがと……ぐっ!? けほっ……」


 ひと口飲んだ瞬間、カレンがむせ返るように咳き込んだ。

 コップを両手で支えたまま喉を鳴らしている。


「……変なところに入ったの?」


「ん。あーちゃん、魔力濃度上がりすぎ。予想以上すぎてびっくりした」


「魔力濃度……? あ、あれか……」


 試練場の異常な魔力濃度に順応するため、無茶な循環やら何やらを散々やった。最終層で身につけた四方向の循環は常に回しているぐらいだ。

 【全知】、そういえば私って今どうなってるの?

 心の中で問いかけると、いつも通りの冷静な声が頭に響く。


『回答します。地球のシステムと試練場のシステムをどちらも保持している状態になります』


「……つまり?」


『一レベルの経験値で二レベル分能力が上昇します』


 しれっと言ってくれたが内容はとんでもない。


「カレン。皆連れて今から試練場に行こう」


「あーちゃん……?」


 カレンがコップを抱えたまま瞬きをする。


 手っ取り早く、しかも安全に皆を強くできる環境がすぐそこにある。

 これで行かない方がどうかしている。


 ねえ、【全知】。試練場のフリーパスは私以外の人にも適用できる?


『可能です』


「よし、みんなで試練場だ」


 魔力濃度が高いから純粋に魔力量も増やせるし、モンスターは山ほど居るから戦闘経験も稼ぎ放題。

 一石二鳥どころではない。下手をすれば三も四もある。


 外に戻ってエルアとリリィに事情を説明して意識の戦場を一旦中止してもらう。

 目を開け始めた三人――小森ちゃん、沙耶、七海にも同じ説明をすると驚きつつもすぐに頷いてくれた。


「よし。皆、私に触れてね」


「はいっす!」


「了解~」


 七海と沙耶が声を揃えて返事をして他のみんなもぞろぞろと近寄ってくる。

 肩や腕、背中、服の裾。何かしらの形で全員が私に触れているのを確認してから意識を内側に向けた。


 頭の中で試練場のフリーパスを使用することを思い描く。

 転移石を砕いたときと同じ、ふわりと身体が軽くなる感覚が全身を包んだ。


 視界の色が、ゆらりと反転して私たちは、地球から一度姿を消した。

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