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131話--戦闘--

 足に力を込めて地面を蹴った瞬間、視界が細く絞られた。

 真正面からルトリエへと一直線に駆ける。風圧が頬を叩き、世界が線になって流れていく。


 闇をまとわせた剣を、ためらいなく振り下ろした。


 がきん、と金属が軋む音が響く。ルトリエはほんのわずかに手首を返しただけだった。

 足も、腰も、上体すら一歩も動かさずに私の全力の一撃を受け止めている。

 剣と剣が噛み合った箇所から闇と闇がぶつかり合って火花の代わりに黒い鱗粉のようなものが散った。


「……ほう」


 ルトリエの口から感心とも退屈ともつかない声が漏れる。

 その瞳には余裕があった。


 体勢を崩させようと剣に乗せる力を一段階引き上げる。

 循環を回転数ごと無理やり上げて体の内から闇を引きずり出して魔力と一緒に筋肉の一本一本まで浸透させて出力を上げる。

 ――それでもルトリエの足は床板に根を張ったみたいに微動だにしなかった。


「その程度か?」


 軽い調子の問いかけと同時にルトリエの剣がわずかに押し返してきた。

 ほんの数センチ、刃が滑っただけで腕が痺れる。


「くっ」


 押し返される。歯を食いしばって踏ん張った瞬間、ルトリエの肩が、さっと揺れた。

 視界の端で黒い軌跡が閃いた。


 軽く振っただけに見えた一撃だった。

 だが、剣同士がぶつかったときとは別種の衝撃が腕から肩、背骨へと一気に突き抜ける。

 今までの戦いで受けた、どんな攻撃よりも重い。


「っ――!?」


 肺の中の空気が一瞬で抜けて言葉にならない声だけが喉を掠めた。

 重い鈍器で全身をまとめて叩きつけられたような感覚と共に身体が宙に浮き、そのまま後方に吹き飛ぶ。


 床を転がる、という段階をすっ飛ばして壁に叩きつけられた。石壁に亀裂が走り、そのまま床に滑り落ちる。

 肋骨が何本か同時に悲鳴を上げた。


「まだ、だ」


 自分に言い聞かせるように呟き、剣を支えにして無理やり立ち上がった。

 その瞬間にはもう、ルトリエが目の前にいた。

 風も足音も気配の揺れもなかった。ただ、気が付いたときには剣先が目の前にあった。


 一撃、二撃、三撃。


 縦、横、斜め。

 人間の可動域を完全に無視した角度から次々と斬撃が押し寄せる。剣圧だけで空気が切り裂かれて肌がひりついた。


 全てを受け止めることは不可能だ。

 致命傷だけを外すようにギリギリのところで剣を滑らせて躱せないものだけを闇の装甲で受ける。

 それでも、傷は増えていく。


 腕の肉が裂け、肩に深い線が刻まれる。脇腹に浅くない斬撃が走り、視界の端で自分の血が弧を描いた。

 一太刀ごとに全身が軋む。闇で補強していなければ、とうにバラバラになっていてもおかしくない。


「よく防ぐな」


 ルトリエの剣が打ち下ろしの途中でぴたりと止まった。

 その一瞬の静止に、私はわずかな違和感を覚えた。今だ。と、どこかで思った。

 喉の奥に溜まった血を飲み込んで剣を握り直す。


 受けに回るのをやめて防御の循環を攻撃に切り替え、無理やり前に出る。

 胸元目掛けて全力の突きを放った。


 ――が、ルトリエの剣がそこにあった。読まれている。だが分かっていても止めない。

 刃と刃がぶつかり、火花と闇が散る。その押し合いの最中、わざと体勢を崩した。

 重心を前に投げ出す。通常ならば、そのまま自分が隙だらけになる愚策だ。


「――っ」


 ルトリエの瞳に、一瞬だけ迷いが走った。


 私の剣が、その迷いの隙間を抜ける。ルトリエの肩口に、かすかな傷が刻まれた。

 薄く皮膚が裂けただけの傷。だが、彼女にとってはおそらく、この試練場で初めてついた傷だ。

 闇がそこから煙のように立ち上る。


「……ほう」


 感嘆とも怒りともつかない吐息。その直後、ルトリエの動きがわずかに荒れた。

 焦り――というほど幼いものではない。

 ただ、今まで微塵も揺らがなかった均衡に砂粒ほどの変調が混じった。


 次の一撃が、さっきまでとは違う軌道で飛んできた。

 速さは変わらない――が、わずかに、ほんの刹那だけ私の意識より先行している。


 防御が追いつかない。

 視界の右側で黒い閃光が弧を描いた。


 避ける時間はなかった。剣を間に差し込むのも間に合わない。

 選べるのは……致命傷を避けることだけ。

 私は迷わず、首をわずかに捻った。


 ざっ、と質の悪い音がした。世界の右半分が、同時に消える。

 熱を通り越した灼けるような痛みが、右顔面を貫いた。

 痛みのあまり喉が勝手に震えて息が漏れる。


「ぐ、っ……」


 左目だけで世界を捉える。

 右側から何かが液体になって頬を伝い、顎へと滴り落ちる感覚があった。


 片目が潰れた、という理解はすぐに来なかった。

 ただ、右側の世界が存在しないことだけが、やけに鮮明だった。


 ――そんなことは、どうでもよかった。


 剣は、まだ手の中にある。足も、まだ地を踏んでいる。

 呼吸は荒いが肺は動いている。闇の循環も止まってはいないし心臓も必死に脈打っている。


 十分だ。


 地面を蹴り、痛みを無視して前に出る。

 ルトリエの剣が、ほんのわずかに止まった。自分の一撃で私の片目を潰したことに気付いたのだろう。

 その刹那の隙に身体が勝手に反応した。


 剣を振る。痛みで軌道がブレるが構わず振り抜いた。

 闇を伴った斬撃がルトリエの間合いへと飛び込んでいく。


「……まだ、来るか」


 小さく呟く声が聞こえた。困惑と哀愁、そしてどこか楽しげな成分が混ざった声音だった。

 ルトリエの剣が私の斬撃を受け止める。今度は彼女が半歩だけ、後ろに下がった。


 片目を潰された痛みを脳がようやく認識し始める。視界がぐらりと揺れて吐き気にも似た感覚が腹からこみ上げてきた。

 それでも前傾姿勢を崩さない。

 剣を引き、もう一度踏み込もうとしたところで、ルトリエが片手を上げた。


「待て」


 短い一言。その声には先ほどまでのような攻撃の気配が含まれていない。

 それを理解した瞬間、張り詰めていた筋肉から力が抜けた。

 反動で片膝が床に落ちる。


 喉に溜まっていた血を思い切り吐き捨てた。


 真っ赤な液体が床に弧を描き拡がっていく。右頬を伝って落ちたものも混じって濃い色になった。


 ゼエ、と荒い息を整えながら距離を取る。

 数歩だけ後ろに下がり剣を下段に構えたまま、ルトリエを見据えた。


 左目だけで見るルトリエは、さっきまでよりも大きく見えた。

 威圧感が増したのではなく距離感がおかしくなっているだけだろう。

 彼女は剣先をわずかに下ろし首を傾げる。


「……片目を潰されてなお、戦いをやめる気はなさそうだな」


「果たさなければならない約束があるからね」


「今、止めるならお主を鍛えてやる。数千年も研鑽を積めば妾と互角の戦いができるだろう」


「それじゃぁ……遅いんだよ」


 傍から見ても私の勝ち目がないのは分かりきっている。

 けれど、私に帰ることを諦めてのうのうと生きるなんて……そんなもの死んだと同義だ。


「万が一にも勝てる見込みはないのだぞ。妾とて、他の妾たちが居るお主を痛めつけるのも気が引ける」


 口を開くと喉が焼けるように痛む。それでも声を絞り出す。


「なら、早く私の物になってよ」


 言葉を選ぶ余裕は無かった。

 ルトリエの目が大きく見開いたあと、じっとこちらを見つめた。

 その視線の奥に先ほどとは違う色が宿っている。


「ほう、ほうほう。久しぶりの戦いが楽しくて忘れておったわ。そうじゃったな、これはお主の力を見る戦いじゃ」


 ルトリエが小さく笑って言った。

 その瞳は先ほどまでとは違い柔らかく私を見据えていた。



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