106話--風竜と宝箱--
風を裂く音が耳元をかすめた。
こちらが斬りかかるより早く風竜が翼を大きく広げて一気に上昇する。
さっきまでただ吹き抜けていただけの風が竜の身体を中心に渦を巻いて荒れ狂い始めた。
(まずは空を取られる、ってわけか)
大剣を構えたまま足を止める。
不用意に追いかけて跳躍しても、的にされるだけだと分かっていた。
風竜が口を開く。喉の奥で魔力が凝縮される気配。
次の瞬間、目には見えない何かが、一直線にこちらへ放たれた。
「風のブレス――」
大剣を前に出して半身を切る。
正面から受け止めるのではなく刃を滑らせるように角度を変えて風の奔流を弾く。
空気が唸り頬を薄く切り裂く痛みが走る。
ほんの少し遅れていたら今の一撃だけで胴体ごと持っていかれていただろう。
ブレスが通り過ぎたあと足元の地面が細かく削られているのが見えた。
石が削られて土がえぐれ、風だけで浅い溝が刻まれている。
(威力は高い。距離を詰める前に何回さばけるかが勝負ってところだね)
風竜は一撃で仕留められなかったことに苛立ったのか翼を打ち鳴らして高度を下げてくる。
今度は円を描くように盆地の上を飛び回りながら、斜めの軌道から何度も風の刃を飛ばしてきた。
風の線が幾重にも走る。空中に描かれた見えない斬撃を大剣を盾代わりにして掻い潜る。
時折、避けきれない軌道のものだけは足元を蹴って小さく跳躍し、ほんの数センチ単位で身体をずらしてやり過ごす。
地面に着地するたび足裏から振動が伝わってくる。
風刃が走り抜けた箇所は、まるで巨大な刃物で切り刻まれたように岩肌すら細かく切断されていた。
(真正面から打ち合ったら削り負けるか。なら、こちらからも遠距離攻撃を――)
風竜の軌道を目で追いながら、空中に指先で魔法陣を描く。
炎球でもいいが、もっと相性のいいものがある。
風竜の周囲を流れる風を、ひとつだけ掴むようにイメージする。
その流れに、自分の魔力を細く注ぎ込んで魔法陣を作り出す。
魔法陣が完成するのと同時に竜の進行方向の先で空気が歪んだ。
圧縮された空気の塊が、弾丸のように逆方向からぶつかる。【風弾】――その名の通り風の弾丸を作り出して相手にぶつける。
バチンと乾いた音が上空で弾け風竜の身体がわずかに揺れた。
軌道が滑り翼の片方が空振りしてバランスを崩す。
その瞬間を逃さず、私は地面を蹴った。
「はい、降りておいで」
自ら風竜の懐へ飛び込むように跳躍する。
竜の視線がこちらを捕らえた一拍遅れで大剣を振り上げ、その顎の下めがけて叩きつけた。
金属でも石でもない独特の硬さを持った鱗に鈍い手応えが返ってくる。
刃そのものは食い込むが骨までは届かない。
風竜が顎を振り上げる。
衝撃で体が弾かれ空中に投げ出された。
視界が一瞬だけひっくり返る。
そのまま背中から地面に叩きつけられる直前、体を捻って着地をして衝撃を逃がした。
土埃が上がる。肺の中の空気が一瞬だけ押し出されたが致命的なダメージには至らない。
ごろりと横転して立ち上がると風竜はすでに次の動きを始めていた。
翼が大きくはためき、風が渦巻く。今度は一点集中の風刃ではなく広範囲を薙ぎ払う竜巻だ。
地面の砂と石を巻き上げながら私の立っている地点へ襲いかかってくる。
「これは……正面突破は無理だね」
呟きと同時に背後へ後退――する振りを見せて一気に右へ跳ぶ。
竜巻の縁を踏むようにして風の流れに魔力を差し込んで軌道をずらす。
風の流れは私の【器】にある風と似ていて、それでいて違う。
完全に制御することはできないが、ほんの僅かなら噛み合わせを狂わせられる。
竜巻の中心が想定より少し外側へ流れていく。
その隙間を縫うように私は風竜の懐へ滑り込んだ。
今度は足を狙う。
大剣に魔力を集中させ、鱗の隙間を狙って斜めから切り上げる。
鱗が何枚かまとめて飛んだ。風竜が低く唸り身体をひねって尾を叩きつけてきた。
尾の動きは速く、重い。
まともに受ければ骨ごと持っていかれる。
私は大剣の柄を両手で握ったまま、尾の軌道へ半歩踏み込む。
刃の背で尾を受けて滑らせるようにして力を逃がす。
同時に足元の地面を強く蹴り、風竜の腹の下にもぐり込んだ。
(竜系のモンスターの腹側はやわらかいはずなんだけど)
試すように踏み込んだ勢いのまま拳を突き上げる。
拳に纏わせた魔力を一点に集中させ鱗の裏から肉を抉るイメージで打ち込む。
肉の奥で何かが軋む鈍い感触。
続けざまに、左右から二発、三発と連打を叩き込む。
風竜が苦鳴のような声を漏らし身体を大きく跳ね上げた。
腹の下から追い出されるように私は地面に叩き出されるが、転がりながらそのまま距離を取る。
風竜は数歩分後退し翼を大きく広げて空へ舞い上がった。
さっきよりも荒々しい風が盆地全体をかき乱し始める。
『手汗握るの戦いに戦の神が前のめりになっています』
『戦争の神が「人間と風竜の戦いは初見」とコメントしています』
視界の端に青と赤のウィンドウがちらつく。
集中したい時に限って、あの連中は騒ぎ始める。
「観戦してるなら静かに見ててほしいんだけど」
ぼやく暇もなく竜の動きが新しい段階に入った。
風竜が高く舞い上がり、その場で翼を広げたまま静止する。
周囲の空気が不自然なほど静まり返る。
次の瞬間、竜の身体を中心にして無数の風の矢が一斉に生成された。
それぞれが風刃の小型版のような速度と鋭さを持っていて、まるで雨のようにこちらへ降り注いでくる。
(広範囲無差別攻撃か……厄介だな)
全てを刃で弾くのは不可能だ。
私は大剣を背中に戻して代わりに両手を前に突き出す。
魔力で薄い膜を幾重にも重ねるように展開し、風の矢の軌道を滑らせていく。
風竜の風に自分の風を重ねるのではなく少しだけ流れを外すように引っ掛ける。
何十本、何百本という風の矢が私の周囲をかすめながら地面へ突き刺さっていく。
防ぎ切れなかった数本が腕や脚を浅く切り裂いた。
血の匂いが風に混じって漂う。
痛みそのものは大したことはないが、じわじわと体力を削られているのが分かる。
(長期戦は不利だね。なら、地上に引きずり落とすか)
風竜が空にいる限り、あちらの方が有利だ。
ならば相手の土俵ごと変えてしまえばいい。
私は地面に手をつき、盆地全体に魔力を巡らせ魔法陣を構築する。
風竜の真下に足場を一瞬だけ作る。地面から突き上げるように大地が競り上がった。
風竜の身体がわずかに持ち上がり翼のバランスが崩れた。
その瞬間、大気中の風の流れが乱れ竜の身体が横滑りする。
空中で体勢を立て直そうとしたところに私はすでに跳躍して風竜の翼へと全力の回し蹴りを叩き込む。
風竜の翼骨が嫌な音を立てて折れ、半分ほどが不自然な角度に曲がった。
バランスを完全に失った竜が地面へと墜落していく。
砂煙と石片が飛び散り轟音が盆地に響き渡った。
風竜はそれでもすぐに立ち上がろうとする。
折れた翼を庇いながら今度は地上戦に切り替えるつもりみたいだ。
「次は私の土俵での戦いだね」
大剣を構え直し、ゆっくりと歩を進める。
風竜は低く身を沈め口元に風を集め始めた。
さっきの風のブレスとは違い、ねっとりとした風の気配。
ただの風ではなく風に圧と重さが加わっている。
竜の口から放たれたそれは一本の巨大な槍のような風の塊だった。
地面を抉りながら一直線に突き進んでくる。
私はそれを真正面から迎え撃つ。大剣に魔力を集中させ刃の表面をなぞるように風の流れを作る。
風と風をぶつけ合うのではなく触れた瞬間に受け流すための道筋を用意する。
巨大な風槍と大剣がぶつかり合い、耳を裂くような轟音が響いた。
――足が地面ごと後ろへ押される。
靴の裏で土を削りながら、それでも一歩も膝を折らずに耐える。
風槍の圧がわずかに落ちた瞬間を逃さず一気に横へ弾いた。
逸らされた風の槍が後方の山肌を貫き、大穴を穿つ。
(今のを受けそこなっていたら、多分即死……)
背筋にじんわりと冷たい汗がにじむ。
互角、あるいはそれ以上。最初の直感は間違っていなかった。
けれど互角なら勝ち筋はいくらでもある。
「そろそろ、私の番かな」
大剣をいったん地面に突き立て、全身の魔力を高速循環させる。
――血管と魔脈がはち切れそうな勢いの圧に耐えているのが分かる。
私は突き立てていた大剣を引き抜き、風竜の懐へ全力で踏み込んだ。
魔力を刃先に集中させ鱗と骨の隙間を狙って突き立てて、気を失わない程度に持てる魔力の全てを流し込んだ。
金属でも骨でもない硬質な感触を越えた瞬間、刃が肉と熱に包まれる。
手に伝わる竜の鼓動。そのリズムを感じながら、さらに奥へと押し込んだ。
風竜が喉の奥から押し殺した悲鳴のような音を漏らす。全身を包んでいた風の流れが制御を失ったように暴れ始めた。
私は大剣から手を離して後ろへ跳ぶ。
次の瞬間、風竜の胸部が内側から膨らみ圧縮されていた魔力が一気に解き放たれた。
爆発音というより巨大な袋が破れたような低く重い破裂音。
竜の体が仰向けに倒れ込み、砂煙と衝撃波が周囲に広がる。
吹き飛ばされる小石が頬を打ち、髪が乱暴にかき混ぜられる。
やがて、風が静まった。
風竜は、胸から上が大きく抉られたまま、ぴくりとも動かない。
鱗に覆われていたはずの胸郭はひしゃげ、中ではついさっきまで脈動していた心臓の欠片が黒く焦げ付いていた。
しばらくのあいだ、私はその場を動かずに警戒を続けた。
薄く広げた魔力を竜の身体の隅々まで滑らせていく。どこにも反応は返ってこない。
「……よし」
ようやく息を吐く。
肩に入っていた力を抜きながら倒れた竜の頭の方へと歩いていく。
額の中心部が淡く光を放っていた。
戦闘の最中も気配だけは感じていたが近づいてみると、そこだけ鱗の重なりが不自然に分厚い。
鱗の隙間に指をねじ込み、力を込めてこじ開ける。
ばきり、と骨とは違う硬質な音がして、ひとかたまりの鱗が剥がれ落ちた。
その内側――竜の頭蓋に埋め込まれているような位置に、やはり転移石があった。
他のボスのものより、わずかに大きく風竜の魔力をまだ少しだけ帯びているのが分かる。
掌に転移石を乗せる。冷たく硬い感触が、戦いの熱をようやく落ち着かせてくれる。
『称号:風を裂く者 を獲得しました』
『戦の神が満足げに頷いています』
『戦争の神が満足げに頷いています』
頭の中に【全知】とは違う無機質な声が響き、視界の端に新しいウィンドウが開いた。
内容を確認したくなる衝動を、いったん飲み込む。次の階層に行ってから確認しよう。
――そのときだ。
転移石を手の中で軽く転がしていると、盆地の端の方から、かすかな違和感が届いた。
魔力というより視線の隅に引っかかるような、人工物特有の直線の気配。
「……あれは」
風竜の巨体を迂回して近づいてみると、岩陰に、ぽつんと不釣り合いなものが置かれていた。
古びた木製の箱。金属の帯で補強され正面には簡素な錠前。どう見ても宝箱だ。
「もしかして5層毎に宝箱がある……?」
念のため周囲を探知する。
新しい魔力反応はない。罠の類いも感じられない。
これでミミックだったら、さすがに怒る。
そう結論づけてから、しゃがみ込んで錠前に指をかける。
魔力を少しだけ流し込むとカチリと軽い音を立てて錠前は勝手に外れた。
蓋を持ち上げると油の切れた蝶番が、ぎい、と間の抜けた音を立てた。
中に入っていたのは意外にも二つだけだった。
柔らかそうな革で作られた、口の広い袋。
ポーチの中に入っている魔石袋より一回り大きく、表面にはモンスターの骨や牙を模したような模様が刻まれている。
そしてもう一つは折り畳み式のサバイバルナイフだった。
「……なんだろう、これ?」
袋の方を手に取った瞬間、【全知】の声が脳裏に響く。
『こちらはアイテム名:素材袋です。モンスター由来の素材なら何でも収納可能。
内部は拡張空間のため重量は大幅に軽減されます。生素材の鮮度維持効果付きです』
「やった」
思わず、本音がぽろりと漏れた。
今までは、素材を拾うたびに腰のポーチがずっしりと重くなっていった。
翼竜の素材も、ここまで運ぶ間に結構な荷物になっていたし、これから先も強敵を倒せば倒すほど荷物事情が悲鳴を上げるのは目に見えている。
袋の口を開いて、試しに風竜の鱗を一枚放り込んでみる。
革袋とは思えないほど、すっと吸い込まれていった。中でぶつかる音も重みもほとんど感じない。
「これは便利すぎる……」
ついでに、翼竜の爪や尻尾もまとめて移し替える。
素材袋の中でがちゃがちゃと音がするのかと思ったが、放り込んだ途端に音も気配も消えてしまった。
おそらく、内部できちんと仕分けされているのだろう。
軽くなったポーチをぱん、と叩く。
腰回りが急に軽くなり肩の力まで抜けた気がした。
「よし、あとは……こっちは何だろう」
『アイテム名:解体ナイフです。死骸に使用する場合に限り対象の抵抗を無視します』
――は?
試しに硬くて素材を断念していた風竜にナイフを当てる。
まるでバターを切るかのようにすんなりと刃が入った。
……素材袋を手に入れた時の衝撃以上の高揚感がやってきた。夢中になって風竜を解体して素材袋に詰める。
気が付いたらそこに残っているのは風竜の血だまりだけだった。
「こんなに良い物が入っているなら宝箱は積極的に開けよう……」
『賭博の神が頷いています』
『博打の神が頷いています』
ちょっと不安になる神々から賛同を得てしまった。ウィンドウを消して素材袋と魔石袋、解体ナイフを腰のポーチに収納して再び転移石を手のひらに乗せる。
転移石に残っていた風竜の魔力の残り香が、ほのかに指先をくすぐった。
掌の中で転移石を握り込む前に、もう一度だけ盆地を見回す。
荒れ果てた高原、抉れた地面。
ここで戦ったことは私にとって良い糧になった。
「いい相手だったよ」
心の中で小さく礼を言う。
それから、転移石を強く握り潰した。
骨の奥がふわりと浮き上がる。
視界がねじれ、荒れ果てた高原が遠ざかっていく。
代わりに、新しい景色がゆっくりと立ち上がり始めた。




