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115話--総力戦--

 新しい装備は、まるで何年も前から一緒に戦場を駆けてきた相棒みたいに最初から私の体に馴染んでいた。

 柄を握れば、そこにあるのが当然だと言わんばかりに手のひらが自然と正しい位置を探し当てる。

 歩くだけでも鎧の重さが動きを阻害するのではなく、筋肉の流れに合わせて重心を誘導してくれているようだった。


 だからこそ、そこから先の階層は作業に近かった。

 戦いというより確認作業。敵の強さより自分の感覚の方を確かめる時間だった。


 29層のボス、コボルトキング。

 それなりの大きさと威圧感はあったが首を刎ねるまでにかかった時間は一呼吸ほどだった。

 風竜の剣を振るえば分厚い首筋は紙のように断たれ、巨体は驚愕の表情を浮かべたままゆっくりと倒れていく。

 

 倒れきる前に、その身から牙と毛皮と爪を手際よく剥ぎ取り、一つ残らず素材袋に詰め込む。

 最後に残った転移石を拾い上げ、掌の中で感触を確かめる。指先に力を込め、迷いなく握り潰した。


 骨の髄を撫でるような浮遊感と共に視界が反転し、30層の安全地帯へと移動する。

 足元にきちんとした石畳の感触が戻ってきたところで、私はゆっくりと顔を上げた。


 そこは、見た目だけなら15層の安全地帯と大きな差はない場所だった。

 石造りの通路、中央の広場、周囲を取り囲むように並ぶ建物。配置も雰囲気もよく似ている。ぱっと見た印象だけなら、同じ設計図を使い回していると言われても信じるレベルだ。


 けれど、一つだけ決定的に違うものがある。

 そこに居る人たちがまとっている魔力の質と濃さだ。


 すれ違うだけで皮膚の上を魔力の圧が撫でていく。

 肩をかすめる気配が、軽い暴風の余波みたいにぴりぴりと肌を刺す。動きそのものは洗練されていて無駄がないのに、そこに隠し切れていない焦りの色が混ざっているようにも感じた。

 皆、逼迫した何かに追い立てられている。そんな空気。


 調味料や保存食、長期戦用の道具類をざっと確認する。まだ特に減っていない。

 ここで無理に足を止める理由は正直見当たらない。休憩を挟むなら次の安全地帯である45層に着いてからでも十分間に合うはずだ。


 そう判断して中央に鎮座する転移石へと歩み寄る。

 表面に触れた指先に冷たい感触が伝わり視界の端にお馴染みの文言が浮かぶ。

 特に迷う必要もなく「移動」の文字を選んだ。


 骨の奥がふわりと浮き上がる、いつもの転移の感覚。

 視界がまだぐにゃりと歪んでいる最中、今のタイミングで聞きたくなかった種類の会話が、やけにクリアな音質で鼓膜を叩いてくる。


「なあ、知ってるか? 31層から44層までは総力戦らしいぜ?」

「まじかよ。じゃあ後二期分は人を待たねぇと無理だな」


 しまった、と心の中で舌打ちしたときには、もう体は次の階層に降り立っていた。


 歪んだ視界が正しく情報を捉えた。

 瞬き一つの間に、私は完全に状況を理解した。


 地平線の向こうまで、ぎっしりと埋め尽くされたモンスターの群れ。

 ゴブリン、リザードマン、オーク、オーガ、トロール、コボルト。見慣れた種族から、そこそこ手ごわい連中まで、あらゆる種族が混ざり合い、こちらを一斉に見ていた。

 見本市という単語が頭に浮かぶが、あいにく陳列されているものは全部本物で全員こっちを殺す気満々だ。


 その光景に重なるように、赤いウィンドウが次々と視界に割り込んでくる。


『31層から44層までは全ての階層が一体化した総力戦です。モンスター陣営との戦争に勝利しましょう』

『勝利条件:モンスター陣営の全滅。敗北条件:プレイヤー陣営の全滅』

『モンスターの位置はシステム上のミニマップに表示されます。プレイヤーの位置もモンスター側に共有されます』

『プレイヤー陣営:一人。モンスター陣営:約一千四百万体』

『各陣営の勝利を信じて!』


 最後の文言が表示された瞬間、パリンとガラスを叩き割ったような音が空気を切り裂き、そのすぐ後に大地がぐらりと揺れた。

 モンスターたちが一斉に前進を開始したのだ。


 地鳴りのような足音。腹の底に響く咆哮。武器と武器がぶつかり合う金属音。

 それらが全部混ざり合い巨大な音の塊になって押し寄せてくる。耳が潰れそうな喧噪なのに逆に静けさを感じるほどの圧力だった。


 私は肺の奥まで空気を満たすつもりで大きく息を吸い込む。

 余計な思考を片っ端から追い出し、集中状態を深く、さらに深く沈めていく。


 音が一つ消え、また一つ削がれ、やがて必要な気配だけが残る。

 視界からも色が抜け落ち、白と黒と、魔力の流れを示す淡い光だけが浮かび上がった。

 残っているのは、敵の位置、魔力の密度、足場となる地形の起伏、風の向きと速さ。それだけだ。

 他の要素は全て私の世界から切り離された。


 長い戦いになるだろうことは、最初の一瞥で理解していた。

 だから、派手さはいらない。勢い任せの大技も不要だ。


 必要なのは最小限の動きと最短距離で、ただひたすらに敵を斬り倒していくこと。

 スキルも、【技能(アーツ)】も、今の私は使うことができない。

 頼れるのは、鍛え上げた肉体と染みついた技術、それから積み上げてきた場数だけ。


 余計な考えに蓋をしてしまえば、あとは体が勝手に動き始める。

 前へ踏み込み、振り抜き、反転して次へ。振り向いたときには、そこにいたはずの敵の首がもう地面に転がっている。

 血溜まりを避けるために足の位置を半歩ずらし、滑りそうな泥は踏み込む前に蹴り飛ばす。

 動作一つ一つが、もう意識の手が届く範囲にはない。


 さあ、戦火に身を投じよう。

 それだけを思い、心を奥底に沈めて私はひたすらに斬り続けた。



 どれだけの時間、そうして斬り続けていたのか自分でも分からなくなっていた。

 斬り結ぶ感覚と骨を断つ手応えだけが、薄紙みたいに何枚も何枚も重なっていき、時間という単位はすっかり輪郭を失っていた。


 そんな中で沈みきっていた意識を水面まで引き上げたのは、たった一本の矢だった。


 押し寄せるモンスターの波と波の狭間を縫うように、ほとんど風切り音も立てずに飛んできたそれは、総力戦が始まってから初めて被弾を許した攻撃だった。

 セット効果の【風】を纏っているにも関わらず矢は二の腕に深々と突き刺さっていた。


 心の中で舌打ちをした瞬間、胃袋をひっくり返されたような吐き気が喉まで込み上げてきた。


「うぇっ……。毒、か」


 矢にはしっかりと返しがついているが――痛みを無視して力任せに引き抜く。肉が抉れ、熱い炎のような痛覚が腕から肩、背中へと一気に駆け上がった。

 視界が一瞬だけ白く弾ける。


 立ち止まっている余裕はない。

 全身の魔力を強引に回し、血流に乗った毒ごと体外へ押し流すように循環させる。

 同時に【竜体】の力を使って傷口を閉じるように促すが、その治り具合は明らかに鈍かった。


 二の腕の傷口をちらと見る。

 滲む血の上に、じくじくと黒い何かが絡みついている。


 これは、魔界にいた頃、嫌というほど味わった――闇の魔力。

 悪魔族が好んで扱う、しつこくまとわりついて離れない性質の魔力で状態が悪い方向に進む力がある。


 姿はまだ見えない。けれど、いる。

 ほかのモンスターがまとめて雑音に思えるほど、輪郭のはっきりした強い魔力の塊が五つ。

 そのうちのひとつが私めがけて矢を連射してきた。


 意識さえ向けていれば避けること自体は難しくない。

 体をひねり、矢の軌道ぎりぎりを通り抜ける。矢羽根が頬を掠め、冷たい風だけが皮膚を撫でた。


 積み重なった疲労で筋肉はとっくに悲鳴を上げている。

 それでも、その訴えを聞いてやるつもりはない。


 苦痛に歪んだ顔は、この戦場には似合わない。

 ――笑え、嗤え。

 底の底に沈んでいる狂気を引きずり出して、それを燃料に体を動かせ。


 引き攣りそうになる頬を無理やり持ち上げて口端に狂気めいた笑みを貼り付けたまま、強大な魔力反応へ向かう道筋を塞ぐモンスターたちを片端から刻んでいく。

 肌にこびりついた返り血は何層にも重なり、乾いてはひび割れ、ぱりぱりと剥がれ落ちていく。

 足元で踏みしめるたび、骨と肉が嫌な音を立てた。


 私の方へ殺到してくるモンスターをすべて切り捨てたその瞬間、視界の横に赤いウィンドウが浮かび上がった。


『プレイヤー陣営:一人。モンスター陣営:六体』

『総力戦開始から十四日と七時間二十三分が経過』


 数字を確認して、ようやく息をひとつ吐いた。

 吐き出した空気の中に血と鉄と獣の匂いが濃く混ざっている。肺の奥まで戦場の匂いに染まっているようだ。


 残り六体。一体はどこにも魔力反応がない。

 そのうちの目の前にいる五つは他のモンスターとは明らかに格の違う魔力を放っている。

 ねっとりと張りつく闇の魔力が私の頬を撫ぜた。


(悪魔族が五体……か)


 一体は少し離れた場所から様子を窺っている。弓を持っていることからアイツが私を射った奴だろう。

 大雑把に優先順位をつけよう。まずは近くの四体始末して弓持ちを狩る。

 

 二の腕の傷はじくじくと熱を持ち、闇の魔力がまだ皮膚の下で蠢いている。

 それでも、剣を握る指にはまだきちんと力が入った。


 風竜の防具に多めに魔力を流し込む。

 全身を薄く撫でていた風が次の瞬間には輪郭を失い、私自身と同化したのを確認して地面を蹴った。

 足を一歩踏み出したつもりが、気づけば数十メートル先まで駆け抜けている。

 血に濡れた土を蹴り、山のように積もった死体を踏み台代わりに飛び越えて砕けた骨の山を足場にしてさらに先へ。

 腐臭が風に引き剥がされ、背後へ遠のいていく。


 悪魔族たちは、すでに私を視界に捉えていた。

 先頭に立つのは黒鉄のような肌をした大柄な槍使い。その隣には紅い鎧をまとった剣士。

 少し後ろに髑髏のついた冠を被った呪術師と、輪郭がぼやけたように見える細身の短剣使い。

 さらにその奥には黒い翼を生やした弓兵が静かに弓弦を引き絞っている。


 ――来る。

 槍使いの低い叫びが空気を震わせるより早く、地面一帯に黒い紋様が浮かび上がった。

 呪術師が杖の先で地面を一度叩くと黒く塗りつぶしたかのような真っ黒い手が地面からせり上がってきた。


 魔力の流れを少しだけ変えて闇の手が私の脚を絡め取る前に跳躍する。

 空中で体をひねり、頭上から降り注ぐ矢の軌跡を確認した。


 闇の尾を引きながら飛来する矢が十数本。

 矢じりにまとわりつく闇が形を変えながら風の膜をこじ開けようと軌道を歪めて迫ってくる。


 剣を水平に走らせる。

 風が刃の軌跡をなぞり、その延長となって空を裂く。矢の束を一つの塊として捉え、まとめて切り払った。


 叩き落とされた矢が地面に突き刺さるより早く着地する。

 土が弾けて血溜まりが跳ね、その向こうから黒い槍の穂先が迫ってきた。


 太い腕で振るわれる黒槍が、横薙ぎに私の胴を狙う。

 踏み込まず、一度後ろに滑る。風竜の鎧が摩擦を削ぎ落とし、地面を滑走するように後退した。

 槍先が服を浅く裂き、皮膚の上を紙一重で掠めていく。


 その背後から、紅い剣士が大剣を振り下ろしてきた。槍と剣。前衛二体の挟撃。


 槍の軌道を見切り、あえて一歩踏み込む。

 槍の柄に肩をぶつけるようにして軌道をずらし、そのまま懐へ潜り込む。


 槍使いの胸板が目の前に迫る。

 剣を振るには近すぎる距離――拳を強く握って全身の筋肉を一瞬だけ連鎖させ、肋骨の隙間を狙って拳を叩き込む。

 内側から骨が折れて肉が砕ける感触が拳から腕へ、肩へと抜けていった。


 巨体が後ろに仰け反る。

 けれど、悪魔族のしぶとさは知っている。心臓を潰した程度では、すぐには倒れない。


 横から大剣の影が迫る。紅い剣士の斬撃は見た目より軽い。が、速い。

 風を裂いて血を弾き、私の首を正確に狙って横一線に走ってくる。


 ひざの力を抜いてしゃがみ込む。私の髪の毛が数本、宙に舞った。

 しゃがんだ体勢から剣を握り直して跳ね上がる。


 剣と剣が擦れて金属音が耳を打つ。

 紅い大剣を下から弾き上げ、そのまま肩口から胸元へ斜めに切り裂く。


 それでも止まらない。

 闇の魔力が傷口を縫い合わせるように蠢き、紅い剣士は笑いながら再び踏み込んでくる。


 背後からは呪術師の詠唱が聞こえてきた。

 髑髏の冠が明滅するたびに、足元の影がじわじわと濃くなっていく。

 まずい、と判断した瞬間、地面から伸びた黒い腕が足首を掴んだ。


「――っ」


 底なし沼に片足だけ突っ込んだような、体を一瞬で引きずり込まれる感覚。

 力で強引に引きちぎるが、そのわずかな遅れを紅い剣士は逃さなかった。


 大剣の切っ先が胴の横を貫いた。

 熱い痛みが走り、口の中に鉄の味が広がる。


 息を吐くだけで胸の奥が焼けるように痛い。

 肺に空気を入れるたびに傷口で血が泡立つ感覚がした。それでも自分の動きは止めない。


 刺し込まれた大剣を逆に利用してやる。

 刃の側面を掴み、引き寄せる力にそのまま身を預けて一歩踏み込んだ。

 ――距離が詰まる。紅い剣士の顔がすぐ目の前だ。


 勢いよく紅い剣士の鼻めがけて頭突きを叩き込む。

 鈍い衝撃が頭蓋を震わせて額の皮膚が裂けて血が目に流れ込む。

 

 蹴って大剣を引き抜き、紅い剣士の胸元を横に薙ぐ。

 さきほど刻んだ傷をさらに深く抉り、今度こそ肩から腰までを切り裂く。

 闇の魔力が傷を繋ぎとめようとするが風を纏った刃がそれごと吹き飛ばした。


 紅い剣士の身体が、少し遅れて二つに分かれる。

 落ちていく上半身の口から、笑いとも呻きともつかない声が漏れた。


 その刹那、背筋に冷たい悪寒が走る。


 反射で剣を背後に回す。

 刃に何かが触れる感触。枯れ枝みたいな軽さなのに、中に鋼を仕込まれたような重さが混ざっていた。


 短剣使いだ。


 いつの間にか背後には細身の悪魔が立っていた。輪郭は薄く、体の半分は影に溶けている。

 手にしているのは鎖付きの短い刃。視界に映る前に殺す距離だ。


 受け流した勢いを殺さずに腰を回す。

 全身を軸にして半身を入れ替えて影ごと前へ引き寄せるように一歩踏み込む。


 鎖が腕に絡みつくと皮膚が焼けるように熱くなった。

 鎖にも闇の魔力がまとわりついているようだが――構わず引き寄せる。

 手首が悲鳴を上げるが、無視する。


 距離を詰めた影の胸元に、左肘を叩き込んだ。

 透明なガラスを割るような感触と共に、影の胸が内側にへこむ。輪郭の薄い身体の中で内臓が破裂した気配が伝わってきた。


 その瞬間を狙っていたかのように冷たい気配が伸びてくる。

 呪術師の詠唱が終わり骨の冠が一際強く光った瞬間、私の肩口に黒い槍が突き刺さった。


「ぐっ」


 肩から背中にかけて、何かがまとめて裂ける感覚。

 骨ごと貫かれた。腕が一瞬痺れ、その隙を逃さないように矢が大量に降ってくる。


 矢が頬を掠め、耳のすぐ横を抜けた。避けきれなかった一本が鎧の隙間を割って脇腹に突き刺さる。


 呼吸をするたびに胸の内側が焼けるように痛い。

 腹の底から上ってきた血を吐き出して悪魔たちに向き直る。

 

 ――あと四体……。



年末年始はお休み頂きました。今日から再開します

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