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12話--ボスと魔族--

 しっかりとした武器が手に入ったこともあってか、地下二階のゴブリン殲滅は拍子抜けするほどあっさりと終わった。

 さっきまで鉈一本でぎりぎり渡り合っていたのが嘘のように、古代竜骨の剣は、まるで「これくらい当然でしょ?」と言わんばかりにゴブリンの首や四肢を滑らかに断ち切っていく。


 ポーチに入れてある腕時計を取り出し、ちらりと確認する。

 ダンジョンに入ってから、まだ三〇分ほどしか経っていない。


「このペースなら、予定通り二時間以内には終わりそうだね」


 自分に言い聞かせるように、ぽつりと独り言が零れた。

 回帰後、初めてのダンジョン攻略。もっとこう、何かしらのトラブルなり、予想外の事態なりが発生すると思っていたけれど――少なくとも今のところは、肩透かしを食らった気分だ。


 地下三階へ続く階段は、天然の岩を削って作ったような無骨な造りで、足音が石の段にカン、カン、と乾いた音を立てて響く。

 ひんやりとした空気が肌にまとわりつき、鼻をくすぐるのは湿った石と、わずかに混じる血と獣の臭い。

 ここまで来る間に何度も嗅いできた、ダンジョン特有の匂いだ。


 駆け足気味に階段を下りていくと、視界の先に、地下三階の床が見えてきた。

 最後の一段を踏みしめ、足を踏み入れたその瞬間――。


 ゴブリンが飛んできた。

 比喩ではなく、本当に「飛んできた」。緑色の小柄な身体が、まるで見えないバネで弾かれたかのように勢いよくこちらへ突っ込んでくる。


「っと」


 反射的に横に跳ぶ。

 突っ込んできたゴブリンは、私がさっきまで立っていた場所を通過し、そのまま背後へと転がっていった。


 飛来してきた方向に目を向けると、そこにはひときわ大柄なゴブリンが立っていた。

 通常の個体の二倍はあろうかという体躯。盛り上がった筋肉、分厚い皮膚、その手には、私の背丈ほどもある両手斧。


「なるほどね。お前がボスか」


 思わず口元が引き締まる。

 ゴブリンのボスは、吠えるような雄叫びを上げ、唾を飛ばしながら斧を振りかざしてきた。

 威嚇――そして、それを合図にした突撃。


 重そうな斧が、空気ごと押しつぶすような唸りを上げて迫ってくる。

 力比べをしてみたい誘惑は、正直なところある。だが、今はそれをやっている余裕などない。


 先にコイツを倒して、解毒薬を持ち帰る。それが最優先だ。


 振り下ろされる一撃を、私は古代竜骨の剣で受け「流す」。

 剣に当たった瞬間、斧の軌道がぶれるようにずらされ、その勢いを利用するように刃を滑らせて、逆にボスの懐へ潜り込む。


 そのまま、腕の根本へと剣を振り抜いた。


「ガァツ!?」


 肉を裂く確かな感触と、骨を断つ嫌な手応え。

 しかし、切り落とすことそのものに、ほとんど抵抗はなかった。

 遅れて、どしゃり、と地面に重いものが落ちる音が響く。


 自分の腕が消失したことに気づいたボスは、目を見開き、信じられないものを見るような顔で断面を見つめ――そのまま、じりじりと後退を始めた。


 逃がすつもりはない。


 距離を詰め、今度は足を斬りつける。

 高い悲鳴とともに、ボスの巨体が片膝をつき、そのまま崩れ落ちるように倒れた。


 動けなくなったところで、胸元めがけて剣を突き立て、心臓を正確に貫く。

 ビクリと一度だけ体が跳ね、その後はピクリとも動かなくなった。


「……終わりっと」


 脱力と同時に、剣を引き抜く。

 生温かい血が跳ねて、頬に一滴飛んできたが、袖で乱雑に拭った。


 ボスの死体を横向きに転がし、胸元付近にサバイバルナイフを突き立てる。

 皮膚を切り開き、慣れた手つきで臓器を避けていくと、ほどなくして固い感触に指先が触れる。


「はい、魔石、一丁あがり」


 血で濡れた魔石を布でざっとぬぐい、ポーチの中へ放り込む。

 ついでに周囲に残っていたゴブリンたちも片っ端から殲滅し、魔石だけはきっちり回収した。


 辺りに動くものがなくなったのを確認した、そのとき。


 部屋の中心部、何もなかったはずの空間に、ふっと光の粒が集まり始めた。

 それは渦を巻くように凝縮し、やがて一つの形を成す。


 ――宝箱だ。


 重厚な木製の箱が、そこに「当然のように」鎮座していた。


 ダンジョンのボスを倒したときにだけ出現する報酬の箱。

 突発型・低階層帯のダンジョンに限って言えば、これまで罠が仕掛けられていたことはない。


 慎重さは大事だが、ここで疑っていても時間の無駄だ。

 私は躊躇なく宝箱に近づき、蓋に手をかけた。


 ギイ、と古びた扉のような軋みを立てて、宝箱が開く。


 中には、目を引く透明なガラス瓶が五本。

 液体の色とラベルの形状からして、おそらく解毒薬だろう。あとは、数百枚ほどの金貨が無造作に入っている。


 そして、その下――金貨の山に押しつぶされるように、一冊の本が挟まっていた。


「これは……【技能アーツ】が取得できる本だね」


 表紙の装丁、刻まれた魔法陣の意匠。

 何度も見てきた、スキル付与系のアイテムだ。


 技能は、短い詠唱だけで即座に発動できる、一時的な「ブースト」や「必殺技」のようなもの。

 攻撃力や素早さ、防御力いった能力値を一時的に底上げしたり、常人には不可能な軌道の斬撃を繰り出したりと、その効果は多岐に渡る。


 ただし、体内の魔力を消費すること、そして対応するスキルを所持していること――この二つが発動の条件だ。


 今回手に入った技能本は【炎球】。炎の球を飛ばす、ごくメジャーな攻撃技能。

 つまり、【魔法】スキルを持っていない私には、宝の持ち腐れというわけだ。


「私には使えないなぁ」


 肩を竦めてそう呟いた、その直後。


「おやおやおや? なァぜ、居るのでェすか? ココに、下等生物にんげんが?」


「――っつぁ!?」


 背後からいきなり声がして、身体が反射的に動いた。

 振り返りざま、古代竜骨の剣を横に薙ぐ。


 しかし、その一撃は、あっさりと空を切った。


 そこにいたのは、青い髪に白黒反転した瞳、浅黒い肌をした「人型の何か」。

 人と似た形をしているが、明らかに人とは違う気配――肌を刺すような魔力の密度と、底の見えない違和感が、全身の毛穴を総立ちにさせる。


 そいつは、私の斬撃を半歩だけ退いて躱すと、まるで観察対象を見るような目で、じろじろと私と剣を見比べながら口を開いた。


「おかしい。ああああなた、ソレは? 力も、なぜ?」


 指先で私の剣を指し、そのまま、今度は私自身を指さす。

 抑揚のおかしい喋り方。単語の切れ方。

 言動の端々から、常識というものがきれいさっぱり欠落しているのが分かる。


 ……【全知】?


『――照合できませんでした。存在が原典マスターにありません……管理者より追加されました。種族名:魔族です』


「魔族……? 初めて聞いた種族だな」


「今――魔族と? なぜ、なぁぁぁんで、ぞんじる?」


 魔族と呼ばれた男は、突然その場でくねくねと体を捩じらせ始めた。

 狂気じみた踊りのような、壊れた人形のような、不快な動き。

 一体こいつは何者なんだ、と心の中で毒づくが、敵意も殺意も、なぜかほとんど感じない。


 ただ、その存在そのものが、本能的な「嫌悪」と「警戒」の感情をかき立ててくる。


 やがて、魔族の男の動きがぴたりと止まる。


「あぁーーー、そう、そうそうそう……【読込リーディング】しョう」


 低く、呟くようにスキル名を口にした。


 聞いたことのないスキル。

 ただ、その瞬間に、背筋を冷たいものが走る。嫌な予感がして、思わず手に力が入った。


 スキルを扱えるモンスターと言えば、古代竜クラスの怪物と同格――

 いや、この「人型」という点で考えるなら、状況によっては竜より厄介かもしれない。


 回帰前の私なら、それでも何とかできたかもしれない。

 だが、今のステータスでは――分が悪いことだけは確かだ。


「はい。読込まシた。貴女、今、魔族、と言いまシたね?」


「確かに言ったけど……何か間違っていたの?」


「いいえ。違いまセん。おかシいのでスよ……原典からは確かに消シたんでス。我が主が、今際に」


「一体何を言っているのか、全く分からないんだけど……」


 さっきまで単語を噛み砕くように喋っていた魔族の男は、急に滑らかに言葉を紡ぎ始めた。

 口にした「原典」という単語は、【全知】の青い画面でも一度出てきたワードだ。


 原典――マスター。

 世界の設計図か、システムの根幹か、それとも神々の台帳か。

 どれにせよ、ろくでもない代物であることだけは間違いない。


『叡智の神が、時が来たら分かると言っています』


 視界の端に、青い画面が表示される。

 そこに表示された新しい神の名前――叡智の神。

 名前だけ聞けば、全てを知っていそうな雰囲気だが、今は何も教えてくれないらしい。


 今は知るべき時ではない、ということか。


 画面を消して魔族の様子を窺うと、彼はじーっと、穴が開きそうなほど私を凝視していた。


「貴女。今、青い画面システムウィンドウを見てましたね? 確かに、間違いなく、確実に。あぁ、繋がりました。繋がりましたよッッッ!」


「システム……?」


 魔族の男が叫んだ瞬間、周囲の魔力が一気に膨れ上がった。

 私に向かって押し寄せるような圧、肌を刺すほどの密度。


 足元に、光る魔法陣が展開される。


「しっ!」


 私は即座に剣に魔力を纏わせ、そのまま足元の魔法陣を斬り裂いた。


 魔法陣とは――【魔法】スキル持ちが技能を発動するときに現れる、いわば「回路」のようなもの。

 陣に沿って魔力を流し込むことで、術式が完成し、技能が発動する。


 だから、発動の瞬間までにその回路を破壊してしまえばよい。

 ただし、魔法陣が現れてから発動完了までの猶予は、ほんの瞬き一つ分ほどしかない。


 発動を検知したら即座に叩き切る――それが、魔法対処の唯一の方法だ。


「その反応……ありえませんねぇ。貴女、人生何周目ですか?」


「唐突に攻撃してきて、その言い草は何なのさ!」


 皮肉を投げ返しながら、私は魔族の男との距離を一気に詰めて斬りかかる。

 しかし、男はどこからともなく取り出した杖を構え、その一撃を易々と弾き返した。


 間髪入れず、フェイントを混ぜた連撃を叩き込む。斜め、横、下段、突き――

 人間相手なら反応すらできない速度で攻撃を重ねていく。


「っっらぁ!!」


「ふむ……恐ろしく熟練した剣捌きですねぇ。楽しめそうです。憎き神々を欺いて外に出したゴブリン達が帰ってくる頃かと思いましたが、想定外の収穫ですねぇ」


「ちっ! 涼しい顔して全部防ぎやがって!!」


 杖一本で、私の攻撃を流し、受け、時には最小限の動きでいなしてくる。

 攻撃が空を切るたびに、悔しさと同時に、背筋に冷たい汗が伝う。


「おぉ、怖い怖い……使わないんですか? 【剣術】の【技能】を」


 私が【剣術】スキル持ちだということも、当然のように看破しているらしい。

 さっきの【読込リーディング】というスキルで、私のステータス情報を読まれたのだろう。


 ……今の魔力量で、まともに技能が使えるか?


 覚醒してから、隙あらば魔力増加法を続けてきた。

 けれど、【技能】を前提とした魔力の調整や、実戦レベルでの消費バランスまでは試せていない。


 中途半端に重い技能を使えば、その場で魔力切れを起こして昏倒する未来が、容易に想像できた。


『――回答します。技能名:【神速じんそく】であれば、一〇秒間の使用に耐え得る魔力量は保有しています』


 一番消費の少ない【神速】でさえ、一〇秒が限界。

 攻撃系の高負荷技能を撃つなど、自殺行為でしかない。


 だが――瞬間的に使う分には、まだやりようがある。


 【神速】を断続的にオン・オフし、攻撃のリズムと速度を狂わせる。

 相手の予測を徹底的に外し、緩急差で対応を崩す。それが、今の私に取れる最善手だ。


 あとは――。


「おや? もしや使えないのですか? 技能を!!」


「……うっさいなぁ、使ってあげるよ……【神速】!」


 短く技能名を唱えた瞬間、世界の解像度が変わる。

 自分以外の動きが緩慢になったように見え、音が一瞬遠くなる感覚。


 足を一歩踏み出しただけで、視界が数メートル分ぐっとスライドしたように、距離が詰まる。

 剣先が、風を裂き、残像を残す。目で追えない速度で連撃を叩き込む。


 魔族の男は想定外だったのか、目を見開き、小さく舌打ちをして対応に回る。

 それでも、そのすべてを捌き切れているわけではなかった。


 【神速】を一瞬解除し、速度を落としたふりをしてから、再度起動。

 わざとテンポを崩した斬撃が、魔族の防御の隙間に滑り込み、皮膚を深く切り裂いた。


 血飛沫が飛び散り、男のローブを赤く汚す。


 傷口を押さえながら、魔族の男は大きく距離を取り、その場に立ち止まった。


「いくら本体より弱いといえ、この分身体に致命傷を負わせるとは……貴女の攻撃力はどうなっているのですかね?」


「分身体……? まさか、本体は別のところに……?」


「そうです。でもご安心を。このダンジョンには居ませんよ」


 軽く言ってのけるが、全然安心できない。

 今、目の前にいるのは「本体ですらない」存在だというのか。


 【神速】を維持できる残り時間は、二秒弱。

 その間に、この分身体を仕留めることは――ギリギリ不可能ではない、はずだ。


 私は再び距離を詰めようと、地面を蹴った。


 その瞬間。


 ダンジョン全体が大きく揺れ、頭上から岩の崩れる轟音が響いた。

 天井が崩れ始め、砂と細かい石がぱらぱらと降ってくる。


「残念ですねぇ。ダンジョン崩壊の時間です」


『当ダンジョンは攻略されました。攻略時間は四七分三二秒です。挑戦者を三〇秒後にゲートへ転送します……』


 【全知】とは違う、抑揚のない機械的な声が、頭の中に響く。


 突発型ダンジョンは、ボスを討伐してから一〇分が経過すると「崩壊フェーズ」に移行する。

 内部の構造が徐々に壊れ、最終的には挑戦者全員がゲートの外へと強制排出される仕組みだ。


 外から見れば、ただゲートから人やモンスターが出てきているだけにしか見えない。

 中でどれだけ血が流れていようと、どれだけの命が散っていようと――関係なく。


 生きて外に出た者の数と、倒したモンスターの種類・数に応じてレベルが上昇し、ゲートは閉じる。

 そうやって世界は「ダンジョンシステム」と折り合いをつけていく。


 魔族の男は、崩れ落ちる天井も、足元の揺れも気にすることなく、狂気じみた笑みを浮かべて言った。


「くくくっ……それでは、また、近いうちに“本体”でお会いできるのを楽しみにしております」


「勘弁してよ……」


 思わず、情けない本音が口から漏れた。


 今の分身体ですら、勝てるかどうか怪しかった。

 本体となれば、今の私では、どう足掻いても届かない壁だろう。


 「近いうちに」と言っていたからには、そう遠くない未来に再会することになる。

 それまでに、レベル上げは当然として、別の形でも強くなる方法を探らなければならない。


 視界が暗転し、身体がふっと浮く感覚に包まれる。

 転送の光が辺りを満たし、洞窟の景色が溶けるように消えていった。


『完全制覇報酬を挑戦者に送ります』

『レベルが四上がりました。能力値は各自で確認してください』

『ホブゴブリンの戦斧を獲得しました。ゲートが閉じた際に確認してください』


 攻略報酬のアナウンスが、立て続けに頭の中へ流れ込む。

 ホブゴブリンの戦斧――おそらく、さっきのボスが振り回していたあの両手斧だろう。


 暗闇の中、一筋の光がこちらへ近づいてくる。

 光が視界いっぱいに広がったかと思うと、次の瞬間には、森の中のひんやりとした空気が肺を満たしていた。


 ダンジョンの外へと放り出された私は、その場にずるずると腰を落とした。


「はぁーー……」


 深く、長いため息が漏れる。


 魔族なんていう厄介な存在に遭遇してしまったこと。

 それでも何とか生還できたこと。

 そして、これからやらなければならないこと――母さんの解毒、沙耶への説明、自分自身の強化、神々への文句。


 一つひとつを頭の中で並べていくと、胸の奥がずしりと重くなる。


 ――これも全部、神とやらの所為せいなのではないか?


「あぁ……神とやらよ。どうして私がこんな目に遭っているのか。なぜ女体にして回帰させたのかも、一緒に物申させてほしいよ……」


 愚痴半分、本音半分で空に向かってぼやいてみるが、青い画面は出てこない。

 もちろん、答えも返ってこない。


 ため息をもう一つ吐いてから、私は立ち上がり、報酬の斧と金貨をアイテム袋に放り込んだ。

 実家の方向へ身体を向け、駆け出そうとしたそのとき――。


『……回答します。子孫繁栄行動が行われていないため、神が不要と判断しました』


 頭の中に響いた【全知】の声に、私は思わずつんのめりそうになった。


 それは何回も聞いてるって!!!!


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