133話--全ての真相と魂の契約--
転移が終わると前にルトリエの本体に会ったあの真っ黒な空間ではなく、ひんやりと冷えた石造りの遺跡のような場所に出た。
高い天井は影の奥に消え、壁には意味の分からない文様が刻まれている。
風はないのに古びた石の匂いと長い時間が積もったような静けさだけが肌に貼りつく。
視線を巡らせると中央に向かってゆるやかな階段が伸びており、その先だけが一段高くなっていた。
祭壇、と呼ぶのが一番近いだろうか。
自然と足がそちらへ向かう。
階段を上りきると中心部にその者は居た。
四肢を太い鎖で石柱に繋がれた存在。
封じるために作られたのだと一目で分かる拘束。
「くははっ、本当にやり遂げおったのか」
聞き慣れた声が乾いた空気を震わせる。
――ルトリエだ。
だが今まで会ってきた分身体たちとは違っていた。
纏う気配は同じ色の闇なのに、そこから感じられる力は驚くほど薄い。
あれほどの圧を持っていた存在が今はただ静かにそこにいるだけに見える。
「まだ奴らがここに来るまでは時間があるじゃろう。近う寄れ」
哀愁を滲ませた表情でルトリエが私にそう告げた。
言われるままに歩み寄り彼女の隣に腰を下ろす。石の冷たさが足元からじわじわと伝わってきた。
「どうした? 妾に聞きたいことがあるんじゃろ?」
こちらを見ないままルトリエが問いかけてくる。
私は少しだけ息を吸い込み、胸の奥に引っかかっていた言葉をそのまま吐き出した。
「――私に、何をさせたいの?」
「ふむ。いきなり本題か、それもお主の好ましい点ではあるが……ここは少し妾の昔話に付き合ってくれ」
そう前置きしてルトリエはぽつり、ぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
「かつて妾はこの世界を作り上げた神の一柱じゃった。元より神の類であったのではなく、生まれはただの悪魔族じゃ。血の滲むような研鑽を数千年続けて、妾の持つ力が生物の枠に収まらなくなり、神となった」
そこまで言ってルトリエは小さく息を吐き、続ける。
「妾は喜んだ。自分の強さの天井が見えており、それ以上に力をつけることは敵わぬ事に絶望していた妾は喜んで神となることを受け入れた。思えば、その時点で既にこうなることは決まっておったのじゃろう」
淡々と語っているようで、その声にはどこか自嘲が混じっている。
表情にはうっすらと陰が落ち目の奥に遠い過去を見ているような色が宿った。
しばしの沈黙が落ちた後、ルトリエはまた口を開いた。
「神の一柱として任された仕事が、この世界の創造じゃった。全く知る由もない事に胸躍り、力を大いに使って邁進しておった。じゃが、同じ仕事をしていた神々の一部に疎まれておったのじゃ」
「……理由は?」
「妾が生まれつき神族ではなかったからじゃ。たかが生まれで疎むなぞ低俗なものよ。なあ、創造の神よ」
どこか嘲るように、しかし乾いた響きで、その名を口にする。
私がこの世界に来たとき、一番最初に赤いウィンドウで見た神の名前。その文字列が頭の中で重なる。
「あ奴は妾を排斥するために様々な手を使った。低俗なものから神の所業として許されぬものまで。この世界が完成した後、あ奴は他の神々を引き連れて妾を一方的に攻撃した。よもや仲間だと思っていた者たちに攻撃されるとは思っておらず、妾は力の大半を失い、神格を剥奪されてこの世界に幽閉された」
淡々とした口調のまま、それでも言葉の端には諦めの色が滲む。
「幽閉される前に妾を殺さぬことを条件に、駒として使える分身体を創り出した。それがお主が総力戦で会った最初の妾じゃ」
「他の三人は?」
「あ奴らの見ていない隙に創り出した妾のための分身体じゃ。いずれ来たるこの時のためのな」
そこまで話すと、ルトリエは顔を上げた。
鎖に繋がれた手足は容赦なく締め上げられているのに、その視線だけは今まで出会ってきたどのルトリエとも同じ強さを宿していた。
「幽閉され、数千年。ひたすらに妾の力に耐えうる者が現れるのを待ち続けた。そして、お主が現れた」
私をまっすぐに指さしてルトリエが言う。
俯いていた顔を上げると彼女の口元にかすかな笑みが浮かんだ。
「ここまで言えばわかるじゃろう――妾を殺せ。そして妾の最後の力を継いで、お主が【塵骸の女王】となるのじゃ」
からかうような調子にも聞こえる声色だったが、その奥に漂う寂しさは隠しきれていなかった。
「他に、選択肢は無いの……? 例えばその鎖を壊せばどうにか――」
「無理じゃ。この鎖は神を縛るための物じゃ。神格を剝奪されたと言え、それは格の高さであって、今でも神として分類されておる。如何なる力を持っていようと、この鎖は壊せぬ」
「やってみないと――」
「もう、既にやっておる。何百、何千年もの間、ひたすらに壊すことだけを考えて試した。だが、無理じゃった」
「……ごめん」
「お主が謝る必要はない。妾の最後の頼みを聞いてくれぬのか……?」
掠れて今にも消えてしまいそうな声で、ルトリエは問いかけてくる。
最後の頼み。それは、殺して力を継ぐこと。
それをすれば、多分私は試練場から出られる。
――けれど、それでも首を縦には振れなかった。
「それを聞き入れたら、どうなるの?」
「妾はお主の中で生き続けるじゃろう。その気になれば夢にだって出てやれるぞ? ……じゃから、そんな、悲しそうな顔をするんじゃない」
この試練場に来てから私はずっと孤独と戦っていた。
その孤独を和らげてくれたのは、間違いなくルトリエだ。分身体たちとの稽古も、掛け合いも、くだらないやり取りも含めて。
殺して力を継げば道は開けるかもしれない。
だが、それだけで終わらせたくない、と強く思ってしまった。
何か方法はないか、と頭の中にある知識を総動員する。
そんな都合のいい答えは出てこない――そう思った瞬間、ひとつだけ思い当たるものがあった。
「そうだ、あるじゃないか。もう復活してるでしょ。ねえ、【全知】。ルトリエの鎖を解く方法、教えてよ」
『回答します。下級神:ルトリエの鎖は神である間は解くことはできません』
「お主、何と話して――」
「神である間、ねぇ。じゃあ、神じゃなくする方法は?」
『……回答します。下級神:ルトリエとの【魂の契約】を結べば、下級神であるルトリエは人族である貴女の格に調整されて神格が完全消滅し、悪魔族へと戻ります』
「【魂の契約】って?」
『貴女とルトリエの魂を繋ぎ、永久不変の契約を結ぶことです。全てが互いに平等となる契約になります』
「よせ。その契約は神々の中でも禁じられた手法じゃ。何故、人の子のお主が知って……待て、全知? 確か全知と全能を冠した位の高い神が存在していた気が――」
何やら考え込もうとするルトリエの両頬を私は両手で挟み込んで、ぐいっと上に引き上げた。
キョトンとした顔で目が合い、そのすぐ後にジト目へと変わり、呆れたように私を睨んでくる。
「何じゃ。無理じゃぞ。【魂の契約】は双方の合意が無いと発動せん。妾は拒否する。お主に残された方法は妾の力を受け継ぐだけじゃ」
「私さ。気づいたんだ」
頑なに契約を拒もうとするルトリエから目を逸らさずに言葉を続ける。
「何をじゃ。その契約は双方の――」
「ルトリエの分身体ってさ、多分普通の人が想像する分身とは違うよね?」
「何を言って……まさか……? いや、そんなはずは……」
『解析完了。回答します。個体名:ルトリエの分身体は本体であるルトリエの魂と力を割譲して創られた生命体です』
「つまりさ、私の中に居る分身体の意思とルトリエ本体の意思を合わせたら、どっちが多数派になるんだろうね」
「机上の空論じゃ。そんなもの……一度得た力を手放さないとならぬのじゃぞ!?」
ルトリエの声に、今までにはなかった焦りが混じった。
力を求めて神へと至った彼女にとって、自らそれを手放すという発想は受け入れがたいのだろう。
けれど、私の答えは最初から決まっていた。
「要らないよ。私はね、私の力で強くなりたいんだ。確かにルトリエの力は便利だよ? でも、この力は私の物じゃない」
胸の奥にある四つの闇の気配が一斉にざわめいた。
今なら分かる。このざわめきは否定ではなく、肯定だ。
「じゃが――」
「ごちゃごちゃうるさい」
反論の続きを許さず、言葉ごと塞ぐ。
そのまま、ルトリエの唇に自分の唇を重ねた。
【魂の契約】の具体的な手順は、【全知】が青いウィンドウを通して丁寧なくらいに説明してくれている。
まずは私の中にあるルトリエの力を全て本体に流し戻す。その際、私の魔力も細い糸のように一緒に流し込み、双方向に通じる道を作る。
全ての力を渡し終えた時点でルトリエの中で【魂の契約】を望む意思が多数派になれば、契約は成立する。
本体一人が拒絶しても分身体たちが受け入れてくれれば押し切れる算段だ。
何故、口づけなのか。
それ以外のやり方が思いつかなかった、というのもあるし、最後のルトリエもそうしていたから、きっとそうするのが正しいのだとどこかで納得していた。
『愛の神が親指を立ててサムズアップしています』
黙って青いウィンドウを消し去る。
その裏で私の作った道に沿ってルトリエが自身の魔力を流し込んでこようとするたびに微かな気配がそれを妨害しているのが分かった。
だが、その妨害自体も、さらに別の大きな気配に押さえつけられていく。
その隙を突くように、馴染みのある三つの小さな気配が、ひらりと滑り込んできた。
首筋に刻まれた黒い紋様が、じわりと熱を帯びて光る。
次の瞬間、胸元にずきん、と鋭い痛みが走った。
『契約完了です』
頭の中に、【全知】の声が響く。
痛む胸元に手を当てて下を見やると、そこには複雑な文様が刻まれていた。
入れ墨にも似ているが、もっと内側から浮かび上がっているような印。
同時に、カシャン、と金属が落ちる軽やかな音がした。
ルトリエの四肢を縛っていた鎖が一斉に地面へと崩れ落ちる。
「何故じゃ。何故――」
「これで自由だね」
「自由? 自由じゃと? この世界に妾の行く場所なんぞあるわけが無かろう!! どこに行こうがクソみたいな奴らが妾を捕らえに来るのじゃぞ!?」
「私の世界においでよ。こんな所より楽しいよ」
「何じゃと? まるでお主が別世界から来たかのような――待て、まさか、全知全能の神と創造の神の管轄は別の世界のはず……」
「記憶を読んだと言っても深くまでは読めてないみたいだね」
「お主の印象深い記憶しか見ておらぬ。人となりを把握するのにはそれで十分じゃからのう」
まだ納得しきれていない様子で考え込んでいるルトリエを、小脇に抱えるようにして立ち上がる。
不服そうに眉間に皺を寄せて、彼女が私を見上げた。
「何じゃ? この屈辱的な持ち方は。降ろさんか――なぬ? お主に攻撃が出来ぬ……」
「【魂の契約】ってすごいよね。両者の力関係を加味して、足りない方は制約を受けることで平等とするんだって」
「――まさか」
「そのまさかだよ。ルトリエに返した力は、契約上では私の力と判断されたらしい。だから、この【魂の契約】はルトリエに圧倒的不利な契約だよ」
「む、無効じゃ!! そんなの認めんぞ!!!!」
「私含む私の大切にしている者への攻撃禁止、私の命令には逆らえない……等々、二十四カ条も制約があるみたいだね」
「嘘じゃ……こんなの奴隷契約のようなものじゃ……」
「正真正銘これでルトリエは私のモノだね」
絶望しているルトリエに、あえて追い打ちをかける。
今まで好き放題振り回されてきた仕返しでもある。
放心しかけているルトリエを抱えたまま、私はふと天井の見えない空を見上げる。
『全能の神が貴女に拍手と報酬を送ります』
『神々の遊技場のフリーパスが届きました』
「……大丈夫なの、これ」
『戦の神が話し合い(物理)で決めたから問題ないと言っています』
『傷だらけの創造の神が悔しそうに頷きます』
『叡智の神が野蛮な殴り込みをした神々にため息を吐いています』
……特に反応がないと思っていたら、裏で殴り合いをしていたらしい。
いつも通りというか、やっぱりというか、私を見守っている神々は好き勝手だ。
そんなことを考えていると、目の前に赤いウィンドウが静かに現れた。
『退出しますか? はい・いいえ』
のじゃのじゃ、と文句を垂れているルトリエへ視線を向け、言う。
「ルトリエ、私たちの家に帰るよ」
「……うむ」
短く返されたその声色には、ほんの少しだけだが、興味と喜びが混じっていた。
私は はい を選ぶ。
目の前に、虚空を切り裂くようにしてゲートが開く。
大きく息を吸い込んで、一歩を踏み出した。
――さて、向こうではいったいどれほどの月日が経っているのだろうか……。




