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107話--安全地帯--

 十層で風竜と死闘を繰り広げた興奮が、まだ血の奥でじりじりと燻っている。

 その熱を抱えたまま、私は淡々と階層を進んだ。十一、十二、十三――出てくるモンスターは強くなっているはずなのに、感覚の方が先に慣れてしまっていて、身体はただ作業のように敵を片付けていく。


 そして十五層目に足を踏み入れた瞬間、思考が一瞬固まった。


 人がいる。


 しかも一人や二人ではない。視界の端から端まで、人、人、人。

 通路の延長にある広場には、簡素だがしっかり組まれた建物がいくつも並び、布張りの屋台や露店のようなものまで見える。魔力の色ではない炎の色が揺れ、食べ物の匂い、生活の匂いが混ざった空気が鼻をくすぐった。


 どう見ても、一時的な野営ではなく定住している気配だ。


 ぽかんと広場の真ん中で立ち尽くしていたところで、背後から声が飛んできた。


「お、もしかしてお前さんは新入りか?」


 振り返ると二十代前半くらいの男が立っていた。

 荒事慣れしているような筋肉はついているが顔つきはどこか柔らかくて、言うなれば好青年という言葉の方が似合う。


「……ここは?」


 私が周囲を指すように問いかけると青年は「あー」と面倒そうに頭を掻きながら口を開いた。


「新入りが来るときは普通なら数百人単位でやってくるはずなんだが、なんで一人なんだ?」


 答えになっていない。

 質問の矢印が綺麗に別方向へ逸らされて、ほんの少しだけ眉間に皺が寄りそうになる。けれど、目の前の青年はどう見ても案内役の匂いがする。

 ここで噛みついても得はないだろう。


 ぶつぶつと独り言をこぼしている青年に改めて問いを投げた。


「ここはどこ? モンスターは? ボスはいないの?」


「お、おい待て待て。何も知らないのか?」


 青年が露骨に目を丸くする。


「ここが【試練の大迷宮】って呼ばれてることは知ってるよ。それだけかな」


「なるほど。基本的なことをまったく知らないんだな……それでよくここまで来れたな」


 頭をがりがりと掻きながら半ば感心したように青年が息を吐く。

 こっちとしては一層目で聞いた情報だけを頼りにボスを殴って転移石を砕いて進んできただけなのだけだ。


 何か言いたげに口を開きかけては閉じる青年を見ていて、ふと昔の癖を思い出した。

 回帰前、他のハンターから情報を引き出すときに重宝していた小ネタだ。


「ちょっと手、出して」


「ん? ああ、これでいいか?」


 差し出された掌に自分の魔石袋から取り出したものをぽん、と乗せる。


「はい、情報料。足りる?」


「ばっ――!?」


 青年の喉が変な音を立てた。

 言葉にならない声のまま口をぱくぱくさせてから、慌てて周囲を見回す。広場の喧噪を一度確認して、ようやく小声で耳元に顔を寄せてきた。


「……こっちに食事処がある。質問ならそこでいくらでも聞いてやる」


「ありがとう。案内よろしくね」


 素直に頷き、青年の後ろをついていく。

 人気のない路地に連れ込まれる可能性もゼロではないが……彼から漏れている魔力量をざっと測る限り、四層のボスの取り巻きだったゴブリンジェネラルより少し弱いくらいだ。何かあっても対処はできる。


 それに背中から漂ってくる空気が、どうしても面倒見のいい人そのものだった。

 そういう勘は外れたことがあまりない。


 彼は大通りから外れることなく人通りの多い通りをまっすぐ進んだ。

 やがて、煮込み料理の匂いと油の混じった暖かい空気が流れてくる。活気のある声と木のカトラリーが卓にぶつかる音が混じっている場所――大衆食堂だった。


 中に入った瞬間、視線が一斉にこちらへ突き刺さる。


 そういえば今の私は最初に装備させられた麻布の服に、ここまでの階層で浴びたモンスターの返り血を大量に染み込ませた格好だった。

 自分で言うのもなんだが店に入れてもらえるだけありがたい格好だ。


 けれど注目の理由は、それだけではないらしい。


「おい、【親切】のジャックがまた新入りを連れてきてるぞ!」


「ガハハッ。相変わらずお人好しなこった!」


 あちこちのテーブルから冷やかし混じりの声が飛ぶ。

 目の前の青年――ジャックと呼ばれた男が耳まで真っ赤に染めてそっぽを向いた。


 どうやら彼は私みたいな迷子を毎度のように保護してきているらしい。

 店の隅、壁際のテーブルが一つ空いていたので、そこに向かって腰を下ろした。


「騒がしいところですまねぇな。その服で入れる場所がここぐらいなんだ」


「気を使ってくれてありがと。それじゃあ早速なんだけど、ここは何? 何でみんなモンスターと戦わないで、普通に暮らしてるの?」


 ジャックは深くため息をついてから片肘をついて私を見た。


「おいおいおい、安全地帯も知らねぇのか。いいか? 【試練の大迷宮】には十五階層ごとに安全地帯が設定されてる。安全地帯にはモンスターもいねぇし、魔力濃度も安定してる」


 言われてみれば十五層に入った時からどこか胸のあたりが軽かった。

 これまでの層では、高地に登ったときのような、薄い空気を吸っている感覚が常にまとわりついていた。ここではそれがほとんどない。


「普通は一層に入った全員で階層を攻略していくんだ。最初に門が開いたときなら、数千人規模でいるはずなんだが……どうやってここまで来たんだ?」


「どうって、普通にボスを倒して転移石を砕いて進んだよ」


「……は? その時戦ってた仲間はどこにいるんだ?」


「一人で戦ってたけど……」


「はぁ!?」


 店内のざわめきとは別の意味で、ジャックの声がひときわ大きく響いた。

 隣の卓の冒険者らしき男が一瞬こちらを見て、しかし「またか」という顔で視線を戻す。


 もしかしてこの試練の大迷宮は、そもそもパーティープレイ前提の設計なのだろうか。

 これまでのモンスターの数も配置も、振り返れば確かに一人で相手をするには面倒なバランスをしている。


 大人数で前衛と後衛を組み、役割分担して戦うことが最初から想定されているなら……この難易度にも納得がいく。


 ここに来るまでの戦いを頭の中で早送りしながら一人でうんうん頷いているとジャックが諦めたような顔で口を開いた。


「傷一つないゴーレムの魔石をぽんと渡す時点でおかしいとは思ってたんだがな……あんた、庇護持ちだろ?」


「……庇護?」


「知らないのか? 本当に? ステータスに【○○の庇護】ってあるだろ」


 一層目で会った人たちが似たようなことを言っていた気がする。

 頭の中で自分のステータスを呼び出す。能力値、スキル、称号。ざっと見直していくが、それらしい言葉はどこにもない。


「無いね。ちなみにだけど、ゴーレムの魔石ってそんなに珍しいの?」


「欠片はよく流通してるさ。だが、倒す過程でボロボロになっちまうんだ。傷一つねぇ完全な魔石ってのは滅多に出回らねぇ。ほんとにこれ、どうやって倒したんだ?」


「普通に、胸元にあるコアをもぎ取ってだけど」


「……本当に人族か? ドラゴンが人に化けてるとかじゃないよな?」


「人族だよ」


 即答すると、ジャックは額を押さえて天井を仰いだ。


「ボスを倒してきたって言ってたけど、十層はどうやって突破したんだ? あの風竜は倒せる敵じゃないだろ」


「倒してきたよ。魔石もあ――」


「出すな。少し見えただけで分かる」


 取り出しかけた魔石を、魔石袋に戻す。

 ほんの一瞬、ジャックの周りの空気がぴり、と揺れた気がした。


「逆に聞くけど、ボスを倒さないで次の階層に行く方法なんてあるの?」


「十層は山から少し離れた場所に坑道がある。そこにいる管理人からクエストを何度か受けてこなすと転移石がもらえるんだ。坑道で労働するだけの簡単なクエストだ」


「つまり、風竜は倒す必要なかったってこと?」


「今まで倒されたって報告は一つもないな。いいか、ここのモンスター自体が数十人で囲んでようやく倒す前提なんだ。ボスなんて、それこそ総力戦だ」


 ジャックの言葉を聞きながら、ここに来るまでの戦闘の光景を思い返す。

 自分が今までどれだけ無茶なことをしてきたのか、ようやく少しだけ第三者目線で理解できてきた気がした。


「そのクエストってのは他の階層でもあるの……?」


「ある。1層は6人のパーティを組んでゴブリンを30体倒す、だ。……まさかそこもボスを倒して来たのか?」


「1層だけじゃないよ……15層に来るまで全部のボスを倒して来てるよ」


「……やっぱり人族じゃないだろ。本当はドラゴンが人に化けてるんだろ? そう言ってくれた方がまだ納得がいくぞ」


 ジャックが呆れた声で言った。

 1層で捕まっていた人たち……6人だ。そういうことだったのか……。

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