1-3
「――まずい遅れた!」
レンは焦っていた。
祭りが始まるまで少し時間があったので、付近の店に何軒か寄って時間を潰していたのだが、ついつい長居してしまったのと、近いといっても比較的、というだけで、徒歩で30分程度とそこそこ距離が離れていたため、慌てて神社に戻ってきた時には既に祭が始まっていた。
柔らかな光で足元を照らし、道案内をしてくれるような赤い灯籠が規則正しく並ぶ、長い石段を息を切らしながら駆け上がる。
灯籠の光は濃密な夜の闇に淡い輝きとして浮かび上がり、木々の間をかすかに反射して幻想的な光景を作り出し、頭上には木々から吊るされた無数の提灯が風に揺れて、暖かなオレンジ色の光がお祭りを楽しむ人々に祝福を与えるかのようにあたたかく降り注ぐ。
とても美しい情景だが、それに見惚れている余裕は彼には無かった。
ようやく階段を登り切ると、境内には行き交う無数の人々の歓声や笑い声が響き渡り、賑やかながらも平穏な空間が広がる。
本殿や拝殿といった神社の建物がライトアップされ、朱色の柱や屋根が際立っている。
境内の最奥に位置する本殿へ続く参道には、参拝者とともに屋台がずらりと並び、甘い香りや焼き物の香ばしい匂いが漂い、空気にはお祭りの活気が満ちている。
山中にあるとはいえ、それなりに名前の知られた神社ゆえか、浴衣を着た参拝者は多く、境内にずらりと並ぶ屋台に行列を作ったり、狭い道を行き来して進むにも一苦労だ。
レンはここに着いてから喫茶店で軽めの軽食しか摂っていなかったので空腹を覚えており、たこ焼きやいか焼き、焼きそば、焼きトウモロコシ、唐揚げ、りんご飴、チョコバナナといった様々な食べ物に目移りしてしまう。
しばらく歩き回っていると喧騒の向こうから太鼓や笛の音色が聞こえ、気になったレンは音のする方に向かう。
「あれは……」
目の前に広がる光景に、レンは一瞬息を止めた。
夜の帳が降りた境内、灯りが柔らかく揺れる神楽殿で、狐面を被った巫女が神楽を奉納している。
その面は神秘的で、白の狐の顔に描かれた赤い模様が、照明の中で時折輝きを放つ。
伝統的な白と赤の装束がひらりと舞い、彼女の動きと共に空間にその色彩を描き出す。
上から吊るされた提灯と境内に並ぶ灯籠の放つ明かりはまるで巫女の踊りを包み込むようだ。
巫女の動きはしなやかでありながら力強く、足の踏みしめる音や衣装の擦れ合う音、手にした神楽鈴の音と共に神楽の音色がゆっくりと境内を満たし、太鼓の低い音が地響きのように響き、笛の高い音が霊的な空気を生み出している。
巫女の神秘的な舞に、レンをはじめとしてその他の観客も息を飲むようにその姿を見つめていた。
そしてレンは狐面を通して伝わる巫女の視線を感じていた。
纏め上げられた虹色の髪、狐面でも隠すことのできない狐耳と装束から飛び出す尻尾はまさしくイノリのものであり、レンは思わず顔を赤くする。
(綺麗だ……)
初めて生で見る巫女の神楽にレンは思わず見惚れてしまう。
神憑りした巫女が神楽を舞い、それを観るレンはまるで自分が祓い清められるような感覚を覚えた。
ずっとこの神楽に魅入り、聴き入っていたいと、そう思うほど、その心地良さに身を委ねてしまう。
霧がうっすらと漂い、木々のざわめきが遠くで聞こえる中、この舞台の光景はしっかりとレンの目に焼き付いていた。
「……!?」
しかし突如としてレンは現実に引き戻された。
それは今までに何度も感じていた違和感。
静電気が一瞬肌を走り、冷たいものに触れたかのような、本能が告げる警告のようなもの。
それが意味するのは、
「無骸霊……!?」
その名を口にした直後、霊園の方で夜の闇を切り裂くような赤黒い炎柱が発生し、その奥から複数の無骸霊が蠢きながら這い出るのが視認できた。
神社に集まっている人々の周囲に警告のホログラムウィンドウがアラームつきでいくつも浮かび、悲鳴や怒号があちこちで連鎖的に生まれる。
「――皆さん急いで避難してください!」
舞台上の巫女が避難を促し、慌てて人々が鳥居のもとへ殺到する。
しかし動きそのものはスムーズで、パニックなどは生じておらず、子供やお年寄り、女性が優先して逃がされている。
良くも悪くも人々が無骸霊という脅威に慣れているということだろう。
「なんでこんなところにも……!」
避難している人々全員が抱く気持ちを代弁したレンが無骸霊を睨みつける。
とはいえ彼に戦う力は無いので大人しく逃げるしか無い。
そんなわけでレンも最後部に居る、屋台で綿あめを売っていた恰幅のいい中年男性に続いて鳥居を目指すが、
「しまった、障壁が!」
レンが鳥居をくぐろうとしたところで突然、見えない壁が生じ、レンは鳥居の外に出ることが叶わなかった。
「ボウズ! なんてこった、あの若さで俺たちの殿を務めて散るのか……!」
「なんで散ること前提!?」
レンは綿あめ屋のオヤジにツッコミつつ、改めて神社の境内から大分離れた霊園を確認する。
無骸霊の数は3体で、見た目はどれも昼頃に駅で遭遇した“獣”型と同じタイプだ。
それらは墓石をよじ登りながらゆっくりとこちらに向かってくる。このままでは無骸霊の餌食となるのは必至だ。
「レンさん!? なんでまだここに!?」
すると避難誘導していたイノリが狐面を外し、レンに呼びかける。
「障壁の中に閉じ込められた!」
レンはコンコンと、見えない壁を軽く拳で叩く。
「わかりました、なるべく無骸霊から距離を取っていてください。こちらがすぐに片付けるので」
イノリが巫女装束を脱ぎ捨て、髪を解き、いつもの格好となる。
一瞬ここで着替えるのかと思ったが中に私服をちゃんと着ていて良かった。しかし少し残念に思ったのは何故だ。
「ええと――片付けるって、イノリって葬奏者なのか?」
「はい。巫女との二足のわらじというやつですね」
彼女は霊子空間――現界と霊界の狭間に位置する“境界”にアクセスし、格納されたソレを取り出す。現界に引き出されたソレは実体を持たない“波”の霊子から実体を持つ“粒子”の霊子として一瞬で再構築されていく。
「――“天照神光”!」
その名を呟くイノリの背後には、両刃の剣のような鋭いエッジを持つビットが8つ、円を描きながら浮かび、配置されていた。
ビットのエッジ部からは黄金の光刃が発振しており、それがまるで神仏のような神々しさを見るものに感じさせる。
闇の中においては尚更その輝きは眩しく、目を細めたレンはまるで太陽が目の前に浮かんだのかと錯覚するほどだ。
「――行きます」
イノリはじわじわと迫る無骸霊たちに対し、退避ではなくまず距離を詰めることを選んだ。
霊園を戦場として墓石を無闇に傷つけないためと、レンから狙いを逸らすためだ。
玉砂利の地面を蹴り、勢いをつけて身体を前に進める。
更に背後の8つのビットの後部から霊子を噴出させて推力を得、それと同時に周囲に力場を形成して、空気抵抗を限りなく0とすることで一瞬で無骸霊たちの目前に至る。
無骸霊たちは即座に反応し、ひょろ長い腕を鞭のように振るうが、イノリは背後に手をやり、8基のビットのうちの2基を両手に剣として装備すると、目前に迫る3本の腕を弾き返した。
更に6つのビットが眩い光を一瞬放つと無骸霊たちの体がふわりと浮き上がる。
その体は一気に10メートル以上に達し、じたばたと藻掻くが地面に戻ることは叶わない。
「――纏神神楽」
それが彼女の“霊能”。
万物を構成する霊子に働きかけ、自身の周囲の空間を支配するというもの。
今、彼女が行ったのは“重力”の制御であり、無骸霊の周囲だけ重力を弱らせ、宙に浮かばせたのだ。
イノリは両手に持っていたビットをその場に放り、腕を前に突き出した。
すると宙に浮かぶビットが一斉に自律行動を開始し、イノリの頭上で抵抗している無骸霊たちのもとに殺到すると、光刃で縦横無尽に斬り刻んでいく。
その熾烈とも言える攻撃にレンは息を呑む。
(やっぱりナマで見る葬奏者ってみんな迫力あるなぁ……)
駅で絡んできたサイボーグ男については無視する。あれはひどい例外だ。
上空で全身を無残に細切れにされた無骸霊たちが青い霊子の炎に包まれ、消えていく中、呑気にそんな感想を抱いていると、背後にビットを戻していくイノリがほっと一息ついた。
「なんとか霊園が無事で良かった……」
イノリが配慮したおかげで戦闘の余波で壊れた墓石は見当たらない。
レンの“おやっさん”の墓石も無事だ。
自分が危険になるリスクを顧みず死者の安寧を優先するイノリの思いやりにレンは感謝した。
「ありがとう、助かったよ」
「いえいえ。ええと、障壁はどんな感じですか?」
「あれ? まだ解除されてない」
レンは目の前にある壁を再び叩く。普通ならこれを展開する無骸霊が消滅すれば自然に障壁も消える筈だが、
「新手の無骸霊……!」
イノリが警戒感を強める。
レンも彼女が見ている方を確認すると、そこには先ほどのものより大規模な、赤黒い炎柱が生じており、その中から新たな無骸霊が姿を現している最中だった。
「大きい……」
レンがごくりと息を呑む。
それはまさしく“怪獣”だった。
全長は5メートルはあり、頭部に2本の角と口に鋭い牙を生やし、蝙蝠のような翼やワニのような尻尾を持ち、鬣を風になびかせて唸るそれは鬼のような竜のような、獣のような名状しがたい姿をしている。
「……っ!」
まず動いたのはイノリだった。
彼女は背後に8つ浮かぶビットのうち4つを前方にやり、そのうち2つを両手で取り、余った2つはそのまま前方に配置する。2つをメイン攻撃、他の2つをサブ攻撃、それ以外を推進器として運用する形だ。
イノリはまず手にしたビット2基から霊子ビームを放つ。
対する“怪獣”が即座に身を屈めて躱すが、浮遊する2つのビットが“怪獣”の背後を取り、霊子ビームを発射した。霊子の青白い飛沫とともに爆発が生まれるが、イノリは違和感を覚えた。
(――効かない!?)
イノリが僅かに眉をひそめる。
確かにビームは直撃したが、“怪獣”の背中に傷は付いてない。
どうやら見た目以上に防御力が高いようだ。
すると今度は“怪獣”が動き出した。
まずは身を屈めた状態から一気に地面を蹴り、イノリに迫った。
土塊とともに、土埃が爆発的な勢いで舞い上がり、視界を遮る。
イノリは咄嗟に横に飛ぶが、直後に先ほどまで彼女が立っていた場所を砲弾のような勢いで“怪獣”突き抜けた。
(見た目よりも速い……)
イノリは背筋に冷たいものを感じた。
防御力、速度、攻撃力全てにおいて高水準で、かなり強力な無骸霊であるのは間違いない。脅威度でAランクは下らないだろう。
イノリは霊園を戦場とすることを望まず、霊園を取り囲む鎮守の森で無骸霊を迎え撃つことを選ぶ。
草木が生い茂る夜の森は祭りの提灯や屋台の明かり以外の光源が無く、とても暗いが、葬奏者の標準能力である身体機能強化により、夜目が利くのでさして問題はない。
それに加え、ここならばレンが巻き添えを食らう可能性も低いし、木々が多いため巨体の敵は機動力を活かせない、という算段だ。
もちろん八百万の神を信仰する自身にとって、神聖な森を傷つけることもなるべく避けたいところである。
しかしそんなこともお構い無しに“怪獣”は勢いのままに森に侵入し、大木をいくつも薙ぎ倒しながらイノリに迫る。
速度はおおむね維持したままで機動力の低下はほとんど見られない。しかしそれでも僅かに動きに遅延が生じる。
「そこ!」
イノリの命令に従い、ビットが重力制御の力場を展開したことで倒れた木の幹や枝、木の葉、土や石などありとあらゆるものがその場から浮き上がった。
“怪獣”も耐えていたが、出力を上げるとそのまま浮上する。
続けてイノリは“怪獣”の背後にある木の陰から飛び出した。狙うは無骸霊の心臓部である胸部の霊核だ。
彼女は手にしたビットを2基連結し、大剣を形成して切っ先を“怪獣”の胸部に刺し込もうとした。
「!?」
しかしその時異変が生じた。
突如としてイノリが展開する天照神光が稼働を停止したのだ。
まず発振されていた光刃が消失し、続けてパネルラインに走る光が消え、ビット本体が落下し、地面を転がる。
「これって……!?」
イノリが零した戸惑いの言葉をレンは聞いていた。
彼女は輝きを失い、沈黙した葬奏機の起動を何度も試みるものの、エラーを示すホログラムウィンドウが幾度も表示されるのみだ。
そして天照神光が無力化したのに伴い、重力制御の霊能も効果を失って、浮き上がっていた枝葉や石、土塊とともに“怪獣”は大地に太い足を着けた。
イノリはひとまず、葬奏機の再起動を諦め、“怪獣”から距離を取った。
しかし“怪獣”の動きは更に速く、イノリの目前に“怪獣”の拳が迫る。