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2-8

 お寺の参道を出て、神社に帰ろうとしていたレンとイノリだったが、ふとホログラムウィンドウで時計を確認すると、時間はもう19時を過ぎていた。


「そういえば結構遅い時間になっちゃったね。今からごはんの用意すると結構掛かりそうだし、もしだったらこのままどこかで外食しよっか?」


「そうだなぁ、夜の散歩も兼ねてそうしよう。どこか良いお店とか知ってるの?」


「うんっ、すごく絶品なんだよ。中華料理は好き?」


「すげぇ好き!」


「それじゃあ着いてきて!」


 イノリが手を差し伸べる。レンは一瞬驚き、心臓の鼓動が早くなるのを感じたが、その手をぎゅっと握り返した。

 二人は手を繋ぎながら夜の山道を歩き出す。

 月と、星のように煌めく純霊子の光に照らされながら、レンは彼女の横顔に視線を送りつつ、自分の人生が輝きを増していることを感じていた。

イノリの歩調に合わせながら、彼は彼女との時間を大切に思いながら歩き続けた。


 ※


 歩くこと約1時間、隣町の中華街“嶺仙(りょうせん)”に到着したレンとイノリは、その中心部の繁華街に来ていた。

 そこには酔っ払ったオヤジや水商売風の着飾った女性、怪しい占い師、高級ブランドを身に着けたホスト、共通言語となって久しいのに「イラシャイマセーシャッチョサンサービススルヨー……申し訳ございませんお客様。当店の従業員との性交渉が発覚した場合罰金2万コインをお支払いいただくようになっております。180分コースですね? かしこまりました。オプションのマットはいかがいたしますか?」といったカタコトなのか流暢なのかわからないチャイナ服の女性などやはりカオスな様相だ。


 日本文化が色濃い神群(かむろ)に対し、この嶺仙(りょうせん)は中華や東アジアの文化を残す地域だ。

 そんな街の灯りは夜空を彩り、どこか異国の色香を漂わせていた。赤い提灯が列をなして吊り下げられ、それが風に揺れるたびに、ネオンのサイケデリックな光とともに柔らかな光が踊るように地面を撫でる。通りに溢れる人々の話し声や笑い声は、まるで音楽のように交わり、混ざり合いながら繁華街全体を満たしていた。


 様々な店舗が軒を連ねる通りには、香辛料と焼き立ての饅頭の香りが立ち込め、目を引く鮮やかな料理が並んでいる。小籠包が蒸気を立てる籠の中で輝き、麻婆豆腐の赤いソースが誘うように光る。若い店員が手際よく注文を取り、湯気の立つスープを手渡していく姿が微笑ましい。

 通りの一角では、伝統的な音楽が鳴り響き、二胡の切ない音色が夜空に溶け込んでいった。舞台に立つ女性が色鮮やかな民族衣装に身を包み、しなやかな動きで踊りながら観客を魅了していた。観客の顔は提灯の光でほんのり赤く染まり、目は踊り手の姿に釘付けだった。


 街並みは混沌とした美しさを持ち、古びた建物の重厚な木製の扉に彫られた龍の装飾が、時間を超えて繁華街の歴史を語っているようだった。

 夜風が頬を撫でるたび、どこかから風鈴の音がかすかに響き、ほんのり甘い香りが漂ってくる。


「ここだよ」


 レンがイノリの指差す方を見ると、赤い提灯が淡い光を漏らし、その下で中華料理店の入口がひっそりと佇んでいるのが見えた。


龍虎亭(ロンフーてい)?」


 軒先に掲げられた看板の店名を読む。

 そこは真っ赤に染め上げられた3階建ての店で、どうやら一階が居住スペースで2階以上が店舗のようだ。


 金色の龍の絵がデコレーションされた漆黒の大型バイクを横目に階段を登り、木製の扉を押すと、優しい鈴の音が響き、空気が一瞬だけ変わった。

 中に足を踏み入れると、油とスパイスが織り成す濃厚な香りが鼻を刺激する。明るく照らされた店内は、他に客の姿は見当たらない。お世辞にも広いとは言えない空間に並ぶテーブルは整然としており、赤いテーブルクロスが食欲を刺激する。壁には古びた中国風の龍と虎の絵画が飾られ、その彩色は控えめながらも重厚な雰囲気を演出している。


「は〜い、いらっしゃい!」


 店内を見渡すレンに元気な女の子の声がかけられる。

 カウンターの奥から現れたのはオレンジ色のチャイナドレスにエプロンを着け、白いダウンジャケットを羽織ったツインテールの少女だ。


「あ、イノリと無骸霊(ムクロ)くんじゃん! 元気そうで何よりだね!」


 無骸霊(ムクロ)くんって……とレンは肩を落とす。とはいえ事実だし、彼女は明るい笑顔を向けているので悪気はないのだろう。


「フーリン、ちゃんとレンって名前があるんだからそう呼んであげてね?」


「あちゃ〜! ごめんねレン、アタシはフーリン。お詫びに料理サービスするから許して!」


「気にしなくて大丈夫だよ。お構いなく」


 申し訳なさそうに苦笑いするフーリンに気にしなくて良いとレンはジェスチャーし、


「ああん? なんだテメェ!?」


 すると厨房に立って料理していた、緑の中華服の少年がサングラス越しに鋭い目を向け、その気迫にレンは身体を強張らせる。


「うちのフーリンがサービスするって言ってんだから断らず喜んどけ! っていうかこれ実質タダ働きするのオレだしな! オレにも感謝してくれると超ありがたいぜ!」


「あーアイツ、リューね。一応アタシの彼氏。あんな見た目だけど悪い奴じゃないから安心していいよ。ああ見えて料理の腕はかなり良いし」


 最近は女の子とばかり絡むことが多かったので、同性と親しくなるのも悪くないなと思いつつ、フーリンに案内されてカウンター前の四人掛けテーブルに着く。


「注文は? イノリはいつもの?」


「うん、ラーメンチャーハンセットで」


「じゃあオレも同じく」


「注文入ったよー」


 ホログラムウィンドウに注文を控えたフーリンはリューの隣に並んで具材のカットや皿洗いなどをテキパキと進めていく。


「あいよ! マジでウメェから待っててくれよな! しかもサービスな!?」


「いや流石にお代は払うよ。お世話になってるしイノリの分もさ」


「いや私の分は私が払うよ?」


「なん……だと!?」


 レンの言葉を聞いたリューは手にしていた玉杓子を床に落とし、


「おいフーリン、こいつめっちゃいい奴だぞ? トウカあたりなんていつも何かと理由つけてタカリに来るのに……」


 リューは漢泣きしながら中華鍋を振るいまくり、


「あー……それについては一応アタシが後日支払いを受けてるっていうか……リューが金銭管理能力無いし。バイクのカスタムパーツとかまた買ったでしょ?」


「いや待てよ! 俺の“黒龍(ヘイロン)”は出前を安全かつ最速で届けるために必要な改造を施してるだけだっての! 経費で落ちる!」


「出前届けんのに変形機能とかスラスターとかゲーミングLEDとか霊子砲とか光る・鳴る・DX(デラックス)機能とかいらないでしょ馬鹿!」


「かーっ! この浪漫(ロマン)がわかんねぇかなぁ!」


 言い争いしつつもふたりの手際は良く、瞬く間に調理が進む。

 レンはイノリとともにふたりの仕事ぶりを眺めていたが、


「レン? 大丈夫?」


 ふとレンの顔にわずかながら翳りがあることに気づいたイノリが心配そうに尋ねる。


「んー? レンどしたん? 話聞こっか?」


「なんだよそんなに腹減ってんのか? すぐに完成するから待ってな」


「いやそうじゃなくて……その、何でふたりともそんなに俺に親しくしてくれるんだ?」


 レンの問いかけにリューとフーリンは一瞬手を止めて互いに顔を見合わせた。


「だって俺は……無骸霊(ムクロ)で、記憶は無いけどふたりとも戦ったんだろ? それなのに何でこんなに良くしてくれるんだよ」


 トウカやネルもそうだが、一度戦ったふたりと異なり、レンにとっては初対面のリューとフーリンが、こちらに対して友好的なのがわからなかった。

 もちろん、思いやり自体はありがたい。

 しかし、本来であれば敵対してもおかしくないのに、一切そのことについて触れないのが気がかりで、本当は怒りや恐怖といった感情を抑えてこちらに接しているのではないかとそんな疑念に駆られてしまうのだ。

 そのことがレンの自己嫌悪を加速させ、


「あーそうだな……そりゃ正直言えば、俺はAIZ(アイズ)やヴラムの奴の考えに疑問を抱いてたさ。無骸霊(ムクロ)もどきの野郎を保護するとかどうかしてるだろってな。実際命がけで戦いを繰り広げたしよ」


「でもさ、聞いたんだよね。トウカとネルがキミに助けられたって。最初あのふたりね、「ヴラムやイノリは騙されてる、あいつ(レン)をやっつけてAIZ(アイズ)の考えは間違ってるって証明するんだ」って意気込んでて、アタシは普通に「いいぞやったれー」って感じだったんだけど、夕方ごろ店に来たふたりは少し凹んでてさ。で話聞いてみたらそれまでの態度一変させてアタシたちにキミを信用して欲しいって頭を下げられてねー。……あ、これ絶対に言うなってトウカに釘刺されてたけど言っちゃった……まぁいっか!」


 ふたりはすぐに止めていた手を動かしつつ、


「そんなワケだ。トウカやネルまでお前を信頼するならもうオレたちは何も言わねぇよ。あいつらかなり用心深いのに、もうお前に心開いてたからな。ならオレたちにとっても、お前を信じる理由は十分なんだよ。やたらアイツらに毛嫌いされてるオレとしては本当に羨ましいぜ」


「だってアンタ、デリカシー無いし。アタシみたいな心の広い女じゃないと無理でしょ」


「でもトウカもネルもリューの料理は美味しいって言ってるよ?」


「それならあいつら直接言えよ……」


「まぁそんなワケだからさ、キミも負い目を感じずに居ていいんじゃない? 気楽に生きればいいじゃん。アタシたちみたいにさ」


 こちらにウィンクするフーリンの言葉は不思議とレンの心を軽くしてくれた。


「ほいっ、ラーチャーセット2人前」


 フーリンの手で湯気が立ち上る器が運ばれてくると、店内の空気が一段と香ばしさで満たされた。醤油ラーメンのスープは琥珀色に輝き、表面には黄金色の油が煌めきながら浮かんで、丁寧に並べられたチャーシュー、繊細に刻まれたネギ、そして味玉が器の中で控えめに自己主張している。


 レンがまずスープを一口含むと、醤油の深い旨味と芳ばしい香りが舌の上で広がり、続いて鶏ガラと魚介の優しい出汁がじんわりと心に沁みてくる。熱々のスープは、疲れた身体に染み入るような心地よさを与えてくれた。


 次に手に取った箸で麺を掴み、ゆっくりとすすり上げる。滑らかな舌触りと、適度なコシを感じさせる麺は、スープとの相性が抜群だ。噛むたびに小麦の風味とスープが溶け合い、絶妙なバランスを楽しむことができた。


 横の皿にはチャーハンが輝いており、黄金色の米粒がふんわりと盛られ、ネギと卵が鮮やかさを添えている。レンゲを手に取り、一口分を口に運ぶと、香ばしい風味が鼻腔をくすぐった。米粒は一つひとつが程よくほぐれており、油っぽさを感じさせない軽やかな仕上がりだ。噛むたびに卵のコクとネギの爽やかさが広がり、満足感がじわりと胸に満ちていく。


「どう? 美味しいっしょ? リューの料理」


「すげぇ美味い。人生で食べた中で最高のラーチャーだ」


「だろ!!」


「ね、来てよかったでしょ?」


 イノリの言葉に力強く頷き、箸とレンゲを進めていくと、スープと米粒が減っていくごとにどんどんと空腹が満たされていく。

 それだけでなく、心も満たされてレンは自然と顔がほころんでしまう。

 それらの料理はまさに心も体も生き返らせてくれるような、極上の味わいだった。


「いつからここの営業をしてるんだ?」


「元は親父が道楽で開いた店だな。オレと同じように料理人と葬奏者やってたんだが負傷で引退して、料理も難しくなったもんだから一家揃って一度田舎に引っ越してな。数年くらい建物は売りにも出さずそのままの状態で放置してたんだけどよ、場所はあるのに使わないのは勿体ないってことで実家を飛び出したオレが継いだんだ」


「道楽、って言っても繁盛してたよね。アタシの家がこの近所にある道場なんだけど稽古が終わってお腹空いたらいつもここに寄って夕飯にしてたし。近所の人も常連さんだったでしょ? 2年前に亡くなっちゃった斜向かいのチョーさんとこのおじいさんによく杏仁豆腐とか桃ジュース奢ってもらってたし」


「まぁ俺が店継いでリニューアルオープンした直後はあちこちから先代(オヤジ)の味が全く再現できてねぇってよく言われたもんさ。ただ近所の常連さんは足繁く通ってくれて、無理に親父の味を目指さなくていい、オリジナリティを極めろって応援してくれたおかげで今があるって訳さ」


「みんなに愛されてるんだな。この店は」


 レンは麺を啜り、チャーハンを口に運ぶ。


「本当においしいよ~」


 イノリの顔も幸福に満たされている様子でとてもかわいいと思った。

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