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「“神群”~“神群”~お出口は右側です」
目当ての駅に到着したことを告げるアナウンスで、少年は目を覚ました。
ローカル列車である古めかしい蒸気機関車風の車両から、人混みの流れに乗って線路に沿って伸びるプラットホームへ足を踏み出す。
プラットホームには次々と列車が行き交う音と、駅員や館内放送のアナウンス、商品コマーシャルなど、様々な音に溢れており、壁や柱の付近には路線図、時刻表、遅延情報などがホログラムウィンドウで掲示されている。
しかし何よりも目に付くのはごった返す大勢の人々だ。
行き急ぐビジネススーツ姿の若い男性は額から鬼の角を生やす一方で、大きな旅行鞄を抱え、ベンチにのんびりと座っている女性の観光客は白い天使のような翼を生やしている。
その他、柱に寄り掛かってホログラムウィンドウを操作する獣の耳や尾を生やした人、列に並んで通話をするグレイ型宇宙人の面影を感じさせる見た目の人、風を切るようにして歩くガラの悪いサイボーグなどがそこに存在する。
(遂に新天地に来てしまった)
ホログラムウィンドウでホームにデカデカと掲示されている“神群”という駅名を眺め、改めてそう思う。
すると右肩に衝撃があり、わざとらしく「痛っ」とぼやく声が聞こえた。
「オイ兄ちゃん、人にぶつかっておいて謝罪もねぇのか?」
「?」
右前を確認すると、そこには2メートル近い巨体の、手足や目などの人体の一部を機械化した強面の巨漢が、少年を睨み顔で見下ろしていた。
「シェイクが溢れて俺の服が汚れたんだよ! どう落とし前つけんだ!? ァア!?」
サイボーグ男はこれ見よがしに上着の裾についたシェイクの汚れを見せつけてくる。フレーバーはストロベリーのようで、ピンク色のクリームの所々に赤い果肉が付いている。見た目に似合わず甘党らしい。
(こっちの上着は汚れずに済んでよかったなぁ)
少年は自分の格好を確かめる。
黒いフード付きのコートの袖は広く、この神群では一般的な、和服とカジュアルファッションを折衷したデザインだ。
「ヘヘッビビってますよコイツ。たんまり搾り取ってやりましょうぜ兄貴!」
ゴーグルを被った、痩せ型で背の低い取り巻きの男が囃し立て、面倒なやつに絡まれた、と少年は内心でため息をつく。
こういったシチュエーションには慣れているとはいえ、うんざりするものだ。
「何黙ってんだ? オレ、“葬奏者“だぜ」
サイボーグ男は腕に装着したグローブ型の葬奏機を見せつける。
所々に細かい傷が刻まれた、随分と年季の入った葬奏機だ。
それを目の当たりにした、通りすがりの人々はざわめきながら距離を取る。
なんせ、如何にもな見た目をしたサイボーグ男が、危険な“武器”を掲げているのだ。力のない人々は刺激しないように努めるしかない。
一方で少年は恐怖や不安といったものを態度に出さず、静かにサイボーグ男を見据える。
すると逆にサイボーグ男がたじろいだ。
おそらく今までにない反応だったのだろうが、子分が近くにいることで、ナメられるものかとすぐに気迫を取り戻し、あからさまに声を荒げた。
「テメェ舐めてんのか!? 痛い目見たくなきゃさっさと金出して――」
サイボーグ男が少年に掴みかかろうとし、周囲から「うわ」という声が漏れる。
しかし少年は、サイボーグ男をひょいと躱して無視し、
「無骸霊だ」
サイボーグ男の標的となっているにも拘らず、少年は別のものに意識を向けていた。
自分を無視したという怒りで更にサイボーグ男のボルテージが上がる。
「あ? 無骸霊だぁ? 寝ぼけてんのか? アラーム鳴ってねぇぞ!」
サイボーグ男が叫び、その声の大きさに周囲の人々がびくりと肩を震わせる。しかしその直後、サイボーグ男の怒りで真っ赤になった顔は、
「あ、アラームが鳴った!?」
一転して真っ青になった。
サイボーグ男の眼前のみならず、周囲の人々が操作している個人のホログラムウィンドウはもちろん、駅構内で掲示されているホログラムウィンドウすべてに赤い“警告”という表示が浮かび、けたたましいアラームを鳴らしたからだ。
それらが意味するのはひとつの緊急事態だった。
改札の前に突如として赤黒い炎が生じ、その中で黒い影が蠢き、虚ろな眼窩を炎越しに少年たちに向ける。
「無骸霊ぉお!?」
サイボーグ男の上ずった声が構内に響き渡り、続けて周囲の人々の悲鳴があちこちから発せられた。
どよめきと共に人々が逃げ惑い、本来なら多くの人々でごった返すプラットフォームに空白が生まれる。
その空白の中心に赤黒い炎を纏い、存在するのは異形だ。
ひょろ長い2対の足と腕を地面に着けたソレは、人型ではあるが、獣の印象が感じられる。
その獣のような無骸霊は、周囲の人々には目もくれず、ゆっくり少年とサイボーグ男のもとに迫ってくる。
「な、なんでこっちに……!」
焦りの色を滲ませ、後ずさるサイボーグ男に子分が纏わりつく。
「兄貴っ! なんとかしてくださいよ! 葬奏者なんでしょ!?」
「う、うるせぇ! こんなの相手にしてられるか!」
邪魔だ、とサイボーグ男が右拳で子分の顔面を殴りつけた。背中を強打して呻く子分を顧みず、サイボーグ男が人混みを掻き分けるように、一目散に出口へと急ぐ。
しかし無骸霊の動きは速く、サイボーグ男のもとに鋭利な五指が伸びた。
周囲の人々は次の瞬間に訪れるであろう惨劇を予感し、息を呑むが、
「……っと」
その時、真横に居た少年が無骸霊の腕を掴んだ。
人間の肉体と魂を侵食する汚染霊子の塊である無骸霊の体を彼は平気で触れて、その動きを押さえつけていた。
するとサイボーグ男からターゲットを少年に切り替えた無骸霊が眼窩の奥で燃える赤い光を少年に向けるが、
「退いていろ」
若い男の声だった。
直後、真紅の線がいくつも虚空に刻まれた。
続けて無骸霊は、一気に霊子を血のように撒き散らし、青い純霊子の炎に包まれながら消滅する。
あまりにも一瞬の出来事で、誰も反応することは出来なかった。
「“吸血鬼”――ヴラム……ッ!」
青ざめた顔のサイボーグ男は、動揺して躓き転ぶ。
槍型の葬奏機を手にし、丈の長い黒コートを羽織り、銀の十字架のネックレスを揺らす金髪緋眼の男――ヴラムは“吸血鬼”という異名に相応しい鋭い目でサイボーグ男を一瞥した。
サイボーグ男は悲鳴を上げて一目散にその場から逃げ出し、
「兄貴っ! クラッシュ兄貴いっ!!」
子分が続く。
「ヴラム様初めて生で見ちゃった……!」
「なんて凛々しいお姿なの……吸われたい……」
周囲の女性たちが色めき立つが、彼はそれを意に介さず、手にしていた槍を手元から消し去り、少年を見据える。
(これが最強の葬奏者か……)
畏怖のような感情を抱く少年だが、ふとヴラムがこちらの顔をじっと見据えていることに気付き、たじろぐ。
相手から因縁をつけられ絡まれることは何度かあったものの、こうして有名人から注目されるのは慣れていない。
「な、何?」
「色々と興味深いと思ってな。何故葬奏機も無しに無骸霊の出現を事前に察知し、素手で無骸霊に触れても平気なのか」
はぁ、と少年は困ったように眉をハの字にする。
何故、と理由を訊かれても自分でもわからないのだからどう答えるべきか悩む。
「……まぁいい。またいつか会ったときに改めて訊くとしよう」
それだけ告げ、ヴラムは踵を返す。
何人か若い女性たちがその背中を負うが、彼の姿は雑踏に消えていった。
(なんだったんだあの人は……)
ひとり取り残された少年はどうしたもんか、と頭を掻くが、
「みなさま失礼いたします。これより現場を一時封鎖いたします」
奥の通路から人混みを掻き分けるようにして、セキュリティの人型ロボット“ロイド“がやって来るのが見え、急いでその場を離れた。