遠くに見える海を見ていたんだ
海の話を夏に描きたかった
そんな爽やかな印象を台無しにする 尾籠な単語が頻出するので 食前食中は閲覧をお控えください
尾籠がわからない時は検索。または本文を読むと具体的に書いています
虫もいます
屋根裏のごく小さなあかりとりの窓から遠くに海が見える。防風林と白っ茶けた木造の小屋のさらに向こうにキラキラと初夏の光を反射させる波と深く青黒い海。歴代の住人たちの年季の入ったガラクタの隙間に潜りこんで埃っぽい床の上に膝を抱えている。
青く見えるあの海はブルーオーシャンなんかじゃない。母なる海は多産でミッチミチに過密なレッドオーシャンだ。海に向かう窓が小さいのは防衛の為だ。海からは様々な恵みと災厄が齎される。
そんな土地に自分はいる。と言うことに昨夜気づいていろいろとものを思う都合があってここに潜んでいるのだ。そう、たくさん考えるべきことがあるのよ、わたしには。
「坊ちゃーん。いつまで拗ねているんですよぅ。大丈夫。時々誰でもあることですからねー!ウチの爺様は飲むと脱糞だからっ!」
デカい声で屋根裏の戸口から声をかけてくるのやめろ。その言い方だとわたしがなんかやったみたいじゃないか。
いま、わたしの心に抱えているのものが大きすぎるから!気持ちの整理がつくまでそっとしておけよ!
「もう靴も乾いたから平気ですったらぁー!」
デリカシーのないバカ声で喚いているのはトム。成人間際の若造で親指トムと皆に呼ばれている。なんでかって言うと彼が師事しているのがショーティサムでトム育成の為のコンビを組んでる。36歳。今は独身。金はないけど古傷は有る。二人はわたし付きの使用人だ。物置きのガラクタをくぐって進む小柄なわたしにつくくらいだから彼らもまた小兵かっていうと、周りの人間の中でもとりわけ大きい部類になる。だから入って来ないで大喚きしているんだけど。
「もう、臭くないですったらぁ!!」
「黙れ。ボケナス!これ以上辱めるなら身投げするぞコラ!」
わたしが黄昏ているのは、そのことではない。ないけれど!その時のことがいろいろ去来しているのだ。
未明、わたしは自然の声に導かれ室内履きをつっかけてトイレに向かったらしい。寝ぼけていたので半眼で用を済ませようとしていたんだけど
遭遇したのだ!
そこに居てはならぬものがいたのだ!冷たい石の床の上に木の葉によく似ていつつも絶対にダメなアレが!
風呂場とかトイレに何故出現するんだろう?若草色の。
カマドウマ。
まじでムリ。なんなの、この異形。しかも跳ねるんだよ?こっち見んな。顔ヤバい。
ヒィィィィぅぅ。。。ぁぁぁ。。
悲鳴は咄嗟に出ないものだ。
震える太ももから膝をつたい室内履きから、出たものが石の床に溢れる。
寝巻が生暖かくなった後、冷たく濡れて肌に張り付く。
この年で粗相とか。マジか。いや、それより目の前のカマドウマを!
眠ったまま動いていたけれど、緊急事態に瞳孔がガン開き。尿臭の漂うトイレで覚醒して戦うのか!
せめて起きて、あるいは用を済ませていれば、もう少し状況が変わったと思うけれど。
無手のわたしは涙目で敵と対峙していると、重い足音が複数床を鳴らして駆けつけた。
「どうしたっっ!!!」
ドカンと扉を吹っ飛ばすように開いて叫ぶようにわたしの安否を確かめる。野太いしわがれ声のおっさん。そしてトムも。
まさか カマドウマに動揺した挙句、トイレに失敗したとか絶対知られたくない。
「なんでもない。まだ早いから戻って休みなさい」
なんでもないってことはない。扉を開けた瞬間臭うからね。そして水たまりアリだよ。一瞥して分かるわ。見られた。。。
羞恥で涙目のわたしは抵抗虚しく、プリっと全部剥かれて、洗浄お着替えの後、布団に突っ込まれた。自分で片付けることさえ許されず。
尊厳はズタボロだよ。
この身に起きた不幸がせめて夢であるならば。いや、その場合絶対布団に地図を描いているシチュじゃないか?それもダメだ、断固お断りだ。悪い夢のようなこの状況で、更に悪いことに気づく。
わたし。
なんだよ?わたしって。でもわたし、なんだよ。わたしはカマドウマ絶許の成人女性なんだけど、駆けつけたサムとトムに坊ちゃん呼ばわりされているように男児。膀胱から溢れる生暖かいものと共に何かが脳裏に、現れた。
いらねぇ。心から要らない。出るな。しまえ。
床に溢れたモノは戻らないし、脳に記されたものも消えない。わたしはカマドウマを嫌う成人女性。小さい頃からオカンと言われたオンナ。唐突にあの瞬間、わたしの自我が目覚めた。カマドウマ嫌い以外の様々な情報がダバダバと溢れるように注がれる。今までのここでの暮らしに被せるように3歳初めての海水浴、みかん狩り遠足、志望校不合格、わたしが先に好きだったのに、特筆するもののない恥の多いどうでもイイようなアレコレだよ。ほんとうに要らないね!
どうするんだよ。このまま自称女性とかややこしいこと言うの?カムアウトされる周りの困惑はどうすれば良いの?かと言ってもう女性として自認してるから『青年』にはなれないだろう。
物語でイロモノちょい役に重宝なオネエとかが、まだ恵まれている。なんて思わなかった。オネエで弄ばれている不快な状況すら、わたしは許されない。独身で自立する。それが望めない。
坊ちゃんと呼ばれるほどわたしの身体はまだ幼い。お腹ぽっこりで手足は棒。なのに既に将来は絶望的だ。
「早く老人になりたい。しわしわになってしまいたい」
でもオムツの世話にはなりませんように