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109話--仲介と銭湯--

 時間にして二時間ほど経ったころ、静まり返っていた部屋の扉が、きぃ、と控えめな音を立てて開いた。

 出てきたジャックは目の周りを真っ赤に腫らしていたが、その顔つきはどこか吹っ切れたように見えた。


「待たせて悪かったな」


 掠れた声。泣き疲れたあと特有の少しだけ喉が重たそうな響きだ。


「大丈夫だよ。妹さんの調子はどう?」


「ぐっすりと寝てるよ。苦痛のない、穏やかな寝顔だ」


「……そっか。よかった」


 胸の奥がじんわりと緩む。

 ジャックは「肩の荷が下りた」という言葉そのものの表情で、そっと扉を閉めると階段を下りていく。私はその後ろに付いていきリビングに戻った。


 椅子を一つ引いてこちら側に向きを変えたので素直にそこへ腰を下ろす。彼は向かいに座りひとつ息をついてから口を開いた。


「……報酬の話だ。貴重な素材に、市場に全く出回らない魔石……正直に言うと、俺の命以上の価値だ」


「そうなんだね。でも、命は要らないかなぁ……」


 変な方向に重くならないでほしい。

 思わず苦笑しながら返すとジャックは迷いのない目でこちらを見据えた。


「俺は、何をすればいい?」


 思いつめた表情。冗談でも適当にも流せない真剣さに、こちらの方が少し気まずくなる。

 とはいえ別に何か大それたことを望んでいるわけでもない。やってもらいたいことは現実的で、地味に面倒な作業ばかりだ。


「ジャックは、この階層で顔が広い方?」


「自分で言うのも何だが……広い方だと思うぞ」


 胸を張るでもなく淡々と言うあたり本当にそうなのだろう。


「じゃあ、私の手持ちの素材の売却と、装備一式を作れる人の手配をお願いしようかな。素材の売却益は私が九割ね」


「そんなことでいいのか……?」


 肩透かしを食らったような反応だった。

 ジャックからすれば朝飯前かもしれないが、こっちはこの階層に知り合いもツテも皆無だ。地理すらろくに把握できていない土地で信頼できる紹介をもらえるのは何よりありがたい。


「一割は仲介手数料ってことで貰ってよ。それでも多いって言うなら、しばらく滞在するためのいい宿を紹介して」


「……わかった。あんた、良い奴だな」


「ジャックほどじゃないよ」


 軽く言い合って、そこでふっと空気が和らぐ。

 交渉成立の証として手を差し出すとジャックも力強く握り返してきた。少し硬めの手のひらに、これまでの苦労が刻まれている気がする。


 私はポーチから素材袋と魔石袋を取り出してテーブルの上に中身を並べていった。


「ゴーレムの魔石五十個、ゴブリンキングの魔石一個、ジェネラルの魔石が二十個……あと、翼竜の魔石と鉤爪が五個と……」


「待て待て待て。これらの価値を知ってるのか!?」


 ジャックが慌てて手を伸ばしかけて途中で止める。


「さっきゴーレムの魔石が珍しいって言ってたから多めに出したんだけど……少なかった?」


「違う。多すぎるんだ。魔石は交易所を通した方がいいな……この階層じゃあ、とても捌ききれないだろう」


 またしても聞き慣れない単語が出てきた。

 交易所。単語だけなら何となく意味は察せるけれど、具体的にどういう仕組みなのかは知らない。


「交易所って何?」


「本当に何も知らないんだな……。食堂で十五層ごとに安全地帯があるって話はしたよな? 交易所は、ここより深層の奴らと取引ができる場所だ」


「へぇ……便利だね。深層の物は買えるの?」


「買えないな。自分の層より浅い層の物じゃないと買うことができないってルールがある」


 なるほど。

 深層に眠っている強力な素材を、浅い層で金にものを言わせて買い占める――そういう抜け道を塞ぐための縛りか。


「その中でもゴーレムの魔石は、深層の錬金術師や土魔法士に人気だ。交易所に出せば飛びつくように売れるだろうよ」


「じゃあ、もう二百個ぐらい……」


「……は? 一体何個持ってるんだ?」


 そう言われて初めて数えたことがなかったと気づく。

 魔石袋を手に入れてから、とりあえず見つけた魔石は全部突っ込んでいたせいだ。


 ――【全知】、魔石袋に入っている魔石の数ってリスト化できる?


『回答します。リストはこちらになります。

 ・ゴーレムの魔石:782個

 ・ジャイアントゴーレムの魔石:5個

 ・翼竜の魔石:32個

 ・風竜の魔石:1個

 ・ゴブリンの魔石:302個

 ・ゴブリンジェネラルの魔石:3個』


 頭の中に淡々とした声が響く。

 やっぱり一番多いのはゴーレムの魔石だ。五層目で魔石袋を入手してから延々と狩り続けてきた結果がこれだろう。

 ゴブリンの討伐も数は多いが、あれは十二層で倒した分しか拾っていない。魔石袋を手に入れる前に倒した分は置いて来てしまった。


「ゴーレムの魔石は八百個ぐらいかな?」


「はっ……!? それ、全部が傷一つない魔石か……?」


「そうだね」


「……市場が崩壊するから、全部で百個までにしてくれ」


「了解」


 ジャックが目に見えて頭を抱えたので、さすがに自重することにした。

 確かにこんな量を一気に出したら値崩れでこちらも損をする。そこまで商売に疎いわけではない。


 テーブルに並べていた魔石から追加で五十個ほど取り出して横にまとめて置く。


「ひとまず先に宿代だけ渡しておく。広場近くの大通りにある良い宿なら七泊はできるぐらいの額だ」


「ありがとう。そうだ、服を売っているところってある?」


「広場の大通りに行けば、なんでもあるはずだ」


「了解。じゃあ、よろしく頼むよ」


 ジャックから袋に入った金貨数枚と銀貨を受け取り家を後にする。

 扉を開けると外はさっきよりも少しだけ空が赤く染まり始めていた。階層の中だというのに、きちんと夕方らしさが用意されているのが妙におかしくもあり、感心もする。


(昼夜の概念まで再現してるんだね……本当に別世界なんだなぁ)


 そんなことを思いながら、来た道をゆっくりと戻る。

 ――とりあえず、先に服をどうにかしないと視線が痛い。


 通りを歩く人々の目線が、ちらちらとこちらの服に刺さる。麻布にモンスターの返り血べったりの格好なんて見物されるに決まっている。

 広場へ向かっていると煌びやかなドレスを飾った店がいくつか目についた。


「ドレスじゃないんだよな……」


 確かに綺麗だけれど今欲しいのは動きやすい服だ。

 周囲の店を眺めていると広場の中心に近いほど飾りの多い高級そうな店が目立つ。

 ということは広場から離れれば離れるほど安めの服屋が増えるはずだ。



 広場から少し外れた通りを歩いていると、ようやく普通の服を扱っていそうな店を見つけた。飾り気は少ないが動きやすそうなズボンやシャツが店先にかかっている。


 中に入り布地の厚さや動きやすさを確かめながら何着かを試着し、一番しっくりきた上下を購入してその場で着替える。

 さっきまでの血と汚れまみれの服は店主に頼んでまとめて処分してもらった。

 代金を払い店を出る。


「次は……宿か」


 新しい服は肌触りも軽く、布が身体に張り付かないだけでもだいぶ気分が違った。

 ただ、広場から離れるほど通りを歩く人間たちの視線が妙に鋭くなる。じろじろと値踏みしてくるような目、荷物に向けられた手付き。どうやらこの街でも外れに行けば行くほど治安は落ちるらしい。


 ジャックと服屋の店主が「良い宿は広場の近くだ」と言っていた理由がよく分かった。


「あとは……風呂とかあればなぁ……」


 返り血と汗と、匂い消しに使っていた薬草の匂いが混ざり合って、自分でも分かるくらいに異様な匂いになっている。服だけ替えても、身体から立ち上る疲労臭までは消えない。


 そんなことを考えながら歩いていると、通りの角にこじんまりとした雑貨店が見えた。

 店頭に並んだ商品を何気なく眺めていると、その中に洗髪剤と書かれた瓶があるのが目に入る。形状と用途からして、ほぼ間違いなくシャンプーだ。


「これと、石鹸と、洗体用の布をもらえる?」


「あいよ。銀貨三枚だ」


「はい。この辺に銭湯とかってあったりする?」


「うちの横の道をまっすぐ進むと銅貨五枚で入れる場所があるよ」


 軽口を叩くような調子のいい店主から品物を受け取り、礼を言って店を後にする。

 横道をのぞき込むと湯けむりの絵が描かれた看板がかかった建物がすぐに見えた。


(あった)


 思わず心の中でガッツポーズを決める。

 番頭に入浴代を払って通ろうとしたところで、ふいに呼び止められた。


「ちょっと、お姉さん。そっちは男湯だよ」


「……ありがとう」


 何も考えずにそのまま男湯に突撃するところだった。

 私の体は誰がどう見ても女なのだ。

 あのまま入っていたら変質者扱いは免れなかっただろう。危ないところだった。


 女湯の脱衣所に入り周囲をさっと見渡す。

 どうやら客は私だけらしい。貸し切り状態の静かな空間だ。


 壁に立てかけていた大剣をそっと隅に移して新しい服を脱いで籠に入れる。

 木の扉を押し開けると湯気が肌にまとわりついてきた。


 湯気の向こうには見慣れた光景が広がっている。

 洗い場、桶、湯船、壁に取り付けられたシャワーらしき器具――驚くほど日本の銭湯に近い作りだ。


 急いで洗い場に座り、石鹸と洗体布で全身を洗う。

 乾いた血のこびり付きや獣臭と薬草の匂いを何度も擦って洗い流していく。泡が赤く染まって排水溝へ流れていくのを見て、ようやく自分がどれだけ汚れていたかを実感した。


 髪も洗髪剤で丁寧に洗い指の腹で頭皮を揉みほぐす。泡と一緒に疲れまで流れていくような感覚だ。


 ひと通り洗い終えてから湯船に近づく。

 足先をそっと浸して温度を確かめる。少し熱いが、我慢できないほどではない。

 久しぶりに湯に浸かれるという誘惑に、あっさりと負けた。


 ゆっくりと肩まで湯に沈む。


「あ゛ぁ゛ー……生き返った……」


 思わず変な声が漏れた。

 ずっと張り詰めていた筋肉が、じわりと溶けていく。ゴーレムの拳を受け止めた時の鈍い衝撃や風竜の咆哮で芯まで震わされた感覚が湯の中に溶けて流れ出していくようだった。


 ここに来てから続いていた緊張と張り詰めた集中力が湯気と一緒に空へ昇っていく。

 ようやく――本当の意味でここが安全地帯であるという事を実感し、一息つけた気がした。


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